[6-6] 私の未来
夕暮れ。
陽の揺らめく空の向こうから、数機の〈ケストレル〉が飛来した。
離着陸場の端には、残骸が追いやられている。その新たに空いたスペースは、船内用の照明器具を使って明るく照らされていた。
輸送機が着陸するなり、後部ハッチから警備局の兵士たちが下りる。彼らは落ち着きを取り戻した一団に安堵したようだった。最悪、全滅を想定していたのだろう。
負傷者や死体袋の移送が済むと、次は無事な者と機材の輸送という順番になっていた。
自分が手伝うことはない。イナミは犠牲者に黙祷を捧げてから、第九分室メンバーの姿を探した。
すぐにクオノを見つける。
彼女はラボに送る予定のコンテナに腰かけ、全体を見渡しているようだった。
よくあんな高いところに登れたものだ――と思ったが、コンテナの隣にはそれよりも小さな箱が置かれていた。踏み台にしたらしい。
宵闇の
「どうした。落ち込んでいるように見えるぞ」
「見える?」
「ああ」
「……少し、考え事」
そう答えて、クオノはさりげなく膝を閉じた。機関制服のスカートから、健康的とは言えないにしろ、少女の足が見えていたのだ。隔離されていても、年頃の少女なのである。
彼女の隣にはギアーゴがつき従っている。特務部が送り届けることになったのだが、今はクオノのボディーガードのつもりらしい。いささか頼りなくはあるが。
イナミはコンテナに背を預け、そこから何が見えるのかを確かめようとした。
照明の中で動く、無数の小さな影。
「……俺たちが帰るのは、辺境警備隊の撤収と同時だ。それまで待てるか?」
「子供じゃないんだから待てる」
「待てない大人だっているさ」
今度こそ自分にしては気の利いたことを言えた、とイナミは手応えを感じ、クオノを仰いだ。
が、残念ながら、彼女はにこりともしていない。
どうやら『考え事』というのはなかなかに深刻らしい、と思うことにする。
クオノはしばらく黙っていたかと思うと、何を思ったか、肩の力をふっと抜いた。
「いつかは、モーリスの言ったことが正しくなる時が来るかもしれない」
「なんのことだ?」
「七賢人だって、所詮は人間。間違いだって犯す。選出された者の思想が偏れば、後は雪崩になるだけ」
「ナダレ?」
「……雪山で、どばーって、積もった雪が波みたいに崩れるの」
「なるほど分かった」
「私みたいなのも偏りの一因だし、話術で組み伏せられてそうなることもある。絶対安全な意思決定システムなんかじゃない」
イナミは黙って話を聞くことにした。自分があれこれと口を出す問題ではない。そういう問題が起きる可能性を、クオノは考えているのだった。
彼女は、不意にイナミを見下ろした。
「イナミは『私のそばにいる』って言ってくれた」
「ああ――有言実行とはいかなかったがな」
イナミにとってはまだ一か月と経っていない過去。
クオノにとっては十一年前も遡る過去。
〈ザトウ号〉からの脱出を図るとき、二人は離れ離れになった。
そのときの言葉だ。
クオノは膝の上できゅっと手を握り合わせた。
「私は、あなたのそばにいるに値する存在?」
思いがけない質問に、イナミは一瞬、言葉を喉に詰まらせた。それは今まで、イナミのほうが抱いてきた疑念だったからだ。
「……もちろんだ。どうしてそんなことを?」
「そうじゃなくなったら、七賢人を務める資格も失っていると思う。だから、その時は――」
と、クオノはこちらをじっと見つめる。
その時は?
第三者に進退を委ねるというのか。
イナミはぎこちなく苦笑いを浮かべた。
「俺に善悪の判断がつくと思うのか? なぜ俺にその役目を?」
「あなたが私を外に連れ出してくれた人だから」
クオノは、いつもどおりの抑揚の薄い口調で、はっきりと告げた。
「イナミだけじゃない。カザネたち、みんなそう。みんなのために、『未来を切り拓く力』なんだって示してみせる。だから見てて」
「……ああ」
クオノの決意は、十五歳の少女に背負わせるには、重すぎるように思えた。
しかしそれを、イナミが否定することなどできるはずもない。
〈アグリゲート〉では十五歳は成人であり、そしてクオノはもう四、五歳の幼い子供ではないのだから。
ただ、
「一つだけ、言っておきたい」
「うん」
イナミは胸元から二つのペンダントを取り出した。
シンプルな銀色のフレームに、薄いレンズがはめられている。
そのレンズが何か、クオノにはすぐに見当がついたようだ。
「それ……」
「ああ、カザネの眼鏡だ」
先の〈セントラルタワー襲撃事件〉の際に、外骨格の中で真っ二つになってしまった形見である。
ラボの技術力なら元通りに復元することも可能ではあったらしいが、イナミはあえて二つに分けることにしたのだ。
片方を取って、クオノに渡す。
「これで周りを見てみろ」
クオノは真面目にレンズを覗き込んで――首を傾げた。
「ぐにゃぐにゃ」
「だろうな」
と、イナミは大きく頷く。
「カザネが信じていた『未来』と、同じ景色を見ることはできない。お前はお前の『未来』を見据えればいい。それだけは取り違えるな」
「私の、『未来』……」
「これが、恐らく唯一、俺にできる助言だ。というか、俺のもっぱらの課題なんだが」
そこでイナミは、クオノを見上げた。
透き通った碧眼と視線が重なる。
なんの力も介在しない、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーション。
クオノはこくりと頷き、その瞳を遠くの人々へと向けた。
「分かった。今度は私の番。私がそうしてもらったように、人類が『外』に踏み出していける道を、きっと見つけてみせる」
クオノの苦悩が完全に晴れたかどうかは分からない。
しかし、彼女は何かを思い切ったように深呼吸をして、
「えい」
「う、お」
コンテナからこちらに向かって飛び込んできた。
イナミは慌てて小柄な体を受け止めた。
クオノはというと、首にしがみつく。体を密着させ、無言のまま、至近距離から顔を見上げてくるのだった。
どういうつもりなのだろう。イナミは困惑を隠せなかった。
「……やっぱりまだ子供だな」
「大人でも抱きつくことはある」
意趣返しに、イナミは苦笑いを浮かべる。
「なら、大人らしく丁重に扱うとしよう」
「わ」
クオノの悲鳴は聞こえないふりをした。
イナミは彼女の足に手を回し、横抱きに持ち上げる。古語でいうところの『お姫様抱っこ』である。
「い、イナミ……?」
「そろそろ時間だ。行こう」
「行こうって……どこに!?」
「〈ケストレル〉にだよ、決まっている。ギアーゴ、降りられるか?」
《はいはい、ご心配せずとも》
ギアーゴは作業用アームを壁面に吸着させて、コンテナから這い降りた。輸送機離着陸場に向かって歩き出すイナミの後を、小石に躓きそうになりながらも追いかけてくる。
当然のように注目を集めることとなったが、イナミは気にも留めない。
クオノのほうが、耳までうっすらと赤くして、伏し目がちに黙りこくってしまう。
他の第九分室の二人は、辺境警備隊隊長とともにいた。
ルセリアが、イナミたちを見て首を傾げる。
「怪我したの?」
「いや。お迎えに上がったのさ」
「……ふうん?」
ルセリアの目つきがじっとりとしたものになる。
クオノが腕の中で暴れた。といっても、ずいぶん控えめに、だが。
「も、もういいから、下ろして……」
「分かった分かった」
地面に下りたクオノは、エメテルの背後に隠れてしまった。
そんな彼女に、イナミは口元を緩める。
「さすがに重くなったな」
「……まだ軽いから!」
これまた珍しくムキになって抗議するクオノだった。
二人を見比べていたルセリアは、エメテルからにやけ顔を向けられていると気づいて、眉をひそめた。
「何?」
「いえいえ、おつまみ食べたいなあって思ってるだけです」
「……だからメインはなんだって訊いてんの」
今にも噛みつきそうなルセリアの威圧も、エメテルにはどこ吹く風である。
蚊帳の外で、マーティンは呆れ果てていた。だが、イナミがさりげなく騒ぎから一歩引いた位置に退避していることに気づくと、すっと手を差し出す。
「お前さんたちのおかげで、大勢が助かった。隊長として正式に感謝する」
イナミは笑みを消して、握手に応じた。
「助けられなかった人間もいる」
「誰にもどうしようもなかった。そういう世の中だ」
握手を解いたマーティンは、その手でイナミの肩を強く叩いた。
「見ろよ、モーリスだ」
発掘調査隊主任だった男は、全権を取り上げられ、ただの犯罪者として警備局に拘束されている。〈ケストレル〉に押し込められる寸前、イナミたちを憎々し気に
マーティンが「ふん」と鼻を鳴らす。
「逆恨みもいいところだ。あの男は警備局が責任をもってブタ箱にぶち込んでやる」
「ああ、そちらに任せる。ただ、気になることが……」
「なんだ?」
「モーリスはどうして機関なしでも生きていけると考えたのか――そこのところがよく分からない。恐らく、モーリスの協力者が関わっているんだと思うが」
「その協力者ってえのに、アタリはついているのか?」
「ああ。思い当たる人間が一人いる。遭遇したが、逃がしてしまった」
「ま、尋問すりゃ吐くだろ。レポートをお楽しみに、だな」
と、マーティンは背筋を伸ばした。
「撤収の時間だ。また組むことがあれば、よろしく頼む。イナミ・ミカナギ殿」
急に口調を改め、イナミたち第九分室に向かって敬礼した。
驚いたのも一瞬、イナミと、遅れてルセリアたちが返礼する。
「じゃ、元気でな」
マーティンは手を軽く一振りしてから、部下たちのもとへと大股に歩いていった。
兵士を見送るイナミの隣に、ルセリアがそっと立つ。
「あたしたちも帰りましょ」
「そうだな」
二人は後ろを振り向いた。
エメテルと、ギアーゴを胸に抱えたクオノが、それぞれ頷いた。
「はいっ」
「……うん」
かくして、〈ケストレル〉が漂着船の横たわる山間部から飛び立つ。
数多もの残骸と、訪れた人類の足跡を残して。
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