エピローグ 白刃
[02E] 新世界
数日後――
警備局の留置所は消灯時間を迎え、重犯罪者を隔離する地下階層は静まり返っていた。
窓のない部屋、暗闇の中で、一人の男が膝を抱えて座っている。
元発掘調査隊主任、モーリス・スミスだ。
「僕にはやるべき研究があるんだ……こんなところに閉じ込めて……」
ぶつぶつと独り言を呟く。
他の部屋からは苦しげな呻き声が絶えず洩れている。
重犯罪を犯したシンギュラリティ能力者だ。
視覚と聴覚を刺激し続け、脳を疲弊させる装置を取りつけられているのだ。看守は笑いながら言った。自分が能力者じゃないことを天に感謝するんだな、と。
――天に感謝だって?
モーリスはぶつけどころのない怒りを心中で育てていた。
裁判は省略され、一方的に刑を通達されるだろうことは想像に容易い。
「……機関にとって、僕は反乱分子だ。支配の邪魔になる人間なんだ。だから、消そうとしているんだ……」
許せない。
みんな騙されている。
早く機関が悪だってことを教えないと。
あの〈スティンガー〉で機関を打倒するんだ。
モーリスはチャンスが訪れることを待ちに待ち続けて――
ついにその時が来た。
フロアの扉が、軋むような音を立てて開いた。
看守の巡回時間ではないはずだ。
モーリスは顔を上げ、耳を澄ます。が、鉄扉の向こうから足音は聞こえてこない。
何かおかしい。
不審がっていると、いきなり、牢の鉄扉が開いた。
「……っ!?」
驚いて立ち上がる。
扉の前には、来訪者の影も形もない。
だが、誰もいないのに、扉が開くはずもない。
「誰か……そこにいるのかい……?」
声を絞り出すように尋ねると――
何もなかった空間から、人の輪郭が浮き上がった。
光学迷彩だ。
暗闇に慣れた目が、先住民族の伝統衣装、
それを見て、モーリスは思わずほくそ笑んだ。
「助けに来てくれたのかい?」
長袍の人影は、頭をフードと白面で覆っている。
腰には剣を提げていた。
この特徴的な出で立ちの者は、素顔こそ目にしたことはないが、モーリスの知っている男だった。
遺物を流す際の取引相手で、いつも何もない暗闇からこうして現れるのだ。
「驚いたよ。意外と義理堅い男なんだな、きみは」
モーリスは凝り固まった肩を回した。
「そうとも、まだ何も成し遂げていないのに一生を終えるなんてごめんだ。僕らは機関を打ち倒して、人類に新しい世界とその道を示さなきゃいけないんだからね」
その言葉の、何がおかしかったのか。
白面の男は「ふっ」と嘲笑を仮面の内にくぐもらせた。
「新しい、世界?」
「そうだよ。どうして笑う」
「人類が新世界を
「なんだって?」
モーリスは顔をしかめた。
様子がおかしい。
そして――白面の男が剣の柄に手をかけていることに気づいて、表情を引きつらせる。
「き、きみは……!」
後ずさったところで、牢獄に逃げ場はない。
「待ってくれ! きみが興味を持ちそうな男がいる!」
「ほう?」
「イナミ・ミカナギという特務官だ! 彼の身体には『液体金属』が埋め込まれているらしいんだ。それを取り出して量産できれば、どんな軍隊にも負けない部隊ができる!」
白面の男は記憶の糸を辿るように、「ああ、あの男か」と呟く。
モーリスは「あは」と笑みを引きつらせた。
「知っているのかい?」
「すでに量産されている」
「まさか。機関がそんな技術を研究しているなんて聞いたことが――」
「あの男は我が母の同族にして、救いようのない欠陥品だ」
――母?
咄嗟にはその言葉の意味を理解できず――
モーリスの脳が剣閃を知覚することはなかった。
衝撃が訪れるや否や、真っ直ぐに立っていられなくなって、床に倒れ込む。
視界に入ったのは、二人分の足だ。
片方は白面の男。
もう片方は、自分が着せられている囚人服と同じ物を履いている。
上半身は見えない。
――あれ、他に誰かいたのか?
モーリスは。
自分が両断されたことに気づかぬまま。
死を迎えた。
〇
「犯人の手がかりは全く見つかってないそうです」
第九分室宿舎、オフィス。
部屋着で、イナミとエメテルは殺人事件のニュースを受け取っていた。
留置所でモーリス・スミスの死体が発見されたのである。
イナミはソファに腰を落ち着かせ、現場検証を行った警備局の報告を一読する。
「監視カメラに姿が映っていない。扉のロックがことごとく解除されている。……そんなことがありえるのか?」
エメテルはオペレーターシートで前のめりに座っている。
「侵入方法に関しては、ある程度のハッキング能力があれば可能です。私も以前、セキュリティのチェックテストで突破したことありますし」
「スペシャリストを引き合いに出されても参考にならないぞ」
苦笑いを浮かべるイナミに、エメテルははにかんだ。
「透明人間のほうは、光学迷彩か、もしくはシンギュラリティ能力でしょうね」
「景色に同化する技術……だったか?」
「はい。通常の物は、全身にディスプレイを貼りつけてるみたいなものです。そこに周囲を映してるワケですから、当然、熱も発します」
「だが、この侵入者はサーモグラフィーでも感知されていない」
「クオノさんのミミクリーマスクと同じで、ホログラムテクスチャーを使っているのかもしれません。でも、全身を隠すには、特殊な繊維を使った衣服を着込まないといけないんです」
「製造元を辿れないのか?」
「それが……〈アグリゲート〉では作られてません」
「遺物か。今までの横流しで手に入れたんだな」
「恐らくは」
エメテルはモニター上に現場の写真を出した。おびただしい血だまりに、真っ二つになったモーリスが転がっている。
「私、気になってることがあるんです」
「使われた凶器が、長い刃物だ、ということか?」
先回りされた彼女は、長く尖った耳をぴくんと動かし、大きく頷いた。
「お気づきでしたか」
「ああ。俺が遭遇したあの白面の男、確か、剣を持っていた……」
「繋がりを示す明確な証拠はありません。モーリスさんは尋問前に殺されちゃいましたし」
「口封じされたのかもな」
二人は厳しい表情で、壁面モニター上のマルチウィンドウを睨む。とりわけ、『死亡確認』と記されたモーリスのプロフィールを。
エメテルがぽつりと呟く。
「人類の新しい道って……なんだったんでしょうね」
「さあ。そもそも向かう先が死だったのか、それともモーリスが踏み外したのか、知っているのはあの男だけだ」
オフィスが静寂に沈む。
取り留めもなく、モーリスが語った言葉の一つ一つを思い出しているうちに――
二階から金属球の転がるような音が聞こえてきた。
次第にモーターの唸り声も大きくなる。
クリアパネルの仕切りの向こうを、小さな影が走った。
円筒形の小型ロボットだ。
それは脚部を伸ばし、ヘキシブルアームを巧みに操って、オフィスのドアを開けた。
《お食事の用意ができたそうですよ》
「呼び出しご苦労、ギアーゴ」
そう、貨物管理ロボットのギアーゴである。
彼のメモリーチップの内容、および回収された〈スティンガー〉の解析は、データバンクの中でも権限を持った者しかアクセスできない『秘匿書庫』に保管されることとなった。
しかしながら、量産型であるボディは、研究価値は薄いと判断されたらしい。
というわけで、行く当てのないギアーゴを、第九分室が――特にクオノが希望して――引き取ることにしたのだった。
「お手伝い、すっかり慣れたみたいですね」
優しく話しかけてくれるエメテルに、ギアーゴは嬉々としてフレキシブルアームを動かす。
《それはもう、バスケト様から助言をいただいでおりますので》
イナミは、AI同士の会話がどんなものなのか、ふと興味を抱く――が、上階から漂ってくる香りに、些細なこと全てが思考の端に追いやられた。
二階に上がると、ダイニングテーブルに並べられた料理が視界に飛び込んできた。
いつものシチューやサラダといった、簡単かつ大量に作れる品々である。
「すっかりぺこぺこですよー」
待ちきれない、といった様子で席に着くエメテルに、イナミも続く。
そんな二人に対し、ルセリアはにやりと笑ってみせるのだ。
「今日は特別よ」
「え?」
エメテルは料理をじっくりと眺めた後で、ぼんやりと言った。
「いつもと変わらない感じですけど」
「かーっ、さすがのエメでも気づかないかーっ」
「……ルーシーさんがやたらテンション高いのは分かります」
「まあまあ、いいからいいから」
最後の料理をクオノが持ってきて、全員が席に着いた。
それぞれが祈ったり手を合わせたりして、スプーンを取る。
イナミがシチューを一口食べたところで、ルセリアが身を乗り出してきた。彼女にしては珍しく、まだ自分が食べる分を確保していない。
「どう?」
「……うまいぞ。何か入れたのか?」
「入れたって言えば入れたし、入れてないって言えば入れてない」
「謎かけか。……ふむ、調味料の量が違う。が、誤差じゃないのか?」
ナノマシンをフル稼働させても、イナミには分からなかった。
ルセリアは「ふっふっふ」と肩を上下させた後で、答えを告げる。
「今日はね、クオノが頑張って作ったのよ」
隣に座るクオノが小声で囁く。
「ちゃんとできていて、よかった」
エメテルは小動物のように料理を細かく口に運びながら、「おいひーですよー!」と称賛した。
イナミは改めて料理を味わった後で、クオノに笑いかけた。
「できることが、どんどん増えていくな」
「……ルセリアのおかげ」
名前を出された彼女は、「ん? あたし?」と顔を上げる。
サプライズを終えてすぐ、こんもりと皿に盛ったサラダを平らげにかかっていた。
いつからルセリアに料理を教わっていたのだろう。
イナミは、そういえば任務前日の朝、二人がキッチンにいたことを思い出した。
――あれからか。
人と人は触れ合って変化していく。
その変化は、新たな日常として形となるのだろう。
錆びついたロボットたちも、急変を望んだモーリスも、この移り行く一瞬を感じ取ることはできない。
守ろう、とイナミは思った。漠然とではあるが、今を。
ともかくこの場に至ってはまず――自分の取り分を守らねばなるまい。
「クオノ、ぼうっとしているとルーシーに全部取られるぞ」
「……そこまで欲張りじゃないわよっ!」
二人の食卓戦闘に、クオノはくすりと笑った。
表情の動きは微々たるものだが、注意して見ればわかるほどに。
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