第2章 血龍

[2-1] 都市の中にもう一つ小さな都市

 さかのぼること一週間前、特務部第九分室は遺物流出に関わる重犯罪者を追っていた。


『遺物』とは、〈大崩落〉以前から形状的、もしくは機能的に現存している人工物である。これには、実物としてある『物』ではなく、データといった『もの』も含まれる。


 遺物を管理、または封印し、文明を再興する、というのが機関の目的だ。

 危険な遺物が流出すれば、技術的知識を持たない者が大事故を引き起こすかもしれない。


 そうした事態を阻止するため、第九分室は遺物発掘調査隊の監視を行った。

 結果、流出に関わっていた調査員を見つけた。

 が、彼は拘留施設の檻の中で、何者かに殺されてしまったのである。


 暗殺者。

 イナミたちは、遺物の取引現場で遭遇した『白面の男』ではないかと見当をつけていた。

 触れただけで物体を破壊するシンギュラリティ。監視システムを潜り抜けられる光学迷彩装備。檻の鉄格子と人体を鮮やかに両断できる剣の腕。


 あの男にリベンジする機会を待つも、追跡の手がかりがないまま、しばらく――


 あれからずいぶんと気がかりが増えたイナミであった。

 たとえば、一緒に道を歩く、表面的にはいつもと変わらない少女。


「……何? なんかじっと見て」


 ルセリアにぎろりと睨まれても、イナミは涼しい顔を維持した。


「気のせいじゃないのか」

しらを切るんじゃないの。言っとくけどね、シンギュラリティ能力者の勘は――」

「鋭い、だろう?」

「分かってるじゃない。で、何?」

「特に理由はない。自然と見ていただけだ」

「は、はあ?」


 そりゃあ変な顔をされて当然だ。

 が、そう言うしかなかった。妹との衝突が尾を引いてはいないか、などと本人に尋ねられるはずもない。任務遂行に支障があるかは、見て判断するしかない。


 とまあ、別の意味で鈍いことには気づかない辺りが、イナミの至らなさだった。

 ルセリアはふいと視線を逸らした。頬と耳が赤いのは、寒さのせいだろうか。


「テキトーなこと言ってないで、あたしより周りを見て歩きなさいよね。ここ、来たことないんでしょ」


 まったくもって、そのとおりである。

 二人は今、〈第一市民区〉と名づけられた区域を訪れていた。


 他の、異文化が混ざり合った区域とは異なり、東アジアの文化が色濃い街並みだ。

 住民の構成は、元々この地に住み着いていた人々が大部分で、移民もちらほらと見かける程度には流入している。


 イナミたちが今いる場所は、〈アグリゲート〉の繁華街的な通りだ。

 建物の趣は他の区域と変わらず、二階から三階建てほどの鉄筋コンクリートのビルが建ち並んでいる。


 その屋上にはトタン製の小屋がぎっしりと建てられていた。人が住んでいるのか、洗濯物がワイヤーに吊り下げられている。

 通りには鉄パイプが渡され、漢字が書かれた赤い看板がいくつもぶら下がっていた。暗くなれば鮮烈に煌めくことだろう。


 今は午前中ということもあって、ビル一階の店舗はどこもシャッターが下りている。

 店員と過剰にスキンシップすることが許された、いわゆる風俗店と思しき看板もあり、イナミにはなかなか衝撃的だった。


 二階の窓際で談笑していた女性たちが、見上げるイナミに気づいて艶めかしく手を振る。

 ルセリアがまたもや唸り声を上げた。


「周り見るったって、そういうトコに興味を持つワケ?」

「いや、たまたま目が合っただけだ。本当に。嘘じゃない」


 なぜ自分は慌てて弁解しているのだろう。

 イナミはペースを取り戻せないまま、羞恥をはぐらかすように尋ねる。


「ここは、その、色んな商売をしている市民が多いんだな」

「都市の中にもう一つ小さな都市がある、ってイメージするといいかも。だから、機関のプラントから供給されてる以外の食料も作ってる。トリとかね」


「生肉が加工されているのは、ミダス対策じゃないのか」

「ミダス細胞が食べ物や飲み水から侵入したって例はない。だから平気って判断なんじゃないかしら。代わりにウイルスとか細菌とかの問題があるけど、そっちは自前の検疫技術でうまくやってるみたい。それで、一種のブランド食料になってるわ」

「プラントの反対に、ブランドか」


 真顔で頷くイナミに、


「……や、別に意識してないから」


 小声で否定するルセリアだった。


 そう話している間にも、二人は多くの通行人の視線に晒された。

 ある場所への訪問のために機関制服を着ているイナミとルセリアは、この地区に敷かれたシステムの外から足を踏み入れた『異物』なのである。


 イナミたちの目的。それは――


「その食料生産も、〈血龍シュエロン〉というのが管理しているのか?」

「そうね。ここでの機関みたいなもの。先住民の自治地区ってヤツなのよね。だから勝手はできないわよ」

「承知している。今日は勝手をする用事でもないしな」


 自治地区とはいえ、機関の権力が全く及ばない、というわけでもない。

 行政調査を行うのに内務局が立ち入ることがあれば、逃げ込んだ犯罪者を追って警備局が踏み込むこともある。市民IDだってデータバンクに記録されている。


血龍シュエロン〉は機関を拒まない。

 ただ、彼らには彼らの『仁義』がある。


 身内から出た犯罪者は、警備局が把握するよりも先に、始末する。

 夜になれば活気盛んで危うくも華やかな通りは、そうした組織の『力』によって保たれているのである。


「しかし、なぜ機関と分かれているんだ?」

「そこはまあ、偉い人たちで話し合った結果でしょ。うまく同居するのに、違いに目をつむることがあれば、あえてはっきりさせるってこともあるんじゃない?」

「なるほど、手続きは面倒だが――関係は良好らしいな」


 イナミは七賢人から下された命令について思い出す。


『遺物流出への関与、及び重要参考人の殺害、余罪多数と思われる男の追跡を命ず。また、本件は〈血龍シュエロン〉と協力して事を進めるべし』


 その指示を受けた後で、クオノがイナミにだけ囁いたことがあった。


『お父様からの伝言。イナミ・ミカナギには、会わねばならぬ者が待っておる、とのこと』


 父親とは、七賢人ドゥーベ。本名をジヴァジーンという、元特務官の男だ。

 クロヒョウの顔を持つあの大男が示唆する人物については、クオノも知らないらしい。


 とにかく、イナミとルセリアは、〈血龍シュエロン〉のおさに会いに来ているのだ。

 その人物が住んでいるのは、水路にかけられた石橋を渡った先だ。


 景色が雑居ビル街から、伝統的なおもむきと最新技術を併せ持つ邸宅の並びに移り変わる。

 聞いた話によると、〈大崩落〉以前から残り続けている建物らしい。ここから〈セントラルタワー〉は遠い。漂着の衝撃に晒されずに済んだのだ。


 とはいえ、文明が衰退してから二百年も経っているだけあって、それなりの改修が重ねられている。特に見て分かるのは、屋根の瓦だ。雨風に晒されて劣化した物と、比較的新しい物が層になっていた。


 この住宅地で最も大きな敷地を有する邸宅の前で、ルセリアは立ち止まった。リストデバイスから投影した地図と家の形を見比べる。


「うん、ここだわ。あちらのお偉いさんが住んでる屋敷よ」

「その割に……警備は手薄だな」


 門前には誰も立っていない。これなら勝手に中に入り放題である。

 塀も、人の背よりは高いとはいえ、よじ登れないほどの高さでもない。

 赤外線センサーの類も張り巡らされていないようだ。これで、どうやって侵入者を感知するのだろう。


 そうやって邸宅を見上げていると、ある音が風に乗って流れてきた。


「弦楽器だ。誰かが弾いている」

「……ホントね。ヴァイオリンかしら。なんか違う気もするけど」

「音楽には詳しいのか」

「子供の頃、おもちゃのピアノを壊したくらいにはたしなんだわよ」

「あー……壊れるほど練習した、という意味だよな?」

「他の意味なんてある?」

「いや、そうだな、ない」


 ちなみにいえば、この弦楽器はヴァイオリンと音を奏でている。優美ながらも、一段と高い音だ。

 イナミは、夜明け前の空気の震えを連想した。誰もがまだ寝静まっている頃、機械熱から立ち昇る水蒸気が凍りつく。それを肌で感じるのに似ていた。五感が研ぎ澄まされていく錯覚である。


 ルセリアが門に視線を這わせる。インターフォンのたぐいがついていないと分かって、開かれている門戸を強めにノックした。

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