[1-2] こんなヤツ、知らない

 現場は二階建て住居が横並びになったレンガ造の長屋街だ。

 どこの窓を覗いても、呑気に朝支度をしている住民はいない。


 ルセリア・イクタスは二輪モーターサイクルの速度を緩め、眼鏡型端末タクティカルグラス越しにそのことを確かめる。


「避難、終わってるわね」


 対応が遅れれば遅れるほど、犠牲者も増える。

 現れたのは、そういうたぐいの凶悪な敵だ。


 現場を包囲する警備局機動隊の兵士は機械式甲冑パワードアーマーとマシンガンで武装している。中には放電槍ディスチャージャーを携行する者もいた。


 フェイスガードを展開し、素顔を晒している彼らの人種は様々である。

 イヌの鼻を持つ者、ネコの目を持つ者、クマのように毛むくじゃらな者――


 二百年前の災厄、〈大崩落コラプス〉以降、突然変異ミューテーションによって他の哺乳類動物に似た形質を持つ新人類が生まれるようになったのだ。


 新人類、すなわちミュータントの数はまだ市民の三割にも満たない。

 その多くがなんらかの身体能力に恵まれている。兵士となれば精鋭だ。


 一方、ルセリアは非ミュータントで、十六歳の少女である。

 にもかかわらず、彼女の表情には畏縮の色がない。


 歩兵輸送車の横に〈プロングホーン〉の名のついたモーターサイクルを停め、地面に颯爽さっそうと降り立つ。


 白いクロークがするりと捲れた。背中の紋章がはためく。翼と矢尻をかたどった〈樹鏃じゅぞく〉だ。


 外套の下には圧搾強化服コンプレッションスーツを着用している。筋繊維の活動電位に反応して補助筋肉の役割を果たすスーツだ。


 身体能力を格段に向上させる優れた装備だが、欠点がひとつだけあった。ルセリアには締めつけがきついのである。特に、胸と尻の辺りが。


 ルセリアが包囲に入っていくと、兵士たちの視線が集まる。


 確かに彼女は美少女だ。

 自信に満ち溢れた琥珀色の瞳、鼻筋が通った顔立ちには、自然と目を引く力強さがある。


 赤みがかったブルネットの長髪をサイドテールに結い、うなじを出している。見入る者には、挑発的な艶めかしさと年齢相応の無警戒さ、両方を感じさせた。


 だが、彼女が注目される理由は、クロークにあった。

 形の異なる兜を着けた兵士――指揮官の横に、ルセリアは身構えず並ぶ。


「お疲れ、ヤシュカ」


 声をかけられた褐色肌の女性隊長がわずかに振り向いた。細目だが、ライオンのような金色の瞳の持ち主だ。


 ヤシュカはくすりと微笑んで応える。


「やあ、ルセリア。寝癖ついてるぞ」


「……跳び起きたのよ」


 ルセリアははねた髪を手で押さえつけてみるが、無駄な抵抗だった。すぐに諦め、むすっとした顔でリストデバイスから身分証を投影する。


「特務部第九分室所属、ルセリア・イクタス。状況を説明して」


「警備局機動部第三小隊、ヤシュカ・ファルメール、了解。権限を委任する、特務官殿」


 形式的な挨拶を区切りに、ヤシュカが笑みを消した。


 特務部と警備局は〈デウカリオン機関〉の部局だ。

 特務官が出動する場合、警備局の兵士はサポートに回る規定となっていた。


「初めは隣人の通報だ。男の叫び声と物を引っくり返す音が聞こえたってね。そのときにはもう『ミダス体』と交戦していたようだ。すぐに異常熱源が感知された」


「交戦、ね」


「引退した特務官だと聞いているけど、何か知っているかい?」


「デクスター・オドネル。ママの同僚だった人よ。あたしも会ったことがある」


 それを聞いたヤシュカがわずかに目を伏せた。アーマーの前腕部に埋め込まれた端末に指を滑らせ、ウィンドウを投影する。


「住人は夫婦と娘の三人。熱源感知後に飛び込んだ〈ハニービー〉が夫婦の死体を確認している」


 警備局所有の羽虫型偵察機、〈ハニービー〉が血の海に沈んだリビングを記録していた。


 四十代男性のデクスター・オドネルは腹を裂かれ、その妻は夫の死体を抱きかかえながら背後から胸を突き破られている。


 ルセリアは思わず眉をひそめる。

 一拍の間。


「……子供は無事なの?」


「未確認だ。ミダス体もね。途中で邪魔が入ったんだよ」


「邪魔?」


 映像の中で窓の割れる音がした。

〈ハニービー〉が移動すると、家屋の裏手から侵入してきた黒い影と鉢合わせる。


「何、こいつ」


 ヤシュカは答えない。彼女もわからないのだ。


 その影は人型だ。が、なんと呼べばいいのだろう。

 全身は漆黒の外骨格に覆われている。


 明らかにデザインされた金属装甲だが、バッテリーやアクチュエーターなどの内部機構を持つパワードアーマーと比べると段違いに細身だ。


 もしかしたらコンプレッションスーツかもしれない。よく見れば、使用者の動きに応じて装甲の一枚一枚が蠢いている。


 ――うん、無理があるわね。


 ルセリアは慎重に観察を続ける。


 フェイスマスクには目の覗き穴や呼吸口がない。


 後頭部からシロヘビ柄の太いケーブルをだらりと生やしている。その末端には三又プラグが備わっていた。


 全身に走るトライバルタトゥーじみた紋様が、ゆったりとしたリズムで青白く明滅している。


 機械と生物の融合体。

 そんな印象を受けた。


 直感的に『あれ』とは違うと思いながらも、ヤシュカに確かめる。


「こいつがミダス体じゃないの?」


「いや、〈ハニービー〉の熱探知じゃ、こいつは異常熱源と認識されていない」


〈ハニービー〉はかすかに羽音を立てて飛行する。

 その音で機械生物がこちらを向いた――かに見えた次の瞬間、映像がぶつりと途絶えてしまう。


 ひと目では何が起きたかさっぱりだ。

 もう一度コマ送りにしてみると、機械生物が〈ハニービー〉を握り潰したことがかろうじてわかる。


 だとしても不可解なのは、映像を切り取ったように機械生物の立ち位置が『飛んだ』ことだった。予備動作がない。


 黙り込むルセリアの顔を、ヤシュカが覗き込む。


「一応訊くけど、特務官じゃないね?」


「こんなヤツ、知らないわ」


 そう答えたルセリアは、タクティカルグラスの存在を意識して尋ねる。


「エメは?」


《私もです。加速系のシンギュラリティにしては異常な瞬発力――それに、こんな装備は技研の試作品にもありません》


 眼鏡の通信機能を介して、オペレーターのエメテル・アルファから返事があった。骨伝導を用いているので、彼女の幼さを残した声はヤシュカには聞こえない。首を横に振ってみせる。


 ルセリアは「参ったわね」とぼやく。


「最優先目標は、子供の安全確保とミダス体の殲滅。侵入者の拘束は第二目標ってことで、警備局はこのまま包囲をお願い」


 前に出ようとしたところを、


「待つんだ」


 ヤシュカに引き止められる。


「気をつけろ、ルセリア」


「わかってるわよ。得体の知れないヤツがいるんだから」


「そうじゃない」


 と、年長の彼女は語気を強める。


「元特務官が殺されているんだぞ。だとしたら、子供が――」


 その先を、ルセリアは遮った。


「可能性があるなら諦めたくないの」


「……ああ、私だってそうさ。突入準備は済ませてある。なんなら先行してもいい」


「心強いけど、それは特務官の役目よ」


 ルセリアは微笑んで固辞する。ヤシュカはそれ以上、何も言いはしなかった。


 今度こそ敷地に踏み入る。

 玄関の階段を上がりながら、物音ひとつしない屋内に警戒を強める。


「誰もミダス体を見てないけど、もう逃げたのかしら」


《この包囲ですよ? そうは思えないですけど……》


 困惑気味の声が返ってくる。

 エメテルはタクティカルグラスを通じ、ルセリアと同じ物を見聞きしている。同時に上空から見下ろす〈ハニービー〉の映像も監視中だ。


《どこかに隠れてるはずです。奇襲には注意してください》


「オーケイ。いつもどおり、サポートよろしく」


《了解です、ルーシーさん》


 愛称で呼び合う仲のパートナーだ。独りで危険な場所に踏み込むのではない。そのことが心の奥底にこびりついた恐怖を紛らわせてくれる。


「じゃ、行くわね」


 念のため後方にハンドサインを送り、腰のベルトから引っ張り出した有線カードキーをドアスロットに挿入する。


「お願い」


 即座に電子ロックが外れた。エメテルがキーコードを解析して開錠したのである。


 ルセリアはハンドガンを構え、ドアをそっと開ける。何かが飛び出してくる気配はない。身体を滑り込ませるように中へ侵入する。


 屋内はとても静かだ。ブーツの足音が響いてしまうほどに。

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