第4章 空洞

[4-1] あなたは空から落っこちてきた

 夜が明けるか明けないか、という薄闇の中。


 クオノは、毛布の中で膝を抱えていた。

 隣のシートで、イナミが死人のように眠っている。耳を澄ませても、寝息は聞こえない。静かだ。見ていると、本当に生きているのか恐ろしくなる。それがナノマシン体の睡眠なのだろう。


 彼の横顔から、再び、フロントガラスの向こうへと視線を移す。


 狭い空間。

 何かに包まって、光を待つ。


 十一年前も同じだった――


   〇


《周辺に所属不明の人員を確認》


 地上に漂着した脱出ポッドの中で、クオノはAIナビの話すことを、無意味な音の羅列として聞いていた。

 まだ四、五歳。それも隔離されて育った幼児には理解できなかったのだ。


 コンソールディスプレイには外の様子が映されている。

 外にはイナミもいるはずだ。


 彼は言った。『かならずそばにいる』と。


 船から飛び立った後、『この子』から『じゅーりょくけんにひきよせられている』と警告を受けてすぐ、『すごくひろくててんじょーのない、ふさふさがいっぱいあるへや』に『ちゃくりく』すること、しばらく。


 クオノは『そとのひと』に発見されたのである。


 彼らは『この子』をべたべたと触っている。

 クオノが知っている『ひと』とは似ても似つかない姿だが、少なくともイナミが戦っていた『じっけんたい』でないことは、直感的に信じられた。


「このひとたちは、なにをしてるの?」

『当機のハッチを外部から開放しようと試みていると推測』

「イナミも、このひとたちといっしょにいるの?」


 反応に一瞬の間があった。『イナミ』が何を指す単語なのか、AIナビは会話ログを参照してから答える。


『不明』


 やり取りをしながらも、やはり、何を言っているのかよく分からない。


 ――どうしよう。


 クオノは、初めて能動的に自分が取るべき行動について悩んだ。


 今までは、『たんとーしゃ』の許可がない限り、ドアを開けてはならないと言いつけられていた。『だっそー』したことになり、『しょぶん』されるのだ、と。

 だったら、どうして自分と同じ『じっけんたい』のイナミは、自由に外を歩いていたのだろう。


 それに、イナミはこうも言っていた。


『実験じゃない。クオノはこれから、外で俺と生きていくんだ』


 ここから外に出なければ、彼には会えない。

 クオノはナビに『おねがい』をした。


「外に出たい」

《了解しました》


 従順なナビはハッチを開放した。

 外から、嗅いだことのない匂いと、湿気、光、そして人のどよめきが流れ込んでくる。

 イナミが教えてくれたとおりにシートベルトを外し、床に素足をつけた。


 ――つめたい。


 血で汚れたシーツが広がらないように、手で掴んで合わせる。

 そろそろと、しかしながら初めて自分の意志で、小さな一歩を踏み出した。


 その行く手を遮るように、大きな影が立ちはだかる。

 イナミよりも背が高く、肩幅もがっしりと広い。

 その頭は『ひと』とはまるで異なる形をしている。黒い毛むくじゃらなのだ。


 毛むくじゃらが口を開くと、鋭い牙が覗いた。


「生存者……なのか?」


 空気がびりびりと震えるような、低い声だ。

 クオノはびっくりしつつも、表面的には無感情に見える表情で訊き返した。


「あなたもじっけんたい?」

「実験、体だと?」

「ちがうの? あたま、なにかかぶってるから」

「否、これは……」


 毛むくじゃらは困り果てた様子で自分の顔を引っ張ってみせた。イナミの外骨格のような硬い肌ではなく、びろんと頬が広がって、変な顔になる。


 背後に立っていた二人の男が、毛むくじゃらの仕草に呆れたようだった。


「何をやっているんだ?」

「何者だ、この娘は」


 彼らはクオノをじろりと睨んできた。

 まるで『たんとーしゃ』のような目。

 イナミやカザネのような優しい目ではない。


 怖くなったクオノが後ずさろうとすると――


「こらこら」


 横から、女性がクオノを庇うように進み出た。

 白いクロークに、真っ直ぐ下ろしたブルネットの長髪。


「あなたたちねえ、子供相手にそう怖い顔しないの。……約一名はある意味面白いけどね」


 女性の指摘に、毛むくじゃらが「む」と頬から手を離す。


「お前に任せたほうが賢明か」

「……さあ、私が適任かは微妙なところだけど――あなたたちよりはマシかしら」


 彼女はクオノに背を向ける。


「ミダス体の反応はないわ。見た目は至って普通の人間ね。布についた血も乾き始めているから、この子は怪我をしていない。誰かが乗せてあげたんでしょうね」


 声量は抑えられていたが、音だけはクオノにも届いた。

 再び女性が振り返ったとき、顔には穏やかな笑みを浮かべていた。すっと屈んで、クオノと目線の高さを合わせる。


「安心して。私たちはあなたを助けに来たの」

「たすけ?」

「あなたは空から落っこちてきたのよ。分かる?」


 クオノは、彼女が『そら』と指差す『てんじょー』を見上げて、その明るさにくらくらとしながら、力なく頭をふるふると振った。

 そう、と女性は表情を変えずに頷いた。


「私の名前はロスティ・イクタス。ロスティって呼んで」

「わかった、ロスティ」


 彼女はにっこりと微笑んだ。


「あっちの怖い人が、デクスターとバンテス。あの面白い人がジヴァジーンよ」


 毛むくじゃらの名前は、ジヴァジーンというらしい。

 他の二人はまだこちらを睨んでいるが、ジヴァジーンはただ静かにこちらを見つめている。

 ロスティは首を傾げてみせた。


「あなたの名前はなんていうの?」

「じっけんたい九一〇ごー。クオノってよばれてる」

「……可愛らしい名前ね」

「かわいらしいって、なに?」

「うーん、そうねえ」


 ロスティに身体を抱え上げられる。イナミのやり方とは違う、そっと包み込むような手つきだった。


「それを話す前に、別の場所に行きましょう。こんな草っぱらじゃなんだしね」


 クオノはロスティの胸から顔を離し、『くさっぱら』を見渡して尋ねる。


「イナミはどこ?」

「……一緒に乗っていた人がいるの?」


 ポッド機内を覗くロスティに、クオノは淡々と言う。


「これとおなじ、だけどちがうのにのって、『そばにいる』の」


 ジヴァジーンが不可解そうに唸った。


「もう一機、漂着しているということか?」

「この子の話だとそうなるけど……天体観測所が確認したのはこれだけよね」

「そのはずだ」

「となると……」


 表情を曇らせたロスティが、クオノの耳元で囁く。


「そのイナミって人はこことは違うところに落ちたのかも」

「おちるって、なに?」

「うーん、重力――は分からないわよね」

「むじゅーりょくならわかる。イナミがおしえてくれた」

「その、逆のこと」

「じゃあ、これ?」


 クオノは自分の頭に手を乗せて、これが『むじゅーりょくじゃなくなった』状態を示した。

 が、ロスティは曖昧な笑みを浮かべただけだった。


「とにかく、もしかしたら他の部隊に救助されているのかも」


 クオノには『きゅーじょって、なに?』と訊こうとしたが、その知的好奇心を抑圧するように、デクスターと呼ばれた男が腕の端末から顔を上げる。


「ロスティ。ミダス体が来ているそうだ。早く撤収しよう」

「オーケイ。そういうことだから、行くわよ、クオノ」

「どこに?」

「私たちが暮らす都市よ」


 クオノは「あ――」と声を上げたが、何かを焦っているロスティには聞こえなかったようだ。

 少し悩んだ末、ポッドに伝言を残すことにする。

 イナミが探しに来たときに、分かるように。


 ――ロスティのくらす『とし』? にいく。


 ポッドから離れ、双回転翼機――『その子』自身がどういう物なのかを教えてくれた――に乗せられる間際、不意にイナミの横顔が脳裏に蘇る。


『そばにいる』って言っていたのに。

 どこに行ったんだろう。


   〇


 結局、クオノはまた『へや』に閉じ込められることになった。

『けんさ』のためだから、とロスティに言われた。なら、仕方がない。

 ドアに取りつけられたインターフォンを介し、廊下で立ち話をしているロスティとジヴァジーンを窺う。


《医者の話では、脳の一部が異常に発達しているそうだな》

《実験体とか言ってたから――なんらかの処理能力を強化されているのかもね》

《しかし、そのような傾向はあったか?》

《知能テストをやってみたけど……何度やっても即答、満点よ》


 ジヴァジーンが右手で顎を撫でる。


《……信じられないな。そうは見えない》

《でしょ? だから、いくつか問題を出してみたの。そうしたら――》

《答えられなかった?》

《ええ。知育用のオモチャを利用してテストしてみたら、それなりに高い知能指数と分かった。とにかくコンピュータープログラムでやろうとすると、まるで予知しているみたいに解答されるの》


 二人はしばらく黙って、視線を交わしていた。


《それ以外は、あなたも思っているとおり、普通の子供よ。というか、幼児的すぎる。ウチの子がよっぽど大人びて見えるわ》

《妹ができたからだろう》

《……かもね》


 苦笑いを浮かべるロスティを、ジヴァジーンは静かに見下ろす。


《口出しすべきではないと分かっているのだが、特務官を続けていていいのか》

《私が抜けたら戦力ダウンでしょう?》

《どうとでもなる》

《どうかしら。産休取っている間もミッションレポートには目を通しているのよ》

《む……》

《力が減退するまでは任務に就くつもり――って、私のことはさておき》

《……うむ》


 二人は頷き合う。

 ロスティがインターフォンに触れた。


《こんにちは、クオノ。入ってもいいかしら》

「うん」

《ありがとう》


 ドアがすっとスライドする。扉の向こうには白い『せいふく』姿の二人組が立っていた。

 ロスティだけならともかく、ジヴァジーンも部屋の中に入ると、窮屈に感じる。クオノは自然と部屋の隅に縮こまった。


「またけんさ?」

「そうじゃないの。伝えないといけないことがあって……」


 かげる彼女の表情から、クオノはよくない話だと予感する。

 黙っていると、彼女はこちらを真っ直ぐに見つめ、はっきりと告げた。


「イナミという人について調べたの。でも、彼に関する情報は何もなかった。彼はここには来ていないわ」

「じゃあ、どこにいるの?」

「それは――」


 ロスティは静かに首を横に振った。


「誰にも分からないわ。もしかしたら、もう……」

「さがしてみる」

「え?」


 彼女が意味を問うよりも早く、クオノは自分が感じ取れる範囲の『子』に尋ね始めていた。

 まず、ロスティとジヴァジーンが手首に着けている端末から。


「……ロスティ」

「何?」

「リストデバイスがハッキングを受けているぞ……!」

「嘘、私のも――」


 次にこの施設のコンピューター。『きかん』のネットワークシステム。『とし』中に散らばる全ての『子』へ。


 クオノは一人ずつイナミの所在について尋ねていく。

 しかし、彼に関する返答データは、ロスティの言ったとおり、何もなかった。


 イナミはいない。


 まだ『そら』にいるのかもしれない。そう思ったが、自分の感覚は遥か上空までは及ばなかった。ただ虚無感に触れただけに終わった。


 不意に、カザネの姿が脳裏をよぎる。

 動かなくなった彼女を、イナミは『死んだ』と言った。


『だから、ここに置いていくんだ』


 イナミは『そら』に置いていかれたのだろうか。

『そばに』いなくなること、それが『死』なのか。


 突然、胸の辺りがきゅっと苦しくなって、クオノはか細い息を洩らす。

 感覚が中断される。


 ロスティがこちらに気づかずに胸を撫で下ろした。


「コントロールが戻ったわ。後で検査に回さないと――どうしたの、ジヴァジーン」

「……シンギュラリティだ」


 毛むくじゃらの男は、肩を震わせるクオノを見下ろして、愕然と呟く。

 ロスティもはっと気づいて、「まさか」と呻いた。


「脳の一部が異常にしているって……」


   〇


 そうして、クオノは〈デウカリオン機関〉に保護された。

 同時に誤動作を起こしたのが彼女たちのリストデバイスのみならず、都市全域のコンピューターだったと知られ、扱いが少し変化したのだった。


 クオノからすれば、また実験体の暮らしが始まったに過ぎない。

 徐々に無感情へと戻っていく。そんな自分に希望を説いたのは――


『知っておるかね。亜空間に時間は流れとらんそうだ』


 白いフードを被った賢人、ドゥーベだった。

 やがて、クオノはジヴァジーンとともに賢人として身を隠すことになる。


 長い十一年だった。

 その間ずっと、同じ実験体であり、共に外で生きていくと連れ出してくれた彼に対する想いを募らせてきた。


 彼は今、隣にいる。

 しかし、彼にとっては、別れてから数週間しか経っていない。


 それを考えると、彼がいないと理解したときとは異なる寂しい気持ちに襲われて、クオノはシートの上で膝を抱えた。

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