[3-6] ドキドキナイト

「え、そっちで寝るの?」


 そう訊いたのは、〈ケストレル〉キャビンに毛布を広げていたルセリアだ。

 床面積は四人が寝転がってもまだ余裕のある広さである。

 にもかかわらず、イナミがコクピットで寝ると言ったので、先の反応が返ってきたのだ。


「ちゃんと横になったほうが休めるわよ」

「コクピットシートを倒せば、十分、快適に寝られる」

「ふうん? ま、いいけど。もしかしてあたしたちに気を遣ってたりする?」

「それも少しはある」


 と、イナミは軽く笑い、コクピットに移ろうとした。

 その後にクオノが、


「なら、私もそっちで寝る」


 毛布を抱えてついてくる。

 再び、ルセリアが「え」と固まった。先ほどのイナミに対するものとは異なる反応だった。


「えーと、そっちは多分、こっちよりも寒いわよ」

「……? 室温に差はない」

「そ、そうかもしれないけど、イナミみたいにタフなのはともかく、シートで寝るのはやっぱりきついと思うのよね」

「慣れている」


 クオノは「じゃあ、おやすみ」と言って、ドアを支えるイナミより先にコクピットへと入った。操縦席と副操縦席を見比べて、後者に自分の寝床を定めたらしい。ちょこんと座って、毛布に包まる。


 実のところ、イナミは見張りをしておこうと考えていたのだが――確かに傍らにいてくれれば、別の不安も解消されるか、と考え直した。


「おやすみだ、ルーシー」

「え、ええ……おやすみ」


 ドアの閉め際、キャビンから、


「ルーシーさん残念でしたねー。早めに言い出せばドキドキナイトのに」

「はあ? 何が残念って?」


 というやり取りが聞こえた。

 ルセリアも、クオノと夜を過ごし、最近の変調についてそれとなく訊き出すつもりだったのかもしれない。


 イナミはそう解釈し、ドアを閉めた。


「今日は疲れたんじゃないのか、クオノ」

「ううん、平気」

「目が眠そうだぞ」


 そう指摘すると、彼女は毛布から手を出し、目の下をむにむにと揉んだ。


「さっきまで人が大勢いたから……それで緊張が解けた」

「そういうことにしておこうか」


 クオノの「むー」という聞いたことのない唸り声を、イナミは笑みで受け流した。

 シートに座り、側面のレバーを操作し、背もたれを倒す。


「ここで調節できるらしい。お前も倒したほうが――どうした?」

「え」


 クオノがこちらを凝視している。

 自分でもそうしていたことに気づいていなかったようだ。再び、顔を手で挟んで、ぽつりと呟いた。


「少し思い出したみたい。〈ザトウ号〉のこと。脱出するとき、イナミ、私にベルトをつけてくれた」

「ああ……」


 イナミはシートに身体を寝かせ、毛布を被った。


 自分にとっては、まだ新しい記憶だった。変異体を撃退するため、脱出ポッドにクオノを一人残してしまった。そのときの判断は正しかったのか、未だに確信を持てずにいる。


 クオノは十一年もの歳月を生きてきた。

 イナミはまだ一ヶ月も過ごしていない。

 その差を、痛感する。


「明日は早い。今日はもう――」


 言いながらコクピットの明かりを消そうとしたときだった。


〈ケストレル〉の周囲から、ぎぎぎ、と古い機械が軋むような音が聞こえた。

 イナミは反射的に跳び起き、聴覚を研ぎ澄ます。すぐ近くではない。森のほうからだ。

 夜遅くに調査隊と警備隊が行動するとは思えない。


「ここにいろ」


 素早く立ち上がり、キャビンへと戻る。

 そんなイナミの視界に飛び込んできたのは、


「いっ……」


 コンプレッションウェアを脱ごうとしているルセリアの姿だった。

 彼女は目を丸くしてイナミを見つめている。上半身ははだけ、腰の辺りまで白い肌を露出していた。黒いインナーがよく映える。


 一方、エメテルは床で半身を起こし、飛び込んできたイナミにぼんやりと言う。


「あの、お邪魔でしたら、私、後ろのほうにいるので――」

「今のが聞こえなかったのか?」


 イナミ自身はルセリアに対して特に反応を示さず、平然と尋ねた。

 硬直していた彼女は重い溜息とともに肩の力を抜き、コンプレッションウェアを羽織り直す。


「なんのこと?」

「外に出てみろ」


 疑わしげな二人を連れて〈ケストレル〉の外に出る。

 軋み音はまだ聞こえていた。


 エメテルがルセリアに寄り添いながら呟く。


「なんだか、古い機器が動いてるみたいな音ですね」

「じゃあ、警備隊の誰かが巡回してるんじゃない? パワードアーマー、結構使い込んでたし」

「そういう感じでは……ないですよ」


 辺境警備隊の兵士たちが、フラッシュライトを森のほうへと向けている。明らかに警戒している様子だった。

 イナミは彼らに近づいていった。


「何かあったのか?」

「いや、分からん。大方、地理的な現象か、野生動物の鳴き声だろう」

「これが動物の出す音なのか?」

「さあね。調査隊が来たものだから、驚いたんだろう」


 兵士はぞんざいに答えた。


「まったく、動物は気楽だな。ミダス体に襲われることがないんだからよ。どうして人間だけを襲うんだろうな」

「……憎んでいるからだ」

「何か言ったか?」


 イナミはなんでもないと首を横に振る。


 結局、辺境警備隊は何も発見できなかった。

 念のために外で待機していたイナミとルセリアは、共有データスペースに『異常なし』の報告がアップロードされたのを確かめてから、改めて休むことに決めたのだった。


   〇


 森の奥から、いくつもの『目』が漂着船を見つめる。

『彼ら』が蠢くたび、モーターやアクチュエーターが音を立てた。


 来訪者たちは『彼ら』の存在に気づいていない。

 まだ、その時が来るまで。

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