[2-4] 本当にあの人と

 一人になったルセリアは、門柱に背を預けていた。


 通りかかる市民はみな、物珍しげに見ていく。この地区で、特に何かするでもなくただ立っている特務官など、不審者そのものだ。


 ルセリアもいつもなら睨み返すところだが、今はうわの空である。

 ぼんやりと頭に思い浮かんでいるのは、妹のことである。


 これまでずっと、妹が無事ならそれでいい、と考えてきた。目の前で両親を跡形もなく砕いたことを、許してもらえるとは思えなかった。

 しかし、エメテルとチームを組んで――イナミやクオノが居着くことになって――人間関係を結ぶほどに感じることがある。


 後悔。寂寥せきりょう感。

 胸にぽっかりと空いた穴。


 と、空虚に浸っていたルセリアは、


《ルーシーさん》


 リストデバイスから響くエメテルの呼び声で、強引に現実へと引き上げられた。


「な、何っ?」

《『何?』じゃないです。イナミさんとの通信が途絶したのに気づいてないんですか?》

「え、いつ!?」


 小さな溜息が伝わる。


《ついさっきです。任務中ですよ、しっかりしてください》

「う……、ごめん」

《ちなみにヴァシリ・ヤンさんと面会した直後のことなので、多分、部屋に盗聴対策が施されていたんでしょうねー》

「大丈夫なの? 踏み込んだほうがいいかしら」


 その質問に対する返事は、


「荒事はご遠慮願うわ」


 ルセリアの真後ろから囁かれた。


「うぎゃ!」《うわあ!》


 ルセリアとエメテルの悲鳴が重なる。

 反射的に振り返ると、イナミを案内していったはずのベルタ・メイがそこにいた。


 思わずひどい声を上げてしまったルセリアは、慌てて澄ました顔を取り繕う。


「い、いつからそこに?」

「今しがた」


 全く気づかなかった。音もなく歩けるというのか。

 ルセリアは、イナミがただ者ではないと言ったことを、ようやく今、理解した。


 ベルタは首を傾げる。なぜルセリアが驚いたのか分からない、という仕草だ。肩にさらりと垂れた長い髪が、同性であるルセリアから見ても艶っぽい。

 それから言い放ったこともまた、予測不可能だった。


「外は寒い」

「え?」

「中で茶でも飲んで待つといいわ」


 こちらの反応を窺いもせず、ベルタは背を向けた。言ってみるだけだけ言ったので来るなら来い、というマイペースな振る舞いである。


 ルセリアはその浮世離れした調子に巻き込まれ、引きずられるように後をついていった。

 念のため、リストデバイスの通信はオープンのままにしておく。〈血龍シュエロン〉が敵対組織ではないのは分かっているが、全く違う文化、実態もよく分からない、そんな場所に誘われたとなれば、どうにも懸念を抱くものだ。


 ……が、邸宅に足を踏み入れた途端、肩透かしを食らう。

 もっとこう、司令部だったり防衛設備があったり、というのを想像していたのだが。


 置いてあるのは、地味な壺、等身大木彫り人形、なんとなく勢いを感じる書の掛け軸。どれもこれも前時代的な美術品だ。ルセリアには地味に感じる。


 ――とか言って、こういうのが結構なお値段だったりするのよね。


〈大崩落〉以前に製造された骨董品だった場合、当然ながら価値が高くなる。データから精巧に復元された少数模造品も、高額で取引されていた。

 美術品の管理は、警備局や内務局、あるいはラボのどこで取り扱うかで、よく揉めている。

 そして、美術品を壊した場合、その三部局から苦情が寄せられる。である。


 興味を惹かれても決して触るまい、とルセリアは眺めるに留めた。


 邸宅には奥があるようだが、ベルタは二階へと上がった。

 その階の一室へと通される。見たところ、客間ではない。ベッドが置いてあるので、彼女の自室なのだろう。


 ベルタは部屋の中央に置いてある木製の丸机にそっと手を置き、とうを編んだイスを静かに引いた。

 ここに座れ、ということらしい。


 大人しく従いつつも、ルセリアは好奇心半分、警戒半分に、部屋をこっそりと盗み見る。


 人となりを表す小物は皆無だ。

 ナイトテーブルにはタブレット型のデバイスが置いてある。簡素なデザインで、冷たいグレーの外装だ。


 ベッドは軟らかそうなマットに、毛布をかけている。こちらも無地で、華やかさはない。


 ただ、毛布の上に置いてある未知の道具は、芸術品的な美しさを感じた。

 一見すると太鼓のような六角柱に、長いさおがついている。

 二本の弦が張られているので、弦楽器なのだろう。横に弓も置いてある。訪問時に聞こえた高い音色は、これを奏でたものなのかもしれない。


「ヴァイオリン……じゃなかったみたいね」

二胡アルフーよ」


 全く聞いたことのない響きだった。

 一瞬、アルファという言葉を連想する。エメテルに与えられた識別名。警備局で使われる部隊のコードネーム。古代文字のA。そちらに由来は――特になさそうだ。他言語なのだろう。


 ベルタは部屋に保温ポットと陶製の茶器を持ち込んでいるらしい。茶を出すために用意をしてくれる。


 ひょっとすると、とルセリアは思う。高級な茶を飲めるかもしれない。

 この地区の住民は、プラント製品ではなく、独自の栽培法で育てた葉をたしなんでいると聞いている。美容にもいいという噂があった。ここはありがたくいただこうではないか。


 ――という淡い期待は、あっという間に砕かれる。ベルタが手にした茶筒が、どう見てもそこいらのマーケットで販売されているのと同じ安物だったのだ。


 ベルタは「はい」と湯気の立つ器をルセリアの前に置いた。

 風流も何もあったものではない。


 肩透かしの連続で脱力したルセリアは、構えずに飲み物を口に含んだ。

 そこそこの香りである。誰がどう淹れてもまずくなりようがない、まあまあな味である。よきかな、一般流通製品。


 しみじみと感じ入っていたルセリアは、ベルタの視線に気づく。

 感想を求められているのか、それとも作法がなっていなかったのか。


「……何?」

「あなたたち、本当にあの人と戦ったの?」


 思いがけない質問に、ルセリアは一瞬、視線を茶に落とす。それからベルタを見上げた。


「あの人って、仮面男のこと?」

「…………」


 反応が薄い。

 ルセリアは続けた。


「あたしたち、っていうか、イナミよ。遭遇したのはね」

「そう。あの男……」


 そのことを確かめると、ベルタは急にルセリアに対する興味を失ったようだ。ベッドに置いてある二胡アルフーを再び手に取る。


 ルセリアはイスを動かし、身を乗り出すように問い質す。


「待って。あんたは仮面男が何者なのかを知ってる。それも素顔を。違う?」


 ベルタは金色の瞳をこちらに向けた。恐ろしく冷たい輝きを秘めている。

 結局、彼女は無言のまま、窓際に置いてあったイスにすとんと腰を下ろし、二胡アルフーを構える。筒を足の上に乗せ、棹は手に持つ形だ。


 演奏が始まる。

 曲目は全く分からない。

 留まることを知らない川のような音色だけでなく、弦を押さえる手、弓を操る姿、その動きが見惚れてしまうほど美しい。


 ルセリアも、もう突っかかろうとは思わず、聴き手に回る。

 悔しいことに、相手のほうが大人だ。張り合おうとしても受け流される。

 となれば、淹れてもらった茶をちびちびと飲みながら、この邸宅のどこかにいる同僚の安否を案じることにした。


 ――イナミったら、なんの話をしてるのかしら。

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