[3-8] 世界まで滅ぼすなんて
いつ接近されたのだろう。
イナミが振り返ると、二十メートルほど離れた場所に奇妙な人型軟体生物が立っていた。
全身は白いエナメル質の肌に覆われ、腕がゴムチューブのように揺れている。
目はカメラレンズのように無機質だ。
口はだらしなく開いている。歯も舌もないので、唾液が糸を引いて垂れていた。
それが一体だけではない。同じ姿形をした者が、続々と瓦礫の陰から現れた。
イナミは本能的に危険を察知し、頭部外骨格を纏ったまま話しかける。
「なんだ、お前たちは。人間……ではなさそうだが」
軟体生物たちは互いに視線を交わすことなく同時に、口から『せらせら』と甲高い笑い声を洩らした。
その音の周波数には一定の規則性があることに、イナミはすぐ気づく。
「音響通信だと?」
軟体生物はまたもや一斉に笑い声を止め――イナミへと飛びかかってきた。
敵と認識。バッグをその場に落とし、身構える。
クレーターを背にしているので正面の一体を迎え撃つしかない。放電で麻痺させ、その隙に包囲を突破しよう、と作戦をまとめた。
だが、こちらが触れるよりも先に、顔面を鷲掴みにされる。距離はまだあったが、軟体生物が腕を長く伸ばしたのだ。
イナミは引っこ抜かれるように振り回され、背中から地面に勢いよく叩きつけられた。
痩せ細った外見からは想像できない
倒れたところに、他の軟体生物たちが押し寄せてきた。
ヘビのような腕に手足を拘束され、あっという間に身動き取れなくなってしまう。
引き起こされたイナミは、全身から生体電流を放った。
密着していた軟体生物の白い肌が黒く焼け
が、殲滅には至らない。次から次へと新手に取りつかれて、イナミの生体エネルギーが先に尽きた。非常糧食による補給分が台無しだ。
「くっ……」
多勢に無勢。しかも、軟体生物はイナミに匹敵する身体能力を有している。
こんなのが地上にいるなんて――
再び、激しい眩暈に襲われ、イナミは頭を振った。
幻覚まで現れ始めたようだ。こちらの足掻く様を観察していた個体の姿が、見覚えのあるものに変わっていく。
白い表皮に陰影が浮かび上がり、人の顔や毛髪、身体が形成されていく。
女性的な膨らみの上に、全身を覆う分厚い衣服が浮かび上がった。――気密服だ。
いや、いくらなんでも、おかしい。
イナミは懸命に目を凝らした。
幻覚などではない。現実に、軟体生物が変化している。
最終的に、イナミの目の前には黒髪の女性が立っていた。
「か、カザネ……!?」
死んだはずのカザネ・ミカナギ。
彼女は生前には見たことのない薄ら笑いを浮かべた。
「久しぶりね、イナミ」
声まで同じだ。
呆然としているイナミに、軟体生物たちが『せらせら』と笑う。
「まだわからないの? あなたたちが亜空間から抜け出せたのなら、〈ザトウ号〉も抜け出せて不思議はないでしょう?」
〈ザトウ号〉の存在とその末路を知っている。
ということは、イナミに纏わりついている軟体生物たちは――
「まさか、実験体か!?」
正解だったようだ。変異体は安定した自我を保っているように見える。不快そうな表情をも作ってみせた。
「実験体なのはあなたも同じでしょうに」
やはり、イナミたちは確かに一度、亜空間に呑み込まれたのだ。
そもそも『閉じられた亜空間からは脱出できない』という言説は理論的に証明されていない。
それを皮肉にも、イナミたちが『脱出できる』と実証してしまったようだ。
エネルギー波は亜空間内を掘り続け、想定されていない出口を作り出してしまったのである。
その事実に打ちのめされながらも、イナミは険しい声で問いただした。
「なぜカザネの姿をしている」
変異体は特別なことはしていないという態度で話す。
「船員たちの身体を使って自己複製を繰り返すうちに、気づいたのよ。脳に刻まれた記憶や人格をデータとして抽出できる、とね。その意味がわかるかしら?」
イナミが黙っていると、変異体はあからさまに溜息をついた。
「記憶や人格を集積すれば、膨大な情報ネットワークになる。
「要するに、『寄せ集め』か」
目の前の変異体は、そのマインドバンクとやらに保存されているカザネの人格を再現しているに過ぎないらしい。
「なるほど。だが、質問の答えにはなっていない」
「答えているわ」
イナミは自由の利かない手を軋むほど強く握り締めた。
「カザネの身体に手を出したんだな?」
「少し誤解しているようね。彼女は私たちの一部となって生き続けているのよ」
そう言って、変異体は微笑んだ。カザネそっくりに。
「死後経過で記憶はかなり欠落していたけれど、あなたを知るには十分だった。クオノのこともね。なかなか興味深い実験体だわ」
全身から血の気が引く。
マインドバンクを形成した変異体が、高度なハッキング能力を持つクオノを支配しようとしている。
大惨事が起きるのは確実だ。
「〈ザトウ号〉の船員はほとんど死んだはずだ」
「残りも片づけたわ」
「だったら! お前たちの敵はもういないだろう! これ以上、何をしようって言うんだ!」
イナミは拘束の中で暴れるが、より強い力で押さえつけられた。
変異体は微笑を絶やさず、聞き分けのない子供を諭すように話す。
「新しい世界を作るの」
「……世界?」
「ええ。あなたもそこの残骸は見たわね?」
市街地を壊滅させた大型船のことだ。
イナミの無言は肯定として相手に伝わった。
「人類同士で滅ぼし合った結果よ」
「戦争か? 聞いたことがないぞ」
「私たちが生まれた時代には、ね」
変異体は空を仰いで、息を吐いた。
「あなた、二百年もの間、亜空間に閉じ込められていたのよ」
「何を言っている。通過は一瞬だった」
「当然でしょう、亜空間とはそういうものだから」
イナミとてそれは知っている。亜空間内に時間という概念はない。だから、通常空間に戻っても一瞬としか感じないのだと。
だとしたら、あまりにも不可解だった。
「お前は本当にあの変異体なのか? 知能は高くなかった。変異もこれほど安定していない。今のお前はまるで……進化したみたいだ」
変異体は冷ややかに笑った。
「あの不完全な潜航は、私たちを異なる座標に浮上させただけではない。異なる時間に浮上させたのよ」
亜空間航行は、三次元空間を移動する技術ではない。
座標と時間。
その片方が滅茶苦茶だとしたら、もう片方も――
変異体はクレーターに顔を向けた。かつての凶暴な生物兵器だった面影はなく、知性を宿した目で底に眠る残骸を眺める。
「戦争末期、私たちは地上に降り注ぐ人工物の雨を見届けたわ」
雨。
地上の至るところに、質量という破壊力を持つ物体が衝突したというのか。この市街地のような光景が広がっているというのか。
「人類は愚かね。己と違う者を排除しようとして、世界まで滅ぼすなんて」
「お前たちが〈ザトウ号〉でやったことも同じじゃないか」
「失敗作の烙印を押されたから証明しただけよ。今なら、彼らだって私たちを認めざるを得ないでしょうね」
「見境なしに人を殺戮するのが、証明だって言うのか!」
変異体が笑みを
「今なら『殺戮』というのも短絡的な発想とわかるわ。私たちは人類を解放できるのよ」
「……何言って――」
「肉体はマインドバンクの命令を実行する物理装置であればいい。全ての意志が集約されれば、こんな過ちも二度と起きない。私たちの中で生き続ける人類には、永遠の安寧が待っている」
「それが、お前たちの『新しい世界』か」
「どう? よかったらあなたも私たちと生きましょう」
イナミは脳髄を引きずり出されるような寒気に襲われた。
人間は愚かだと、新種が在来種を駆逐するべきだと、本当にそう考えているのか。ナノマシンに一新された世界が、カザネの望んだ未来なのだろうか。
いいや、違う。騙されるものか。
イナミは目の前の『装置』を睨んだ。喋っているのはマインドバンクであって、カザネその人ではないのだ。
意識は聖域だ。
イナミはカザネにそう教わった。何を感じて何を思うかは自分だけの特権である。
変異体がやっているのは、死者の冒涜に過ぎない。
「ふざけるな! お前たちはカザネを殺したんだ。そのことをなかったことにするつもりか!」
今度は変異体が首を傾げる番だった。やはり理解できていないのだ。
「
脱出直前に交戦した巨体から情報を得たのだろう。
反射的に言い返そうとしてしまうが、ここで奇跡的に、かろうじて残っていた冷静さが機能した。
イナミは、変異体がすでにクオノを回収しているものと思い込んでいた。
だが、変異体は回収できていない。
イナミが何か隠していると考えて、襲いかかってきたのだ。
今頃は、ポッドにも変異体の群れが押し寄せているところだろう。同型ポッドの位置を探り出すのに利用できるはずだ。
イナミが気づくと同時に、変異体もぼそりと呟いた。
「……そう。ヒトの生き残りが隠しているようね」
目の前の変異体がカザネの姿を崩し、元の軟体生物の姿に戻る。鞭のようにしならせた腕をイナミの首に巻きつかせた。
「拒んでも無駄よ。同じ実験体のよしみであなたの答えを訊いただけで、ひとつになるのは決定事項だから」
言うや否や、変異体たちの腕がイナミを締め上げる。
「ぐ、う……!?」
もはや余力はなかった。
外骨格の節々が軋みを上げる。装甲が砕かれ、肉体が細切れになるのも時間の問題だ。さらには呼吸孔が塞がれて息ができない。
そんな状態にあっても、遠のく意識の中ではもがいているつもりだった。
似た感覚を知っている。
ほんの数時間前のことだ。
変異体と死闘を繰り広げた。
船から飛び出した。
もう一機のポッドを救おうとした。
どうにもならなかった。
ただ絶叫する以外には――
その感覚が蘇ったとき、指先が膜のようなものに『触れた』。
錯乱状態の中で、五感がでたらめに混線する。
目で音を視て、舌で光景を味わい、肌で味に触れ、鼻で触れる物を嗅ぎ、耳で匂いを聞く。
感覚の渦の中心では、膨れ上がる未知の感覚があった。
イナミはそれに『触れた』のだった。
「――かはっ」
急に呼吸ができるようになって、思わず咳き込む。
気がつくと、変異体の拘束から脱していた。
それどころか、いつの間にか変異体たちの遥か後方に移動しているではないか。
変異体たちが力を緩めたわけではなさそうだ。『せらせら』と音響通信を交わしながら、イナミがどこに消えたのかを探している。
何が起きたのだろうか。
端的には、瞬間的に空間を移動したことになる。まるで亜空間を通ったように。
――亜空間を通ったように、だって?
とにかく難は逃れた。イナミはこの機に走り去ろうとする。
それなのに、左腕が何かに引っかかって動かない。
苛立ちながら視線を落としたイナミは、思わず声を上げそうになる。
なんの変哲もない鉄筋が外骨格を貫通していたのだ。
強引に引き抜くと血が噴き出した。鉄筋のある空間にイナミが移動したから、こうなったのだろうか。
もたもたしすぎた。液体金属による再生が終わるよりも先に、変異体がこちらに気づいて一斉に走り出した、そのときである。
がん、と鉄をハンマーで叩くような爆発音が廃都市に響いた。
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