[5-2] あれは確かに『誰か』だった

 イナミとルセリアは自動車でスラム地区の手前まで向かい、そこでバンテスからの返答を待つことにした。


 車のセンターコンソールに平面地図のホログラムが浮かび上がる。

 地理を把握するため、オフィスに残ったエメテルから送られてきたデータだ。


 それをふたりで覗き込む。ルセリアはコンプレッションスーツの上にくたびれたコートを羽織っていた。


《ここにいるのは、ほとんどが浮浪者さんです》


「浮浪者? 住む場所は多そうだが」


 とはいえ、倒壊している建物も多く見受けられる。古い家屋ばかりだ。


《正式な所有者さんではないですからね。初めは管理されてたんですけど、急にできた社会システムに順応できなかったり色々あったりな人たちが集まって、手つかずになったとか。食糧物資の配給は続いてるみたいです》


「どうしてこんなところに、バンテスは潜伏しているんだろうな」


《ここなら監視から逃れられるからでしょうね。たまに〈ハニービー〉が巡回する程度です。あ、これが現在のバンテスさんになります》


 上空から撮影されたバンテス・カルロの写真が表示される。

 物陰から物陰へと移動するところを、偶然捉えたものだ。


 だが、特務官時代からの変貌に、イナミとルセリアは画面へと顔を近づける。


 ドレッドヘアはぼさぼさとなり、髭は伸び放題。薄汚れたサングラスで目元を隠していた。古びた衣服を重ね着しているが、下半身だけは動きやすい薄着だ。


 ルセリアが感心して頷く。


「よく、こいつがバンテスだってわかったわね」


《鼻と頬の骨格が一致したので》


 さらりと言ってのけるエメテルだが、その声の調子は暗い。


《固定端末の位置を割り出すことはできませんでした。多分、情報を洩らさないように改造したんだと思います》


「……力で物事を解決するだけじゃない、ベテランの特務官ってことね」


《メッセージは送りましたが、伝わってるかはなんともです。警備局の鑑識さんのレポートによると、デクスターさんのデバイスには通信記録が残ってたそうです。もしかしたら、ミダス体はデクスターさんを騙って接触しようとするかもです》


「先回りできてればいいけど」


《といっても、〈ハニービー〉が撮ったのは三日前なんですよね……》


 エメテルの不安そうな声を聞いて、ルセリアが溜息をつく。


「とことん用心深い人ね。ま、それだけの情報を持ってるんだろうけど。あたしたちがきっちり保護しなきゃ」


「しかし、今は待つしかないな」


 イナミはシートに体重を預け、フロントガラスの向こうへと視線を向ける。


 地区の境界を示す物か、トタン板の柵が設置されている。その先の道路の舗装はすっかり剥がれていた。


 それを見て、旧市街地の光景をかすかに思い出す。次いで、どこからともなく現れたミダス体の群れを。


「バンテスのシンギュラリティはなんだ?」


念力サイコキネシスです。それで重火器を自在に操ってたとか》


「ミダス体に襲われて、敵になったら厄介だな」


 イナミの何気ない言葉に、エメテルのきょとんとした間があった。


《ああ! その心配はありませんよ。ミダスタッチを受けると、シンギュラリティは消えちゃうんです》


「そうなのか?」


《変異の過程で、脳の回路が全く別物になっちゃうんだと思います。不思議なことじゃないんですよ。事故とかで頭部に強いショックを受けると、今まで使えた力が消えちゃったり、逆に目覚めたりしまして》


 その横から、ルセリアが口を挟んだ。


「変異したデクスターはシンギュラリティなんて使わなかったでしょ? あの人、自分の身体にかかる重力を操作できたのよ」


「なら、その場合の任務はただのミダス体の抹殺に変わるだけだな」


「それって割と最悪の事態だけどね」


 やり取りの後で、突然、ルセリアがおかしそうに唇を歪める。

 黙って笑う彼女を加減に思ったイナミは首を傾げて尋ねた。


「どうした」


「なんでもないわ。ええ、本当に。任務には関係のないことだから」


「なら、いいが」


 イナミは車内の天井を見上げた。


 気になることがあった。脳機能拡張実験によって覚醒したクオノの力も、変異によって失われるのだろうか。

 その可能性がある以上、ミダス体がクオノを確保したとしても――


 同じことを考えていたとしか思えないタイミングで、エメテルが話しかけてきた。


《あの、イナミさん。クオノさんの能力についてお訊きしたいんですけど、有効距離はどの程度か知ってます?》


「いや。あいつの力自体、俺が体験した限りでの推測だ。もしかしたら、本来はもっと別の使い道があったのかもしれない」


《そうですか。いえ、これはお話しようか迷ったんですけど……同じく十一年前、原因不明のシステム障害が起こってるんです》


「なんのシステムだ」


《――の、です》


 エメテルは一語一語を強調するように繰り返した。


《都市全域のありとあらゆるシステムが、制御不能に陥ったんですよ》


「それをクオノがやったのか?」


《……わかりません。でも、あの誰にも説明できない障害がクオノさんによって引き起こされたものなら――もしかしたらそのとき、私、会ってたかもしれないんです》


 イナミはセンターコンソールに身を乗り出す。


「どういうことだ?」


《ちょうどデータバンクに潜ってたんです。それで、誰かが私の前に現れて……すぐにどこかに行っちゃいました。大人の人たちには障害を感じ取ったんじゃないかって言われました》


 エメテルは、しかし、熱を帯びた声色で訴えた。


《でも、他の子たちも同じ『もの』を感じたみたいなんです。障害なんかじゃありません。あれは確かに『誰か』だったんです。誰だったんだろうって、今までわからないままで……》


 それがクオノだったとしたら、なぜ都市のシステムを乗っ取ったのだろう。


 考え込んでしまうイナミに代わって、ルセリアが明るい声で尋ねた。


「十一年前って、エメ、四歳でしょ? データバンクなんかで何やってたの?」


《童話読んでただけですよー。復元されたてほやほやのです》


「へー。それはちょっと羨ましいわね」


《ルーシーさんも童話読んでたんです?》


「……『も』って何?」


《あは、あんまりイメージになくて》


「あたしにだってそういう頃もあったわよっ」


 培養槽からこの姿で生まれたイナミには踏み込めない話題だった。


 しかし、感じることもある。

 自分にとってはほんの数日前に訪れた世界でも、彼女たちにとってみれば遥か昔から続く世界なのだということを。


 その世界を、ミダス体――ナノマシン群が作り変えようリアセンブルとしている。


 イナミはいつしか暗い眼差しでスラム街を睨んでいた。


 気配の変化を、そばにいるルセリアは敏感に気づいたようだ。


「今から気を張り詰めてたら参るわよ」


「そう……だな」


 歯切れの悪いイナミに、ルセリアは「んー?」と身を乗り出す。シートベルトがクロークの上から胸に食い込んだ。


「あんた、なんか隠してない?」


「そんなことはない」


「わかるのよ。シンギュラリティ能力者はね、勘が鋭いの」


 琥珀色の瞳に見つめられると、本当に何もかもが筒抜けだという錯覚に陥る。

 それでも、イナミはあくまで黙秘を貫いた。


 ルセリアは眉を寄せたものの、あっさりと身を引いた。


「話したくないなら、別にいいけど」


「……すまない」


 弱々しい謝罪に、彼女は驚いた様子で向き直ろうとした。


 そのときにはすでに、イナミは窓の外に視線を向けていた。


《あのう》


 エメテルが申し訳なさそうに口を差し挟む。それから、《こほん》と軽く咳払いをして、落ち着いた声色を作った。


《先に見つけられたらと思って〈ハニービー〉を投入してたんですけど、無駄になったみたいです》


「どういうこと?」


 さっと態度を切り替えたルセリアに先を促され、エメテルは報告を続ける。


《今しがた、バンテスさんから返信がありました。すみません、かなりの数を警備局からお借りしたんですけど……》


「いいのよ。それだけ、向こうは隠れるのが上手ってことなんだから。それで、なんて返事だったの?」


《オドネルさんが亡くなったことはご存知だったようで、機関の保護下に入ることを承諾してくれました。おまけに、合流ポイントの指定まで受け取ったところです》


「ここから遠い?」


《いえ、十数分以内に着けるかと。徒歩で行ける距離です》


「オーケイ」


 セダンから降りるルセリアを追って、イナミも外へと出た。


「車で行かないのか?」


「こんな綺麗な車で行ったら取り囲まれるわ。物乞いか強盗か。それに、道路のど真ん中で焚き火をやってるみたい。ほら、煙が見えるでしょ」


 彼女の言うとおりだった。まだ夜が明けきっていない薄暗い空に、黒煙がいくつもたなびいている。


「足のほうが行くのも帰るのも早いわ」


「なるほどな」


 セダンから離れて一定距離に達すると、オートロックが作動する。万が一、車上荒らしに遭っても、バスケトの自動運転で逃走できるだろう。置いていくことに不安はなかった。


 ルセリアは、ベルトに装着したポーチから眼鏡のような器具をふたつ取り出した。その片方をイナミに手渡す。


「タクティカルグラスよ。レンズに情報を出せるし、通信機にもなるわ。液体金属の邪魔になるかしら」


「問題ない。併用できる」


「それと、余計な心配かもしれないけど、ミダス体が出たら気をつけなさいよ」


「何を?」


「……何をって」


 ルセリアはやれやれと肩を竦め、自らもタクティカルグラスを装着した。


「シンギュラリティと違って、あんたの液体金属はただの技術、物でしょ。ミダスタッチを受けたら利用されるかもしれないじゃない」


「……そうだな」


 ミダス体との交戦経験は、もう浅いとはいえないほど積んでいる。

 にもかかわらず、イナミは初めてその危険性に気づいたように、狼狽して頷いた。


 その仕草をじっと見つめるルセリアは、レッグホルスターに納めたハンドガンを指で軽く叩いてみせた。


「ちょっと大丈夫? いざってときの用意はしときなさいよ」


「ああ、もう問題ない。任せてくれ」


「……頼んだわよ」


 と言いつけて、ルセリアはスラム街へと入った。

 ブーツが荒れた舗装を踏みつけ、じゃり、と音を立てる。

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