エピローグ 始動

[01E] ってトコかしら?

『死者三百人超。行方不明者千人超。〈デウカリオン機関〉本部での戦闘は明朝まで――』


 ルセリアはソファに寝転がり、タブレットでニュースを流し読みしていた。


 行方不明者は、ほとんどがミダス体に変異し、身元の確認が不可能になった者たちだ。


 大勢が家族や仲間を失った。

 その実感は日々が過ぎるほどに薄らぎ、しかし心の奥底には重く沈むのだろう。


〈セントラルタワー襲撃事件〉から数日が経っている。


 あの場にいたミダス体を殲滅しても、〈アグリゲート〉にはまだまだ潜伏体が隠れているに違いない。

 いつ出動がかかってもいいように備えなければならなかった。


 ……とはいっても、能力酷使の頭痛がやっと引いたばかりで、ルセリアはどことなく上の空だった。


 ぼうっとしているのはイナミのこともある。

 天井を見上げていると、三十分ほど前に彼と交わした会話を思い出して――




「少し出てくる」


 ダウンジャケットを羽織ったイナミが、リビングに顔を出す。


 ルセリアはちょうど、コーヒーに大量の砂糖を投入しているところだった。


「どこ行くの? 送ってあげよっか」


「いや、いい。徒歩で行ける距離だ」


 そう言うと、イナミはさっさと階下に消えてしまった。

 ルセリアは肩を落とし、湯気の立つ黒い液体にちびりと口をつける。


「なんかよそよそしいのよね……熱っ」




 ――って、あたしが気にすることじゃないでしょ。


 イナミの監視命令は、今朝になって撤回されている。

 後のことはまだ指示されていないが、イナミはきっと、宿舎から別の場所へ移ることになるだろう。


 ひとり暮らしになっても、ちゃんとした生活を送れるのか。ルセリアには、それがどうにも引っかかっているのだった。


 廊下のほうから、スリッパの音がぱたぱたと近づいてくる。

 やってきたのはエメテルだ。


「あれー? どうしたんですか、難しい顔して」


「別に……」


「なんか溜息もついてたみたいですけど」


「え、そう?」


「そうですよ。イナミさんが外出してからずっとそんな感じですねー」


 ルセリアはむくりと身体を起こした。


「単に退屈してるのよ」


「平和で何よりじゃないですか」


「それはそうね」


「イナミさん、どこにお出かけしたんでしょうねー」


「あたしが知るワケないでしょ」


 やけにイナミの名前を持ち出される。この同僚が何を勘繰っているのか、ルセリアにはよくわからなかった。


「あ、じゃあ、ポテチ食べませんか? 新作のイカスミ・アンド・ウナギの蒲焼ソース味――」


 エメテルの呪文を、じりり、と玄関の来客用ベルが遮った。ナイスタイミングである。飛びつかない理由はない。


「はいはいはい、今出るわー」


 ルセリアはぱっとソファから立ち上がって階下に向かう。


『イカスミ』はさっぱりだが、『ウナギ』はイナミ曰く、ぬるぬるした細長い魚らしい。きっと下水道辺りで成長した変異種だ。ヘドロを餌にするのである。


 ――じゃあ、カバ焼きの『カバ』って何?


 ルセリアの頭の中を混沌極まる魚群のイメージが這いずり回る。


 リビングに残されたエメテルが、まだぼんやりと呟いているのが聞こえた。


「ハバネロ・アンド・ココナッツミルク味のほうが――」


 彼女には申し訳ないが、聞こえないふりをした。というか、頭痛を悪化させるつもりか。

 深い溜息をついた後で、一階廊下のインターフォンを覗く。


「えっと……」


 小型モニターには玄関先の来客が映っていた。


 黒髪を三つ編みのおさげに結った少女が立っている。


 ワンピースタイプの、『お嬢様』然とした衣服の着こなしだ。

 人形のように端正な顔立ちで、黒褐色の瞳。

 年頃はエメテルと同じ、十四、五歳に見えた。


 小柄な体にはずいぶん重そうな、人工革のトランクケースを引いている。


「エメ、ちょっと来て」


 エメテルが怪訝そうな顔で階段を下りてくる。彼女もインターフォンの映像を見ていたようだった。


「人が来る予定なんてあった?」


「私は何も聞いてないですけど……」


 ふたりがひそひそと話し合っていると――


 誰も出てこないことを不審に思ったらしい少女が、平然とドアノブを引いた。オートロックが作動しているはずのドアはあっさりと開き、少女を屋内に招き入れる。


 ぎょっとしたルセリアは、慌てて玄関へと出た。


「ちょ、ちょっと! 何、勝手に入ってきてんの!?」


「いたの?」


 感情の起伏が控えめな声だ。それでいて、性格はとんでもなく図太い。


 ルセリアは思わず、腰に手を当てて威嚇する。


「っていうか、ロックはどうやって外したの?」


 少女はルセリアの質問に答えず、廊下の奥を背伸びして覗き込もうとする。


「イナミはどこ?」


「あいつなら出かけてるけど、って――」


 まさか、今度はイナミを狙ったミダス体の襲撃か。


 その予想は大間違いだった。


 少女の顔に、まるでモニターの映像がぶれるようなノイズが走った。

 すると突然、髪の黒色が輝くような銀色へと移り変わる。瞳の色まで青くなった。


 ルセリアは驚きのあまりに言葉を忘れ、口をぱくぱくとさせる。


 その後ろから、エメテルが尋ねた。


擬態ミミクリーマスク、ですか?」


「何それ」


「顔にテクスチャーを貼りつけて、別人に変装できる装置です。ほら、髪飾りが投影装置になってて――あれ?」


 エメテルが目をぱちくりとさせる。


 戸惑いの表情を浮かべる彼女に、ルセリアは尋ねた。


「技研の知り合いとか?」


「というかですね、ほ、ほら。特徴が一致してません?」


「特徴……なんの?」


「ですから、イナミさんがお探しの……」


 ルセリアは改めて少女を観察した。


 銀髪碧眼。

 自分たちと同い年の少女。


「……あ!」


 彼女は肯定するように微笑を浮かべた。


   〇


 七賢人評議会室には、怒声が雨嵐のように降り注いでいた。


 その様子を、イナミは黙って見守る。


《要はミダス体なのだろうが!》


《ドゥーベ、あなた――その情報をわたくしたちに隠していたのね?》


《掟破りは重罪のはずだ! 罷免を!》


 ドゥーベは円卓の席で腕を組み、追及を黙って受け止めている。


 他者には、この場にはイナミだけがいるように見えている。本来であれば何物も立ち入ることのできない聖域だが――十一年前、幼いクオノもここに立たされたのだろうか。


《そこのミダス体もなんとか言ったらどうだ!》


 最も怒りを露わにする男に、イナミはむっとして答えた。


「俺はナノマシン体であって、ミダス体じゃない」


《何が違う!》


「ドゥーベの話を聞いていなかったのか?」


 普通に訊き返しただけなのだが、その態度が余計に相手を苛立たせてしまったようだ。ホログラム像が乱暴に机を叩いた。


《貴様のナノマシンが他者を変異させることはない――が、万が一もあるだろう!》


「確かに保証はない。誤作動を起こす場合もあるかもしれない」


《では――》


「俺が人類の敵になったら、そのときは処分してくれて構わない。もっとも、お前たちが部隊を派遣する前に、俺は全てを特務官に委ねるつもりだがな」


 あまりにあっさりとした物言いに、議会室が一瞬の静寂に包まれる。


 ドゥーベの左隣に座る老婆の声の主だけが、肩を揺らして笑った。


《潔い青年ね。真っ直ぐな目をしている》


《おい、貴様、まさか――》


《かつて、わたくしたちはミュータントの子供とその親を『呪われている』と迫害した。でも、正しく理解すればなんてことはない、彼らは天変地異に順応しようとしていただけだった》


 女の静かな語りにドゥーベが低く唸ったのを、イナミは聞き逃さなかった。


 彼はミューテーションの影響がかなり濃く出ている。もしかしたら、この老婆が話したようなことを経験してきたのかもしれない。


《わたくしたちは『ナノマシン体』という存在を正しく理解していないのかもしれない。ドゥーベはいち早く彼の可能性を見抜いた。そうなのでしょう?》


「我はあくまで利用価値があると考えたのみ」


 本人を目の前にしてあんまりな言い様だが、不思議と悪い気はしなかった。


《それにイナミ・ミカナギは、先日の戦闘で大勢のミダス体を打ち倒した。処遇についてはその功績を考慮すべきね》


 老婆は味方になってくれている。イナミはそれを感じ取りながらも否定した。


「俺は特務部や警備局とともに戦ったに過ぎない。彼らに比べれば大した戦果じゃない」


《あらあら、謙遜かしら》


 老婆は上品に笑った。


 先ほどまで激昂していた男は黙り込み、他の者たちも口々に唸る。


 勢いを失った彼らを、老婆はぐるりと見渡した。


《このことを知るのがもっと以前だったら、わたくしもイナミ・ミカナギの処分に賛成だったわ。そういう意味では、ドゥーベはわたくしたちに判断材料を用意してくれたのね。偶然だと思うけれど》


「無論だ。当分は秘すべしと考えておったよ」


《正直な人》


 いつの間にか、場は老婆のペースに呑まれていた。


 そのときを見計らって、ドゥーベが咳払いをする。


「いずれにせよ、我らの処遇は判断を委ねる。みなの意志を表明せよ」


 もしかしたらドゥーベの名を返上し、拘束されることになるかもしれない。そんな結末さえも受け入れようとするような、威風堂々としたものだった。


 投票システムが起動し、円卓上に旗を立てる柱が表示される。

 ドゥーベを除き、票数は六。賛否が同数なら、時間を置いて再び評議されることとなる。


 イナミは目を閉じて、結果をじっと待つ――




 数分後、評議会室のホログラムは全て消えていた。

 投票はイナミの処分に賛成一、反対五。ドゥーベの処分に賛成二、反対四という結果に終わった。


 イナミは気を楽にして、ベネトナシュの席に手を置く。

 彼女は同席せず、録画された姿が映し出されていただけだ。そのことに、他の賢人は全く気づいていなかった。


「クオノの票が反対に投じられるようになっているんだから、公平じゃないな」


「なに、結果に影響はない。私は危なかったが」


 ふたりは同時に「ふっ」と笑みの息を洩らした。


 ジヴァジーンの義体は修復し終えたようだが、まだ動作にぎこちなさがある。新しい部品が馴染んでいないそうだ。


「それで、クオノはどこに行ったんだ?」


「ひとまずは信頼できる者に託すことにした」


「そうか……」


 イナミは肩の力を抜いて、ジヴァジーンを真摯に見上げた。


「お前には感謝している。ずっとクオノを守ってくれていたんだな」


「人類のためだ。あの力こそ再興の特異点シンギュラリティとなりうる」


 堅苦しく答えた後で、ジヴァジーンは溜息をついた。


「いずれは嘘偽りなくひとりの市民として生活させてやりたいものだが――」


 苦悩を滲ませた声色だ。


 イナミは、『父親』がどういうものなのかを知らないが、この大男がクオノに対してそうあろうとしてきたことは確かに感じられた。


 自分がルセリアたちと出会ったように、クオノもジヴァジーンたちと出会った。


 クオノはクオノで流れる時間を過ごしてきたのだと、彼を通して実感するのである。


「さて――」


 ジヴァジーンは手をすっと動かした。

 タブレットとペンが円卓を滑って、イナミに寄越される。


 ディスプレイに映っているのは複数の入力欄からなる書類で、最後の署名部分が空欄のままになっていた。


 ずっと保留していた移民手続きだ。


「もはや迷いはあるまい」


「ああ」


 ペンを手に取って、氏名を入力する。


 一七三号のナンバーから名づけられた『イナミ』。

 そして、カザネからもらうことにした『ミカナギ』。


 移民手続きはすべて終了だ。

 これでイナミは、正式な『市民』としてその存在をデータバンクに登録されたのだった。




 宿舎に戻ると、玄関先でバスケトの紳士的な声に出迎えられた。


《おかえりなさいませ、イナミ》


「ああ――こういうときは『ただいま』でいいのか?」


《ええ。お嬢様方はそう仰られております》


「次からは俺もそうしよう」


 と、ドアを開けると、一階オフィスからルセリアたちが慌てた様子で飛び出してきた。


「……どうした、ふたりとも」


「どうしたもこうしたもないわよ!」


 ルセリアが正面に立ち、腕を組んで睨みつけてくる。


 その背後に隠れるエメテルは、おどおどと尋ねた。


「イナミさん、このことを知ってたんですか?」


「このこと?」


 首を傾げていると、ふたりの後からイナミを出迎える者がいた。

 可愛らしい服を着たクオノだった。


『ひとまず信頼できる者に――』


 ジヴァジーンの遠回しな言葉を思い出して苦笑いを浮かべる。


 ――父親から認められた、と考えていいのだろうか。


 ルセリアの横をすり抜けたクオノが、イナミの腕にしがみついてくる。


「手続き、終わった?」


「ああ、無事にな」


 ふたりのやり取りに、ルセリアがむっつりと口を尖らせた。


「なんの話?」


「そっちにはまだ伝わっていないのか」


 そう言うと、イナミは宿舎の住人である少女たちに対して背筋を伸ばした。

 空いている手を握り、胸に当てる。〈デウカリオン機関〉式の敬礼だ。


「本日付で特務部第九分室に配属された、イナミ・ミカナギだ。よろしく頼む」


「え?」


 ルセリアはぽかんと口を開けたまま惚ける。


 エメテルは「あっ」と顔を輝かせ、敬礼を返した。


「承りました。歓迎しますよ、イナミさん」


「感謝する、エメテル」


「ぶー。私のことは、エメって呼んでください。もう仲間ですからねっ」


「わかった、エメ」


 そう呼ばれて、彼女は気恥ずかしげにはにかんだ。


 琥珀色の瞳をまたたかせていたルセリアは、ようやく状況を理解したらしい。


「……まったく」


 そのひと息にどれほどの感情が込められているのか、イナミが知るよしもない。実のところ、彼女自身もわかっていない。


 肩から力を抜いたルセリアが、すっと手を差し出した。


「ホントの『ようこそ〈アグリゲート〉へ』ってトコかしら?」


 イナミは笑みとともに握手を返す。


「ありがとう、ルーシー」

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