第2章 細波

[2-1] 半端者では我が子の世話も

 都市〈アグリゲート〉。

 それは、世界が滅んだ後、各地の移民が合流した『集合体』である。


 位置は赤道に程近い東アジア南部。

 空の向こう、宇宙には、遠心力と重力の均衡によって形成された、漂流物の円環リングが見える。

〈大崩落〉の災厄が過ぎ去っておよそ二百年。小型漂着物は緯度の高い地域に集中し、赤道付近ではほとんど確認されていない。


 都市の象徴、〈セントラルタワー〉は、巨大漂着物に分類される宇宙船だ。

 エネルギー生産施設が復元されるまで稼働していた内部プラントは、現在、その機能を停止しており、〈デウカリオン機関〉の本部として使われている――


《特務部第九分室が遭遇した、遺物取引人……何者かしら》


 最上層、七賢人評議会室。


 円卓に着くホログラム像の一人が、上品な老婆の声で喋った。

 市民から運営システムによって選出された七人は、まるで旧時代の司祭のような白いローブとフード、そして〈翼鏃よくぞく〉の紋章が入ったマスク姿で参加している。


 老婆と思しきフェクダ。

 その他に、メラク、フェクダ、メグレズ、アリオト、ミザール――


 ベネトナシュの名を持つ小柄な女性賢人。

 そして、秘密裏に評議会室に滞在している大男のドゥーベ。


 彼らは互いに素顔を知らず、結託せず、利他的に、人類再興に向けた意思決定を使命としている。

 ただし、ドゥーベとベネトナシュは実のところ親子であり、選出も『人為的』ではあったのだが――


 ドゥーベはホログラムディスプレイを食い入るように見つめる。

 特務官イナミ・ミカナギが目撃した『白面の男』が映し出されていた。


「これまで拘束した者からも、この男の存在は証言されておったな」

《反機関派の扇動者というワケでもなさそうね。接触相手に節操がないもの。放火犯に連続殺人犯に――》


 ドゥーベの左隣に位置する男、メラクが《ふん》と鼻を鳴らした。


《出で立ちからして、〈血龍シュエロン〉の一味に決まっている。さっさと強制捜査を行えばいい》


 メラクが口にしたのは、元々この地に住んでいた者たちの子孫だ。

 東欧系とアジア系の遺伝子を併せ持つ者が多く、機関の体制を受け入れながらも、一定の自治を行っている勢力でもある。


 記録映像にある白面の男が〈血龍シュエロン〉特有の服装をしているため、メラクは関与を疑っているのだろう。


 確かに、先住民が移民を追い出そうとしている――そういう絵を描くこともできる。

 しかし、その決めつけは短絡的すぎる、とドゥーベは思った。


「顔を隠す意味がなかろう」

《あの連中はこういう不気味な仮面が好きではないか》

「他者のことは申せぬと思うがな」


 ドゥーベの軽口に、フェクダがくすりと微笑んだ。

 一方、メラクは声を荒げる。


《貴様――信用ならない男だと思っていたが、あの犯罪者集団の肩まで持つのか!》

「過去、七賢人は〈血龍シュエロン〉の長と協定を結んでいる。我々にプラントの管理を委ねる代わりに、あの者らの自治を保障すると。犯罪者呼ばわりは不適切だ」


 何か言いかけるメラクに、ドゥーベはさっと手を挙げて制した。


「警備局の報告に目を通しておらぬのか。〈血龍シュエロン〉もこの男を捜索中と申しておる」

《無関係を装っているんだ》

「確たる証拠もなく踏み込み、成果を上げられなかった場合、我々の思い違いであった、では済まぬぞ」


 この指摘にもっともだと思ってくれたか、メラクは退く姿勢を見せた。


《……では、遺物の流出元を探るまでだ。尻尾を掴めば、貴様も反対はしないだろう?》

しかり」


 昨晩逮捕された男たちは、プラントや小型艇の動力部となるリアクターを入手しようとしていたらしい。

 民族主義を掲げるテロリストだ。大方、〈セントラルタワー〉を爆破しようとでも考えたのだろう。そういう輩は、機関の施政が安定するほど、反比例的に増加していくものである。


 メラクが腕組みをして呟く。


《思いつくところでは、技術研究所ラボの遺物管理部、発掘調査隊、それに同行する警備局の辺境警備隊と輸送班あたりだな》


 そこを洗えば、白面の男に遺物の横流しを行っている人間は見つかるはずだ。


 もっとも、それが一人とは限らない。

 組織的犯罪だった場合、巧妙に隠蔽されていることだろう。


 考え込んでいたフェクダが身を乗り出した。


《発掘調査隊といえば、明日から漂着船に派遣される予定よね》

「監視役を同行させるとしよう」

《ちょうど調査に関わっているのだし、第九分室に任せてはどうかしら》


 ドゥーベは無言でフェクダを注視した。


 彼女がどんな思惑で発言しているのかは分からないが――

 正直、助けられているところが大きい。


 ドゥーベは現在、七賢人の中で微妙な立場に立たされている。

 それは、イナミ・ミカナギがナノマシン体であることを秘匿していたからだ。


 自分が第九分室を重用すれば、あの青年を私兵として飼っていると見られるだろう。

 実際、メラクは露骨だが、他にも疑っている者がいるのは感じる。


 その点、フェクダが派遣を提案してくれたので、反対意見は出なかった。第九分室への通達がすんなりと決まり、評議会は解散となる。


 となると、今度は別の懸案事項が浮上するのであった。

 次々とホログラム像が消えていく中――


《お父様。私はどうすれば?》


 最後まで残っていたベネトナシュが、そう話しかけた。

 彼女は今まさに、第九分室と行動を共にしている。


 ドゥーベ――元特務官ジヴァジーンは少し考え、保護者の一人として決断を下した。


「お前も同行しろ。ひとまず都市の外に逃れたほうが安全かもしれん」

《……でも》


 ジヴァジーンは続く言葉を待った。

 しかし、娘は何か言おうと頭を揺り動かすものの、結局は俯いてしまう。


《分かった》

「思うところがあるなら、言えばいい」

《なんでもない。失礼します》


 と、通信を切られてしまい、ジヴァジーンは「ふむ」と唸った。


 ――もっと強引に訊き出すべきだっただろうか。


 さしものジヴァジーンも、こればかりは難題だった。

 一人きりの評議会室は妙に広く感じた。いつの間にか、自分も一端の人の親になっていたらしい。


 昨晩の戦闘報告書に、ルセリア・イクタスの名を見つける。

 かつての同僚だった彼女の母親を思い出して、ジヴァジーンは重々しい溜息をついた。


「お前の言うとおりだ。半端者では我が子の世話もままならん」


 今はもう、あの頃の仲間で生きている者はいない。

 ジヴァジーンは機械仕掛けの身体をシートにうずめ、仮面の奥で目を閉じた。


 苦悩は生きている者の特権である。

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