祝日さんがやって来る

結城あずる

解ったかな青年?

「ん……んあ?」


カーテンの隙間から零れる日の光に、まだ俄然重い瞼をカズマは半開きにする。


煩わしいその光を遮りたいが、夜勤バイト明けの体は完全に動く事を拒んでいた。


目に直撃する陽光に刺激されながらも、眠気を優先したいカズマは直撃など無視して二度寝を決め込めにかかる。


「……んん?」


眠りに落ちかけたカズマの耳に微かな音が届く。漏れて聞こえて来るのは男の単調な声。一方的なその喋りにそれがテレビのニュースである事をカズマは悟る。


ただの消し忘れであろうが中途半端に目が冴えてしまったカズマは、気怠い体をどうにか起こしてリビングに向かった。


それが平穏の崩壊とも知らずに。


「おはよう」

「……おはよう」


ハキハキとした朝の挨拶に、眠気まなこでカズマは返す。


「今頃起床かね?とっくに昼は過ぎているぞ」

「いや、夜勤明けだったから……」

「働き方にとやかく言うつもりはないが、もう少し休みを有意義に過ごせるような労働をした方がいいぞ?」

「次の日が休みだったから夜勤入れたんだけどね……」

「有意義な休日を迎える事が出来ない……そんな労働をしなければならない世の中とは。どうにも嘆かわしいな」

「うん……ひとまず、あんた誰!?」


半開きだったカズマの目が跳ねるように見開く。


ニュースから目を逸らさず、カップに落としたコーヒーを片手に、軍服を身に纏ったカイゼル髭を携えた男が、太々しく足を組んでソファーに座っていた。


「誰とは失敬な」

「失敬も何もここ俺んちだぞ!?不法侵入か!?」

「不法侵入とは人聞きの悪い。今日は私が来る日であろう」

「俺の知り合いに軍服着たおっさんなんかいない!」


悪びれもせず妙に落ち着き払った軍服の男に、人差し指を向けてカズマは抗議する。


「ふぅ~全く。今日は何の日だ?」

「は?」

「今日は何の日だと聞いている」

「軍服のおっさんが家に上がり込むそんな特別な日はないけど」

「しっかりと質問に応えたまえ。今日は何の日だ?」

「今日は何の日って……建国記念日だけど」

「うむ。つまりそういう事だ」

「……いや!どういう事!?」


納得したかのようにコーヒーを一口啜る男。何一つ解決していない事態に寝起きで低血圧のカズマは立ち眩みするのも忘れて、その張り上げた声をリビングに響かせた。


「察しが悪いな青年。私がだと言っているんだ」

「……はい?」


足を組み直す軍服の男を、数奇な者を見る目でカズマは凝視した。


「困った青年だな。ほら。あれを見てみろ」


軍服の男が指さした先には壁掛けのカレンダーがあった。言われるがままカレンダーに目を向けると、カズマはすぐにそのカレンダーの違和感に気付く。


「なんだこれ……?2月11日だけ無くなってる……?」


目を凝らしてよく見ると、カレンダーのその一枠だけキレイに空白になっていた。


「解ったかな?」

「解るかぁ!!何勝手に人んちのカレンダーにイタズラしてんだよ!?」

「やれやれ。困ったものだな。青年、君はちゃんと契約書は読んだのかね?」

「契約書?」

「この部屋に住むにあたってのだよ」

「!」


戸棚に四つ折りでしまわれていたその紙を、カズマは慌てて開いて読み直す。そこには通常の契約内容に混じって下方に小さく備考欄があった。


カズマはそこを凝視する。


『備考:尚、この部屋においては祝日さんが暦に沿って現れますので、家主の方が随時ご対応お願い致します』


「なんじゃいそれはーーー!!!」


カズマは契約書をグシャリと握り締め、すぐさまスマホで不動産屋に電話を掛ける。


3回目でコール音が切れ、落ち着いた口調で男性が電話口で応対する。


『はい。村南そんな不動産です』

「ちょっと!部屋に変な人がいるんですけど!?」

『すいません。お名前お伺いしてもよろしいですか?』

「先日そちらで賃貸契約した周藤です!」

『周藤様……あー。祝日さんですか?』

「やっぱり知ってるんですか!?」

『知ってるも何も、契約書の方にもその旨は載せさせて頂いているかと思いますが?』

「いや!聞いてないですよ!」

『あー。確かに聞いてないかもしれませんね』

「ほら!」

『あ、いえ。契約時に文面でも口頭でもご説明はさせてもらってたんですが、その節には周藤様は大分上の空だったので、もしかしたら聞いてらっしゃらなかったのかと思いまして』

「え?えーーー……あ」


カズマはまだ記憶に新しい1週間前の事を思い出す。


確かに担当者からの話はほとんどがトンネルのように耳を通過していた。それくらいカズマはその時に嬉々としていた。


上京して数カ月。予期せぬ事態が起きた。カズマのライフラインであった親からの仕送りが突如として断たれたのだった。


理由は親が怪しい宗教信仰に手を出したからである。


遠く離れた親元へは簡単には行く事が出来ず、宗教信仰に手を出した理由を問いただす事も、それを止めに行く事も出来ないまま、カズマの生活は一転して窮地に立たされた。


バイトはしていたものの仕送りにプラスα程度に考えていた為、到底生活をカバー出来る収入ではなく、あっさりと住んでいたマンションの家賃も払えなくなっていた。


意を決して新たなバイト先と転居先を探してたその矢先に見付かったのが、1LDKで家賃1万5000円(敷金・礼金なし)の破格の物件であった。


言うまでも無く切羽詰まっていたカズマは、藁にも縋る気持ちで不動産屋に駆け込み、まだ空き部屋がある事と即日入居可能のその甘美な響きに、走るようにペンを書面に走らせていた。


その安堵の喜びから、カズマは契約書の細部を読む事も担当者の確認事項を聞く事も怠ってしまっていたのである。


『こちらとしましても、説明はさせて頂いたという事で契約としていますので、現状では責任などは負いかねますが』

「確かにあんな好条件で家賃1万5000円って、何か曰くつきでもおかしくはないのかもしれないですけど、でもよく分からないおっさんがいるとかやっぱり困るっていうか」

『では契約解除なさいますか?その場合は違約金が発生致しますが』

「違約金!?」

『周藤様も相当お困りのご様子でしたのでそちらの物件を紹介させて頂いたのですが、他の物件ですとお家賃だけで予算がオーバーしてしまいますが』

「ぬぐぅ……!」

『どうなさいますか?』

「……………………継続で」


唇を噛みしめながら苦悶のシンキングタイムを経て、カズマは妥協の言葉を絞り出す。担当からの「ありがとうございます」を聞き終えるよりも前に、不本意ながら通話終了ボタンを押して溜め息をついた。


「解ってくれたかな?ここは祝日我々が暦のその日に人の形を成す事が出来る特別な部屋なのだ」

「……納得はしてない。でも理解はした」

「うむ。よろしい。私の事は気軽に"建さん"とでも呼んでくれたまえ」

「大事だからもう一回言っとくけど、納得はしてないからな?」

「さぁ。挨拶も済んだ事だし、祝日を満喫しようじゃないか」

「いや聞いて!?」

「手始めに。建国記念の日この私はどういう日かちゃんと知っているかね青年?」

「え?どういう日って、そりゃ国が出来た日でしょ?」

「うむ。それは少し違う」

「え?違うの?」

「時に青年。さっき私をなんと呼んでいた?」

「なんて呼んでたって、ちゃんと建国記念日って言ったろ?」

「否ー!それは正確ではない!建国記念日ではなく建国記念日だ!」

「そんな語気強められても……それ同じじゃない?」

「いや。全然違う。恐ろしく違うぞ青年」


コーヒーが零れそうになる勢いで立ち上がり、カズマの眼前まで詰め寄る建さん。恰幅の良いその体で詰め寄るその姿は、どこぞの隊の軍曹のようである。


「いいか?よーく聞け青年。建国記念日は【を記念し祝う日、建国記念の日は【を記念し祝う日なのだ」

「……え?何が違うの?」

「建国記念日であると、制定した2月11日が日本が建国された日だという事になる。しかし。我が国日本はいつ建国されたのか、その正確な起源が分かる史実がないのだ!つまり!史実として証明できないものを声明出来ないという事で、幾度の挫折を繰り返し、建国した日ではなく、建国そのものを祝う祝日としようという考えで一致して建国記念の日となったのだ!解ったかな青年?」

「へー。そうなんだ」


急な雑学と濃いテンションに気後れが否めないカズマ。しかし、カズマの反応に関係なく建さんは言葉を続ける。


「今の法制度の中でも『の』が入ったものが正式だ。よーく覚えておくように」

「なんのセミナーだよこれ……」

「さて。 前置きが長くなってしまったな。青年には祝日がなんたるかを早く伝えねばなるまい」

「今ので前置き!?伝えるって何!?」

「建国記念の日とは即ち……"建国をしのび、国を愛する心を養う日"である。しかとそれを青年に体感してもらわねばな」

「な、何する気だよ……?」

「まずは国から届くメッセージを聞こうではないか」


そう言うと、カズマは半ば強制的にソファーに座らされる。対面するテレビからは淡々とニュースが流れてきていた。


「……なに?」

「国営放送だ」

「……」

「情勢を知ってこそ国を敬える土壌も出来る。国からの声に国民も耳を傾けなければな」

「……いや、これN〇Kだよね?」

「1950年以降から公共放送と呼ばれるが、れっきとした国の放送だ」

「国の放送だとか言われても……こんな番組合間のニュースで国を敬うのは無理じゃないかって思う」

「何を言う。ここでは日本の歴史を踏襲した演劇も放映するであるだろう。立派な心掛けではないか」

「えっと……?あー、大河の事ね。どんだけN〇K推しなんだよ」


気が滅入りそうになり自然とリモコンに手が伸びる。そのままチャンネルを回すとすぐにある異変にカズマは気付く。


「ん?んん??んんん!?」


ザッピングしてもしても、流れて来るのはさっきのニュース番組。一瞬目を疑ったがニュースを読み上げているアナウンサーは同じ人。なぜだがチャンネル全てがN○Kに変わっていたのだった。


「なんだこれ!?」

「喜べ。特別仕様だ」

「喜べるかぁ!!」

「言ったであろう?今日は建国をしのび、国を愛する心を養う日であると。普段では気付けない国の気高さ、美しさ、壮大さを五感全てで受けてこその今日という日なのだ」

「なのだじゃない!それ実行しているの、この国でこの部屋ここだけだろ絶対!?」

「うむ。自分の生まれ育った国を崇高な心で祝える青年は幸運だな」


感慨深く頷く建さんを何とも言えない目で睨むカズマ。すかさずスマホの発信履歴の一番上にコールをかける。


『はい。村南不動産です』

「ちょっとぉぉぉ!!異様過ぎるんだけどこの人ぉぉぉ!!」

『今日は2月11日……あぁ、建さんですね』

「何そのシフト感覚!?」

『建さんは少々昔気質なところがありますが、清廉な心を持った人徳者ですよ』

「昔気質で片付けられますかね!?説法のように祝日の成り立ちを聞かされて、あげくテレビのチャンネルN○K全塗りですよ!?なんか洗脳の一種と言っても過言じゃないですよこれ!」

『うーん。そこまで周藤様が発奮される状況であれば、契約解除の方を致しますか?』

「いやなんでそれ一択なん……?こっち来てなんか対応するとかあるじゃないですか」

『契約書の方にも記載してある通り、祝日さんに関しては家主の方が対応して頂く決まりになっておりますので。こちらからの介入は不可である事をご了承ください』

「じゃあどうすれば……」

『日付が変わりましたら祝日さんはお下がりになりますので、それまでの間をご対応して頂く形でしょうか』

「あと半日も……?厳しいですって」

『では解除の手続き致しますか?』

「お金、かかるんでしょ……?」

『はい。筒なく』

「……………………継続で」

『了解しました。ではご検討を祈って、』

「フンヌッッッ!」


行き場のないフラストレーションを放出するかのように、カズマは通話されたままのスマホをソファーに投げつける。


髪をクシャクシャと掻き乱しながら壁と壁との間を行ったり来たりするカズマ。数回往復を繰り返して建さんの前でピタッと足を止めた。


「おい建さん!!」

「ん?何かな青年?」

「こうなりゃヤケだ!部屋の主の底力見せてやる!」

「ほう。良い佇まいだ青年」

「かかって来ぉぉぉい!!」


その時の勢いに任せた判断を、カズマは根が残るぐらいに後悔することになる。


繰り広げられる建さんの自国談義。

「君にとって国とは?」を皮切りに、繰り返される建国Q&A。

国に捧げる黙祷タイム(1時間)

etc......


啖呵を切ったカズマは後にも引けず、建国デスマーチをギリギリのメンタリティーで消化していった。


気付けば、時計の針は12時手前に差し掛かっていた。


「うむ。もうこのような時間か。1日というのは実に短い。ただ。それ故に尊くもある。青年。今日この日を忘れる事なく、若きその芽を立派な花と咲かせ、堂々たる姿で我が国の礎を作っていってくれたまえ。では、また来年も会おう!」

「……」


陽炎のようにゆらりとその姿を消す建さん。その傍らで、ソファーで大の字になり白目を剥いて脱力するカズマ。


声を出す余力もなく、心の中でカズマは思った。


「まっぴらご免だ!!!」と。


そのまま気絶するように眠りに落ちたカズマは、翌日のバイトを寝過ごすのであった。

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