[1-4] 心配なんてしないで

『墓』とは何か。


 イナミはそれが死人の眠る物、遺体を納めた物だと理解していた。

 その意味では、〈ザトウ号〉がそうだ。船員だけではない。数多あまたもの実験体も処分されてきた。あの船には『死』が付き物だったのだ。

 しかし、それでも、イナミにとっては故郷だ。『墓』と呼ぶのには抵抗がある。


 では、彼女たちにとっての『墓』とは?


 共同墓地公園に着いたイナミたちは、白いセダンから静かに降りた。

 時刻は午前十時頃。よく晴れた空を見上げると、冷たい空気が顔に下りるのを感じた。気を引き締められるような寒さだ。


 駐車場には他にも車が並んでいた。

 大勢の遺族や関係者が訪れているのだ。

 公園に向かう人々の表情は悲痛にして陰鬱である。

 三年もの月日が経っても、傷は癒えていないようだ。当然だ。失われた命は二度と戻ってこないのだから。


 イナミは、ミダス体による虐殺を、身をもって知っていたつもりだった。

 が、周囲を見て、三年前の惨劇が〈アグリゲート〉全体にとって、いかに大きな事件だったかを再認識する。


 惨劇の中心にいたのは、ルセリアの母親、ロスティ・イクタスだった。

 彼女は十一年前にクオノと接触した地上人の一人である。

 ミダス体は、その記憶を確実に吸い上げるためだけに、大勢の市民を変異させ、即席の兵士に仕立て上げた――というのが、事の真相と思われた。


 クオノはずっと俯いている。遺族たちと視線が合うのを恐れている。自分が存在していることに責任を感じているのかもしれない。


 クオノに罪はない。

 強い『力』は、いつの時代でも求める者同士の争いの火種だった。その歴史が積み重ねられて、二百年前の〈大崩落〉に辿り着いたのだ。

 堆積たいせきはなおも続いていて、この惨劇はミダス体が起こした。それ以上も以下もない、とイナミは思う。

 自分を責めることはない、と言葉をかけようとして――


 声に発するよりも先に、ルセリアがクオノの手をそっと握った。


「特務官になってから、たくさんの遺族を見てきたわ。それでよく分かったの。あたしたちは特別運が悪かったワケじゃないんだって。あんなことが、いつどこでまた起きるか、誰にも分からない。そういう敵と、機関は戦ってる――」


 一見、クオノに語りかけているようだが、視線は虚空を漂っている。

 ルセリアは少し間を置いてから、今度こそクオノに向かって微笑んだ。


「……でしょ?」


 そんな使命感で感情を抑えられるほど、クオノの精神は成熟していない。結局、クオノは小さな首肯で応えるのみだった。


 ルセリアは肩を竦め――イナミとエメテルを見た。


「変に畏まらないの。やることったって、あたしが花を置いてくるだけなんだから」


 とは言われたが――

 共同墓地公園は、厳かな静けさに包まれていた。

 土地の周りは、綺麗に剪定された低木で囲まれている。煉瓦の道に、木製のベンチ。普段は落ち着いた雰囲気の散歩道なのかもしれない。


 その道を、遺族たちがゆったりとした歩調で進んでいく。イナミたちもその後に続いた。

 やがて、公園の中心にそびえ立つ花崗岩の石柱オベリスクが見えてきた。墓碑として建立された物で、その地下に死者が埋葬されている。


 埋葬方法については、協議によって決められたという話だ。

〈アグリゲート〉に集まった放浪民は、それぞれの信仰を持ち寄った。

 歴史上、宗教は対立の原因にもなってきた。しかし、さすがに、放浪民たちは信仰の違いから他者を攻撃しようなどとは考えなかった。疲れ切っていたのだ。


 それでも無視できない、一つの問題が浮上する。

 死者をどのように、どこに葬るか。

 伝染病、土壌汚染、何よりミダス体として蘇生する可能性を恐れ、人々は死体を焼却、灰を地下に納めることを選択した――

 と、移民ガイドの『もしもあなたが死んだときは?』という項目にあったのである。


 ただ、そこに書いてある説明が全てではない。

 ミダスタッチを受けて変異した者は、肉体を失う。

 犠牲者の多くは機関によって処理され、この地に埋葬されることはない。


 遺族にはこのことが教えられているはずだが、それでも死者はここに眠っていると考えている様子だった。


 ――魂、の信仰だろうか。


 そういったものに、イナミは懐疑的だった。自分が死んだ後に残るのは、ただの抜け殻、ナノマシンの残骸でしかない。

 それをルセリアや遺族に言うほど、無神経ではない。


 献花を済ませた参列者が、機関制服を着ているイナミたちに目礼をして去っていく。

 ルセリアは何かを気にして周りを見てから、


「行ってくるわ。クオノも来る?」

「……うん」


 二人はイナミたちから離れ、列の最後尾に並んだ。

 花は公園の管理者が用意した物を受け取り、それをオベリスクに捧げるようだ。


 それぞれ受け取ったルセリアとクオノは、髪色や人種が違えども、不思議と距離感が近い取り合わせで、姉妹風に見えなくもない。


 イナミは彼女たちを遠巻きに眺めながら、隣に残ったエメテルに尋ねる。


「エメはこの事件のこと、知っているんだろう?」

「……それがあんまりなんです。ラボにいた頃なので、機関のミッションレポートと、民間のニュースアーカイブでしか、情報が入ってこなくて。というか、イナミさんこそご存知だったんですか?」

「本人から聞いた。俺が初めて宿舎に招かれた日に」

「ふうん? そんなことがあったんですね」

「それより――」


 イナミは参列者に目を向ける。内務局や警備局の幹部が並んでいるのが気になったのだ。


「被害はかなり大きかったようだな」

「機関の戦力が整ってからは、小規模で散発的な発生ばかりだったんです。市街地であんな大規模な戦闘になった例は、他にありませんでした」

「……〈セントラルタワー〉の襲撃までは?」

「ええ」

「本命までは戦闘データを集めているような動きだな」

「そのとおり、小手調べですね」


 とすれば、次はどんな手を打ってくるのか。〈セントラルタワー〉でクオノに接触したミダス体はイナミが始末した。つまり、クオノの顔は知られていない。ましてや、こんな堂々と公の場に姿を晒しているとは思わないだろう。


 無論、こうしている間もイナミは油断していないのだが――

 そこに、同じ機関制服を着た、銀髪褐色肌の女性が近づいてきた。


「やあ、特務部のお二人さん」


 誰だったか、思い出すのに少し時間を要す。

 今まさに話題にしていた、〈セントラルタワー襲撃事件〉の際にルセリアとともに戦っていた警備局の小隊長だ。

 彼女はずっとパワードアーマーを装着していた上に、展開したフェイスマスクの内側で顔を見ただけで、髪の色までは記憶していない。それで分からなかったのだ。


 後から知ったことだが、イナミは彼女の部下と交戦したことがあるらしい。ルセリアと初めて出会ったとき、現場の周囲を包囲していた兵士がそうだったようだ。


 エメテルは面識があるようで、ひょこっとお辞儀をした。


「あ、どうもです、ヤシュカさん」

「ルセリアの付き添いかい?」

「ですです。ルーシーさんなら、あちらに」

「……見たことのない子が一緒だけど、あれは誰かな」

「今、宿舎に住み込みで手伝ってくれてる子です。オペレーター見習いで私のお仕事を見学してるんですよ」


 よくまあ……、とイナミは平静を装った。エメテルは涼しい顔だ。


 それでも、勘がいいのか、ヤシュカは細目から黄金こがね色の瞳を輝かせ、こちらを交互に見比べる。


「ま、いいさ。そういうこともあるんだろう」


 さっぱりとした人柄の小隊長に、イナミは好感を覚えて尋ねる。


「警護か?」

「いや、ここに来たのは個人的にだよ。あれが隊長としての初出撃だったんだ」


 ヤシュカは頭に乗せたベレー帽の位置を直した。さほどずれていないにもかかわらず。


「ルセリアとはそのときに知り合ってね。保護したのが私の部隊だった」

「……どういう状況だったか、訊いてもいいか」

「そこ一帯のミダス体はよ」


 イナミは黙って首を傾げる。ヤシュカは静かに頷いた。


「問題はあの子のシンギュラリティだった。完全にタガが外れていた。フロアが丸ごと氷漬けになっていた。私たちでさえ、近づけなかった」


 イナミは、クオノに微笑みかけているルセリアを見た。


 圧縮した空間中の水分を一気に凍結させて爆発を起こす〈氷刃壊花アイシクル・ブロッサム〉。

 対生物には無類の殺傷力を誇る力――


「どうやって止めた」

「どうもこうも。呼びかけても聞かないから、閃光弾か催涙弾でも投げ込むしかないって話になった。結果的にはあの子の妹が止めてくれたよ」


 ヤシュカはすっと目を細め、


「きみたちは知っているのかな。ルセリアには妹がいるってこと」


 イナミとエメテルの頷きに、安堵の吐息を洩らした。


「よかった。あの子は自分で抱えがちだからな」


 そう言って、視線を遺族たちの間に泳がせる。やがてある人物を探し当てたらしい。


「あの子がそうだ。妹のラジエットだよ」


 イナミの目にはまず、ブルネットのショートヘアと、紺色のブレザーが映った。胸のところに機関のものとは異なる紋章のワッペンが貼ってある。

 どこの所属だろうか。

 組織図を思い出そうとするイナミに、エメテルが囁く。


「スクールの制服ですね」


 ということらしい。


 さらに注意深く観察すると、ルセリアによく似通った容姿だ。

 大人びた顔立ち、目には琥珀色の輝き。

 背筋をまっすぐ伸ばし、オベリスクをじっと睨んでいる。


 ルセリアの献花の番が来た。必然、ラジエットは姉の姿を発見し、拳をきゅっと握る。そしてすぐ、そばにいる銀髪の少女の存在に、かすかな動揺の表情を浮かべた。


 一輪の花を捧げたルセリアは、こちらに戻ってこようとして、妹に気づいた。悲しげに目を伏せ、クオノだけを帰す。自らは妹を待った。


 クオノは困惑気味にイナミの手に掴まってきた。


「あの人……」

「ルーシーの妹らしい」


 喪服の列が循環する。

 ややして、ラジエットが石碑の前にそっと花を置き、姉のほうへと向かっていった。


 気が咎めたが――喧嘩でも始まろうかというただならぬ雰囲気の対峙だったので、イナミは聴覚を傾ける。


「元気みたいね。学校はどう?」

「たまには自分の話からしたら?」

「……こっちはぼちぼちってトコよ」

「じゃあ、私は私でやってるから。心配なんてしないで」

「そう……よね」


 いつもの気丈さはどうしたものか、ルセリアはしおらしく、妹の冷たい態度に何も言い返しはしない。


 ラジエットはさらに何かを言いかけたが、結局、ためらって口をつぐむ。

 気まずい沈黙が二人の間に流れて、しばらく。


「寮に帰るから」


 先に、ラジエットがルセリアの前から立ち去った。

 彼女は出口のほうへと振り向く際、姉と同じ制服を着ているイナミたちに気づいて、顔をしかめた。恥ずかしいところを見られたと思ったのだろうか、申し訳程度に会釈をして、足早に帰っていった。


 しばらく足元を見つめていたルセリアは、ようやくこちらに振り向いて微笑んだ。


「あら、ヤシュカも来てたのね」

「そりゃ来るよ。なあ、ルセリア。特務官のこと、まだ納得してもらっていないのか」

「仕方ないでしょ」

「……つまり、話し合ってすらいないってことだね」

「今さらじゃない」


 ルセリアは額に手を当てて、弱々しく溜息をついた。


「用事も済ませたし、あたしたちは任務に戻るわ」


 ヤシュカはまだラジエットについて言いたげだったが、軽く両手を上げ、かぶりを振った。


「……最近、潜伏体が増えているらしいね。それ絡みかな」

「ううん、まだ遺物流出のほうで、ちょっと」

「ああ、発掘調査隊の隊長とやらを捕まえたって話か」

「で、警備局の拘留施設で暗殺されたのよね」

「当たるなよ。こっちだってセキュリティの見直しとか監視担当の責任問題とかでドタバタしているんだ」

「何か分かったことがあったら、情報提供よろしく。行くわよ、みんな」


 ルセリアは返事を待たず、さっさと駐車場のほうへと歩いていってしまった。その後を、エメテルとクオノが追いかける。


 ヤシュカは「まったく」と小声で呟き、イナミに声をかけた。


「あの子を頼むよ」

「ああ、言われずとも。仲間だからな」


 なぜイナミが特務部に配属されたかを知らないヤシュカは、今の言葉に驚いて目を見開く。

 わずかな間、どんな思いを巡らせたかはイナミの知るよしもないが、


「ありがとう、イナミ・ミカナギ」


 と、柔らかい笑みを浮かべるのだった。

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