[3-6] 必ずそばに
スライドレールから外れた鉄板が外のコンソールパネルに直撃。
機器の破砕音に、さしものクオノも肩をびくりと跳ね上げた。
侵入してきたのは、身体に船員の死体を絡みつかせた、
頭髪は抜け落ちていた。目は血走って赤く、唇は捲れて、下歯を剥き出しにしている。
身体から白煙が立ち昇っているのは、ナノマシンが過活動と過熱を起こしているからだ。
足を床に吸着させているのは、磁力ではない。恐らく微細な吸盤だろう。
巨人変異体は重い足音を立て、宙に舞う機械の部品を弾きながら閉じかけの気密扉に手をかけた。
恐るべき力だ。気密扉が見る見るこじ開けられていく。ついには部品がばきぼきとへし折れた。
このままでは乗り込まれる。
そう判断したイナミは――ちらりとクオノを見て――ポッドから飛び出した。
重力下と同じように動いたせいで体が流れる。接続路側面に手をつけてから、再び足を下ろした。
「先に行け! 俺は別のポッドを使う!」
クオノの返事は聞かなかった。
イナミは変異体に体当たりをし、密着状態で高圧電流を解き放つ。
変異体に絡みついた人肉の鎧が裂けた。
が、ダメージは本体まで通らない。たび重なる放電で生体エネルギーが枯渇し、激しい眩暈と吐き気が訪れたのだ。
変異体が「ゴアァアァ!」と咆哮を上げた。どうした、おしまいか、とばかりに。
棒立ちのイナミは、片手で顔を鷲掴みにされた。
接続路から力づくで引きずり出され、軽々と放り投げられる。
一瞬の浮遊感。
直後、身体が貫かれたと思うほどの衝撃に襲われた。壁に激突したのだ。
ライフル弾を通さない装甲も、衝撃の完全な吸収はできない。殺しきれなかった力は体内に浸透して内臓を損傷させる。
装甲の継ぎ目から噴出した血液がばちばちと音を立てて泡立つ。液体金属の分子が高熱で爆ぜたのである。
意識が遠のく。
しかし、耳は音を拾い続けていた。確かに、その声は届いたのだった。
「イナミ!」
叫んだのは、クオノだ。
初めて名前を呼んでくれたのだった。
イナミははっとして前を見る。歪んだ視界に、変異体の姿が映った。拳を振り下ろそうとしている。
無重力では回避しようがない。
直撃を受ければ、今度こそ意識を絶たれるだろう。
動く方法は――
船外作業着はガス噴射機能を搭載しているというが、息を吐き出しての急制動はいくらなんでも不可能だ。
でなければ――そうだ。
イナミの脳裡に、手足を広げて宙を舞っていた死体の姿がよぎる。
咄嗟に外骨格を全解除。液体金属が渦巻く力を利用して身体をねじり、間一髪、殴打をかわす。
通り過ぎた変異体の腕を蹴ると、壁に戻って外骨格を再形成。手すりを掴んで床に戻った。
変異体が忌々しげにイナミを睨む。
生体電流も使えない今、まともに戦える相手ではない。
イナミ、と呼ぶ声が再び聞こえた気がした。
幸いにもハッチはほとんど閉じ終わり、クオノの姿は見えなくなっていた。
「クオノ! 必ずそばにいるからな! 必ずだ!」
ハッチが完全に閉鎖された。
シャフトの射出口が開放。破壊された気密扉が閉じないせいで、船内の空気が一気に外へ流れ出す。
上半身が引き寄せられる。シャフトに吸い込まれたら、まず助からない。ブーツの吸着をさらに強める。
結局クオノをひとりにさせてしまったことを悔やみつつ、ポッドの射出を見送る。
ポッドは青い火花を散らして加速。あっという間にクオノは〈ザトウ号〉から飛び立っていった。
後は自分が脱出するだけだ。
《亜空間潜航まで百八十秒。船員は室内に待機し、姿勢を固定してください》
「……くっ」
他のコンソールパネルを叩き、気密扉を開けさせて用意させる。
だが、この変異体をどうにかしないと、また引きずり出されてしまうだろう。
考えている間にも、変異体は両腕を振り回して襲いかかってくる。
その動きが、なぜか先ほどよりも緩慢に見えた。
理由は単純明快、イナミと同じだ。
変異体はエネルギーの消耗を度外視して肉体の活性化を続けている。
逃げ回れば自滅を誘えるかもしれないが――
そのプランをイナミは即座に破棄する。
逃れる自信がなかった上、どの程度の時間を要するかもわからない。
なら、もっと簡単に行こうではないか。
イナミは大振りのラリアットを掻い潜って通路に戻ると、兵士の手からEMIライフルを奪って構える。
初めての射撃だった。
ストックを肩に当て、頬をつける。脇を締め、銃を水平に。
後は精密に狙う必要などなかった。
火力は自分の身体と船員の死体で思い知っている。――カザネは掠っただけで致命傷を負った。
引き金を引く。銃口からライフル弾が発射された。
外装は電磁誘導の負荷で蒸発しつつ、残った弾頭が変異体の鎧を
攻撃は今度こそ本体に届いた。突き抜けたライフル弾が壁に当たって跳ね返る。
すぐに再生が始まるが、それにもエネルギーを消耗しているはずだ。イナミは畳みかけるように連射する。
ライフルの銃身が過熱し、銃弾が底をつく。
そのときにはもう、変異体はたゆたう無数のアメーバと化していた。
ライフルを捨てたイナミは、その中を突っ切ってポッドに乗り込んだ。
素早くベルトを取りつけ、機内コンソールの射出ボタンにタッチ。
ハッチが閉じていく中で、ナビが能天気に注意喚起を促した。
《射出時には体に負荷がかかります。ご注意ください》
「いいから、早く出せ!」
《射出五秒前。……三、二、一――ゼロ》
ふっと体が浮いたかと思うと、今度はベルトに強く押さえつけられる。加速Gを受けているのだ。
――クオノは無事だろうか。
人を心配している間に、負荷はあっさりと消えた。
コンソール上にホログラムディスプレイが浮かび上がり、外の様子が映し出される。
そこはすでに、果てまで真っ暗闇の宇宙だった。
〈ザトウ号〉が光を発しているからか、星の光も見えない。
月と地球はすぐに見つかった。あの青い惑星のどこかに、カザネの故郷――日本がある。
脱出を終え、イナミは大きく息を吐き出した。
――救助されたら、日本を目指そう。
もちろん、クオノとともに、である。
カメラを動かすと、クオノのポッドがそばにいた。先に減速して、漂流を開始している。
乗り込むときにはわからなかったが、ポッドの形状は卵型で、かなり小さい。これで通りかかった船が気づくものなのだろうか。
そろそろ亜空間潜航の時間だ。
〈ザトウ号〉の船首から高密度エネルギー体が二発同時に発射される。
交差線の軌道で飛翔した光弾は前方で衝突。余波は周囲に広がることなく、逆に収束する。球体状のゲートが開いたのだ。
エネルギー波は亜空間内部を掘削し、
白銀の〈ザトウ号〉はそのトンネルへと進入していった。
船首から消失していく光景は、まるで物体が闇に溶けていくようだ。
亜空間に時間という概念は存在しない。
また、三次元空間の存在である人や機器も、トンネル内部の世界を認識できない。
その性質から、出口を設定せずに沈んだ物体は亜空間の中で永遠に『凍りつく』ことになるのである。
イナミはベッドカプセルに寝かせたカザネを想う。
遺体は腐敗することなく、あの棺の中でいつまでも眠り続けるのだろう。
今、船尾も亜空間に呑み込まれた。
悔しさに拳を握り締めながら、三次元空間に押し潰されていくゲートを見届けていると――
《異常力場に捕捉されました。当機は流されています》
と、ナビが耳障りな警告音を発した。
「……あ?」
なんのことかと、ディスプレイを凝視する。
――流されている? どこへ?
そうして数秒後、ポッドがゲートから離れるのではなく、接近していることに気づいた。
「なぜゲートに向かっているんだ!」
《異常力場は『引き波』と推測》
「なんだそれは」
《巨大質量が空間から消失する際、周囲の物体が消失地点に引き寄せられる現象です》
「つまり?」
《当機の推進能力では離脱不可能》
それ以上、ナビは何も言わなかった。
脱出するのが遅すぎたのだ。『離脱不可能』とは、このポッドも間もなく亜空間に呑み込まれることを意味している。
助からない。
イナミは言葉を失うほどの虚脱感と、喚き散らしたい衝動を同時に抱く。
だが、絶望している場合ではない。
加速をまだ失っていない自機が危機に陥っているということは――
弾かれたようにカメラをゲートとは別の方向に向ける。
「う……」
悪い予感は当たってしまった。
先に減速したクオノのポッドが、さっきよりも近づいて見えた。それどころか、接近速度が徐々に上がっている。このままではこちらを追い越して亜空間に突入してしまう。
「向こうを押し返す手段はないのか!?」
《作業用アームがありますが、この状況では危険――》
「展開しろ!」
ポッドの両側面からアームが伸びる。
だが、受け止めることはできなかった。展開途中でクオノのポッドと衝突。アームの破片が撒き散らされる。
向こうは速度を落とすことなくイナミのすぐ横をすり抜けていった。
こちらは姿勢制御不能に陥り、スピンを始める。
「ああ……ああ……!」
ぎりぎり保たれていた理性が、感情を殺すための使命が、最後の希望が、遠心分離していく。
錯乱状態に陥ったイナミは無謀にも外へ出ようとした。
ベルトを外した瞬間、ハッチに叩きつけられる。手動開閉レバーを引くことはできたが、ロックが解除されない。
ディスプレイに映っている外の光景は、まるでコマ送りの映像だ。
クオノのポッドが果物のようにすり下ろされていく。
「まだだ、まだ救えるはずだ!」
捕獲対象を見失ったと伝えるナビの報告は聞こえていなかった。
イナミはあの巨大変異体のようにハッチを突き破ろうと、拳を何度も叩きつける。
「誰も守れない! 殺すしか能がない! くそっ、くそっ! 何ができるんだ! 俺には力があるんだろうが! そうじゃないのか、カザネ!」
外骨格の悲鳴とみじめな喚き声が機内に反響する。
不意に、目の前からハッチが消えた。
機体がゲートの境界面に接触したのだ。
突き出した拳が視界に広がる暗闇へと沈んだ。肘から先が痛みもなく消え失せる。
亜空間は巨獣のごとくイナミを丸呑みにして――
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