[4-4] 俺たちよりも先に

 前部区画の開放が全て終わった。


 隈なく探しても、やはり船員の遺体や私物は見つからない。

 漂着時の衝撃でになった際の血痕くらいはありそうなものだが、これも時間の経過が発見を困難にしていた。


 イナミは使用されていない脱出装置も確認した。

 船底に格納されていたのは棺桶型のポッドで、パラシュートもブースターも搭載されていない、宇宙を漂流するしかない代物だった。


 昼の休憩を終え、調査隊は通路に下りた隔壁の前に集まった。

 モーリスがその場の全員に地図を見せる。


「この向こうが後部区画だ。砲撃を受けた場所も、そう。爆風と、その後に起きる空気の逆流を防ぐために、隔壁で遮断した――といったところだろうね」


 レーザーカッターを持った調査員が、隔壁の横に埋め込まれたコンソールパネルの外枠を焼き切る。


 パネルカバーを留めるのに、ネジは使われていない。

 無重力空間で小さな部品が宙を舞わないよう、特殊な工具で固定されているのである。それを取り外すことは不可能なので、こうして切開するのだ。


 カバーを外した後で、電子工学に通じているモーリスが基盤ごとケーブルの束を引きずり出した。


「よし、これなら簡単だな」


 迷いなくいくつかのケーブルを切断し、発電機と繋いで電力を供給する。

 調査隊の携帯端末とコンソールパネルの外部入力端子とを接続して、動作プログラムの検証を行う。


 隔壁が開放可能になるまでは、ほんの数十分ほどで済んだ。

 調査員たちが目と呼吸器を守るガスマスクを点検する。


 第九分室の三人も同じ物を受け取る中、イナミだけは外骨格を纏った。

制御変異コントロールド・シフティング〉によって体内から滲み出た黒い液状のナノマシン群がイナミの体を覆い、頑強な装甲と化す。


 一瞬にして現れた異形の姿に、調査員たちは驚きの声を上げた。

 モーリスも、管理外技術に指定されているこの力を目の当たりにして、遺物よりも好奇心を刺激された様子だった。


「それはガスマスクの機能も持っているのかい?」

「ああ。疑似的なフィルターが形成されている」

「……戦闘装備は体内に一通り持っている、ということか。すごいな」


 モーリスは軽く笑みを浮かべて、隔壁を手のひらで叩いた。


「じゃあ、ここを開けるよ」


 Z字に閉じていた分厚い隔壁が左右に開いていく。

 通路は真っ暗闇だが、通路の先にうっすらと光が差し込んでいた。


 有害物質検知器のアラームは鳴らなかったが、誰もガスマスクを外そうとはしなかった。この先も安全かどうかは分からないからだ。


 イナミはかすかな空気の流れを感じて、モーリスに声をかけた。


「風が抜けているな」

「それを着ていても分かるのかい?」

「神経が通っているようなものだ」

「もはや僕たちには理解できないレベルの技術だね」


 モーリスはガスマスクの下に苦笑いを浮かべた。


「きっと、船体の大穴から空気が入り込んでいるんだ。おかげでこっち側よりも空気が淀んでいない」


 調査員が超音波マッピングを作動させる。

 波の反射から算出された船の構造が、ホログラムに描き込まれていく。


 精細な線が、途中で大きく乱れる。その乱れは縦方向に伸びる空間として表された。

 ここが被弾箇所の大穴だろう。


 他には下部空間に向かうための通路がある。無重力空間では『下方通路』だが、重力下ではただの縦穴である。


「落ちないように、足元には注意しよう」


 モーリスが真っ暗闇の通路をフラッシュライトで照らした。

 イナミも明かりの一つを受け取った。暗視は目が眩むので、周りに合わせたのだ。


 先頭に立って進むうちに、自然光が肉眼でも見えてくる。

 くだんの大穴に近づいてきたのだ。


 二百年前、砲弾は装甲を貫通し、内部に食い込んでから爆発したらしい。

 エネルギーの奔流が通路の壁と床をどろどろに溶かしていた。


 改めてこの船の頑丈さに驚かされる。脇腹を食い破られた上で地表に衝突すれば、簡単に圧潰しそうだった。


 イナミは足を滑らせないように靴底を吸着させ、大穴を覗き込む。

 空間は直径二十メートルほどの幅がある。


 上を仰ぐと、青空がぽっかりと切り取られていた。

 外壁をよじ登ってきたツタ植物が中に垂れている。


 底のほうには雨水が溜まっていて、そのせいか湿気があった。

 どこからやってきたのか、水棲生物の跳ねる音が聞こえた。


 イナミと同じように底を覗き込んでいた鳥が、人の気配に驚いて空へと逃げていく。

 ひらひらと舞い落ちる灰色の羽毛を目で追いながら、モーリスが呟いた。


「この先は後回しにしようか」


 きびすを返そうとした調査隊主任に、イナミは通路の奥を見たまま提案する。


「待ってくれ。マッピング装置を貸してくれないか」

「いいけど、どうするつもりだい?」


 メガフォン型の超音波発生器を受け取ったイナミは、それを向こう側へと放り投げた。

 悲鳴を上げる調査員をよそに、発生器を追いかけてジャンプする。


 しかし、いくらナノマシン体でも、跳躍距離は十数メートルが関の山だ。そのままイナミの身体は重力に捕まって底に落ちる――


 寸前。


 イナミの姿は他者の目に青白い光の残像を焼きつけて消えた。〈超元跳躍ディメンショナル・ジョウント〉で向こう側へと移動したのだ。

 振り返ったイナミは、飛んできた発生器を難なく受け止める。


「エメ、手伝ってくれ」


 大穴よりもかなり手前の位置で歪んだ手すりに掴まっていたエメテルが、「は、はーい」と応じた。


 発生器を作動。

 反射する超音波をイナミ自身が受け止める。

 各方向に対する微妙な受信時間差を、ナノマシン体の通信機能を使い、エメテルに送信。

 要は、普段の任務時に行う索敵の要領である。


「できましたー」


 返答を受け、イナミは自分の脳内でホログラムマップを参照した。

 感覚的には、視界に図面が表示されたような見え方だ。


「……この先に隔壁はないな」


 同じようにデータを受け取ったモーリスが、口元に手を当てて呼びかけてくる。


「ミカナギくーん! そっちを進んでみてくれ! 僕らは下に向かってみる!」

「了解」


 イナミは一行に背を向け、奥へと足を踏み入れた。

 自分だけなら光は必要ない。フラッシュライトを消し、暗視で先まで見通す。


 一人で行動することに恐れはない。


 そう思っていたが、ブーツのごつごつとした足音で胸にざわつきを覚えた。誰もいない通路が、〈ザトウ号〉のそれと重なったのだ。

 あまり考えるな。床に死体は転がっていない。

 呼吸を意識しながら進んでいると――


《イナミさんお一人だと寂しいでしょうから、私がナビをしますねっ》


 エメテルの通信が届いた。

 あちらに同行しながら、こちらの状況を把握しようというのだ。


 イナミは彼女の明るい声に、笑みを含んで返した。


《寂しくはなかったが、まあ、心強いと言っておこうか?》

《えへへ》


 急にこの静寂が心地よく感じる。

 話す相手ができたことで、イナミはふと記憶を蘇らせた。


《俺が漂着した場所にも漂着船があった》

《あ、旧市街地の、ですね?》

《そうだ。俺はあれを恐ろしいと思ったよ。言ってみれば、宇宙船というのは俺にとって家のようなものだった。それが地上を――カザネの故郷を滅ぼすなんてな》


 イナミは床に散乱する鳥の糞を避けて歩く。

 甲虫がその糞にたかっている。巣の材料にするのだろうか。


《だが、ルーシーに言われたとおりだった》


 地上に来たばかりのイナミは、地上が滅んだと知って自暴自棄になっていた。ただクオノだけを守れればそれでいい。それ以外、自分に存在意義はないと思うようになっていた。

 そんなイナミに、彼女は言った。


《……『まだ生きている』。それは人間に限った話ではないんだな》


 この世界は、滅んだ後もなお、生き延びようとしている。

 漂着船はいつの日か、動物の棲み処や植物の苗床として、自然と同化するだろう。

 調査隊が派遣されるまでは、すでにそうあったのかもしれない。人類の存在を掻き消すように、新たな世界が築かれつつあったのだ。


 それを悲しむべきなのか喜ぶべきなのか、イナミには分からない。


《この船も回収されるのか?》

《いえ。都市から遠いですし、機関部などを分解して持ち運ぶくらいだと思います。それでも大変な作業になりますが》

《丸ごとの資源は今しばらくの放置、か》

《長い目で見ると、周期みたいですよね。人と自然の勢力図っていいますか》

《衰退のきっかけは自滅みたいなものだが――と、エメ、見えるか?》


 イナミは立ち止まった。

 先ほど、超音波マッピングでは隔壁がないように見えた。

 実際には、隔壁はあった。

 しかし、ここも高熱で融解し、失われていたのだった。


《砲撃の爆風……は違うか》

《ええ。影響はここまで及んでません。閉じた隔壁を、誰かが破壊したんだと思います》

《破壊って、誰が。生存者か? それとも、俺たちよりも先にここを調査した人間が?》


 二人は揃って黙り込んだ。


 イナミは知覚の網を広げ、影に潜んでいる物はいないかと捜索した。

 しかし、やはりというべきか、反応はない。


 先ほどよりも慎重な歩みで奥へ進んでいくと、エメテルが視界にマークを出した。

 突き当たりの、片隅である。


《イナミさん。そこに落ちてるの、なんでしょうか》


 存在自体はイナミもすでに気づいていた。


 円筒形の物体だ。

 脇に抱えて持ち上げられる程度の大きさで、外は複数の合金板に覆われている。さながら立体パズルであった。


《どうすればいい》

《モーリスさんに確認してみます》


 だいぶ間があってから、エメテルの声が戻ってきた。


《それを持って、こちらに来てほしい、とのことです。私たちは現在、格納庫と思われる場所の手前まで来てます。迷子にならないようにルートを出しますね》


 来た道を振り返ると、光のラインが視界に映った。

 円筒形物体を脇に抱えたイナミは、その道筋を辿りつつもこう言った。


《一本道で迷子になるヤツがいるのか?》

《念のためです念のためっ。それに、ほら、くらーい道も怖くないでしょう?》

《……何を怖がるんだ》

《ゆ、幽霊とか?》

《知覚できないものは、存在しないということだ》

《いないって分かってるから、つい想像しちゃうんですっ》


 器用な怖がり方だ、とイナミはぼんやり思った。感性の違いだった。

 引き返す道中、円筒形物体の内部では、部品の揺れる音がかたかたと鳴っていた。

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