[5-5] その引き金を引いているのは

「……本当に大丈夫なんだろうな?」


 と、マーティンが険しい顔で、水の入ったプラスチックボトルを構えた。

 彼に続く兵士たち数人も、同じ物を手にしている。


 クロークを脱ぎ取ったルセリアは、に、と不敵に笑ってみせた。


「ま、見てなさいって」


 そう言って、搭乗口のタラップに立つ。

 周囲を見渡すと、獲物が這い出るのを待っていた狩人たちがわらわらと待ち伏せていた。


 やっぱりやめよう、というのが正直な気持ちだったが――


 意を決してタラップから跳び下りる。衝撃はコンプレッションスーツが緩和してくれた。

 こちらが一人だからか、機械兵団の反応が遅れたように見える。敵の意図を理解しようとしたのだろう。


 その隙に、マーティンたちがパワードアーマーの人工筋肉を活用し、プラスチックボトルの投擲を行う。

 ロボットたちは、これまた宙を舞う投擲物の正体を見極めようと空を仰いだ。


 同時に、ルセリアの『視認』も終わっていた。


「〈細切れになれ〉っ!」


 イメージの言語化により、シンギュラリティの強固な空間干渉が発動する。

 容器が次々と爆ぜ、薄い雨がロボットたちに降り注ぐ。


 さらに――


「〈切り裂く〉!」


 外装の隙間から侵入した水が凍りつき、ロボットの内部から脆弱な部品群を細断する。

 最初に餌食となったロボットは、外見上は傷一つないまま稼働を停止した。


 まずは成功。次は――


 新たなロボットが前に出る。先の犠牲者に纏わりついた氷が、熱で急速に融けていることにも気づかずに。

 これがミダス体なら、すぐに散開し、それぞれのタイミングで襲いかかってきただろう。


 ――所詮、シンギュラリティが存在しない時代の兵士ね。


 ルセリアは右手を持ち上げ、ぎゅっと握る。


「〈かき混ぜる〉!」


 ぱっと手を開いた瞬間、凍てついていたロボットから薄い氷の刃が飛び出て、周囲数体を巻き込んだ。


 後方からはさらにプラスチックボトルが投げ込まれている。

 刃はボトルをも切り裂き、その勢力を増していく。不凍液の血が撒き散らされていく。


「よし!」


 マーティンが叫んだ。


「手ぶらになったヤツから銃に持ち替えろ! 出るぞ!」


 いくつもの「了解!」という勇ましい声と足音が、ルセリアの背後から広がっていく。

 隣に並んだマーティンが、マシンガンを構えながら口笛を吹いた。


「やるじゃねえか、特務官」

「雨でも降ってくれてたら、もっと楽勝だったんだけどね」

「さては晴れ男がいやがるな?」

「雨女でもどうにもならないくらいの、ね」


 マーティンはあくまで冗談のつもりで言ったらしかったが、ルセリアの返答に引っかかったようだ。照準からこちらへと視線を向ける。やがて、『晴れ男』が誰なのか、思い当たったらしい。


「……あの外骨格男、それほどのもんかね」

「見てれば分かるわよ」


 タクティカルグラスの骨伝導通信で、エメテルの興奮した声が伝わってきた。


《ルーシーさん! イナミさんがそちらに出てきます!》

「もうすぐ来るみたい」


 ルセリアは微笑を浮かべ、彼の登場を――


 左手の方向から、閃光が機械兵団を撃ち抜いた。


 ルセリアのシンギュラリティなど比較にならないほどの破壊がもたらされる。

 爆風は広く伝播し、遠い森の木々をもざわつかせた。


 ルセリアは呆然とまばたきを繰り返す。

 マーティンが一言。


「見ていれば何が分かるって?」

「……あっちはほっといて、こっちの仕事に専念しましょ」


   〇


 イナミは〈スティンガー〉の運用にあたって考え方を改めていた。


 反動は抑えようとするものではない。

 受け流せばいいのだ。


 荷電粒子発射時に、自ら後方に跳ぶ。

 マシンが自壊することはない。だから、問題はいかに次の行動を早く取れるかだった。


 荷電粒子の威力は大気摩擦で減衰するようだ。

 つまり、遠距離から敵を狙うことはできない。より多くの敵を巻き込むには十分に引きつける必要がある。


 発射数を絞る理由は他にもある。

 排熱の白煙をまともに浴びるので、外骨格が早くも熱を帯び始めていたのだ。長時間この状態なら、体表面が融解するだろう。


 連射できないとなれば当然、単身飛び出したイナミはあっという間に包囲された。

 圧倒的な火力を得てなお、ぎりぎりの判断を迫られ続けることになる。


 幸い、イナミには仲間がいた。

 エメテルという心強いオペレーターが。


《イナミさんっ、次は右ですっ!》


 漂着船へ向かおうとする一団にマークがついている。イナミはそこを狙って砲撃した。


 ロボットが塵に帰すのを見届ける必要はない。

 反動を遠心力に変え、〈スティンガー〉をぶん回す。

 ちょうど後ろに立っていたロボットが、装甲を陥没させて倒れる。手足をぴくぴくと痙攣させているが、起き上がることはなかった。


 身体が大きく流されたところを、電磁ブレードの刺突に襲われる。

超元跳躍ディメンショナル・ジョウント〉でロボットの死角に飛び、足刀蹴りで仰け反らせた。


 再び後頭部のプラグを〈スティンガー〉に接続。

 クオノが荷電粒子砲を再起動。

 二人の思考のやり取りに、タイムラグはない。


 体勢を立て直したロボットに向かって、イナミは砲弾をぶち込んだ。その巻き添えを食らって十数体が消滅する。


「次ィ!」


 叫ぶイナミの胸には、二つの感情が渦巻いていた。


 興奮と恐怖。


 これはイナミ――実験体一七三号が本来送り込まれるはずだった『戦場』だ。

 兵器と兵器の激突。

 ナノマシン体が、あらゆる敵を排除する力を持つ次世代の『人間』であることを証明するフィールド。

 その中心に立った今、兵士としての本能が目覚めつつある。


 ――より多くの敵を屠ってやる。


 敵が感情を持つ人間だったなら、イナミは恐怖の象徴と化していただろう。


 そう、恐怖だ。

 後もう少しで純然たる兵士と化すところで、理性のリミッターが働いている。

〈大気圏外戦争〉では、こんな戦いがあちこちで繰り広げられていたのだ。

 人類など、滅んで当たり前である。


 終末の光景を思い描きながら、迷うことなく〈スティンガー〉のトリガーを引く。

 そんな矛盾を抱えた自分に気づいて、感情の波が著しく荒れ狂う。


 ――まずい。


 イナミは堪えられずに叫んでいた。


《クオノ! テレパシーを切れ! 思考が逆流する!》


 違う。自分の醜悪な部分を読み取られたくないだけだ。

 だが、


《構わない》


 クオノの囁きは穏やかだった。


《イナミ、忘れないで。その引き金を引いているのはイナミ一人じゃない》

《……――》


 ほんの一瞬。

 自分の手に、小さな少女の手が重ねられたような幻影を、イナミは見た。


 再びの閃光が戦場を薙ぎ払う。

 いつしか、自分を取り囲むロボットの姿がまばらになっていた。


 そう、戦っているのはイナミ一人ではない。

 貯水タンクを確保した警備隊が、ホースによる放水をロボットに浴びせている。

 そうなれば、もはやルセリアの独壇場だ。氷の蓮花が咲き乱れていた。


 あれが人類の得た力。

 シンギュラリティ。


《……クオノ》

《うん。後、四、五発が限度。砲身が融解》

《了解。できるだけ効率的に、敵を切り崩すぞ》


 戦況は調査隊に傾いていた。


 管理外技術の結晶、シンギュラリティ能力者、フェアリアン、そして兵士たち。

 それそれの歯車ががっちりと噛み合い、眼前に立ちはだかる障害を打ち砕いていく。


 ロボットたちは、この新人類の集合体をどのように評価するだろうか。

 そして、もはや古い時代の存在と化した自分たちは、どのように――


 最後の塊となったロボットたちが、ようやく散開して逃れようとする。


 が、時すでに遅し。イナミはすでにエメテルの指示に従って移動を終えていた。

 残りの敵を一直線に狙える、その位置に。


「これで……終わりだ!」


 こちらを向いたロボットたちが、己の死を悟ったか、不安定にアイカメラを光らせた。

 その光は〈スティンガー〉から放たれた閃光に押し潰されて――


 数多もの爆散が起き、暴風が土煙と黒煙と白煙を戦場から拭い去る。


 余韻が尾を引くにつれ、それまでの騒ぎが嘘だったように静寂が訪れた。

 エメテルが上擦った声で報告する。


《敵性熱源反応、消失。殲滅を確認。……や、やりましたねっ!》

《ホント、まったく。お疲れ、みんな。なんとかなったわね》


 ルセリアの脱力しきった労いに、イナミはすぐには言葉を返せなかった。


 呼吸を整えるのでやっとだ。

 生体電流の垂れ流しで、消耗が激しい。

 大量の使い捨て注射器に似た容器が体外へ排出された。戦闘中、ATP補給剤も次から次へと使っていたのだった。


 ルセリアのタクティカルグラスが、マーティンの呻き声を拾う。


《尋常じゃねえな》


 一方、エメテルのそばにいたらしいモーリスは、興奮を露わにする。


《すごい……素晴らしい兵器だ……》


 イナミは〈スティンガー〉に腰かけ、視界にちらつく眩暈の光が治まるのを待った。

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