[2-2] 開け方が分からない
スチールデスクに乗せた円形の通信端末から、ホログラムの光が消え、暗闇が舞い戻ってくる。
部屋は狭く、簡素な調度品が備えつけられていた。デスクの他には、ベッドとクローゼットが用意されているだけなのである。
それでも、ベネトナシュは窮屈と感じない。
通信を終えた彼女は、フードとマスクを脱ぎ取った。
素顔は、感情が希薄そうな十五歳の少女だ。
肩に垂らした銀髪の三つ編み二つ結び、澄んだ碧眼、端正な顔立ちは、精巧な人形を思わせる。
彼女の名は、クオノ。
現在はクオノ・ナガスと名乗ることにしている。
出身はイナミと同じ、生物実験施設船〈ザトウ号〉の実験体で、クオノは脳機能拡張実験を受けていた。
そして、
船からの脱出、イナミとの生き別れ、二百年に及ぶ亜空間の幽閉。
十一年前に地上へ漂着し――
つい先日までは、七賢人という秘密に守られた存在と化していた。
現在は、嘘で塗り固められた市民データを隠れ蓑に、日々を過ごしている。イナミの配属に合わせて、特務部第九分室へと居候していたのだった。
「……ふあ」
朝九時過ぎ。
ほとんど眠れていないクオノは、口元を手で隠し、あくびをした。
評議会用の衣装から着替えようと椅子から立ち上がる。白いローブを脱いで、下着一枚の姿になった。
ほとんど日の光に当たらない生活を送っていたせいで、肌は透き通るような白さである。
胸や尻も薄く、手足も細い。
『精巧な人形』という印象を補足するなら、迂闊に触れれば壊れてしまいそうな、だからこそ危うい美しさを持つ、芸術品のビスクドールを思わせる。
そんな彼女が袖を通した部屋着は、庶民的なスウェットだった。
居候してすぐに着回す服が足りなくなり、同居人であるルセリアが実用的な物を選んでくれたのだ。
あったかくて、もこもこ。
クオノはこれを実に気に入っていた。
七賢人の衣装は畳んで、ベッドの下の箱に収納。
落ち着いた後は、不審者がいないか、宿舎周辺の監視カメラに『接触』する。
脳機能拡張によって覚醒した力、〈
それを使って、警備局に送信している映像を、ひとつひとつ確認するのだ。
クオノの力は非常に強く、都市全域のオンラインシステムをも容易く掌握する。
影響は、ネットワークに依存した思念体にも及ぶ。
人類の敵、『ミダス体』からすれば、クオノは各個体同士の通信を阻害する存在であり、システムを強化する『核』でもある。
シンギュラリティではない、
そういうわけで、クオノは潜伏生活を強いられているのだった。
周囲の安全を確かめてから、遮光カーテンを開ける。
外はすっかり日が出ている。その明るさに、目をそっと細めた。
――お腹空いた。
クオノが部屋を出ると、廊下の照明が点灯した。人の気配を検知したAIが室内を明るくしてくれたのだ。
《おはよう、バスケト》
《おはようございます、クオノお嬢様》
テレパシーで話しかけたからか、『彼』の挨拶が遅れる。
AIバスケトは、主人のエメテルに対してと同じように、無線で返事をした。そうでなくてもクオノには、彼の『答えようとする思考』が聞こえていた。
二階リビングはしんと静まり返っている。
同居人たちが起きている気配はない。
特務部第九分室は遅くまで遺物の違法取引を追跡していて、ベッドに入れたのは夜更けになった頃だったのである。
その間、クオノはエメテルの傍らで第九分室の働きを見守っていただけで――
「……うん」
一人頷いて、キッチンに入る。
みんなのために、朝食を作ろうと考えたのだ。
何を隠そう、ジヴァジーンのもとでの食事は――ロボットに任せていたけど――作り方さえ分かれば自分にだってできるはず――多分。
宿舎を訪れて一週間。
ルセリアとイナミが交代で作る食事を思い描き、そのイメージをデータバンクの画像検索にかける。
幸い、レシピはすぐに見つかった。
冷蔵庫から、缶詰を一個一個取り出す。目的の加工肉を見つけ出すのに数分かけ、キッチンのワークトップに置く。
それを眺めること十数秒。
今度は缶詰の開け方を検索し始める。
自分でも知らずに「うう……」と小さく唸っていると――
「ええっと」
気まずそうに声をかけられ、クオノは背筋をぴんと伸ばした。
振り向くと、ルセリアが「あは」とぎこちなく笑う。
部屋着姿で、いつもはサイドテールにしている長髪を下ろしている。そんな彼女は、自分と比べて大人っぽく見えた。
「何をしてる……のかしら?」
あくまで優しい尋ね方だ。
クオノは無表情に、しかし内心は慌てながら、端的に答えた。
「料理をしている」
「あー……まあ、そうだろうけど。なんだか念力を送ってるみたいだったから」
「これの開け方が分からない」
「……オーケイ。まず缶切りを用意しましょ」
クオノは首を傾げる。
ルセリアが隣に立って、キッチンの引き出しから『缶切り』なる道具を取った。
「これがそう。ここに当てて、こう入れる。はい、やってみて」
ざっくりとしているが――
言われたとおりにやってみると、刃が簡単に蓋へ刺さった。
ルセリアはにっこりと微笑んで、ジェスチャーを続ける。
「で、缶を回しながら、こう動かしてみて。てこの原理ってヤツね。あ、切り口で手を切らないように気をつけるのよ」
実に分かりやすい説明だ。
あるいは、そもそも缶切りという作業が難しいことでもないのか。
ルセリアはうんうんと感心したように頷く。
「おっかなびっくりかと思ったけど、慣れた手つきね」
「工具と同じ」
「ああ――義体メンテの手伝いをしてたんだっけ」
クオノの育ての父親、ジヴァジーンは、首から下が義体の機械化兵士である。彼一人ではできない部品の交換作業を、クオノは自然と手伝っていたのだ。
「見込みあり、かしらね」
「……なんの見込み?」
「料理のよ。ウチにはとんでもないモノを作る子がいるから」
彼女は『子』と言った。消去法的にエメテルしかいない。
確かに、彼女は強烈な味のジャンクフードを推してくる。それでも、『初心者向け』ということだったが。
「で、何を作るつもりなの?」
「いつもの」
そう答えると、ルセリアは軽く首を傾げた。
「っていうか、なんで作ろうとしてくれてたの?」
「それは――」
素直に答えればいいものを、なぜか気まずく感じてしまい、言い淀んでしまう。
爪先に視線を落としていると、廊下からドアの開く音が二つ聞こえた。
「おはようございまぁす」
先に出てきたのは、クオノと似て小柄な少女だ。
緑色の瞳と長く尖った耳を持つ少女、エメテルは、遺伝子操作を受けて生まれた
その影響かは分からないが、先述した味覚を代表として、独特のセンスを有している。
寝間着の上にハンテンを重ねたエメテルは、〈
しかし、薄い金色の髪のほうはさっぱりではなくて、ぐしゃぐしゃの寝癖まみれだった。
彼女の後に、イナミがインナーウェア姿で現れた。
ルセリアがにこやかに尋ねる。
「どう、腕は平気?」
「ああ、万全だ」
彼は昨夜負傷した腕を軽く動かしてみせた。
ナノマシン体とはいっても、再生には生体エネルギーを要する。そのため、夜通し点滴による補給を受けていたのだ。
クオノは昨夜の彼との会話を思い出す。
『イナミ、負傷したの?』
『平気だ、クオノ。大したことはない』
そう答えた後で、ルセリアには負傷の程度を説明している。
実際は、大したどころか、重傷だった。
自分の心配は、彼にとって余計だったのだろうか。
じっと見つめるクオノの視線に、イナミがぼんやり顔で気づく。
「どうした」
まただ。
素直に答えればいいのに、なぜかためらってしまう。
口を
「クオノがね――」
「ごめんなさい」
考えるよりも先に、クオノはそう言っていた。
「やっぱり、いい」
「うぇ?」
戸惑うルセリアの横をすり抜け、リビングのソファにちょこんと座る。
次第に空虚な気分になって、膝を立て、胸に抱えた。
七賢人として〈アグリゲート〉に接してきても、ジヴァジーン以外の人間とは全く触れてこなかった。
だから、どんな風に振る舞えばいいのか、クオノは分からないのだ。
あれほど待ち望んだ再会を果たした、彼に対しても――
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