[1-2] 居合わせたことがない
焼死体と化したミダス体から、イナミはゆっくりと起き上がった。
ミダス体が地上に存在する以上、〈ザトウ号〉が漂着しているのは確かだ。
しかし、いつ、どこに? 都市を守護する〈デウカリオン機関〉でさえも、それは分かっていない。発見されていないのだ。
いつだったかミダス体は、漂流物の雨を見た、と言った。
〈大崩落〉。
戦争によって破壊された漂流物群が地上に降り注いだ災害。
移民が合流するより遥か昔の出来事だ。データバンクに記録がないのも当然だろう。
イナミはかすかな苛立ちを覚えたが――それ以上の思索は打ち切る。自分の任務は〈ザトウ号〉の位置特定ではなく、市民の救助だ。
ナノマシンが形成した通信機ならぬ通信器を介し、オペレーターに尋ねる。
《エメ。始末した。他に反応は?》
《確認できず、です。今のところ、イナミさんが倒した一体だけですね》
幼さのある少女の声が、流暢に答える。
体表面に付着したミダス体の体液を放電で焼いてから、背後を振り返る。
なぜかつけ狙われていた女性は、手足を投げ出すように倒れていた。
《彼女の容態は?》
《バイタル正常。ただ気絶してるだけですねー。わ、足首腫れちゃって……手当が必要と思われるので、救護班を呼んでおきました》
《了解。念のため、ここで待機する》
と、答え終えたところで、聴覚が二輪モーターサイクルの走行音を捉える。
徐行時、動力部はほとんど音を立てない。タイヤと地面の摩擦音が聞こえたのだ。
音のしたほうへ目を向けると、白い大型マシン――〈プロングホーン〉が角を曲がってきたところだった。
運転しているのは、ブルネットの長髪をサイドテールに結った少女だ。
風で膨らみそうな白いクロークの下に、身体能力を高める
身体に巻いたフルハーネスベルトには、様々な道具を入れたポーチを提げている。ハンドガンを納めたレッグホルスターも、その一つだ。
彼女は、ルセリア・イクタス。同僚の特務官である。
「処理できたみたいね」
「ああ。無事、とは言いがたいが」
「生きてるんでしょ? だったら問題なし」
ルセリアは〈プロングホーン〉から降りると、女性を抱え起こす。それから、タクティカルグラス越しに琥珀色の瞳を瞬かせてみせた。
「あたしの仕事って、これじゃまるであんたの専属運転手ね」
イナミにはまだ、自分専用のマシンが用意されていない。なので、〈プロングホーン〉の後部座席に同乗させてもらい、現場に駆けつけたのである。
そもそも、だ。
「俺は運転免許を取得していない」
「さっさと取りなさいよ。便利よ?」
「ルーシー。移民は定住から一年間、車両の運転を禁止されているんだ」
「そうなの!?」
「移民向けのガイドにそうあった。当分は、お前の後ろに乗ることになるな」
「……まあ、いいけど」
ルセリアは溜息をついてから、物憂げに長身のイナミを見上げた。
「ねえ、イナミ。最近、〈ザトウ号〉のこと調べてるみたいだけど、場所が分かったら、どうするつもりなの?」
問答を通信越しに聞いたようだ。
イナミとて、隠そうという気は一切なかった。
「人の手に戻したいだけだ。管理は機関の判断に任せる。俺は一構成員に過ぎないからな」
「あれ、ずいぶん殊勝じゃない?」
ルセリアは真意を窺うような、それでいてからかうような笑みを浮かべる。
イナミも穏やかに笑い、
「譲れないってほどのことじゃない」
と、肩を竦めてみせた。
〇
特務部第九分室、宿舎一階オフィス。
エメテル・アルファが、背を倒したオペレーターシートに小柄な身体を横たえている。
金髪をラフシニヨンにまとめているので、長く尖った耳が目立つ。彼女は遺伝子操作を受けて誕生した
十五歳という実年齢よりも、いくらか幼く見える容姿だ。
透き通るような翠玉色の瞳は、ぼんやりと天井を見つめていた。
汚れが気になっているわけではない。物思いに
右耳のカフ型デバイスから脳へと伝達された情報を、視界に映し出しているのだ。
彼女の世界は、情報が織りなすウィンドウとツリーで彩られている。
〈
エメテルは今、それを駆使して、ミダス体の宿主の行動記録を遡っていた。
その作業をソファから見守っていた銀髪碧眼の少女、クオノ・ナガスが尋ねる。
「エメテル、何か気になるの?」
「ちょっと変なんです。潜伏体だった男の人、ミダス体発生の現場に居合わせたことがないんですよ」
クオノは宿舎に住んでいるが、特務官ではない。
にもかかわらず、エメテルは任務に関わる情報を素直に話した。
というのも、クオノは〈デウカリオン機関〉を司る『七賢人』の一人、ベネトナシュの名を有しているのである。
加えて、シンギュラリティとは異なる力、外部干渉可能な機械をコントロールする〈
エメテルの作業を、クオノは文字通り『横で見守っていた』のだ。
「それが、変?」
「はい。ご存知のとおり、ミダス細胞は空気感染しません。変異したからには、どこかで活動してるミダス体と接触したはずなんです」
「過去の行動記録を調べれば、どこで移植されたかが特定可能――今までのケースでは」
「そうなんです。それが分からないとなると、機関が把握してる以外の経路があるのかもです」
休眠状態にあるミダス細胞保持者は、『潜伏体』と呼ばれている。
市民に紛れ込んだ潜伏体を暴く
ただでさえ後手に回っているというのに、知られざる侵入経路があるとすれば――
エメテルは身体を起こし、クオノと見つめ合う。
しばしの静寂。オフィスがやけに広く感じる。
このことについてイナミとルセリアに相談したかったが、彼らはまだ現場で警戒中だった。
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