[3-4] 平気な顔をしている連中のほうが

「狭いな」


 イナミが呟いたのは、通路のことだ。


 漂着船を歩き回るとは言っても、三人も並べば、横が塞がってしまう。

 分厚い装甲や空気漏洩防止機構がある分、外観の印象に反して窮屈なのだ。


 隣にいるルセリアが、背の高いイナミを見上げて同意する。


「これじゃ、〈セントラルタワー〉のほうがよっぽど広いわね」

船橋せんきょうからこっち、直線通路だ。人間の行動範囲は簡略化されている印象だな」


 すぐ後ろを歩くエメテルが、ハンカチを口に当てながら答える。


「短距離航行が主目的の船で、こうなってるんじゃないですか?」

「基地から基地へと物資を輸送する――〈ケストレル〉のような物か」

「データバンクにアクセスできれば、近い船を参照できるんですけど」


 都市から遠く離れた場所で、エメテルは今、持ち前の分析能力しか活かせない。

 元より船種の特定は特務部の仕事ではない。これは部外者の好奇心だった。


 イナミは船その物から、他に意識を向ける。


「もう一つ、気になっていることがある。船員の死体がない」


 発掘調査隊がハッチを開放するまでの長年、閉鎖空間だったというのなら、船橋せんきょうや船室には遺骸が残っているはずだ。

 エメテルは「そういえば……」とぎこちなく頷いた。


「共有スペースにも報告はありませんね。脱出装置についても言及がありませんし……野生動物が、その、食べてしまったとか……?」

「それでも骨や衣服は見つかるはずだ」


 ルセリアが表情を強張らせる。


「ミダス体がどうにかして侵入した、とか?」


 ナノマシン群は、人間の肉体を素材に自身の複製品を組成アセンブルする。そうして死体は消え、新たに生まれた怪物がこの船を出ていったのではないか――

 と、ルセリアは思いついたのだ。


 イナミの脳裡にも、〈ザトウ号〉の惨劇がよぎる。

 引き裂かれた死体と流れる血の川、そして徘徊するナノマシン群の怪物。


 押し黙る二人の代わりに、エメテルが告げた。


「一応、辺境警備隊がセンサーフェンスを設置してます。ミダス体が近くにいれば、すぐに検知できるはずです」

「じゃあ、俺も気をつけないとな」


 イナミは冗談めかして言った。

制御変異コントロールド・シフティング〉で高熱を発することはないが、多量の出血や、重傷を治癒する際は別だ。

 都市ではイナミの識別信号が設定され、警報が鳴らないようになっている。

 しかし、センサーフェンスは単純な鳴子である。


 静かにしていたクオノが、ぽつりと呟いた。


「私が操作する」


 イナミは歩調を緩め、クオノの肩に手を置いた。


「万が一のときは頼む。そうならないように、最大限の注意はするけどな」


 クオノの〈感応制圧レグナント・テレパシー〉は痕跡を残さずにマシンを操作する。セキュリティのほとんどが電子化されている現代において、その力は『魔法の鍵』だ。


 ゆえに、悪用や濫用は許されない。

 自分のために力を使わせるのは、正しくないように思えた。


 では、こう聞くのは正しい使い道なのだろうか――イナミは少し考えてから尋ねる。


「この船から何か感じるか?」


 彼女はぱっと顔を上げて即答した。


「特に。機関の子以外には誰の気配もない」

「……以前から『子』と言っているが、AIと対話しているのか?」

「少し、違う。明確な人格ではない。でも、何ができるのかを私に教えてくれる」


 それではまるで、マシンからクオノに使われることを望んでいるかのようではないか。

 クオノの力が『女王クイーン・レグナント』の名を冠する所以なのだろう。


 二人のやり取りを覗き見るようにしていたルセリアが、「まあ」と肩の力を抜いた。


「死体の行方もあたしたちが考えることじゃないかもね。もうちょっと探検してみましょ」


 ルセリアの言葉に、エメテルがじっとりと見つめて指摘する。


「『探検』って、ルーシーさん……任務ですよ、任務」

「分かってるわよ」


 ルセリアはそう気恥ずかしげに唇を尖らせた。


 彼女は大人びて見えるが、まだ十六歳の少女なのである。現行法で成人として扱われる年齢だとしても、精神までもが相応に成熟されているわけではない。

 ミダス体に対する憎悪、そして能力者としての自覚から、特務官の道を歩んでいるが――


 イナミは、彼女が発掘調査隊の作業服を着ているところを想像する。


 ――なかなか似合っているな。


 ふと、ルセリアと視線が合う。


「な、何よ」

「……遺物そのものは興味深いからな。お前が楽しむのも分かる」

「だから、楽しんでないってば!」


 むきになって声を張り上げたルセリアは、「ったく、もう」とそっぽを向いてしまった。


 もしかしたら、管理外技術の発掘に立ち会えるかもしれない。

 そんな期待を抱いてしまうのも、分からなくはない。

 が、その技術が流出してしまったらと考えると、冷ややかにならざるを得なかった。


 立ち止まりがちに話していた四人は、通路を遮る隔壁に直面した。

 被弾跡から船内の空気が洩れるのを防ぐために下ろされたのだろう。


 当然、この向こうの区画にいた船員は、爆風に巻き込まれて蒸発したか、窒息死したか、あるいは宇宙に放り出されたか――


 他にうろつくところもない。

 エメテルの顔色が優れないので、四人は船を出ることにした。


 外は日が暮れ始めた頃だった。

 デブリ群の円環リングが日光を拡散するため、夜はさらに冷え込む。

 辺境警備隊は薪を集め、夜を越す準備を始めていた。


「うう……私、こういう場所は苦手かもです……」


 うずくまるエメテルの背中を、クオノが優しくさする。

 初めは相手が七賢人だと恐縮していたエメテルも、こうして見ていると、クオノとのコミュニケーションに慣れてきたようだった。


 ステップの陰で休む二人を、イナミとルセリアは離れた位置で見守る。


「二人とも、こういうトコには来たことないものね」

「ルーシーはあるのか?」

「警備局の訓練でね。コウモリの巣になってるトコを通ったりしたわ」

「……コウモリ?」


 ルセリアは「んー」と考えた末に答えた。


「羽の生えたネズミ、みたいな?」

「そういう動物もいるんだな」


 感心して頷くイナミに、ルセリアは休む二人を気にしながら口を寄せて囁く。


「ねえ、クオノから何か聞いてないの?」

「何かって、なんのことだ」

「あたしもよく分からないんだけど、悩んでるみたいだから」

「……そうなのか?」


 イナミは彼女の観察眼に驚いた。

 と同時に、自分の鈍感さに愕然とした。


 昨日の朝、クオノの様子がおかしかったのには気づいている。

 ただ、それは気まぐれ――キッチンへの好奇心といった行動だと思っていた。イナミも〈ザトウ号〉にいたときはそうだったからだ。


「ちゃんと見てあげなさいよ」

「ああ、そうだな。感謝する」

「もちろん、あたしも注意するわ。ウチにいる以上、クオノも第九分室の一員だからね」


 イナミは思わず笑みを浮かべた。


「お前、面倒見がいいよな」

「今さら気づいたの?」

「もちろん、前から知っているさ。感謝している」


 二人は軽口を叩き合った後で――


「それはそれとして、よ」

「任務が最優先だ」


 表情を引き締める。

 ルセリアは、物資コンテナを開封する者や、調査機材を乗せた運搬ロボットとともにステップを上がる者を、気取られないように眺める。


「一人とは限らないわ。組織ぐるみの犯罪かも」

「そんな大所帯で反乱を企てるものか?」

「動機があればね」


 ルセリアは「たとえば……」と早口に呟く。


「反機関派が紛れ込んでて、機関の崩壊を目論んでる、とか。本人に害意はなくて人質を取られてるだけ、とか。薬物中毒者で、その手の業者と取引をするのに遺物を使ってる、とかね」


 イナミは「むう」と低く唸る。


「全員怪しいことになるな」

「逆に、ここにいる人全員が無関係って可能性もある」

「可能性、か」

「そ。動かぬ証拠を押さえないと検挙できないってワケ。この人数に対して、あたしたちは四人。あちこちに目を光らせないとね――って正直、無茶なんだけど」

「まったくだ。難しい要求だが……まあ、やってみるとしよう」


 二人は互いに頷き合う。


 そこへ、警備隊長のマーティンが通りかかった。

 ダウンしている少女たちを一瞥してから、呆れ顔をこちらに向ける。


「死体でも見つけたのか?」


 ルセリアは首を傾げる。


「あれ。船内に死体なんてなかったわよ」

「そうか? 妙だな。こういう場所にはごろごろ転がっているものなんだがな」

「だとしても、死体はいくらでも見てきてるわよ。それより船内の臭いがきついらしいわ」

「ああ、無理はない。平気な顔をしている連中のほうが、どうかしている」


 その発言にイナミとルセリアが驚いたからか、マーティンは鼻を鳴らした。


「人より利いてな。あのお嬢ちゃんも似たようなもんか」

「ええ、そうなの」

「同情するぜ」


 マーティンは薄ら笑いに表情を浮かべ、歩き去っていった。

 イナミは男の背中を見送って、ぽつりと呟く。


「本当に難しい要求だ。人を疑うというのは」

「仕事って割り切っても、まあ、ね」


 陰では、エメテルがクオノに支えられて立ち上がった。


「動物さんのふんなんて、初めて分析しちゃいましたよ……」

「分析?」


 イナミの質問に、彼女はたどたどしく説明する。


「何種類の動物が、いつ、どんな物を食べ、どんな成分の消化液で溶かし、排泄したのか――どうしても頭の片隅で考えちゃって」


 つまり、一般人が嗅覚で受容するような『悪臭』ではなく、その情報の処理が、エメテルにショックを与えたようだ。

 ルセリアが心配そうに、エメテルの青白い顔を覗き込む。


「先に〈ケストレル〉で休んでもいいのよ」


 エメテルは、とんでもない、とばかりに頭をぶんぶんと振った。


「だ、大丈夫です! 分析はもう大体済んだのでっ」

「そう? なら、いいけど……いざとなったら無理にでもイナミに抱えさせるから」

「イナミさんが?」

「しかも、お姫様抱っこで」


 エメテルは何を想像したのか、上目遣いにこちらを窺った。


「それは、ちょっと、恥ずかしいかもです」

「そう思うんだったら、自分の足で動けるうちに休むのよ。……クオノもね」


 クオノは平然と言い返す。


「私は別に恥ずかしくない」

「……あ、そうなの?」

「でも、気をつける」

「うん、大変よろしい」


 遠巻きに三人を眺めると、ルセリアはまるで姉のようだ。

 実際、彼女には妹がいる。

 だが、両親を失って以来、二人は距離を置いていると聞いた。


 だから、『姉のようだな』と言うのは躊躇ためらわれて、イナミは口をつぐんだ。

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