[5-3] 異常熱源反応
建物の影から路地を覗き込む。
ドラム缶に起こした焚き火の周りには、暖を取る浮浪者たちの姿があった。
都市中央部の市民とは、まるで別世界の人間だ。総人口が減少してなお、格差は生じるものらしい。
タクティカルグラス越しに人を覗くと、四角い枠が表示された。路地で毛布に包まっている者は緑色。火を囲んでいる者は黄色と、何かを識別しているようだった。
「この枠はなんだ?」
《ミダス体か否かを、サーモグラフィーで判断してます。欠点として、熱源近くでは正しく計測できませんし、ミダス細胞が休眠状態となってる潜伏体も発見できません。そこは注意してください》
「わかった」
枠は個体識別を終えた後に、ふっと消えた。
イナミとルセリアは、浮浪者たちに見つからないように移動する。
活気というものがまるでない地区で、遠くにいる人の話し声がよく聞こえた。自然と、イナミも声量を落として話しかける。
「すまない。俺たちが終わらせるべきだった問題が今も続いている」
「イナミが謝ることじゃないわよ」
ルセリアはこちらを振り返ることなく答えた。
「本音を言うと、ミダス体の研究してた人たちには色々思うトコあるけどね」
「ああ」
「だけど、機関だってあんたの言うとおり、どういう目的でクオノを保護してるのかはわからないわ。ひょっとするとあたしたちはあんたの敵になるかもしれない」
「……逆だ。俺がお前たちの敵になる、というのが正しい」
「どっちも同じじゃない」
ルセリアはそう笑ったが、イナミは笑わなかった。彼女は「ん」と背後を気にする素振りを見せる。
「まあ、一番腹立ってるのは、今まで何も知らなかったってこと。それも自分のママのことなのに。もちろん、特務官がデリケートな案件も扱うってのはわかってたつもりだわ」
「ルセリア、聞いておきたい。妹がいると言っていたな」
イナミの質問の意味を正確に受け取った彼女は、きっぱりと否定した。
「あたしと同じ髪と瞳の色よ。生まれたての赤ん坊から見てる。クオノじゃないわ」
「そうか……特務官の家庭に溶け込んでいる可能性を考えてみたんだがな」
「それはありえるけど――」
呟き半ばにルセリアは立ち止まり、さっと片手を上げた。『待て』のハンドサインである。
「あそこが合流ポイントよ」
「……周りの建物とは雰囲気が違うな」
建物の奥が何かを吊り下げるための塔になっていて、その屋根には十字のオブジェが立っている。
「教会よ。イナミは神様って信じる?」
「神……? 聞いたことがないな」
「あたしたち人類を創ったり、自然を創ったり、そういう神様が、地上には色々いるらしいわよ。んでもって、人類がこうなってもまだ見守ってくださってるってワケ」
その口ぶりからすると、ルセリアも信仰心は薄いようだった。
教会の壊れた窓から〈ハニービー〉が侵入する。すぐにエメテルの報告が届いた。
《バンテスさんを発見しました。周囲に不審者はいません》
「行くわよ」
ルセリアは教会を指差し、それから手で何かを引き寄せるような仕草をした。駆け出すときは速やかに。
短い言葉とハンドサインを用い、行動は俊敏。
イナミはその後ろについていきながら、彼女がひとりの兵士であることを感じた。
教会の入口に扉はない。
壁に寄り添ったふたりは互いに視線を絡ませて頷く。
「バンテス、来たわ! 特務部第九分室のルセリア・イクタスよ!」
「……入ってこい」
警戒心を露わにした、男の
イナミはルセリアの肩を叩き、自分が先に行くことを示した。本能的に、男の声から危険な気配を感じたからだ。
タクティカルグラスに、壁の向こう側の様子がポリゴン調に示される。その中に人が立っていた。手には何も持っていない。
それでも慎重に教会へ入る。
屋根は一部崩落し、暗い室内に自然光が差し込んでいる。
奥の祭壇が土埃を被っているところを見るに、浮浪者たちも神を信じていないらしい。
何列も並ぶ朽ちかけた長椅子の中に、バンテス・カルロは佇んでいた。タクティカルグラスでは緑色の枠に囲まれている。
画像で見たよりもずっと、眼光に険しさがあった。
「貴様は誰だ。先ほどの声は女だった」
「イナミ・ミカナギ。聞き覚えは?」
「ないな」
表情を崩さないバンテスだったが、ルセリアが姿を見せると、自嘲の笑みを浮かべる。
「まさか、古巣とこのような形で相対するとはな」
それを聞いたイナミは、指をぴくりと震わせる。
ルセリアは今の言葉をさして気にすることなく一歩前に出た。
「あら。特務官の肩書はなくっても、あんたはまだ組織の一員なんじゃない?」
「……かもしれんな」
バンテスはにやりと唇を歪ませる。顎の動きに合わせて、髭が蠢くようだった。
「イクタスと言ったな。ロスティ・イクタスの娘か?」
「ええ、そうよ」
ふ、とバンテスが息を吐き、イナミのほうへ視線を投げかけた。
「特務官がこのような男と行動しているとはな」
「まあね。色々あるのよ」
ふたりのタクティカルグラスを介して、エメテルが囁いた。
《あの。どうしてこの人、イナミさんが特務官じゃないって知ってるんですか? 私は何も伝えてませんけど……》
ルセリアは何気ない態度を装って、イナミにウィンクしてみせる。
イナミもぎこちなく肩を竦めてみせた。
「バンテス。お前はクオノの居場所を知っているのか?」
「知らん。が、あの娘は生きている」
「お前の仲間たちは、お前のように隠れ潜みはしなかった。なぜ、お前だけはこんなところに身を隠して生きてきたんだ?」
「狙われる危険性がある以上、隠れるのは当然だ。あのふたりには家族や恋人という足枷があったせいで、それができなかったようだがな」
ルセリアが「なんですって?」と前に出る。
彼女を目で抑えつつ、イナミは質問を続けた。
「お前だけが知り得ている情報があるんじゃないのか?」
「機関に属さぬ者に話すことではない」
まただ。
バンテスは間違いなく、こちらの素性を知っている。
イナミは呼吸を整えると、あえて大きな声でエメテルに尋ねるのだった。
「ミダス体となっても、人間の体温を維持できるのか?」
《例はありませんが、可能だと思います。変異後に活動を止めてしまえばいいんですから。ただし、普通なら定期検査などで発覚するはずです》
「だが、その検査を逃れるヤツもいる」
《ええ。たとえば、目の前のこの人とかですね》
バンテス・カルロが両腕を広げた。
「何を言っている。誰と話している?」
「こういうことよ」
ルセリアはいきなりハンドガンを引き抜き、バンテスに向けて発砲した。
弾丸は右腕に命中。鮮血が長椅子に飛び散る。
バンテスは大きく仰け反ったものの、傷口を確かめることも押さえることもなく、忌々しそうにふたりを睨む。
「どういう……つもりだ」
嫌味たっぷりに笑みを浮かべたルセリアは、なおも銃口を男から外さない。
「どうしたの? あんたのシンギュラリティでこの銃を奪ってみなさいよ。それができたら謝罪するし、治療費も全額負担するわ」
「……ふん。勝ち誇るなよ、小娘が」
バンテスの顔が、感情の抜け落ちた能面となった。
奥歯を強く噛み締める顎の動きに、何かがかちりと鳴った。
歯に仕込んだ無線スイッチ。
それが何を作動させる物かはわからずとも、イナミは瞬時に武器と判断した。
〈
黒い液体金属が体内から溢れ出て、ダウンジャケットの厚みを押し潰しながら外骨格を形成していく。
だが、バンテスの仕掛けた異変が起きるほうが早かった。
激しい振動が教会を襲う。爆発物が作動したのだ。
天井が大きな瓦礫となって崩落する。ルセリアが作り出した氷の傘は、十分な形となる前に押し潰されてしまった。
敵に向かおうとしていたイナミは、それに気づいて彼女を優先した。
「ルセリア!」
自分の声の余韻がにわかに消える。
〈
やはり、助走をつけたつもりでも勢いは失われていた。身体にかかっていた力が消えてしまうらしい。
身を投げ出すように、イナミはルセリアを押し倒す。
瓦礫が背中を直撃。衝撃が装甲内にまで浸透し、肉体を損傷させた。
「が、は……ッ!」
みしみしと身体が軋み、体表面を走るパルス光がぱちぱちと明滅する。
四つん這いとなったイナミの下で、仰向けになったルセリアが息を呑んでいる。
瓦礫に閉じ込められ、外の様子が見えない。
バンテスの引きつったような笑い声が辺りに響いている。逃げていないらしい。
《ルーシーさん、イナミさん!》
「エメ、イナミが助けてくれて――」
《脱出してください! バンテスさん――いいえ、ミダス体が何かしようとしてます!》
「んなこと言ったって……!」
彼女の視線を受けて、イナミは全身の力を入れ――
「お、あぁあッ!」
咆哮とともに瓦礫を押し退ける。
頭上が開けるなり、ルセリアはイナミの肩を抱えるようにして立ち上がった。
「動ける?」
「ああ……問題ない」
バンテスは、いつの間にか赤色の枠によって存在の脅威性を示されていた。
何枚も重なった衣服から、白い硬質の物が飛び出た。
「ひひ、ひひひッ!」
バンテスの哄笑とともに、衣服が内側から引き裂かれる。
白い物は、肋骨だ。
それが昆虫の節足のように蠢いているのだ。
露出した上半身はぱっくりと開き、その体内が空気に晒される。
心臓と肺以外の内臓は欠落していた。
代わりに納められていたのは機械の部品だ。それらが宙に浮かび上がって、見る見るうちに組み立てられていく。
念動能力が残っているのではない。
体内から繊維状の触手が飛び出して、部品を掴んでいる。
「させないわ!」
ルセリアが〈
が、バンテスは朽ちた長椅子を触手で掴み上げて盾にした。
シンギュラリティは使用者が視認できる範囲でしか発動できない。つまり、遮蔽物に隠れられると、攻撃は本体に届かない。
耐久度の低い木が氷の針に貫かれて弾ける。
再び姿を晒したバンテスは、『それ』をふたりに向かって構えていた。
ライフルだろうか。形状は
金属製のタンクが銃身の下に取りつけられ、複数のケーブルが接続された。弾倉ではない。
《バッテリー! レーザーライフルです!》
エメテルの悲鳴じみた警告を受けて、イナミはバンテスに飛びかかろうとした。
長椅子の上を渡ろうとしたが、木材がイナミの体重に耐え切れずへし折れる。
それでも距離には入った。〈
「貴様、何を……!?」
驚愕するバンテス。
イナミは無言のまま、男の頭を鷲掴みにする。
向こうもレーザーライフルの銃口をこちらの腹に押しつけた。
発射された光線が横薙ぎに教会の壁を焼く。
埃が光線に触れて爆ぜ、大気も炙られて揺らめく。
レーザーが維持されたのは、ほんの一瞬の間だった。
激しい電力消費でバッテリーが枯渇したのだろう。銃身の排熱口から白煙が吐き出され、レーザーライフルはただのガラクタと化した。
バンテスが「けはは」と笑う。同時に「せらせら」という異音も重なった。
「実験体一七三号! 辿り着いたのは褒めてやるが、この男はもう用済みだ!」
「……何?」
「人間どもの助力を得たのか。まったく、おめでたいな! 人間は恐怖からクオノに銃を向けたというのになァ!」
「……――」
イナミは言葉の真偽に惑わされた。
しかしすぐ、目前のミダス体に対する敵意を取り戻す。
体中から集めた生体エネルギーを変換。手のひらから一気に放電した。
男は「くひゃひゃ!」と笑いながら、身体をがくがくと震わせる。
かつて特務官としてミダス体と戦ってきたバンテス・カルロ。
その肉体は、全身から焼け焦げた異臭を漂わせ、白目を剥き、舌をだらしなく口から垂れさせる、醜い末路を迎えた。
本来の肉体の持ち主は、ずっと以前に死んでいる。イナミは気に病むことなく、内心、悪態をつく。
――くそッ、どういうことだ……?
背中から白い煙が吹き上がる。
呼吸を整えようと努めたのだが、却って息苦しさが増しただけだった。
消耗がやけに激しい。
「イナミ?」
声に振り向くと、ルセリアが顔を青ざめさせていた。
外骨格内のタクティカルグラスからも、エメテルの震え声が伝わる。
《あ、ああ……そんな……》
どうしたふたりとも、という問いかけが声にならなかった。
ルセリアが恐る恐るイナミを指差す。
「お腹……」
――腹?
見下ろす。脇腹が切断され、煙がゆらゆらと立ち昇っていた。
腹に力が入ると、血液が滝のように流れ落ちる。
レーザーの直撃を受けたのだ。
――ああ、道理で。
パルス光の輝きが消える。
足に力が入らず、その場に崩れ落ちる。
「い、イナミ!?」
取り乱したルセリアが駆け寄ってくる。
それを止めたのは、エメテルの鋭い叫び声だった。
《ルーシーさん、ダメです!》
「エメ、早く救急要請を――」
《ミダス体がまだいるんです! 見てください!》
「そんなのどこにも、いな……」
ルセリアがこちらを見た。まばたきで涙が溢れ、頬を伝う。
「どうして?」
「そういう……ことだ……」
イナミの身体に異変が起き始めていた。
レーザーに切開された傷口が、沸騰する液体のように泡立つ。
その中から白い固形物が生え伸び、骨を形成。
臓器や血管がのたうち回りながら絡み合い、その上から体組織が覆い被さる。
この再生現象はまさしく――
《ルーシーさん》
エメテルの声は、感情を封じ込めようと努めるがあまり、不自然な硬さだった。
《イナミさんから、ミダス体と同じ異常熱源反応を検知してます》
「え、液体金属なんでしょ? それが熱を出して――」
「そうじゃないんだ」
イナミは頭をかすかに動かし、苦しげに声を絞り出す。
「すまない、ルセリア。俺は……」
今まで説明してきた『液体金属』などという技術は、存在しない。
イナミ――実験体一七三号は
殺されても文句は言えまい。
なぜなら、ミダス体と同じ技術によって生まれた生物兵器なのだから。
失血と再生による消耗で、意識が
傷口から流れ出た血液も泡立ち、ぱちぱちと火花を立てながら蒸発していた。
それを見たルセリアが何かに気づき――
耳元でもエメテルが何かを言って――
意識が途切れる寸前に見たのは、この呪われた身体を抱え起こそうとする少女だった。
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