[3-10] あたしたちはまだ生きてる

「七賢人との取引は――」


 イナミは、特務部第九分室のオフィスで耳を傾けるルセリアとエメテルのふたりにこう締め括った。


「液体金属の技術を表沙汰にしない。クオノの捜索も協力する。その代わり、機関の意向に従え、というものだった」


 手の中のマグカップはすっかり冷めていた。


 話している間、ずっと黒い液体を覗き込んでいたイナミは、そこで初めて顔を上げた。


 ルセリアは沈痛な面持ちでこちらを見つめている。


 一方、エメテルはというと――


「うう……ぐすっ」


「……なぜ、泣いている」


「だってだって、いくらなんでもあんまりじゃないですかっ!」


 シートから勢いよく立ち上がり、拳をぐっと握り締める。


「私にも捜索をお手伝いさせてください! 私の〈並走思考パラレル・プロセッシング〉にどんとお任せあれ! 市民情報を洗いざらい調べることだってちょちょいのちょい――」


「エメ、鼻水」


 呆れ顔のルセリアが箱を差し出す。エメテルが雑にティッシュを取って『ちーん』と鼻をかむのを横目で見ながら、


「それからエメ。さっき『なんでこいつを連れてきたのか』って言ってたわよね?」


「え? なんのことです?」


「『イヤ』とか『怖い』とか」


 目元を拭ったエメテルは、まだすんすんと鼻を鳴らしながらも、比較的落ち着いた様子でイナミに向き合った。


「ところで」


「ちょっと、無視?」


「今のお話について確認させてください」


 エメテルは、腕を組んで口をへの字に結ぶルセリアのほうを見向きもせず、緊張を含んだ声で先を続けた。


「〈ザトウ号〉の船員さんを襲った変異体は、イナミさんよりもずっと昔に地球に漂着してた……ということですが」


 イナミは「ああ」と小さく頷いた。


 それが何を意味するのか、彼女はすでに確信を得ていたようだ。


「ミダス体は〈ザトウ号〉で生まれた変異体だったんですか?」


 ルセリアが肩を震わせ、こちらへと厳しい目を向けた。


 イナミはコーヒーに視線を落とす。


「……そういうことになるんだろうな」


 研究員たちは遥か未来に及ぶ人類の進化を目指していたはずだ。


 にもかかわらず、自らの生涯を閉ざしたどころか――意図せぬ事態とはいえ、人類を大地の片隅へと追いやった。


 なぜ、こんなことになったのだろう。

 せめてあのとき――


「すまない。〈ザトウ号〉で殲滅できていれば、地上の状況もこれほどにはなっていなかっただろうに」


「どっちにしても」


 ひと言目は突き放すような強さだった。ルセリアは大きく吐息をつき、きつく組んでいた腕を解いた。


「〈大崩落コラプス〉で文明は破壊されてたわ。それにあんた、何か勘違いしてない?」


「勘違いだと?」


「あたしたちはまだ生きてる。人間が虫の息みたいに話すのはやめて」


 イナミは懐疑的だった。

 漂着物や怪物におびやかされる世界は、『生きている』などといえるのだろうか。ふと横に目を向ければ、死がいくらでも横たわっているではないか。


 険悪なムードを感じ取ったか、エメテルは肩を縮めた。


「『今』の話をしましょう。ミダス体がクオノさんを探してる理由は――その高度なハッキング能力なんですね?」


「そう言っていた」


 エメテルは「うーん」と唸り、長い耳の右側に着けたカフを指に挟んで撫でた。


「聞く限りでは、シンギュラリティとしてもありえない力なんですよね」


「……そうなのか?」


 彼女はこくりと頷いた。


「シンギュラリティが及ぶのは、自身の肉体か、知覚可能な空間だけです。大きな施設のどこにあるかわからないコンピューターに干渉するなんて……」


 それを聞いたルセリアが問う。


「似たようなことはエメもできるんじゃない?」


「いえ、私はデバイスを介してます。クオノさんが何も身に着けず、何か操作した様子もなく、権限を持たないシステムにアクセスしたのなら、やっぱりすごい『力』なんだと思います」


 ふむ、とイナミとルセリアは同時に唸る。


「あんたの、その、亜空間潜航? ……も聞いたことがない能力ね」


「『潜航』より『跳躍』というほうが正しい。感覚的にもな」


 エメテルが「それなら……」と天井を見上げる。


「仮称として、〈跳躍ジョウント〉と呼びましょうか。正式な名前は後でつくと思いますけど――もう少し詳しいことを教えてもらえますか?」


「そうだな。何度か試したが、跳べる距離は十メートルが限度だ。他にも制限もある」


「連続使用は無理、とか?」


「それは可能だ」


 なんでもないことのように言うと、ルセリアが驚いて訊き返す。


「じゃあ、制限って何?」


「外骨格を纏っている状態じゃないと、服が脱げる」


 ふたりは同時に「はい?」と首を傾げる。


 先にその図を想像したエメテルが、長い耳の先まで真っ赤に染め、両手を頬に当てる。


「は、は、裸になるってことです?」


「ああ。跳べるのは俺自身だけらしい」


 しかめ面を浮かべているルセリアが信じていないのではないかと思い、イナミは真顔で首を傾げた。


「なんなら、やってみせるか?」


「やらなくていいあんたの裸なんて見たかないわよっ!」


 捲し立てた怒声が、オフィスにびりびりと響く。

 その余韻に、却って顔を赤くしたルセリアはぷいと横を向いた。


「……管理外技術のオンパレードね。クオノの力に、あんたの液体金属。〈跳躍ジョウント〉? ……はおまけとしても――ミダス体が目をつけるワケだわ」


「〈デウカリオン機関〉こそ、それが理由でクオノを監禁しているんじゃないのか」


「だから何度も言ってるでしょ。あたしたちは何も知らないわ」


 イナミは用心深く、ふたりの目の動きを探った。仮面で顔を隠している者たちとは違って、少女たちの瞳からは漠然とした感情が読み取れる。


 エメテルは潔白を訴える怯え。


 ルセリアはあからさまな反感を露わにして――むっつりと呟いた。


「七賢人が何か隠してたって不思議じゃないけどね」


「何か知っているのか?」


「知ってるってほどじゃないわ。遺物から回収された技術は、基本的には技研で解析されて、データバンクにも記録されるの。だけど、中には記録されない物もあるみたい」


「『民が触れるには尚早』……」


 七賢人ドゥーベの言葉である。


「クオノもそうだって言うのか?」


「もしかしたらね。そもそも、クオノが漂着してるのかどうかもわからないわよ」


「ミダス体は〈アグリゲート〉でクオノを探している」


「うん、クオノの所在はともかく、あたしたちの問題はそれよ。七賢人は事の大きさを把握してるはずだけど――」


 そこで思案するように間を置いたルセリアは、優しくエメテルに振り返った。


「エメ、上に情報の開示を請求して。ミダス体に好き勝手させてたら、特務官の名がすたるってもんだわ」


「了解です。……機密だったら無理かもですけど」


 最後のほうは小声でつけ加えるエメテルだった。それがオペレーターデスクに向き直る途中で、びくりと肩を震わせた。


「る、ルーシーさん」


「何?」


「七賢人様から通信要請です」


「タイミングがいいわね」


「……よすぎですよう」


 エメテルは怯えた様子で「モニターに出します」と囁いた。

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