[6-4] 俺が証明するんだ
「まさか、クオノ――だったのか? ベネトナシュが?」
「イナミ……」
仮面には変声機が搭載されていたのか。生の彼女の声は、あの日聞いた幼子のものと似通っている。
顔立ちには、イナミの知らない十一年間を歩んできた成長が現れていた。
それでいて、ふたりは今再び、同じ場所に立って、同じ時を刻んでいる。
と、再会の感傷に浸ってはいられない。
ミダス体がクオノの顎を乱暴に掴んだ。
「お望みなら、この子が変異するところを見せてあげてもいいのよ。カザネ・ミカナギの変異を見せてあげられなかった代わりにね」
イナミは、その警告を無視し、一歩前へ出た。
「無駄な脅しだ。お前たちにはできない」
「……なんですって?」
「シンギュラリティと同じだ。クオノを変異させれば、お前たちが欲していた力も失われるかもしれない。そうだろう?」
どうやら図星のようだ。ミダス体は後ずさり、評議会室へと退く。
「クオノをさらって、どうするつもりだ」
「この子の力がある限り、私たちは強みを封じられる。だけど、うまく使えば私たちのネットワークに利用できるわ」
クオノが暴れようとしたが、ミダス体に押さえつけられる。
「あなたたちの言うとおりになんてならない……!」
「〈ザトウ号〉のやり方を忘れたの?」
ミダス体はクオノの耳元で囁いた。
「クローニングで力の複製を試みる。成功したら、自我を持ったあなたは不要。新しい女王様には、私たちの
「そんなこと、させるか」
イナミが獲物を前にした猟犬のように身構える。
「クオノを連れ出せると思うなよ、ミダス体」
「あなたなら私たちの使命を理解してくれると思ったのに」
「使命だと?」
「『他者』というものがあるから、優位に立とうとして貶め傷つけ殺し合う。だったら、その『他者』という隔たりをなくせばいい。私たちならそれができると思わない?」
「思わないな。お前がやっていることは『他者』の抹殺。それだけだ」
イナミは歩幅を広げて議会室の扉を通った。
「お前しかいなくなった世界には、停滞しか残っていない」
「だったら――」
ミダス体は立ち止まった。後ろに下がろうとしたところ、物にぶつかったのだ。
評議会システムの本体となる円卓と、ベネトナシュの座席だった。
「だったら、あなたたちが足掻いた先に何があるというの! ただ苦しんで、空しく滅びるのが未来だというつもり!?」
ミダス体はそう喚きながら、クオノを突き飛ばした。
華奢な彼女は壁に叩きつけられて倒れるが、気丈にも、すぐに身体を起こした。
《イナミ》
その声は、頭の中に直接響いた。
イナミのナノマシンに、〈
《注意して。そのミダス体は『盾』を所持》
《盾?》
《金属板を細断したシールドを体内に隠し持っている》
イナミは、クオノを手放したミダス体に迫る。
気密服を模したナノマシン群から何十枚もの金属タイルが現れて、ミダス体を守るように宙に浮いた。
バンテス・カルロのときと同じく、触手でタイルを操っているのだ。
イナミは構わず拳を叩きつけた。と同時に、生体電流を放ってみたが、タイルは不導体のようだった。
ミダス体がシールドを開き、ぎらついた目を覗かせる。
「脱出ポッドの外装甲を使わせてもらったわ。あなたのような外骨格なんて、纏うまでもないということよ」
「ちッ……!」
もう一打、力任せに殴ってもタイルは砕けそうになかった。
隙間に手を捻じ込むのも危険だ。
鋭利さで、というよりは、摩擦熱で外骨格をずたずたにされそうだ。
イナミはすぐに腕を引きながら、虎視眈々と隙を窺う。
シールドの展開量はミダス体の姿を覆い隠すほどではない。
とすれば、だ。
横薙ぎに襲いかかってきたタイルを避け、広い円卓の上に飛び乗る。
ミダス体も触手を使って自らを卓上に運んだ。
「さっきの威勢はどうしたのかしら?」
イナミは返事をせず、ミダス体の側面へとステップイン。拳の連打を繰り出す。
「ひとつ覚えねッ!」
ミダス体は嘲笑い、シールドを押し出して防御に専念する。そう見せかけて、腕を
イナミが罠にかかることはなかった。単純に速い攻撃で、青白いパルス光の残像を相手の目に焼きつけながら次の一打に移っているからである。
両者は円卓の中央で火花を散らし合う。
投影されているホログラムディスプレイの幕が破られ、光が激しく明滅する。
この攻防の間に、シールドが一方向に集中しつつある。
イナミの狙いはそれだった。
今しかない。〈
そうなる、はずだった。
意識を集中させると、体内で泡が発生。泡は膨張し、イナミの身体を一気に呑み込んだ。
亜空間を通過、通常空間に浮上する。
刹那、胸に違和感を覚えた。
外骨格の内側、心臓部に、タイルの一枚が食い込んでいる。
あらかじめ、その座標に配置されていたというのか。タイルは心臓を内から押し広げて破裂させる。イナミの中で小さな爆弾が炸裂したようだった。
戦闘の傍観者となっていたクオノが、完全に動きを止めたイナミに、恐る恐る声をかける。
「イナミ……?」
「ヒトならそれで即死ね」
答えたのは、ゆっくりと振り返ったミダス体だった。
イナミの身体からパルス光が消える。
力が入らず、糸の切れた操り人形のように倒れた。
円卓上を手足が跳ねる。クオノの悲鳴が上がった。
「『引き波』の逆、『押し波』よ。質量を持つ物体が空間に浮上したとき、周囲の物体を押し出す力が生じる――あなたの押し波は小さくとも、ナノマシン体である私なら知覚できるわ」
生存本能が働き、ナノマシンがタイルを押し出そうと蠢く。
その動きを感じ取ったミダス体は、触手を使って金属片を押し込んだ。
「ついでに教えてあげると、物体と物体が重なったとき、より高い強度の物体が他方を押し退ける、という実験例があるのよ」
初めて〈
呻き声を上げることもできない。
全身に血液が行き届かなくなり、ナノマシンの活動停止が迫ってくる。もって数分だろう。
虚ろな意識の中で、刺激がただひたすらに流れ込んでくる。
ミダス体とクオノの声。
雨のように降り注ぐホログラムディスプレイの光。
そんな死にかけのイナミを、ミダス体は見下ろした。
「拒むというのなら、別にいいわ。試してみたいことがあるの。あなたの頭を破壊したら残された身体はどうなるのか。自殺プログラムが働くのか、それとも自我を失って肉の塊に成り果てるのか。どっちかしらね」
いたぶるように問いかけてくる。
答えは、イナミにもわからない。
想像することさえ恐ろしかった。
自分が自分でなくなったら、魂を失ったら、何が大切なのかも、何が守りたいのかも忘れて、それらを手にかけようとするかもしれない。
そんなことは許さない。
イナミは手足を動かそうと頭から命令を送り続けたが、指先がひくひくと動いたのみに終わった。
「無様ね、実験体一七三号。あなたは成功作でもなんでもない。私たちこそが〈ザトウ号〉の申し子なのよ」
カザネの顔がそこにある。
淀んだ脳裡にカザネの最期がよぎる。
『信じたい。私たちがしてきたことが……間違いじゃないって』
ミダス体は人類の敵だ。
ならば、生みの親であるカザネたちも、人類の敵なのだろうか。
彼女たちは過ちを犯し、終末を招いてしまったのか。
違う。
ホログラムディスプレイには各地の戦闘が映し出されている。
ルセリアの姿もある。
みなが生き延びようと必死だった。
どんな状況でも、たとえ世界が滅びようとも、人類は強く生きようとしている。
その姿はとても痛々しいが、とても美しくもあった。
自分は今、彼らとともにいるのだ。
ナノマシン体は人類の敵ではない。
そうではない者が、ここにひとり、いるのだ。
「終わりよ」
宙に浮いたタイルが、イナミを処刑しようと回転し始める。
「さようなら、同胞」
そのミダス体に、影が飛びついた。
「ダメっ!」
クオノだ。背後から円卓によじ登ったのだ。
しかし、彼女のか弱い力で、怪物を阻止できるはずがない。ミダス体は軽く腕を動かして、クオノを振り払った。
「邪魔しないで。なんなら、手足をもいでもいいのよ?」
冷酷な言葉を突きつけられたクオノは小さな身体を縮こまらせながらも――
「イナミ!」
叫んだ。
ミダス体は、彼女のまだ絶望していない声に反応して、イナミに視線を戻した。
そこに倒れているはずのイナミが、消えていた。
一瞬、身動きを停止させたミダス体は、押し波を感じ取って振り向く。
意識さえ働けば、力は使える。
イナミは瀕死のまま〈
深く息を吸う。
タイルを押し込む力が急になくなり、修復された心臓が再鼓動を始める。
急流に血管が破裂しそうになるのを感じながら、イナミは再び立ち上がった。
「俺が証明するんだ。間違いじゃなかったと――カザネたちが目指したものを!」
「あなたに何ができると言うの! この盾さえ破れないのに――」
ミダス体の否定を遮るように、イナミの胸から排出されたタイルが、からんと円卓に落ちた。
両者は初めて、ナノマシン体の触手が切断されていることに気づく。それが何を意味するのかも。
考えてみれば当たり前だ。〈
体内に巻き込まれた物体は、空間における連続性が断たれるのだ。
力への理解が、闘争の勝者を決した。
「……今度こそ打ち破る!」
イナミは正面からミダス体に向かって歩く。
迎撃しようと襲いかかるタイルをあえて受け止め、〈
ただそれだけで、シールドは一枚、また一枚と削ぎ取られていった。
肉を切らせて骨を断つ。
ナノマシン体の自己修復能力があってこその戦い方だ。
あっという間に無防備にされたミダス体は、もう笑みを浮かべる余裕もない。右腕を剣に変えて突き出すが、それはイナミには通じない攻撃だ。
腕で軽々と剣を跳ねのける。
赤い火花が評議会室にぱっと散った。
その瞬きが消えるよりも速く、敵の顔面を鷲掴みにする。
ミダス体が、初めて偽りの言葉ではない本当の悲鳴を上げた。
「なぜ、あなたと私たちはこうも違って……ッ!」
「カザネに訊け」
生体電流を送り込む。
エネルギーの奔流はわずか数秒でナノマシン体を完膚なきまでに焼き、細胞のことごとくを破壊し尽くした。
宙に残っていたタイルが一斉に落ちて、騒音を奏でる。触手は糸がほつれるように空気中に溶けて消えた。
力なく手足を伸ばしたミダス体を、イナミは部屋の隅に放り投げる。壁にぶつかった死骸はずるずると床に崩れていった。
荒くなった呼吸を整えるうちに、パルス光の明滅が弱々しくも安定する。
イナミは外骨格を解除して、クオノを抱え起こした。
「無事か、クオノ」
「うん、大丈夫」
「ずっと俺を見ていたのか」
「ごめんなさい。私、怖くて――」
カザネが自分のために行動し、そのせいで死んだのではないかと、彼女はこの十一年間、苦悩し続けていたのだ。
イナミは頭を横に振った。
「生きていてよかった、本当に……俺こそすまなかった。お前をひとりにしてしまった」
「でも、イナミは来てくれた。それに私、ひとりじゃなかった」
クオノが通路に視線を向ける。
そう、彼女のそばには常に『父親』がいたのだ。
イナミはクオノを抱え上げ、通路に倒れているジヴァジーンのもとへと戻る。
彼の呼吸はか細くなっていた。
その毛むくじゃらの頭を、クオノが愛おしそうに抱き締める。
「お父様……」
「間に合った……ようだな……」
イナミは拳を握り締めた。
とても『間に合った』とは言えない。カザネのときと同じだ。イナミたちはまた誰かの死を見届かなければならないのか。
と、暗い表情を浮かべていると――
クオノが大胆にもジヴァジーンの体内をまさぐり始めた。
「何やっているんだ……?」
「何って。部品の破損を確かめている」
「確かめてどうする」
「予備部品がある。交換する」
「助かるのか?」
「多分」
年月は人を変える。
自分よりもよほど冷静に、クオノはジヴァジーンの傷を見極めるのだった。
――なんだ。
イナミは脱力してガラス壁に寄りかかった。またどこかで爆発が起きたらしく、びりびりと振動が伝わる。
とにもかくにも、最上層の危機的状況は脱した。
思考を切り替えて、クオノに言う。
「地上ではまだ戦闘が続いている。クオノ――いや、ベネトナシュ。俺は下に戻る。それでいいか?」
仮面はない。フードもない。
しかし、彼女は少しだけ考えてから、はっきりと告げた。
「許可する。残りのミダス体を殲滅し、できる限り多くの職員を救って」
「了解」
イナミは再び外骨格を纏い、ガラス壁に向き直った。
何をやろうとしているのか理解したクオノは、慌てて制止しようとする。
「待っ、ここ、最上階……!」
その声が届く前に、イナミは塔の外へと〈
問題ない。重力に引かれて落ちる間際、クオノに頷いてみせる。
そうして、地上約二五〇メートルの急降下に挑み、空気の壁を何層も突破する。
目指すは、地上で煌めく氷花。
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