第18話 ようせいさん……4
家に辿り着いた私は早速、あの主人から渡された箱を開けてみることにした。
母がいたのなら、箱を開けるのはやめておこうかと思っていたが、その必要はなかった。いつものごとく母はいなかった。
どうせ、年甲斐もなく男の尻を追いかけているのだろう。あいつの股から自分が生まれたと思うだけで吐き気がする。馬鹿らしく馬鹿な男に騙されて死ねばいいのに。
そんなことを思ってしまってまた嫌な気持ちになってきた。あんなやつのことを考えたって仕方がない。どうせあのクズは一生変わることなどないのだ。あの手のタイプは自分の行為について悔い改めることもない――そのくせ自分に都合の悪いことが起きれば誰かのせいにする。そのせいで私が今までどれだけ嫌な思いをしたのか想像すらしない。
いや、違う。そんなことできないのだ。自分のせいでなにかが起こるということが理解できないという究極的に救えない馬鹿でしかない。
どうせ、たいして金もない下半身でものを考えている下劣な男に引っかかって、都合よくあれこれと使われた挙げ句、適当に捨てられるのがおちだ。子供がいて、そのうえ金もなにもない四十過ぎのクソババアにはその程度の価値しかない。それが現実だ。その生ゴミ以下の存在がなにをしようが、なにをされようが構わないし知ったことではない。勝手にしろ。私はあの女のことを親だと思ったことは一度もないし、これからも思うことはないはずだ。迷惑をかけてこなければそれでいい。
だが、あの救えない低能生物であるやつはそんなことできやしないのが現実だ。どうせまた私に迷惑をかけてくるのだろう。私はまだ社会的には子供かもしれないが、それでも自分の身を守れるくらいにはなった。どうせ相手は知的能力がまるでないのだからやってできないことではない。
そんなこと起こりそうになってから考えれば充分だ。
今はそれよりも――
あの主人から渡されたこの箱の中身のことの方が遥かに重要である。一体これにはなにが入っているのか?
箱の外装にはなにも書かれていない。もともとそういう箱なのか、それともあの主人が適当な箱に入れたのかは定かではないが。
包装に使われているテープを綺麗にはがして箱を開ける。
箱の中に入っていたのは、折り畳み式の虫捕り網のようなものと大きな瓶にストップウォッチのようなものと、これを作ったやつのセンスを疑いたくなるような星形の眼鏡の四つだった。
なんだこれは、と思ってしまう。あいつは私に虫捕りでもすればいいというのか? それをやれば私の望みが叶うとでもいうのだろうか? ふざけるな。ふつふつと怒りが湧いてくる。やっぱり私は都合よく騙されてしまったのか――
とりあえず箱の中に入っていたものをすべて取り出してみる。すると、その下から小さな紙の冊子があることに気づいた。その冊子には『ようせいさん捕獲キット』と書かれている。
妖精だと? なにを馬鹿なことを言ってるんだ。ふざけているのか。やっぱり私は騙されたのだ。
くそ、ふざけやがって。私は手に取った冊子をそのまま床に投げつけた。大金を払わされたわけではないのに、私の怒りはどんどんと大きくなっていく。
やっぱり、自分の力でどうにかする以外ほかに方法などないのだ。そんなこと当たり前ではないか。少しでもあんなものを信じた私の方が馬鹿だった――
それでしばらくそれらを放置して寝転がっていると、ふとあることに思い至る。
あの店の主人が私を騙すつもりだったのなら、何故こんなものを渡したのだろう?
騙すつもりなら、あの場で金を払わせるか、あるいは適当な誓約書かなにかを書かせたりするのではないだろうか? 少なくとも私の記憶の中ではそのどちらもされた覚えはない。
そんなことに気づくと、怒りよりも疑問の方がだんだんと強くなってくる。そう。考えてみれば考えてみるほど、私を騙すために、あの主人がこのようなことをする理由が見当たらないのだ。騙すのならもっとうまい方法などいくらでも思いつく。
怒りがおさまってきた私は、『ようせいさん捕獲キット』と書かれている冊子を手に取った。ページを一枚めくると、そこにはこんなことが書かれている。
ようせいさん捕獲キットの使用説明書および使用上の注意説明書
これはようせいさんを捕獲するための道具です。以下のものが入っています。
ようせいさん捕獲網
ようせいさん捕獲瓶
ようせいさん視認眼鏡
ようせいさん検索機
この道具の使い方
まずようせいさん検索機の電源を入れます。
すると、近くにいるようせいさんを自動的に検索します。
近くにいるようせいさんを付属の眼鏡をかけて、網を使って捕獲します。
捕獲したようせいさんを付属の瓶に入れればこれで完了です。
馬鹿みたいなことが当たり前のことのように書かれていて、私は困惑する以外できなかった。
ようせいさん? なんだそれは。ファンタジーとかにでてくる羽根とかついた小さい人型のあれのことを言っているのか?
いや、そもそもそんなものが近くにいるのか? 頭の中にはさらに疑問符が浮かんでくる。
というか、何故私とようせいさんとやらになんの関係がある?
まさかそのようせいさんとやらが願いを叶えてくれるというわけではあるまい。
と思いながらも冊子のページをめくる。
ようせいさんを捕獲すると……
ようせいさんが近くにいるとあなたに幸せをもたらしてくれます
すぐに効果は現れないかもしれませんが、ようせいさんは必ず幸せを呼んでくれます
もしかするとようせいさんはあなたの願いを叶えてくれるかもしれません
しかし、呼び込まれる幸せは必ずしもあなたが望むものであるとは限りません
ようせいさんとは根気強く付き合っていくことが重要です
などということがまたしても断定的に書かれている。荒唐無稽なこともこうまで確定的に書かれると、もしかしたら本当なのでは? と思い始めてしまうほどだ。
そこで試しにようせいさん検索機の電源を入れてみることにした。ドラ〇ンボールレーダーみたいな機械である。電源をつけてから、充電が必要なのでは? と思ったが、それは心配する必要はなかったようで、普通に電源がついた。
ようせいさん検索機の画面に無機質な光が灯る。画面の中心に青い点が灯った。これは恐らくいま自分がいる位置だろう。他にはなにもない。
しばらく待っていると、画面の隅の方に黄色い点が灯った。その黄色い点は画面の隅をうろうろしていたかと思うと、急に消えてしまった。かと思うと、黄色い点は画面の色々な場所に次々とついたり消えたりを繰り返した。
この黄色い点がようせいさんなのだろうか? そう思いながら冊子をめくる。
ようせいさん検索機の見方
画面上の青い点が、現在ようせいさん検索機がある位置です
画面上に発生する黄色い点が現在位置から近い場所にいるようせいさんの位置です
中心の青い点から画面の隅までの距離は半径約五百メートルになります
ようせいさんは常にその場にいるとは限りません
ようせいさんがその場所にいる時間には大きな幅があります
ようせいさんが近くに現れるのを待ってみるのも一つの手です
ここまでくると呆れるのを通り越して笑えてくる。
が、この機械の画面に黄色い点がついたり消えたりしているのは紛れもない事実だ。私のような貧乏女子高生を騙すのにこんな手の込んだことをするとはとても思えない。
思えないが、やっぱり疑いを捨てきることもできなかった。
冊子をめくる。
ようせいさんを捕獲する際、および捕獲したあとの注意事項
ようせいさんは付属の眼鏡をかけなければ、原則的に見ることはできません
また、付属の網以外のものでは原則的に捕まえることはできません
捕まえた場合は網ごと取り外して付属の瓶に入れて、しっかりふたをしてください
付属の瓶以外ではようせいさんを捕まえておくことはできません
捕まえられたようせいさんはどう扱っても、捕まえた者に対して怨みを抱きます
ようせいさんは可愛らしい見た目とは裏腹に、非常に狡猾で残虐な存在です
一度捕まえたようせいさんが瓶から逃げた場合、その相手には必ず復讐してきます
ようせいさんを捕まえた瓶の破損などには充分気をつけてください
使用の際に発生した損害について、当該は一切責任を負いません
これを使う場合は自己責任でということか。冊子はこれで終わっている。それを置こうとしたとき――
急に大きな音が鳴り響いて、飛び上がりそうになる。その音がどこから鳴っているのかと思ったら、先ほど電源をつけたようせいさん検索機からだった。
画面を見ると、青い点のすぐ近くに黄色い点があった。説明書の通りならば、ようせいさんはいまこの近くにいるということだ。しかし、どこに視線を動かしてみてもそんなものは見当たらない。
そんな風にしていると、安いパーティーグッズのような眼鏡のことを思い出した。星型という、どうかしているとしか思えないフォルムの眼鏡である。
年頃の女子がこれをかけるのはいかがなものか――と思ったが、どうせ誰も見てはいないのだ、と思い直してダサい眼鏡をかけてみる。
すると、部屋の中に十センチ程度の不思議な光がすぐ目に入った。
これが『ようせいさん』とやらなのか? 不思議な光はこちらことなどまるで気にする様子もなくふよふよと漂っている。
捕まえるべきなのか? 本当に――
いや、と思い直す。
何故躊躇する必要がある。どうせ私にはなにもないじゃないか。どうせなにも失わないのならやってしまった方がいい。
折り畳まれていた網に手を伸ばし、組み立てる。思いのほか長いものだった。
そろそろと近づいて――
一度、深呼吸をする。
不思議な光に向かって網を振り下ろした。
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