[5-5] だってあんた、あたしと
宿舎は静まり返っている。
足音をわざと立てるようにして、一階へと下りる。
オフィスから光が洩れているのを見て、イナミは中に入った。
そこに、彼女たちはいた。
ルセリアとエメテルは同時に困惑顔をこちらへ向ける。
壁面モニターにはドゥーベとベネトナシュが映っていた。
イナミは、奇しくも地上で二度目となる質問を口にする。
「……なぜ、俺を殺さなかった」
エメテルがごくりと喉を鳴らした。
「異常熱源反応はミダス体とほぼ同様のものでした。でも、イナミさんの体外に流れた血はまるで細胞が自殺するみたいにショートして……」
「よく観察していたな。さすがだ」
称賛のつもりだったが、エメテルは少しも嬉しそうに微笑まない。
イナミは心苦しさを覚えた。
「最初の変異以降、俺のナノマシンには自殺因子が構築されていた。脳信号が遮断されると起動するんだ」
「ということは、ミダスタッチの心配はないです?」
「ああ。俺から採血しても、細胞の残骸になるだけだ」
ソファに座るルセリアは自分の喉を撫でた。私服に着替えているが、目の前のテーブルにはハンドガンが置かれていた。
「あんたのあの外骨格は?」
「カザネに〈
イナミは「もっとも……」と続ける。
「ミダス体も、細胞の活動を抑えて人間に擬態していた。ヤツらも制御できるようにはなっているんだ。今となっては、俺との差異はほとんどないだろう」
そうさ、と低く呟く。
「何も違わない。俺たちナノマシン体が〈ザトウ号〉の船員を皆殺しにした。地上で生き延びている人間まで滅ぼそうとしている。……俺たちは生まれてはいけなかったんだ」
ルセリアは重々しく溜息をついた。
彼女の澄んだ琥珀色の瞳が、イナミのほうへ向けられる。
『ミダス体は殺すわ。人間の敵だもの』
夢の中で聞いた言葉が頭の中で再生される。
しかし、彼女が紡いだのは、全く異なる言葉だった。
「だからなんなの?」
「……あ?」
「聞こえなかった? だからなんなのって訊いたの」
「いや、俺はミダス体で――」
「違うでしょ。あんた自身が、そう言ってたじゃない」
「だから、それは嘘なんだ。技術的にはほとんど同じで――」
「でも、違うワケでしょ?」
迷いのない断言に、むしろイナミのほうが面食らって言葉を失ってしまった。
ルセリアは畳みかけるように口を開く。
「あんた、なんだか自分から拒絶されたがってるみたい」
「そんなことは――ない」
「あるでしょ。カザネさんをミダス体に殺されて、クオノも守れなくて、地上ではこんなことになってて、それでなんもかもイヤになってる」
「わかったようなことを言うな!」
「わかるわよ。だってあんた、あたしと似てる」
「どこが――」
「あたしだって、シンギュラリティなんて欲しくなかったわ」
彼女はいきなり立ち上がり、イナミにつかつかと歩み寄ると、胸倉を掴んで引き寄せた。身体に触れることに躊躇は皆無だった。
「こんな力に目覚めたせいで、人死にを見なくちゃいけなくなったし、友達から距離を取られるようになったし、自分の家族でさえままならないのに他人を守らなくちゃいけないし」
「……だったら、特務官を辞めればいい」
「そのとおりよ。だけど、あたしがそうしないのはね、信じてることがあるから」
それは何か。
黙り込むイナミに、ルセリアは強く言い聞かせるのである。
「ママが言ったの。『この力でできることはたくさんある』って。『いいことも悪いこともいっぱいある』って。『それでもどうするかを決めるのはあなた自身』だって! あんたの力だってそうじゃないの!?」
「今は制御できているに過ぎない!」
イナミは彼女の手を振り払い、その身体を突き放した。
「いつか制御できなくなるかもしれない。ヤツらのように暴走するかもしれない。そうしたら今度は俺が人を……お前たちを襲うかもしれないんだぞ!?」
「だったら」
彼女は、イナミに拒絶された手を胸に当てた。
「そのときは、あたしがあんたを守るわ」
「……っ!」
その言葉が文字どおりの意味ではないことをイナミは知っている。
イナミとどう向き合うのか、彼女は覚悟を決めていた。決めて、くれたのだ。
あのときと同じだ。
真実を知って錯乱しかけたイナミに、歩み寄るカザネ。
真実を知られ
いつだって、イナミは一歩も前に踏み出していない。自分が彼女たちとは『違う生き物』なのだという恐怖で立ち竦んでばかりだ。
それで誰かを守れるのか?
クオノの前に立っていいのか?
否、許されるはずがないのだ。
それまで張り詰めているような表情だったルセリアが、柔らかく微笑む。
「あたしたちのこと、信じられない?」
「そんなことは……ない。俺は……お前たちを信じたい」
「あたしたちもイナミを信じる。ね、エメ」
「はい!」
エメテルが間髪置かずに力強く頷き、胸を反らすように張った。
「イナミさんはひとりじゃありません。ルーシーさんも私もいます。どどんと! 頼りにしちゃってくださいっ」
〈ザトウ号〉から脱出したあの日、イナミは不安を抱いていた。
自分に人間のふりができるだろうか。
地上に漂着してからは、誰が敵かを見定めようと疑念を剥き出しにしてきた。
自分が人間でないと知られたらどうなるだろうか。
もうひとりではない。
恐れなくていいのだ。
「……すまない、ふたりとも」
ルセリアは苦笑いを浮かべる。
「あのね、こういうときは――」
「ありがとう、だったな」
イナミはぎこちなく、しかし心の底から微笑むことができた。
ふたりの少女は互いに目を合わせ、ほっと安堵したように肩の力を抜く。
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