[2-2] こんな噂を聞いたんです
映像は都市を巡回する〈ハニービー〉が偶然撮影したものだった。
歩行者の多い通りで、灰色のダウンジャケットを着た黒髪の青年が拡大される。
イナミが人間とわかって、ルセリアは肩の力が抜けた。
プロフィールにシンギュラリティを有していないと記載されているので、あの外骨格はディスチャージャーを搭載した装備だったのだろう。
となると、どこで開発された装備なのかが問題になるが――
年齢は二十歳とある。精悍な顔立ちながら、目つきが
似ている目を知っている。
三年前の夜、鏡に映った自分がそうだった。
ルセリアは心に薄ら寒いものを感じ、ソファに腰を下ろした。少ししてから、思い出したように足を組む。
「市民じゃないってどういうこと?」
「内務局での移民手続きが途中で止まってるんです」
「移民って――〈アグリゲート〉の外から来たって言うの?」
などと、驚きのあまりに当たり前のことを訊いてしまった。
この都市は元々、移民の『
彼らは長らく〈
それも百年以上昔のことだ。
ミダス体が
エメテルも硬い表情で頷く。
「一週間前、旧市街地に漂着物が落下。予測地点に到着した回収班がイナミさん、及びミダス体と遭遇したとのことです」
「……なんというか、色々鉢合わせって感じ?」
「この漂着物もいわくつきみたいです。天文台は大気圏突入直前に初めて発見したらしくて、向こうではちょっとした騒ぎになったとか」
「珍しいわね。天文台が見落とすなんて」
「というより、ありえません」
それこそ珍しく、断定的だった。
漂着物とは、およそ二百年前に起きた〈
戦争末期になると、中でも巨大な漂着物群が地上に大打撃を与えた。
それが〈
天文台は、未だ宇宙を漂流する遺物を監視して都市に直撃する物体を速やかに発見、対処するための、技研に属する施設だ。
そこにエメテルと同じフェアリアンが勤務している。姉妹も同然だ。それゆえの『ありえない』という信頼なのだ。
「結局、漂着物は発見できなかったそうです。ミダス体に奪われたと思われますが、おかげで何もかもわからずじまい。回収班は代わりにイナミさんを保護。検疫のために隔離施設へ移送してます」
そこで、エメテルは誰かに盗み聞きされているわけでもないのに声を潜めた。
「不思議なことに、技研の検疫結果は何ひとつデータバンクに上がってないんです」
「……報告忘れ?」
「だったら、監査からしつこく追及されますよ。もっと上の判断で隠蔽されたとか……」
「七賢人?」
「な、なな、何か事情があるのかもしれないですよ!」
エメテルは自分が最上層部を疑っていることに気づいて慌てふためき、納得できていないルセリアを置いてけぼりに話を進める。
「な、内務局で移民手続きが始まったのは保護された翌日で、その日に隔離施設から仮住居に案内されてます。ただ、移住意志の最終確認になる本人のサインがまだみたいですね」
「ふうん。生活できるもんなの? お金が必要でしょ」
「ずっと昔に制定された移民手当が適用されてます。一か月は最低限の生活が送れるので、まあ、その間にお仕事を見つけてください、ってことですね」
「あれだけ戦えるなら、引く手
腕を組んで、不機嫌そうに唸る。
「イナミはあの家で何をしてたのかしら」
「何かしらの物品を探し回ってたと思われます」
モニターに現場となったオドネル家が映される。
ミダス体が隠れていた二階は、平穏な日々を送っていたと夫妻が思い込んでいた昨日のままだ。
娘の部屋には子供用の小さな机とお絵かき用端末が置かれている。ベッドにはクマのぬいぐるみ。棚の上には端末で描いた絵を飾るためのフォトディスプレイがあった。大きな箱の中には色とりどりの知育玩具も。
「…………」
オドネル夫妻が娘をどれほど愛していたか、これだけでもよくわかった。
一方、イナミが動き回ったと推測される一階は、どこの机も棚も荒らされている。
とりわけ、デクスターの書斎と思われる部屋は徹底的に調べられていた。
「初めはあてもなく探しながら、この書斎に行き着いたんじゃないでしょうか」
「あたしが突入したとき、イナミはデクスターのそばにいた。ってことは、家探しの後だったのね。持ち去られた物が何か、わかる?」
エメテルは緩やかに首を横に振った。
一週間前に〈アグリゲート〉を訪れたばかりのイナミが、デクスターのどんな所有物を狙う理由があるのだろうか。
いや、彼の言葉から推測するに――
「ミダス体と関係あるのかしら」
ルセリアはこれまで、ミダス体とは『人類を標的にした無差別殺戮者』だと思っていた。
だが、今回に限っては、なんらかの目的が垣間見えた。
エメテルもまだ確信を得ていない様子で頷く。
「気になるのは、『クオノはじきに見つける』という言葉ですね」
「クオノって、何?」
「こちらはデータバンクでもヒットせず、です」
機関のデータバンクはあらゆる情報の貯蔵庫だ。
内務局の市民情報、特務官が持つシンギュラリティ、技研の研究、警備局で捜査中の事件、はたまた今までに回収された遺物などなど。
ワードを打ち込めば、大抵の手がかりは得られるはずである。
特務官権限をもってしても情報が得られないのは、それが〈アグリゲート〉には存在しないものだからだ。
「何かの暗号名かしら。人間とミダス体とで通じ合ってるってのも変な話だけどね」
あのミダス体はイナミ・ミカナギ個人に対し、コミュニケーションを図っていた。
それも娘の人格ではなく、異なる人間――女性の穏やかな声ながらもどこか不気味な口調で。
二重人格が現れるといった報告は、データバンクでも見たことがない。
「もしかして、あの変化を確認したの、あたしが初めてだったりする?」
「……そういうことになりますね」
青ざめ顔のエメテルが、怪談話を聞かせるように声を震わせた。
「技研でこんな噂を聞いたんです」
「……あー、言いかけてたアレ?」
「はい。ミダス体はどこかの研究施設から脱走した生物兵器なんじゃないかって」
ルセリアは大して驚くこともなく、肩を竦めてみせた。
「それならあたしも聞いたことあるわよ。〈
「あれ、知ってましたか」
妄想に傾倒した者が唱える『神が遣わした天使』説、あるいは『新種の生物』説、もっと飛躍した『宇宙人侵略者』説と比べると、かなり現実的な想像だといえよう。
エメテルはシートから腰を浮かし気味に続ける。
「ただ単純に数を増やしたんじゃないとしたら、どうです?」
「どうですって、何が」
「ミダス体は木端微塵になっても、元の姿に再生できるでしょう? これは宿主の生体データを細胞核に保存してるからと推測されてます」
ルセリアは「ふうん?」と曖昧に頷いた。
ミダス体は尋常ではない再生力を持っている、という程度の理解だったので、考えたことがなかったのだ。
「じゃあ、複製された細胞核を交換し合ったり、あるいは生体データだけを送受信できる手段があれば、脳に保存されている人格の共有も可能かもしれない――って、技研の人たちが話してるのを聞きまして」
今ひとつ意味がわからない。
そんなルセリアの表情から、エメテルは話が通じていないことを察したのだろう。
「たとえば、私がミダス体になって、ルーシーさんに細胞を移植したとします」
「……最悪の状況ね。手榴弾を起爆させる余裕はあるのかしら」
「そんな怖いことまで想像しないでくださいっ!」
むす、とエメテルが肩に力を入れる。
「そうじゃなくてですねー。想像が正しかったら、ルーシーさんの身体は私の遺伝子情報や記憶を持ってるってことになるんですよー」
それを聞いてようやく、ルセリアは「ああ!」と納得できた。
「あのミダス体が別の人格で喋り出した謎の、説明になるわ、ね……」
不吉な連想に行き当たって、表情を硬化させる。
犠牲者が増えれば増えるほど、『ミダス体』という総体は人類の情報を取り込んで膨張していく。
雪だるまのように。
機関のデータバンクのように。
ふと、イナミの激昂がルセリアの脳裡をよぎった。
『寄せ集めが、カザネの声で喋るなッ!』
「……カザネって人はきっと、ミダス体に殺されたのね」
同情的な呟きに、エメテルもしゅんと肩を落とす。
「カザネという人物についても情報は皆無です」
「イナミから事情を訊き出さないと何もわからないわね」
「もしくはデクスターさん一家の線から調べるか、です」
「そうね……」
ルセリアはソファの背もたれに体重を預け、思いを巡らせる。
元特務官は一体どのような秘密を抱えていたのか。
わかるはずがない。母親を訪ねてきた一度しか会ったことのない男の顔など、今朝の死体を見るまでおぼろげだった。ただ『おじさん』と呼んでいたことだけが記憶に残っていた。
エメテルが恐る恐るといった様子で尋ねる。
「ママさんとデクスターさん、同僚だったんですよね?」
「ママは、妹が生まれて三歳になった頃だから――今から十一年前ね。特務官を辞めたのよ」
「デクスターさんも十一年前に警備局の事務へ転属してます。シンギュラリティの衰えが理由だとかで」
「そうだったの? あたしが会ったときにはもう特務官じゃなかったのね」
子供心に怖い男性と思っていたが、その印象を今になって考えてみれば、戦士の気風を纏った中年紳士だった。
そんな男が事務仕事をしているというのは意外だ。
「特務官を辞めた後に『クオノ』とかいう機密に関わってたのかしら。だとしたら、七賢人はこの件についてとっくに把握してることになるけど」
「今のところ、指示は特に受けてませんねー……」
「まったく、情報共有を徹底させるなら、まず自分たちからしなさいっての」
エメテルはぎょっと顔を上げ、誰かの目がないかと部屋中を見渡す。彼女なら盗撮盗聴にすぐ気づきそうなものだが、とにかく七賢人には畏怖を抱いているらしい。
「し、七賢人様がお聞きになられたら、私たち怒られますよっ」
「下っ端の意見を直接聞いてくれてるんなら、ずいぶん懐の広い人たちじゃない」
「はあ……」
まだびくびくとしていたエメテルが、突然、「あ!」と声を上げた。
「イナミさんを発見しました」
モニターが上空からのライブ映像に切り替わる。話している間も〈ハニービー〉全てをチェックしていたのだろう。
イナミは素顔を晒し、ダウンジャケット姿で歩いている。進路方向は仮住居のほうだ。
「現場からこんなに離れるまで見つからないなんて……どうやって逃げたんでしょう」
「さあ。外骨格もどこに隠したのかしら」
「……どうしますか?」
「もちろん捕まえるわよ」
勢いよく立ち上がったルセリアは獲物を見つけたネコ科動物のように唸る。
「人畜無害な市民のふりして……まだ面が割れてないと思ってるんだわ」
「了解しました。行動予定を報告。特に介入はありません」
「オーケイ。好きにやりましょ」
ルセリアはコンプレッションスーツのスイッチを再び入れた。
ファスナーがかちかちと音を立てて閉じると、伸縮性の生地が体型に合わせて調整される。
身体を軽く動かすことで、コンピューターが締めつけを修正。少々きついが、苦しくはないという着心地に変わった。
外していた胸下のハーネスを閉じたルセリアは、確認するように小さく頷いた。
いつの間にか、エメテルがそばに立って準備を見守っている。留守番を命じられた子犬のように心配そうな目だ。
そんな可愛らしいパートナーに、ルセリアは笑ってみせる。
「行ってくるわ」
「いってらっしゃい、です!」
ぴしりと背筋を伸ばすエメテルに見送られてオフィスを出る。
その視線の届かない陰で、ルセリアはそっと笑みを消した。
時折、エメテルを実の妹のように錯覚するときがある。
今日はやけに三年前を思い出す日だ。
氷となって砕け散るミダス体。揺らめく炎のように立ち上がるふたつの影。腕の中で震えるか弱い温もり。
そして、決断。
ルセリアは手のひらを額に押し当てた。
「今さら、何よ……」
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