[1-3] カッコ悪いトコ見せたくない
「あー……うー……」
亡者に似た呻き声が、少女の口から洩れ出る。
ソファに座っていたイナミは、視線を大型モニターからエメテルへと移した。
彼女はオペレーターシートを機械制御で回転させている。もっと加速すれば、対G訓練装置になるな、とイナミは思う。
ここ数日、エメテルはオフィスに詰めていた。その間、イナミが見ている限りは一度も、こんな状態になったことはなかった。
「手がかりがちっともさっぱり見つからないですー」
思考力もだいぶ溶けかかっているようだ。
脳細胞の活性剤として摂取したポテトチップスは、効果がなかったらしい。
フレーバーは『ミート・アンド・ミート』。説明によれば、二種類のクローン動物の肉から抽出した旨味成分を配合しているらしい。合成肉と考えれば、まともな味だ。
――まともだから効果がなかったのか……?
イナミは真剣に考えそうになったのを、寸前で切り上げた。
エメテルを悩ませているのは、先日変異体と化した男性の身辺調査だ。
その手伝いとして、イナミも映像の一部をチェックしていたのである。彼女の〈
しかしながら、現時点で気づいたことはない。不可解な行動、不審人物の影――そもそもパーソナルデータを頭に叩き込んでおかなければ、そういうものにも気づかないわけで。
こんな気が遠くなりそうな作業を常日頃から行っているエメテルに、イナミは改めて畏敬の念を抱くのだった。
ようやく三日分終えたところで、ふと気になって尋ねる。
「ミダス細胞の潜伏期間は、大体、どの程度なんだ?」
「そうですねー。接触から、平均一か月で変異。最長で半年程度になりますー」
三十日にしろ、百八十日にしろ、常人に確認できる量ではない。
思わず脱力してしまうイナミの隣で、タブレットのニュースアーカイブを読んでいたクオノが、静かに顔を上げた。
「ミダス体として完全に変異後、細胞の活動を人間レベルに低下。市民に潜伏――可能?」
「バンテス・カルロさんみたいに、ですか?」
かつて、特務部に所属していた男だ。
ルセリアの母、ロスティ・イクタス。
クオノの育ての親、ジヴァジーン。
イナミとルセリアが出会うきっかけになった、デクスター・オドネル。
そして一人、生活も地位も投げ捨てて隠れ潜んだ、バンテス・カルロ。
だが、最後の彼はすでにミダス体の手にかかり、接触してくる者からクオノの居場所を探るための罠として使われていたのだ。
エメテルは可能性を検討した上で、あっさりと首を横に振った。
「ちょっと考えづらいですね。それだと健康診断で一発ですからね」
「そっか」
「警備局が男性宅を調査しましたが、何かしらの工作活動を行ってた形跡もありません。お勤め先でデータ流出してた、なんてこともなしです」
「変異後の行動は?」
「特別、女の人を追いかけ回したくらいですか。こちらはつい最近までドロドロなご関係だったみたいですねー。イナミさん、こういう人になっちゃダメですからねー」
イナミは渋い顔で、
「……なんの話だ?」
「それはそれとして、こっちで調べてみたら、他にも侵入経路が分かってない犠牲者がたくさんいるみたいなんですよねー」
クオノはかすかに眉を上げた。
「……今まで誰も調べていなかったの?」
「ですです。私もたまたま気になっただけですし」
やや疲れ気味だったエメテルの表情が、再び引き締まる。
「……ってことは、もしかしたらそこに穴があるのかもですね」
「穴?」
「固定観念による思考硬直です」
イナミも考えてみる。
自分が同族だからこそ今さら考えもしない特性。
ヒトに接触せず、ナノマシンを移植する方法。
……なんてものがぱっと思い浮かぶはずがない。だからこその『思考硬直』なのだ。この道をまっすぐ進めばいいと教えられていたのに、突然、二手に分かれる岐路に立たされたような感覚である。
頭の中で立ち往生していると、ふと、他の二人のものではない視線を感じた。
ルセリアがオフィスの入り口に立っている。
「えっと……立て込んでるみたいだし、あたし一人で行ってくるわね」
控えめな発言に、三人が視線を集中させる。
いつになく気弱な彼女は、「う」とぎこちない笑みとともに後ずさった。
ルセリアは機関職員の、白を基調とした制服を着ている。
スカートタイプのスーツに、機関の紋章である〈
足には黒いストッキングを履いているので、モノクロームな色合いだ。
正装しているのは、ルセリアだけではない。
イナミもエメテルも、同様の物を着用している。
クオノは一般的な喪服だ。髪と瞳を変色させる
今日はちょうど三年前、ミダス体大発生が起きた日だった。
現場は都市の商業施設。犠牲者は数百人に上り、市街地では類を見ない大規模戦闘が繰り広げられたという。
ルセリアは、その事件に巻き込まれた市民の一人だった。
ミダス体の犠牲となった両親を、妹の前で、シンギュラリティを使って殺した。
そういう、日だった。
クオノは身を乗り出すほど強い調子で言った。
「ロスティにはお礼を言えずじまい。お墓参りだって一度もできていない。絶対行く」
イナミはクオノをちらりと見てから、大きく頷く。
「俺にとっても恩人の一人、ということになる。他人事じゃないな」
「そ、そう?」
ルセリアは気まずそうに
エメテルは「え?」と唖然とする。
「なんで『留守番しない?』みたいな顔するんです? 当然、私もご一緒しますよ。チームの一員ですからねっ」
「いや、まあ……いいんだけど、あんまり人に、カッコ悪いトコ見せたくないから、さ」
と、ルセリアは視線を虚空に泳がせる。
イナミは、まだ心の傷が痛んで平気ではいられないのだろう、と察する。そんなことでルセリアを格好悪いと思うはずがない。格好つける必要だってない。
ふと、今まで感じたことのない種類の、隔たりに触れた気がした。
リストデバイスに視線を落とす。
「……そろそろ出る時間だ」
三人はそれぞれ頷く。
コート掛けに吊るしていたコートに袖を通す。第九分室の世話係として配備された小型ロボットが、昨晩、用意してくれた物だ。
その執事、ギアーゴは、オフィスの外に控えていた。
主人のクオノがそっと屈み、ギアーゴの平らな頭をそっと撫でる。
「行ってくる」
《かしこまりました。お気をつけて、行ってらっしゃいませ》
フレキシブルアームを振るギアーゴに、クオノは微笑んで答える。ミミクリーマスクが起動して、銀髪が黒色に、碧眼が濃褐色に染まった。
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