[5-2] 崇高な使命
クオノの目の前を、負傷者を乗せた担架が通る。
辺境警備隊に随行する医者の他、医学知識を持つ調査隊員が応急処置に追われる。
止め
医療品は全く足りていない。状況は最悪である。
また一人――処置をしていた医者が首を横に振って、次の負傷者へと移った。
そうした光景の中、クオノは壁際で立ち尽くしていることしかできない。
蘇るのは、感情が希薄だった頃の記憶。
徐々に失われるカザネの体温。
無重力空間を漂う、血と肉。
彼が化け物に放り投げられ、壁に叩きつけられる音。
その彼が、こちらを見て叫ぶ。
「――クオノ!」
回想の呼びかけではない。
耳元で聞こえた彼の声に、クオノはびくりと肩を震わせた。
いつの間にか、イナミが帰還していた。
外骨格に傷は一つもない。
しかし、クオノは知っている。無傷なのはすぐ再生してしまうからであって、傷を負わないわけではないのだ。
それでも彼は、青白いパルス光を穏やかに明滅させながら、こちらを覗き込む。
「大丈夫か、クオノ」
「……イナミ」
クオノは無意識に彼にしがみついた。彼は優しく抱き留めてくれる。
――ダメなのに。
しっかりしなければ。
仮にも七賢人だろう。
だが、足が震えている。
イナミは頭を撫でてくれた。
「重く受け止めすぎるな。俺たちはまだ生きている。犠牲者に意識を引きずられると、動けなくなるぞ」
「……うん」
クオノはかすかに頷いた。
彼はそのことを身をもって学んだのだ。特務部第九分室と出会って。
ならば、自分も示さなければならない。わけも分からず胸に抱きかかえられていたあの頃とは違うということを。十一年間、何もせずに待っていたわけではないということを。
クオノは、イナミの外骨格の温もりから勇気をもらい、彼から離れる。
「ごめんなさい、もう大丈夫。ロボットは?」
「俺たちが籠城したのを見て、一定の距離を保っている」
「……そう」
マーティンとこれからの行動について話し合っていたルセリアが、エメテルとともに戻ってきた。状況はよくないらしく、溜息交じりに告げる。
「〈アグリゲート〉に救援要請を送ったけど、届くかどうかは分からないって」
エメテルが暗い表情で補足する。
「長距離通信機用のアンテナは早々に破壊されちゃったみたいなんです。〈ケストレル〉も失いましたし……その上、例の砂嵐が通過中みたいで」
ルセリアは周囲に第三者がいないことを確かめてから、こちらに囁いた。
「できるならとっくにやってるだろうけど……どうにかなんない?」
クオノは目を伏せて、首を横に振った。
「試したけど、干渉不可能。あの子たちは通信機能を有していない」
イナミが虚空を睨む。
「戦ってみた感じ、指示を受けながら動いているようではなかった。あらかじめ設定された任務を達成するのに、各々が自己判断を下しているんだろう。高度な人工知能だ」
ルセリアが腕を組んで、イナミを見上げた。
「その高度な知能とやらが、なんだってあたしたちを襲うのよ」
「ギアーゴが言っていたじゃないか。自衛しているんだ。だから、船に侵入した俺たちを敵と認識したんだろう」
「だったら、初めからここを守っててよ。そしたら、あたしたちだって迂闊に接触しなかったのに」
傍らで話を聞いていたエメテルが、「恐らく」と呟いた。
「作戦なんですよ。私たちはおびき寄せられたんです。これだけ目立つ物を囮にすれば、包囲は簡単でしょう。ほら、こんな風に」
全員が黙り込む。
特務部だけではない。船橋全体に重苦しい空気が蔓延していた。
イナミ一人が顔を上げている。
クオノは、彼が単身で機械兵団と戦おうとしているのではないか、と察した。
ある意味では無謀な人なのだ。誤った手段を取ってでも任務を遂行しようとする。
だからクオノは、今度はしっかりとイナミの手を握った。
イナミは驚いたようにこちらを見下ろし、かすかに頷く――
そんな中、ギアーゴが発言した。合成ゆえによく響く声で。
《皆様が交戦していらっしゃるのは、歩兵たちなのですか?》
ルセリアが「そうよ」となんの気もなしに答える。
すると、ギアーゴも深く考えていない様子でこう言うのだった。
《わたくしが管理していた歩兵が、皆様の敵。とすると、わたくしも皆様の敵ということになりますね》
クオノは弾かれるように周りを見渡した。
船橋を飛び交っていた阿鼻叫喚が、負傷者の呻き声だけになっていた。
意識のある者全員がこちらを注視している。
「ちくしょう」
吐き捨てたのは、マーティンだ。ハンドガンをギアーゴに突きつける。
「この野郎、暴れるつもりなら今すぐぶっ壊してやろうか!?」
銃口の前に、イナミが立つ。
「待て」
「あァ!?」
「こいつは至極当然の判断を下しただけだ」
呆れ顔のルセリアが、イナミをじっとりと睨む。
「それって弁護になってないと思うんだけど」
「そうか?」
「普通に聞いたらね」
「そうか……」
向けられた銃を全く意識していないイナミの様子に、マーティンは青筋を立てる。
苛立ちが爆発する前に、クオノはイナミに言った。
「説明が必要」
「つまり、戦争時で止まったままの判断基準を更新してやればいい、ってことだ」
イナミはギアーゴに振り返った。
「まず、お前はあくまで貨物管理担当に過ぎず、歩兵の司令塔ではない」
《ええ、もちろん》
「歩兵はまだ戦争をやっているつもりなんだよな」
《停戦命令を受け取っていないのでしょうなあ》
マーティンが、
「亡霊のようなもんじゃねえか」
と、小声でぼやいた。
イナミはそれを無視して、質問を続けた。
「だが、戦争はとっくに終わっている。歩兵は誤動作を続けているんだ」
《誤動作……》
ギアーゴのディスプレイが乱れる。
「歩兵は俺たちの敵か。肯定だ。俺たちは無意味に生命の危機に脅かされている。じゃあ、お前は俺たちの敵か。否定だ。お前は俺たちを脅威に晒してはいない。ところでお前はどう思う、ギアーゴ」
《わたくしは――》
ギアーゴは、イナミとマーティンが持つハンドガンを交互に見比べる。
《貨物管理担当――皆様の運航をお手伝いするという崇高な使命――〈ハイブ88E号〉は墜落――乗組員の皆様も亡くなられて――では、わたくしの存在意義は――》
思考の迷路に陥ったようだ。ギアーゴはボールキャスターを転がし、その場でぐるぐると回り始めた。
イナミはちらりとマーティンを見る。
辺境警備隊長は疑いながらもハンドガンを下ろし――
ようやくギアーゴの迷走が止まった。ディスプレイに大きな『目』が戻る。
《この身は未だ活動可能。皆様もまた尽くすべき人間。クオノ様には再起動していただいた恩もありますし、何より歩兵の誤動作を放置していてはわたくしの沽券に関わります。皆様のお手伝いをさせてください》
マーティンは気まずそうにハンドガンをホルスターへと戻した。
「ちッ、紛らわしい真似をするんじゃねえ。……そもそも、こんなチビに何もできやしねえだろうが」
彼は自嘲のつもりで呟いたのだろう。
が、それを聞いたギアーゴは、外装パネルを展開し、体内から作業アームを何本も取り出してみせた。威嚇のつもりらしい。
マーティンは気だるげに「分かった分かった」と両手を上げるのだった。
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