[6-4] ここで今、殺す

 格納庫に開いた穴から、風が吹き込んでくる。

 物の燃えた臭いが、まだこの広い空間に充満していた。淀んだ空気の中、クオノは背筋を伝う汗に身震いする。


 モーリスが平坦で機械的な声を発する。


「やあ、二人とも」

「な、何をしてるんですか?」


 エメテルは声を上擦らせた。

 モーリスは立ち上がらずに、工具をそっと置いて答えた。


「こいつがここにいたものでね。もう少し調べようと思って、協力してもらっていたんだ。知的好奇心ってヤツだよ」

「どうして、こんなところで?」

「静かで集中できるんだ」

「それで、なんの部品を抜き取ったんですか?」

「なんだい、急に……」

「ギアーゴの修復作業は私も見てました。映像記録も取ってます。何が足りないかなんて、すぐに分かるんですよ、モーリスさん」


 そう言って、エメテルが腰のホルスターから護身用のハンドガンを抜こうとする。

 ところが、留め具が硬く、手間取ってしまう。


 その間に、モーリスのほうがハンドガンを構えていた。


「あ」


 エメテルが泣きそうな顔でこちらを見た。

 慣れないことはしないものである。クオノはなす術なしと首を横に振った。


 モーリスは余裕たっぷりに立ち上がり、肩を竦めてみせた。


「きみが銃を抜こうとしたから、こっちも抜いただけだよ、アルファさん。ところで、こういう場合、正当防衛は成立するのかな」

「うう、すみません……やっぱり平和的にお話で解決しません?」

「おいおい、自分が不利だからってずいぶん勝手だなあ。でも、ああ、そうだ」


 モーリスはクオノに歪な笑みを向ける。


「ナガスさん、こっちに来てもらえるかな。おっと、アルファさんはそこで待機だ。可愛らしいお嬢さんでも、特務官である以上は油断ならないからね」


 エメテルは、行ってはだめだ、と目で訴える。

 しかし、クオノは静かに見つめ返した。もしもモーリスが短気を起こせば、エメテルを撃つことも考えられる。


 彼女を振り切って前に出ると、モーリスは満足げに頷いた。


「きみは聞き分けがいいね」


 射線に立っても、クオノは恐怖を感じなかった。

 むしろ、暗闇によく通る声で語りかける。


「無駄な足掻き。どうやって逃げるつもり?」

「……ですです!」


 エメテルが両手をぐっと握って叫ぶ。

 モーリスは不愉快そうに目つきを険しくした。


「そうだね。じきに本部から迎えが来るだろう。その一機に特等席を用意してもらう。向かう先は〈アグリゲート〉の外だ。安心しなよ、ナガスさんはそこで解放するから」

「外で生きられるなんて不可能」

「方法ならある。だ。七賢人が市民に偽の情報を流しているだけでさ」

「誰に吹き込まれたの?」


 クオノの問いかける視線がよほどしゃくに障ったか、モーリスは乱暴にクオノの腕を掴んで引き寄せた。そして、逃げられないように細い首に腕を回す。

 接触されても、ミミクリーマスクのホログラムが乱れることはない。


「ふ、吹き込まれた? 僕がそう思っただけのことで――」

「もしかして、逃亡先は用意してあるから、なんて騙された?」

「うるさいな!」


 突然、モーリスが激昂した。

 反面、クオノは不要な感情を削ぎ落としていく。


「本当なら、もっと大勢の人が生き延びているはず。あなたは科学者なのに、そんなことを考えもしなかったの?」

「……――」

「なるほど。あなたの協力者は、それなりの説得力を持っていたということ」

「ち、違う……」

「問題点は、食糧や水より、ミダス体。あなたはどう納得させられたの?」

は僕の目の前で……ッ!」


 モーリスは言葉の途中で息を呑んだ。「ひぐっ」と異様な呻き声を洩らす。


「だ、第一、きみたちは神経質すぎる。そのおしゃべりロボットはよそでも発掘されているだろう? ぼくが部品を盗んだところで何も失われやしない」

「今さら誤魔化せると思う?」


 クオノは背中越しに、きっぱりと指摘する。


「ギアーゴは他のサポートロボットにはない情報を持っている。たとえば〈スティンガー〉の構造図」

「い、言っただろう? ぼくたちは粒子加速器の理屈を完全に理解していない。それなのにそんなものを盗んだって、な、なんにもならないよ」

「メカニズムさえ分かれば復元できる技術なんていくらでもある。現に、ギアーゴは兵器を修理してくれた」

「ぐ……」

「ゆえに、機関は技術流出を重く処罰する。濫用は再興の妨げ」

「だ、黙れ! さっきからなんなんだ、きみは!」


 モーリスの声はからからに乾いていた。

 クオノの声は淡々としていて迫力こそないが、絶え間なく紡がれる言葉は鋭い矢となってモーリスの平常心を射抜く。


 実のところ、クオノの狙いはそれだった。

 事実の究明など、後で特務部か警備局かが尋問すればいいことだ。


 それよりも、だ。


「観念しなさい、モーリス」


 新たな少女の声に、モーリスはびくりと身体を震わせた。


 足音が船内通路のほうから響く。

 現れたのは、ルセリア一人だった。


 モーリスは「はっ」と短く笑い、クオノを引き寄せる。


「これが見えないのかい、イクタスさん」

「人質……ってヤツかしら」

「そのとおり。それでも、きみが銃を握っているんじゃないかと思うと、怖くて怖くて仕方がない。うっかりこっちの引き金を引いてしまいそうだ。だから、もしそうなら、ゆっくり床に置いてほしい」

「……いいわ」


 ルセリアはあっさりと従う。

 彼女がしゃがむと、クロークの裾がふわりと床に触れた。再び立ち上がったとき、足元には大型ハンドガンが置かれていた。


 モーリスは、銃口をクオノからルセリアに向ける。


「シンギュラリティ能力があるから余裕だと思っているようだけど、その場合、ナガスさんも巻き添えになるだろうね。コントロールが難しそうな能力だってのは、見て分かるよ」

「だったら、クオノから離れるときは気をつけるのね。一気に噛みつくわよ」


 クオノは、ルセリアが嘘を言っていると察した。彼女に人は殺せない。少なくとも、シンギュラリティでは。


 モーリスの腕に力が入る。


「そうだね。すごく厄介だ。だから、きみはここで今、殺す」


 そう言うと、ハンドガンが火を噴いた。


 耳元で起きた轟音に、クオノは片目を閉じる。

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