第5章 選択
[5-1] もうひとりの犠牲者
起き抜けのルセリアがようやくオフィスに現れた。
寝間着にカーディガンを重ねた姿の彼女は、壁面モニターにドゥーベとベネトナシュが映っていることにぎょっとして、そそくさとソファに座る。
先に座っていたイナミは、彼女にひそひそ声で尋ねられた。
「何事?」
「俺も詳しくは聞いていない。が、エメテルが何か突き止めたらしい」
「突き止めたって、エメ――」
ルセリアの問いかける視線に、モニターの前に立ったエメテルが小さく頷く。
「デクスターさんがミダス体に襲われた、その理由がわかったかもしれないんです」
毅然と告げてから、身を寄せるイナミとルセリアのふたりに首を傾げた。
「……あれ、なんだか仲よさげですね」
ルセリアは黙って距離を取った。
イナミも取り立てて反応せず、じっとエメテルを見上げる。
「特務官がクオノに関わっていた、というのはどういうことだ」
「このお話をするには、七賢人様に立ち会っていただきます。よろしいでしょうか、ドゥーベ様、ベネトナシュ様」
画面の中で、ベネトナシュが大男のほうを仰いだ。
七賢人はひとりひとりが独立した判断基準を持っている、という話だが、この件はドゥーベが主導しているようだった。
《よかろう。聞こうではないか、エメテル・アルファ》
エメテルは
「まず前提として、クオノさんは地上に漂着してます」
イナミは膝の上に乗せていた拳をぐっと握り締める。
「やっぱりか……」
「イナミさんのお話では三、四歳とのことですが、現在は十四、五歳。私たちと同年代の女性に成長してるはずです」
「浮上したのは十一年前ということか」
「データバンクに漂着物の記録はありません。ですけど、天文台には観測ログが残ってました。何もない宇宙空間に、突然現れた物体。イナミさんのときと全く同じです」
彼女はひと息つく合間に、ドゥーベを窺う。
大男は身動ぎひとつしていない。肯定も否定もせず、沈黙を保っている。
イナミは七賢人を睨みながら、口調の上では冷静に尋ねた。
「ふたりの特務官が殺されていると言っていたが」
「デクスターさんのもとにミダス体が現れた理由を考えれば――線が見えてくるという程度の推測ですけどね」
エメテルはそばにいるふたりへと顔を向けた。
どちらかといえば、ルセリアのほうに。
ルセリアは不可解そうに小首を傾げる。
「推測って?」
「漂着物回収のミッションレポートは抹消されてました。辺境警備隊と技研の派遣隊が出動したのは間違いありませんが、その他に、特務部が居合わせてたと思われます。ちょうどその時期、都市内の活動が確認できない人々がいました」
「ちょっと待って」
ルセリアが困惑気味に手を挙げて制止する。
「そのひとりがデクスターってこと?」
「そうです。丸ごと消えてたのは当時の第二分室です」
「それってまさか――」
ルセリアが急に口を
エメテルは黙って頷いた。
ふたりはなんらかの結論に辿り着いたようだが、イナミはまだわかっていない。
「デクスター以外に、どんな特務官が所属していたんだ?」
「配属されてたのは四人です。まず、ジヴァジーンさん。成長期に技研のサイボーグ手術を受けた人で、重火器のスペシャリストでした」
エメテルは、デスクのホログラムディスプレイに男の写真を投影した。
相貌に、イナミは息を呑む。
ミューテーションの影響が濃い、クロヒョウの頭を持つ男だ。
「ジヴァジーンさんは漂着物回収の数週間後に
「こいつがもうひとりの犠牲者か?」
「どうでしょう。三人目である可能性は高いかも、ですが」
エメテルは次に痩せた男を映した。
ドレッドヘアで、無精髭を生やした浅黒い肌の男である。
「この人はバンテス・カルロさん。機関を去り、今はスラム街に潜伏してます」
ドゥーベが初めて《むう》と唸った。
《この短時間で、そこまで探り当ておったか》
「〈ハニービー〉の映像から人相検索をかけてみただけです」
七賢人を驚嘆させたことで自慢げに胸を張るエメテルだったが、すぐに浮ついた表情を引き締める。
「こちらが先日殺害された、デクスター・オドネルさん」
オールバックに整えた髪と、精悍な顔立ちの男だ。
死後ということもあるが、先日見た男の顔には皺がいくつも刻まれていた。十一年もの歳月が立っているのだ。変わっていて当然である。
エメテルはわずかに目を伏せて続けた。
「最後のひとりは――」
ホログラムディスプレイに、女性の顔が投影される。
ブルネットの髪に、琥珀色の瞳。理知的な美人である。
イナミは思わず身を乗り出すように写真を凝視した。
「似ている。いや、まさか……」
「そのまさかだわ」
ルセリアが俯いて言った。
「ロスティ・イクタス。あたしのママよ」
イナミは弾かれたように彼女を振り返った。
昨晩、
『三年前』『現場はショッピングモールだった』『ミダス体に囲まれて』『血まみれに』『まだ意識が』『殺したんじゃない。守ったのよ』
ルセリアは自分の身体を抱き締め、声を震わせた。
「あの襲撃はママを狙ったもので――それで大勢が巻き添えになったの?」
「調べてみると、関係者の多くがミダス体の犠牲になってます。脳の情報を盗んで、クオノさんの居場所を突き止めようとしてるのかもしれません」
「だけど、ママはあたしが……!」
ルセリアが訴えるように顔を上げた。
ミダス体からすれば、娘の存在は誤算だったに違いない。ロスティ・イクタスから情報を引き出す前に阻止されたのだから。
エメテルは、この問題を把握しているはずの機関上層部を、意を決したように見つめた。
「ミダス体は『じきに見つける』と言ってました。クオノさんの居場所を知ってるなら、デクスターさんを襲いはしないでしょう」
イナミは腕を組み、低く唸った。
「とすると、生き残っているバンテス・カルロが危険だな」
「私たちはミダス体に先回りして、バンテスさんを保護すべきだと考えます。彼に、危険が迫ってることをお知らせできませんか、ドゥーベ様」
《可能だが、即座に、とはいかん》
ドゥーベはあっさりと答えた。それは、真実に辿り着いた者を受け入れる態度のようにイナミには思えた。
《あやつは通信機の
「じゃあ、直接会うしかないんですか?」
《デクスター・オドネルとは固定通信端末を用いて情報を交換しておったと聞く。そこへ警告を送信するがよい》
端末番号を受け取ったエメテルが、左耳のカフを指先でつまむ。すぐにメッセージを送ったのだろう。
《あやつも特務官。汝らと合流するまで己の身は守れるはずだ。この一件、第九分室に任せるとしよう》
「了解しました」
背筋を伸ばし、胸に拳を当てて敬礼したエメテルは、ふと後ろを振り返った。
「すみません、ルーシーさん。突然こんなことをお伝えして――」
「いいのよ、エメ」
ルセリアは深く息を吐くと、凛とした目で同僚を見つめ返した。
「大丈夫。今はもう、あたしが特務官なんだから」
「俺も同行させてくれ」
イナミはふたりの少女を交互に見てから、七賢人に説明する。
「バンテスを問い詰めようなんて考えてはいない。目下の危険を排除することは、クオノを守ることにもなるはずだ。戦力は多いほうがいいだろう?」
イナミのアイコンタクトに、ルセリアは頷いた。
「ドゥーベ、あんたが命じたのよ。特務部第九分室はイナミを監視しなきゃならないって。ここに置いてくワケにはいかないわね。エメにはもうひとり分のサポートをお願いすることになるけど、いい?」
「どんと来いです。人数が増えたところで、支障はありません」
ドゥーベが今、どんな表情をしているかは、誰にもわからない。
ただ静かに三人を眺めてから、穏やかに答えるのだった。
《よかろう。イナミ・ミカナギの同行を認める》
その返事を聞いたルセリアとエメテルが顔を綻ばせた。
イナミは知らず知らずのうちに拳を握っていた。非常時の出撃ではない。無軌道の奔走でもない。初めての組織的行動だ。
「感謝する、ドゥーベ。ベネトナシュも」
ずっと沈黙していたベネトナシュはこくりと頷く。
彼女は、ドゥーベの大きな身体に隠れ、まるで幽霊のようだった。
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