[1-4] ひとつになりましょう

 戦いを傍観していた外骨格男が唸る。

 背中から白いもやが、ぷし、と吹き上がった。排熱口でもあるのだろうか。


「今のがシンギュラリティ……」


 そのひと言に、ルセリアは外骨格男をいぶかる。


 現代人類の遺伝子を分析した結果、誰もが先天的にシンギュラリティの覚醒因子を持っていると判明している。

 ミューテーションすらシンギュラリティの一種ではないかという仮説もあった。


 それをさも珍しげに、外骨格男は呟く。


「脳に構築された、力を司る神経回路――自然に獲得したのか」


「あんた、何言って……?」


 敵か味方か。

 ルセリアはまだ判断に迷っていた。


 外骨格男は足元に広がったオドネル夫妻の衣服を足で踏んだ。何か入っていないかと確かめるような動きだった。


 ルセリアが咎めようとする前に、外骨格男は足を離して天井を見上げる。


 遅れてエメテルが掠れ声で告げた。


《二階で人が動いてます》


 とん、と木の板を踏む音が聞こえた。


 音の出所を解析したエメテルは、再びグリッドラインの透視をルセリアに見せた。


 子供だ。

 とん、とん、と下りてきたのは、無傷の幼い少女である。

 ピンク色のパジャマに付着しているのは両親の血だろう。


 ――二階に隠れていたのね。


 と、ルセリアが安堵しているうちに、少女がリビングへ足を踏み入れようとした。


 ほっとしている場合ではない。

 まずい。この光景は。


「入らないで!」


 制止は間に合わなかった。


 我が家に上がり込んだ、見知らぬ女と恐ろしい姿の外骨格男。

 床には血だまりとずたずたに引き裂かれた衣服。

 そして、融けて崩れかかったぶよぶよの肉片。


 両親の死を悟ったか、少女が身体を震わせる。壊れかけのぜんまい人形のようなぎこちなさで、こちらに白い顔を向けるのだった。


「お姉ちゃんが、やったの?」


「う、あ……」


 記憶の奥底から這い上がってきた幻影が少女に重なる。

 自分によく似た顔。同じ色をした瞳。その目が恐怖で見開いている。


『お姉ちゃんが、殺したんだ』


 ルセリアは激しい動揺に襲われて息を詰まらせる。


「ち、ちが……!」


「そうだ、違う」


 声の出ないルセリアに代わって言い切ったのは、外骨格男だ。

 少女に対してではなく、ルセリアに向けて。

 ほぼ同時に、エメテルが動揺をあらわにして叫んだ。


《ルーシーさん、その子から異常熱源!》


 少女は横目で外骨格男をに睨みつけ、力強く床を蹴った。

 右肘から先をに変形させ、その切っ先をルセリアに向かって突き出す。


 ルセリアはヤシュカの忠告を思い出していた。

 元特務官のデクスターですら、たやすく殺されてしまった理由。


 潜伏体――なんらかの条件下で急激に活発化するミダス体。


 デクスターは気づかなかったのだ。現場からの離れれば離れるほど、誰もがミダス体の犠牲者になりうることを忘れてしまう。幸せな家庭を築いていたのならなおさら。


 ルセリアとて、見つかっていない子供がミダス体なのではないかという考えはちゃんと頭にあった。

 だが、発生場所の中心でなお奇跡的に助かるケースもある。あったのだ。


 可能性は完全に失われた。


 ――なら、やることはひとつ。できるでしょ?


 ルセリアは冷笑するもうひとりの自分に従ってハンドガンを構える。天使のように可愛らしい少女の顔を持つ怪物へ銃弾を叩き込むのに、ためらいはなかった。


 が、そうするよりも先に、


「どけ」


 外骨格男が前に飛び出した。


 慌ててシンギュラリティの集中を打ち切る。危うく外骨格男を巻き込むところだった。


 いや、どちらにしても、このままではミダス体に串刺しにされてしまう。

 外骨格男の行為は無知にして無謀に思えたが――


 素早い動きだった。

 身体を縦にして剣の突きをかわし、後ろ蹴りを少女の顔面に食らわせる。


 鼻骨だけでなく、頭蓋骨の砕けるぞっとするほど軽やかな音が響いた。


 小さな体が壁に跳ね返り、潰れた顔から床に落ちる。そのまましばらくは手足をぴくぴくと痙攣けいれんさせた。


 何も知らない者がはたから見れば、この外骨格男こそが残虐非道な殺人者と取るだろう。


 だが、少女はすぐに何事もなかったかのように起き上がる。

 顔の陥没は消え、頭部からの出血も皮下に滲んで吸収される。

 目つきには子供らしさなど皆無の殺意が宿っていた。


 再び右腕を構えた少女は、獣のような荒々しさで外骨格男に襲いかかる。


 対する外骨格男も、持ち上げた腕で平然と刃を受けてみせた。


 金属同士が擦れるような甲高い音とともに火花が激しく散る。


「……すごい」


 パワードアーマー程度の合金ではミダス体に切断されてしまう。

 とすれば、やはりあの外骨格はただの装甲ではないのだ。


 外骨格男はさらなる一歩を踏み込み、相手の懐に潜り込んだ。

 剣を受け流した手で少女の顔を鷲掴みにし、凄まじい膂力りょりょくで壁に叩きつける。あまりの衝撃にヒビがびっしりと走った。


 外骨格男の戦いは感情という鈍器を振り回すかのように力任せだ。

 それでいて、身のこなしにきりのような鋭さも併せ持っている。


 頭蓋骨を締めつけられた少女は腕を振り回して殴り返した。

 外骨格男はびくともしない。踏み締めた床がみしみしと軋む。


「言え! クオノはどこだ!」


 クオノ――人か物か。

 その名を聞いて、少女はにたりと薄笑いを浮かべた。


「クオノはじきに見つけるわ。だからイナミ、私たちとひとつになりましょう」


 少女のものではない落ち着いた女性の声だった。


 ミダス体が人の言葉を語ること自体はそう珍しくもない。

 宿主の記憶を読み取り、借り物の人格で人を欺くのだ。


 しかし、少女の姿を維持するミダス体は大人の女の口調で外骨格男に語りかけた。


 おまけに聞き間違いでなければ、外骨格男のことを『イナミ』と呼んだ。それが男の名前なのだろうか。


 ミダス体と外骨格男――イナミの間にはなんらかの繋がりがあるらしい。


 女は穏やかな声で続ける。


「ひとつになればクオノを永遠に守ることができるのよ。ねえ、私たちを怖がらないで、イナミ――」


「寄せ集めが、カザネの声で喋るなッ!」


 外骨格に走る青白い光の紋様が、激昂に応じて瞬き出した。

 ルセリアの耳にエメテルの声がノイズ交じりに伝わる。


《熱が……模様に沿って……!》


 輝きが最高潮に達したとき、大気がぱちんと弾けた。


 タクティカルグラスの表示が乱れる。

 少女は笑顔のまま全身を反り返らせた。たちまち、肉の焼け焦げる異臭が立ち込める。


 舞い上げられた埃に青い稲妻が迸るのを見たルセリアは、装備機能かシンギュラリティかは定かではないが、とにかく外骨格男の能力に気づいた。


 放電。

 恐らくはディスチャージャー以上の強力な。


 これほどのエネルギー量を放出するからには長続きしないだろう。予測どおり、ものの数秒でイナミの体表面から輝きが消えた。


 頭を掴む手が緩められると、少女は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。実際に全身の体組織は焼き切れたに違いない。


 イナミは少女を見下ろし、苦しげに声を絞り出す。


「何が『永遠』だ。そんなものはない」


 その言葉の意味をルセリアはつい考え込んでしまう。

 永遠。いつまでも続く平穏。そんな幻想を、自分も信じていた頃があった――


 我に返ったのは長い静寂の末、イナミの身体に光の明滅が戻ったときだった。

 そこはふたりだけが立つ空間。


 状況を再認識したルセリアは混乱しながらも問い詰める。


「ホント、なんなのよ、あんた!」


 イナミは肩を上下させて息を整えると、脱兎のごとく窓へと駆け出した。


 ルセリアは手に握ったままのハンドガンを思い出して足を狙う。

 発射した銃弾は命中したものの、外骨格にあっさり弾かれてしまった。


「エメ! あいつが外に出るわ!」


 エメテルの返答はない。


 カーテンを引いたままの窓に突っ込んだイナミは、砕けたガラス片を撒き散らしながら包囲していた警備局兵士の怒号と銃撃に迎えられた。

 その騒ぎもすぐに遠のく。まんまと逃げおおせたのだろう。


 ルセリアは呆然と立ち尽くしたまま震える腕を下ろす。


 しばらくしてようやく、放電の影響で乱れていた通信が復旧する。エメテルの悲痛な呼び声が急に響いた。


《――シーさん、ルーシーさん!》


「聞こえてる。どうしたの?」


《『どうした』はそっちですよっ! 急に通じなくなって……無事ですかっ?》


「あたしはなんともないわ」


《……はああ、よかったあ》


 エメテルの大仰な吐息が、ルセリアの内耳を心地よく震わせる。


《現在、〈ハニービー〉で侵入者さんを追跡して――》


「イナミって呼ばれてた」


《はい、ミダス体に。もしかしたらあの『噂』って本当なのかも――あ、あれ?》


 急に黙り込んだので、ルセリアはタクティカルグラスの弦を軽く押さえた。


「まだ不調?」


《いえ、それがその……すみません、見失っちゃいました。突然、視界から消えて……》


 ルセリアは緊張から解き放たれて脱力した。

 一体全体、何がどうなっているのか。


 ふと、二度と動くことのない、少女だったものが目に留まる。

 可愛らしい顔が歪み、肌にはまだら模様の火傷が浮かび上がっていた。剣の形をした腕には亀裂が入っている。


 ルセリアはかぶりを振った。


「殺したんじゃない。あたしは――」


 玄関前で待機していた警備局の兵士が突入を開始した。

 兵士たちは放電槍を部屋のあらゆる物に向け、イナミがそうしたように電磁波を浴びせる。


 誰かがルセリアの肩を掴み、ミダス体から遠ざけようとする。

 ヤシュカだ。


 ルセリアは無表情で頷く。


「平気よ。やって」


 隊長自ら手にした放電槍によって、子供の服はあっけなく燃え上がった。

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