[5-6] 足掻けばこそ
「あたしたちの意志は聞いてのとおりよ」
ルセリアが、それまで静観していた七賢人たちへ厳しい目を向けた。
「今さらあーだこーだ言わないわよね? あんたたちだって、イナミが必要な人間だと思ったからあれこれ手を回したんでしょ?」
ドゥーベが大きく肩を揺らした。
笑っているらしい、とわかったのは、大男の声色からだ。
《その物言い、汝が母君によく似ておる》
それを聞いたルセリアは、わずかに眉を上げた。
《確かに、我らは力を欲しておる。しかしだ、ルセリア・イクタスよ。全体を危険に晒すやもしれぬ力など不必要。――そう考える者も我らの中にはいる》
「そういう頭でっかちはあたしがかち割ってやるわよ!」
《勇ましさは買うが、ひとりふたりの話ではないのだ。十一年前も、クオノを保護した者たちは危険の排除を選択した》
初めて、ドゥーベがクオノについて言及した瞬間だった。
イナミは心静かにモニターを見上げた。
「教えてくれ、ドゥーベ。クオノは人間からも命を狙われていると、バンテスが言った。あれは本当のことなのか?」
《
「あいつが……俺を……?」
クオノは『そばにいる』と言った男がどこに行ったのかと探そうとしたのだ。
そのことに、イナミは胸の奥がきつく締めつけられる。
《その一件で、七賢人はクオノが持つ力を〈
「それで、お前たちはクオノを殺そうとしたのか? 大の大人が、寄り集まって!」
《然り。考えてみるがよい。七賢人は人類再興という使命を背負っておる。全を死に至らしめる個は排除するのが合理的と言えよう》
話を聞いていたエメテルが、背筋を伸ばして発言した。
「でも、彼女は今も存命なんですよね?」
《それもまた然り。こう考える賢人もおったのだ。クオノは我らが失いし箱の『鍵』になりうる、と》
「鍵、ですか?」
きょとんとする彼女に、ドゥーベは頷いてみせる。
《我らの生活水準は遺物より復元した技術及び情報によって向上しておる。その中には厳重なセキュリティに守られ、未だに確認不可能のデータも多いのだ》
「クオノさんは、〈ザトウ号〉のコンピューターに介入した――」
ぼそぼそと呟いたエメテルは、そこから得られた答えに息を呑んだ。
「クオノさんなら、遺物のデータが見放題にできる……!」
《ゆえに、かの賢人は重大な背任行為と知りつつも独断に走った。その者、先代のドゥーベは特務官を使い、クオノの存在を隠蔽したのだよ》
ソファに再び腰を落ち着かせていたルセリアが、横から口を差し挟む。
「先代のドゥーベ? あんたじゃなくて?」
《かの賢人は退き、その任を我が引き継いだのだ》
「……つまり、元第二分室の特務官が全員死んだ今、クオノの居場所を知ってるのはあんたと先代のふたりだけってことね」
《然り。先代の
「じゃ、バンテスから洩れる情報なんてないってこと? だったらどうして――」
「クオノさんのことを知ってる人間を待ってたのかもしれませんよ」
エメテルが人差し指を立てて、推測を語る。
「第二分室の方々が亡くなれば、情報を持つ人間が不安に駆られて接触してくる、と考えたのではないでしょうか」
「『用済みの男』とミダス体は言っていたな」
と、イナミは顔を上げる。
「雲隠れしていたバンテスこそが、最初の犠牲者だったのかもしれない。それで第二分室の情報が洩れていったんだろう」
ルセリアは理解不能とばかりに肩を竦めた。
「……でも、どっちにしたってミダス体の企みは失敗でしょ? クオノが安全な場所で保護されてるなら、ひとまず安心よね」
ドゥーベが《否――》と各人の気を引く溜めを作る。
《『絶対』は存在せん。人間を痕跡なく消してみせる魔術など存在せんのだ。ましてや十一年もの時間があったのだぞ。猶予に比して、この都市は狭小すぎる》
イナミは目を細めて唸った。
「
《愚直、非効率、そして最も確実な方法と言えよう。ミダス体どもの強大な勢力ゆえに可能でもある》
続くドゥーベの《だが》という言葉は、心なしか穏やかなものだった。
《汝の漂着が先だったことは幸いだ。遠からず訪れる破綻に備え、我らは二度目の選択を決断せねばならぬ》
二度目。
それはかつて、先代のドゥーベが迫られた二択だ。
《
「俺の答えは聞かずともわかるだろう?」
そう答えてから、イナミはわずかな間を置いて、ドゥーベを見た。
「それにクオノは、この十一年間、二度と都市を混乱に陥れたことがあったのか?」
《……否》
「だったら、あいつはどうするかを決めたんだ。俺よりずっと小さかったのに、カザネが望んだように、生きている。俺はその意志を尊重したい」
そう言って、ルセリアとエメテルへと視線を向ける。
ルセリアは軽い笑みで応じた。
「あたしは当然、クオノを守るわよ。ここで
一方、エメテルは緊張気味に頷いた。
「こんな重大な問題を、フェアリアンの私が選択するなんて、なんだか恐れ多いですけど……でも、こういうときのために生まれたんだとしたら、私、頑張ってみせますっ」
三者三様の答えに、ドゥーベは顎を撫でた。その仕草で、機械がきしきしと軋むような音を音声入力に拾われる。
《足掻けばこそ、もたらされる光明もある、か――》
そして大男は、静かに見守っていた小柄な女性と頷き合った。
《よかろう。ならば私も〈アグリゲート〉に生きる者として応えよう》
そう言って、ドゥーベは自らの仮面に指をかけた。
何をしようとしているのか、第九分室の三人は固唾を呑んで見守る。
仮面の固定器具が外され、その下の素顔がモニターに晒される――
直前。
映像がいきなり激しく乱れ、通信さえも途絶してしまう。
画面を注視していたルセリアが、「んあ」と奇妙な声を洩らした。
「何? なんで切れたの?」
「えっと……わかりません。宿舎の回線は問題なしです」
「じゃ、問題が起きたのは向こう?」
ふたりが目を合わせたまま不思議がっていた、そのとき。
凄まじい爆発音の波が宿舎に押し寄せてきた。
「わきゃっ」
音に敏感なエメテルが飛び跳ねる。
続いて、建物を小刻みに揺らす振動が到来した。
ルセリアはエメテルに駆け寄り、頭を覆うように抱き寄せる。
揺れが収まらない内から、イナミはオフィスを飛び出して二階へと上がった。リビングのガラス戸を開け、ベランダから外の様子を確かめる。
「何が起きて……?」
都市の中央部で猛火が揺らめき、黒煙が空へと立ち昇っている。
〈アグリゲート〉の象徴、〈セントラルタワー〉で爆発が起きたのだ。
追いついてきたルセリアが愕然と呟く。
「〈ケストレル〉の格納庫がある辺りだわ」
「なんだ、それは」
「空の輸送機よ」
「事故か」
「あの爆発、一機や二機の衝突なんかじゃないわ。なんかヤな予感がする」
ルセリアが苦々しげに呻いた途端に、ふたりのリストデバイスがけたたましい警告音を鳴らした。彼女は『ほらね』という顔を浮かべ、通知を確認する。
ミダス体発生の報せだ。
ふたりの後ろで、エメテルがホログラムディスプレイを投影する。
「〈ハニービー〉の映像、出します!」
「……何よこれ」
虫型偵察機が捉えたのは、亡者の行進だった。
全方位から、大勢の市民が光に誘われる虫のようにふらふらと〈セントラルタワー〉へ向かっている。
十人や二十人ではない。
二百人か、それ以上。
中にはすでに人の姿を失い、醜い怪物と化して駆け出す者も混ざっていた。
「全員から異常熱源反応。ミダス体と断定。先ほどの爆発はやっぱり〈ケストレル〉のハンガーからです。職員が孤立させられた模様」
瞬く閃光と断続的な銃声の残響が、宿舎に届く。
「警備局が交戦開始。ミダス体はタワー内にも侵入してるようです」
無感情に情報を処理していたエメテルが、くしゃっと泣き顔になった。
「た、大変ですよう! ミダス体の大規模侵攻です!」
ルセリアは怯える同僚の肩を抱き、イナミを見上げる。
「ヤツら、どういうつもりかしら」
「ドゥーベ――というか七賢人ならクオノの居場所を知っていると思ったんじゃないのか」
「でも、七賢人全員はあそこにはいないのよ」
首を傾げるイナミに、ルセリアは重ねて説明する。
「一か所に集まったら、お互いに素性がバレちゃうじゃない。仮想空間上の評議会ってヤツで、そのシステム本体がタワーのてっぺんにあるだけ。それが評議会室って呼ばれてるのよ」
「それは一般に知られていることなのか?」
「ええ、割とオープンよ、その辺りは。誰かひとりがそこでシステムの管理をしてるみたいだから、今は多分、ドゥーベがいるんだと思う。そうじゃないと、本部を狙う理由がミダス体にはないもの」
突然、エメテルが「あっ」と叫んだ。
まるで常人には見えない何かを追うように目を動かしながら、彼女は消え入りそうな声で囁いた。
「――ミダス体は本当に評議会室を制圧するつもりなのかもしれません」
「どうして? ドゥーベ関係なくってこと?」
ルセリアが心配そうに彼女の顔を覗き込もうとしたとき、三人のリストデバイスから同時に白ずくめのホログラムが映し出された。
小柄な女性、ベネトナシュだ。
イナミは腕を持ち上げて問いただす。
「ドゥーベはどうしたんだ、ベネトナシュ」
《……彼が、イナミを評議会室に呼ぶようにって》
三人は顔を見合わせた。
都市の中枢で、あの大男が待っている。
《第九分室はミダス体の殲滅に当たるよう、追って指示が出る》
「オーケイ」
ルセリアは戦意剥き出しに〈セントラルタワー〉の方角を睨む。
「あそこには非戦闘員も多いから、急がないと――行くわよイナミ、送ってあげる。エメはここに残ってサポートお願い!」
「……はいっ」
三人はそれぞれ別方向に走り出す。
ルセリアはコンプレッションスーツを装着しに。
エメテルはオフィスのオペレーターデスクへ。
イナミは自室に戻り、デスクの上の黒縁眼鏡をインナーウェアの襟に差し込んだ。
「カザネ……」
今度こそ、地上のどこかで『生きて』いるクオノを守る。
この戦いはその一歩だ。
強張っていた表情が、獰猛なオオカミにも似た険しさへと変貌する。
地下車庫のメンテナンスロボットが、モーターサイクル〈プロングホーン〉を万全の状態で待機させていた。
その運転席に跨ったルセリアが、イナミを手招く。
「後ろに乗って。ど真ん中まで突っ込むわよ」
「……ああ!」
イナミの身体が変異し、外骨格を形成する。
衣服、タクティカルグラス、そして黒縁眼鏡をも取り込んで不離一体と化した。
シャッターが上がり、〈プロングホーン〉は夜の都市へと飛び出す。
クロークとケーブルを風になびかせて。
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