[4-7] 事態は急を要しますっ

 リストデバイスから、ぴ、と電子音が鳴る。


 寝息を立てていたエメテルは、その短音でむくりと身体を起こした。


 彼女の〈並走思考パラレル・プロセッシング〉は、正確にはシンギュラリティではない。フェアリアンとしての能力なのだ。

 だから、脳の大部分を眠らせながら、ある部分は働いたままで――


 というわけで目覚めは速かったが、その大部分が稼働を始めるまで、エメテルは寝ぼけまなこで虚空を見つめるのだった。


「うー……」


 サイドテーブルのリストデバイスを手繰り寄せる。


 保護者からプレゼントされた物で、ハイエンドモデルだが、エメテルの華奢な腕にはやや重い一品である。


 本体横についている時刻表示ボタンを押すと、暗闇にホログラムディスプレイが浮かび上がった。


 〇四三一マルヨンサンヒト時。

 あと少しで約束の時間だ。


 まばたきをぱちりと一回。幼さを残した面立ちが引き締まった。


 温もりの残るベッドから抜け出し、もこもこスリッパに素足を入れる。


 さらには小柄な身体には大きすぎる綿入りの上着を羽織った。これは、遺物の記録媒体を参照して復元されたハンテンという衣服だ。


 最後にイヤーカフを装着し、音を立てないように廊下へと出た。


 主人の起床に合わせて、バスケトが照明や暖房を作動させる。


《おはようございます、エメテルお嬢様》


《おはよう、バスケト》


 ふたりの会話は声を要さない。

 イヤーカフは脳とコンピューターを繋ぐ翻訳機のようなものだ。これのおかげで、エメテルはバスケトとの意思疎通が図れるのである。


 一階オフィスに入り、オペレーターシートに着く。黒革は冷たかったが、次第に気にならなくなるだろう。


 執務卓の形をしたコンピューターが起動し、排気ファンの回転音が木霊する。


 思考とシステムが同期。

 カフに変換された信号が視覚に伝わり、現実には投影されていない情報ウィンドウが視界に表示される。


 チャットプログラムを起動すると、約束の相手はすでにルームで待っていた。


 グリッドラインだけの白い立方体世界。

 こちらのアバターは『赤ずきん』。

 相手は『フクロウ』だ。止まり木に立っている。


《待たせてごめん》


《平気。過去の観測データを閲覧したいって、データバンクのじゃダメなの?》


《ダメ。そっちに保存されてる生のデータを閲覧させてほしいの》


《特務部の任務?》


《……半分はそう。だから、詳しく言えない》


 長い沈黙。


 相手はエメテルと同一遺伝子を持つフェアリアンであり、宇宙漂流物の動きを監視する天文台の職員でもある。


 辛抱強く待ち続けるエメテルに、フクロウは片翼を広げてみせた。


《変なことはしないように。許可出しておいたから》


《わあ、ありがと! 今度、新作のポテチ差し入れるよ! あのねあのね、発酵させた魚の内臓の――》


《それはいい。じゃ、私は寝るから》


 用件は終わったとばかりに、フクロウは空へと消えていった。


 エメテルは頬を膨らませて見送る。


 が、すぐに額を殴られたような衝撃に襲われた。

 チャットルームに滞在したまま天文台のデータベースに没入し、その膨大なデータ量に眩暈を起こしたのだ。


 天文台は、完璧な状態で残っていた遺物を再利用している。

 宇宙進出時代、地球圏外の観測は月面施設や衛星などに任されていた。そのため、地上の天文台は数を減らしていたのだが――


 現在では主に、漂流物の追跡を目的として運用されている。


 当然、地球は自転しているので、常にひとつの漂流物を監視するのは不可能だ。

 一日に数時間、漂流物の座標を割り出して、前回の観測からどれほど移動したかを調べるのである。


 そのデータは、天文台が稼働してから何十年分も蓄積されていた。


 エメテルはチャットから抜け、データベースに集中する。


 数字を追っていくうちに、頭には飛び石の軌跡を描く漂流物の天球儀が浮かんだ。


 まず、イナミが乗っていた脱出ポッドの記録を見つけた。

 コンピューターの警告まで残っている。


『未確認漂流物の発生』


『〈アグリゲート〉近辺に漂着する可能性大』


 後半は都市の危機に関わるものだ。

 天文台職員が報告するよりも早く、コンピューターは七賢人に知らせただろうことが容易に想像できた。

 これは異常なケースである。


 だからこそ、も見出せるだろう。


 イナミについて調べているのではない。

 クオノの脱出ポッドを探しているのだ。


 同様に亜空間から浮上したのなら、そのときの記録が残っているはずだ。


 ただし、同様の警告が生じるケースはいくらでもあった。漂流物同士の衝突によって破片が発生しても、そのように報告されるからである。


 そこで今度は、位置座標と照らし合わせなければならない。

 見つけるべきは真に『何も存在しない空間に現れた』という漂流物だ。


「よしっ」


 エメテルはバスケトとともに警告ログと位置座標を同時に参照していく。

 最も新しい記録、イナミの脱出ポッドから過去へと遡る。


 一年前、二年前、三年前――


 五年ほど辿ったところで、クオノはまだ亜空間を漂っているのではないか、という可能性を検討する。

〈ザトウ号〉は少なくとも人類がミダス体と初めて遭遇した百年以上前で、イナミは最近。タイミングはばらばらである。


「あまり考えたくないけど……」


 地上が〈大崩落コラプス〉に見舞われている最中に漂着している可能性もあるわけで。


 めげずに作業を続ける。

 六年前、七年前、八年前――


 十年まで進んでも、それらしい漂流物は見つからない。あるいは七賢人が手を回した後なのかもしれない。天文台に手がかりが残っていると考えたのは浅はかだっただろうか。


 と、自信を失いかけ、十一年前。


 エメテルはシートから立ち上がり、デスクに勢いよく手をついた。

 身を乗り出したところで視界に移されているだけの情報ウィンドウに近づけはしない。

 そして、その表示が遠のいて消えることもない。


『未確認漂流物の発生』


『〈アグリゲート〉近辺に漂着する可能性大』


 同観測時刻において、周囲に漂流物は存在しない。

 ということは、衝突によって発生した物体ではない。


「あ、あ……」


 エメテルは崩れるようにシートへ座り込み、嬉しさのあまりに万歳をする。


「あったあ! 十一年前! クオノさんは漂着してた!」


 まだ早朝だということも忘れて叫ぶ。

 そんな彼女の顔が、口を開いたまま突然凍りつく。


「あれ」


 

 そのワードはすでに、エメテルの記憶に刻まれていた。


 糸を手繰り寄せるうちに、情報が形作る世界へ呑み込まれていく錯覚に襲われる。


 この感覚を、エメテルたちフェアリアンは『森に入った』と表現していた。

 様々な情報が幹や枝、葉となり、木のイメージへと成長する。

 周りを見渡すと、他にも似たような、それでいて異なる木に囲まれているのだ。


「ああ……」


 エメテルはふらふらと立ち上がった。

 まばたきひとつ。彼女の感覚は現実世界へと引き戻される。


「は、早く知らせなくっちゃ……!」


 足取りがおぼつかない。

 ぱたぱたとスリッパの音を立てながら、二階へと駆け上がる。


 そこへ大きな影が立ちはだかった。

 驚いてよろめいたところを、影が咄嗟に腕を掴んで支えてくれる。

 インナーウェア姿のイナミだ。


「どうした。何か叫んでいたようだが」


「イナミさん――ちょうどよかったです! 七賢人様をお呼びできますか?」


 背伸びをして顔を近づけると、その分だけイナミも後ずさる。


「こんな早くにか?」


「事態は急を要しますっ」


 エメテルは深く息を吸ってから、はっきりと断言した。


「すでに、クオノさんに関わった特務官が殺されてるんです!」


 そのひと言で、ぼんやりとしていたイナミの表情が硬化した。

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