[3-5] 生存者たる僕らの使命

 都市外は機関の力が及ばない危険地帯、というイナミの想像は間違いだった。

 漂着船周辺は静かで、これといった事件が起きる気配もない。


 そもそもミダス体は人間を標的にした生物兵器であって、それならば自然と人間の生活圏付近に集まるのは自然なことなのかもしれない。


 いつしか山間部は夜の闇に包まれていた。

 監視台のライトが草原や木々を走り、周囲をぼんやりと照らし出す。

 漂着船の搭乗口前には、焚き火を囲むいくつかの輪ができていた。


 まるで一つの村のような光景から離れ、特務部第九分室は〈ケストレル〉機内で食事を取ろうとしていた。

 そこへ、発掘調査隊主任のモーリス・スミスが訪問する。


「よかったら、みなさんもこっちに来ないかい? 親睦を深めるには、火を囲んで語らうのが一番、ってね」


 人見知りのエメテルは表情を硬くしたものの、ルセリアは快く応じた。


「構わないわよ。お言葉に甘えようかしら。ね、みんな」


 と、彼女はイナミたち三人に目配せをする。

 クロークやフルハーネスベルトを外し、コンプレッションウェアを緩めた状態。

 これで発掘調査隊の様子を窺うつもりなのだろう、とイナミは意図を汲んだ。


 モーリスに案内された先で、二十数名の調査員、五十数名の兵士が、あちこちで焚き火を起こしていた。その周りに簡易イスを並べ、飲食をしている。

 招かれたのは調査員たちの輪で、イナミたちが近づくと、「おー!」と歓声が上がった。


 簡易調理場では、大きい鍋がキャンプコンロで温められている。運んできた食料のあり合わせでスープを調理したらしい。


 四人はモーリスの勧めで簡易イスに腰を下ろすと、女性調査員たちからスープをよそったプラスチックボウルとスプーンを受け取った。

 ボウルを抱えていた男性陣が、何やら落ち込んだ様子で空いている席に戻る。


 それを不思議に思って眺めていたイナミに、女性調査員が微笑んだ。


「あの人たち、お近づきになりたいんですって。察してあげてね、可愛い特務官さん」


 隣で聞いたエメテルが「か、か、可愛い……ですか!?」と動揺をあらわにする。焚き火の明かりを受けていても、赤面しているのだと分かった。

 クオノは無関心な様子で、ぼうっと揺れる炎を見つめている。

 ルセリアは、ちゃっかり隣に座ったモーリスを睨んだ。


「何? 『親睦』ってそういうこと?」

「いや、はは、僕が言っているのはもちろん、仕事上の付き合いって意味だから。適当に流してもらって構わないよ」


 女性調査員が、イナミに対してにっこりと微笑んだ。


「『可愛い』ってのは、あなたもそう」

「……俺が?」


 そんな言葉をかけられたのは、初めてのことだ。

 イナミは反応に困り、ルセリアを見る。


「そうなのか?」


 彼女は「む」と眉をひそめ、


「知らないわよよかったじゃないそっちはそっちで仲よくすれば」


 早口で捲し立てた。

 わけが分からないイナミに、女性研究員は「あらあら」と楽しげに笑う。


 そんなこんなで、食事は始まった。


 まず、研究員たちは自己紹介をしてくれた。彼らはそれぞれの専門分野を活かし、発掘調査に携わっているのだという。


 基礎的な遺物の知識に加え――

 ヒトや動物、植物に関する生物学。

 船舶、機械、金属に関する工学。

 食産業学や被服学に関する文化人類学。

 他には地質学などなど。


 発掘調査隊は、いわば研究者の『寄せ集め』だ。


 彼らが調査を通してどういったものに関心を寄せているのか、話を聞いているうちに、イナミは〈ザトウ号〉での日々を思い出していた。


 自分がナノマシン体と分かってから、カザネたちはずいぶんと研究内容をオープンにしてくれたものだ。

 それはまるで、自分たちの計画をとにかくひけらかしたい子供らしさと、もう何も隠す必要がなくなってせいせいした解放感が、ないぜとなった様子だったが――


 目の前の彼らは屈託なく話す。こちらが理解できなかったとしても、都市での生活にどう関わっているのかを教えてくれた。


 気がつけば、クオノも身を乗り出して聞いている。

 七賢人として耳を傾けているのかもしれないが、それにしてはずいぶんと目が好奇心で輝いているようだった。

 長年、〈セントラルタワー〉に隠れていたとはいえ、教育は受けているだろう。学力はイナミよりずっと高いに違いない。何せ、よわい十五にして、評議会の話し合いについていっているのだから。


 エメテルは積極的に会話へ参加しないものの、それぞれが好き好きに話す全てを理解している様子である。イナミは誰かに集中しないと、頭に内容が入ってこなかった。


 一方、ルセリアはボウルにスープをよそいに行っていた。果たして、何杯目になるだろう。


 そんなことを思い出そうとするイナミに、


「あの……」


 横から声をかける者がいた。

 先ほどの女生徒は異なる、褐色肌の若い女性である。イナミと同じ年頃で、妙に重そうな鎖のネックレスを上着の中に入れている。


「ミカナギさんは移民と聞きました。『液体金属』が身体に移植されているというお話も」

「詳しいな。調べたのか?」

「いえ、ニュースになっていますよ。見ていないのですか?」


 彼女はリストデバイスを操作し、ニュースアーカイブを表示した。

 記事には、どこから撮ったのか、変異状態のイナミを撮影した映像が掲載されていた。

 ふと顔を上げると、彼女以外の調査員たちも興味津々とイナミを注視している。


「ずばり、『液体金属』とはどのような技術なのでしょう」

「ああ――」


 イナミは自分でもよく分からないふうを装う。ここ最近、同じ説明を繰り返してきたせいで、この種の嘘をつくのに慣れてきたようだ。


「脳から発せられる信号に反応して形を変える、らしい。それ以上のことはよく……移植手術をしたヤツもミダス体にやられたからな」

「欠片だけでもラボで分析してみようとは思わないのですか?」

「この『液体金属』は俺から離れると自殺するようなプログラムが組み込まれているんだ。だから、『欠片』はただの金属粉末にしかならない」

「そうなのですか……」


 本当のところは金属でもなんでもなく、ナノマシンに組成された細胞に過ぎない。硬化した装甲は、文字通りの骨。『外骨格』なのだ。


「解明されれば素晴らしい技術革命が起きると思ったのですが……」

「管理外技術は七賢人の管轄にある」


 そう、静かに言ったのは、モーリスだった。


「それに、詮索は感心しないな。ミカナギくん個人の事情もあるだろう」

「そう……ですね。失礼しました」


 イナミは「いや、気にしていない」と応じた。むしろ科学者が興味を持つのは当然に思えた。

 助け舟を出したモーリスが、話題を変えた。


「さっきの映像、〈セントラルタワー〉襲撃の記事かな。みなさんもその現場に居合わせたのかい?」


 ルセリアはスプーンを咥えていたので、代わりにエメテルが答える。


「はい。大変な戦闘でした。被害もかなり出てしまいましたし……」

「それでもミダス体を撃退できたのは幸いだと思うよ。その頃、ぼくらは別の調査に出向いていていたから、実際のところは分からないけど――帰る場所が残っていたのは、きみたちの力があってこそじゃないかな。ありがとう」


 頭を下げるモーリスに、


「そんな……特務官の務めを果たしただけですから……」


 エメテルは控えめに答えた。


 調査員たちはクオノの表情に気づかない。

〈セントラルタワー襲撃事件〉は、都市中枢で起きたミダス体との大規模戦闘だ。

 ミダス体の目的は機関本部の制圧ではなく、最上層に隠れ住んでいたクオノだった。

 年端も行かぬ少女に与えられた強大すぎる力を巡る戦いだと、一握りの人間以外は知らないのである。


 この温厚そうな男性調査員が真実を知ったら、それでもクオノに微笑を向けてくれるのだろうか。その力を守ることを選択したイナミたちに感謝を述べるだろうか。


 分からない。

 だから今も、クオノの力は秘匿されている。

 未来を切り拓くために必要となる、その日まで。


 イナミは憂いを秘めながらも、モーリスに質問した。


「都市にいる時間のほうが短いんじゃないのか。調査員は少ないのか?」


 モーリスは、チタン製マグカップに注がれたコーヒーを一口飲んだ。


「確かに人員は少ないよ。だけど、派遣は強制されてはいないんだ。調査隊は専門が違う者の集まりだけど、共通点が一つある。それはね――」


 そう言って、マグカップを軽く持ち上げてみせた。


「遺物に触れるのが好きってことだ。僕らが持つ知識は、古い言い回しでたとえると、虫に食われた紙媒体ペーパーなんだよ。その欠けた部分に何が書かれていたのかを解き明かすのが、発掘調査の面白いところだ」


 調査員たちがうんうんと頷いて同意する。

 モーリスは静かに、明かりに浮かび上がる漂着船へと目を向けた。


「もう一つ、〈大崩落〉以前の遺品が見つかるかもしれない。死者の痕跡を拾い集めて、その存在をデータバンクに刻みつけるというのも、生存者たる僕らの使命なんじゃないかな」


 おお、と研究員からはやし立てられ、モーリスはぎこちなく笑った。

 感銘を受けたのはイナミも同じだった。


『死者の痕跡を拾い集め、存在を刻みつける』


 時には、〈ザトウ号〉のように封印されるべき船もある。

 しかしながら、搭乗していた船員たちには家族や友人がいたはずだ。遺族には、事故によって消滅した、としか伝えられなかっただろう。


 そうではない。

 生き証人であるイナミは、胸の辺りに手を当てた。そこには硬い物の感触があった。


〈ザトウ号〉も地上のどこかに漂着しているのだろうか。

 ならば、いつか見つけ出さなければならない。

 たとえ研究員たちがミダス体を生み出したという悪名を残すことになっても。


 物思いに沈むイナミの周りでは、賑やかさが戻ってきていた。

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