第13話 不幸は誰かに押しつけろ6

「ここの関数の指定を――」


 私は隣に座っている島村にタブレットPCの画面を指さしながらそう説明した。それを聞くと島村はそれなりに慣れた手つきでキーを打ち込んでいく。


「こうですか?」

「うん。これで実行してみて。大丈夫だと思う」


 それほど複雑なプログラムではないので問題はない――と言いたいところだが、慣れていてもミスをしてしまうのが人間という生き物である。でも、慕ってくれている後輩の前でミスをしてしまうのはちょっと恥ずかしいけれど。


 という風に心配はあったものの、タブレットPCの画面上で実行されたプログラムは問題なくコンパイルされたのち、実行されていた。


「あ、大丈夫みたいです。ありがとうございます! やった!」


 無邪気に喜んでいる島村を見ているとなんだかこっちも嬉しくなってしまう。


 人の姿がまばらな食堂で私は、島村が授業の課題として出されたプログラムを見てあげていた。私も去年同じ課題をやっていたので簡単に教えられると思っていたのだが、誰かに教えるというのはなかなか難しい。


 きっと、いい選手がいい指導者になるとは限らないというよく聞く言葉はきっとこういうことなのだろう。まあ、私はまだ熟練しているとはとても言えないけれど。


 先週末の『勉強会』でちょっとしたきっかけで知り合った島村と、こんな風に付き添って教えることになったのには理由がある。


 それは一昨日のこと――月曜日の三時限目、私が選択していた教養科目の授業で島村と一緒であることを知ったからだ。


 そこでまたしても話が弾んで、島村から出された課題のことで相談されたのだった。


 その課題を通じて、自分なりのものではあるが開発や設計についてアドバイスしたり、開発環境の上手な使い方やカスタマイズ方法を教えたりもした。


 私がプログラムを始めたのは中学のときだ。最初にプログラムを作ってから七年以上になる。母は結婚前、大手のソフトベンターに勤めていたし、父は外資系ソフトウェア企業で開発に携わったのち今でもフリーのエンジニアとして実績をあげている。両親ともにエンジニアということもあって、相当環境は整っていたと思う。特に強制されるわけでもなくパソコンをいじり始め、気づいたら家に山ほどある技術書を見ながらプログラムを作っていた。


 だから、いま一緒に学んでいる同年代の学生たちよりも先んじているという自覚はあったし、その自信だってそれなりにあった。


 しかし、こう誰かに教えてみるとまだまだ自分は未熟であるということを実感させられるものだった。


 特に自分が知っていることをどうすればうまく伝えられるのか、というのは自分が思っている以上に難しい。


 だが、それ以上にいい経験になったのもまた事実である。


「ありがとうございます。これで山中先生の授業の足きりにならなくて済みそうです」

「うん、そうだね。けど、山中先生のことだから、学期末になったらまた難しい課題を出してくるよ」

「うへえ。そんなこと言われちゃうと不安になるじゃないですかー」


 にこやかに言っているものの、不安なのは本当だろう。


 山中先生は情報工学部の中でもトップレベルで厳しい先生で、学期末のテストの代わりに一年生がやるには難しい課題を出し、なおかつ半期の間に三回出される課題を一度でも提出しないと、学生から泣きつかれようがなにをしようが問答無用で落とすことで学部内では有名だ。やる気のない学生には鬼門の授業ではあるが、そのぶん確かな力がつく授業でもある。


「まあ、もしわからなかったら今回みたいに相談にのってあげるからさ」

「本当ですか。ありがとうございます!」


 島村は少々オーバーなリアクションで頭を何度も下げる。そんな島村の背後からなにやら視線を感じた。そちらの方に目を向けると、一人の女子学生がこちらを注視していることに気づく。


 中学生かと思うほど小柄で可愛らしい容姿と服装をしているのだが、こちらに注いでいる視線にはかなり厳しく鋭い――だが、その子となにかトラブルを起こしたような覚えはないし、そもそも顔見知りですらない。睨みつけられてイラつくというより何故? という気持ちの方が強かった。


「どうかしました?」


 その声を聞いてはっとする。島村がこちらを不安そうな顔で覗き込んでいた。


「いや、なんでもないよ。気にしないで」


 そう言ったあと、再び同じ場所に視線を動かすと、先ほど睨みつけていた女子生徒はどこかに消えていた。


「じゃ、ひと段落ついたし、そろそろ帰ろうか」


 気を取り直してそう言うと、島村は、「はい」と頷いて、学食の机に広げていた荷物を片づけ始めた。


 果たして先ほどこちらを睨みつけていたあの子は一体なんだったのだろう。まさか妖精とかではあるまい。なにかあのようにガンつけられるようなことをしただろうか――


 そこであの剣のことをふと思い出した。


 あの店で手に入れた、他人に突き刺すと、自分の不幸を別の人間に押しつけて分配することができるあの剣だ。


 ここあれからまたさらにあの剣を刺した人間の数を増やし、少なくとも三十人には達しているはずである。


 もしかしてあの子はあの剣のことを知っている? もしくはあの剣になにか関係があるとか――いや、まさかそんなことは。


 そう自分に言い聞かすものの、疑念というのは一度湧いてしまうとなかなか払拭しがたいものだ。背筋をじわじわと這うような、言いようのない嫌な気配が漂う不安が湧き起こる。


「なにやってんだよ……お前」


 突然聞こえてきたその声に思考が途切れる。そちらを見れば、そこにいたのは未だにつきまとっているストーカー野郎であった。


「なにやってるってなにが? 後輩に課題のことで相談されたから、その相談に乗ってあげただけだけど。ていうか、彼氏でもなんでもないあんたになんでそんなこと言われなきゃならないの? いい加減にしてくれない? あんた頭おかしいんじゃないの?」


 図星だったのか、ストーカー野郎は苦虫をかみ潰したような顔をする。何故これだけ言っているにも関わらず話が通じないのだろう。もしかしてこいつ宇宙人かなにかなんじゃないか?


「本当に救えない脳味噌をしてるわね。いい加減現実を見たらどうなの? 私はあんたのことなんて害虫としか思ってないのよ。あんた家に出てきたゴキブリと話をしようって言われてするわけ? まあするかもしれないわね。同じレベルなんだし」


 私はわざとらしくため息をついた。


「さっさと行くわよ、島村くん。こんな馬鹿を相手にしてると脳が腐るから」


 戸惑いを隠せない様子の島村は私に促されて立ち上がる。それを見て歩き出そうとすると肩をつかまれた。


「ま、待てよ」


 それを振り払って、ついでにその腐れ面に正拳突きでもぶち込んでやろうかと思うと、


「やめてください」


 島村がストーカー男の腕をつかんでそう言った。その声はかなり震えている。きっと勇気を振り絞ってそれを言ったのに違いない。


「なんだよ。お前は関係ないだろ」


 その震える声を聞いてストーカー野郎は島村のことを下に見たのか、ふんと鼻で笑ってそんなことを言った。


「そうですね。関係ないかもしれません。でも、関係ないからといって、嫌がっている人につきまとってるあなたのことを見過ごすのは間違いだと思います」


 その声は相変わらず震えながらも、それでも明瞭であった。


「あなたと先輩になにがあったのかは存じ上げません。

 でも、いまあなたがやっていることはどう考えたっておかしいですよ。僕から見たら、あなたのことを先輩が嫌がっているのは明白です。あなたがこんなことをしているのが一度や二度じゃないということもわかる。どうしてそんなことするんですか?」

「うるせえ! お前には関係ないだろ! とっとと失せろ!」

「嫌です。なにをするのかもわからないような人にそんなこと言われて、はいそうですか、頷くわけにはいきません。そんなことだから、あなたは先輩に嫌われたんじゃないですか?」

「てめえ! 言わせておけば……!」

「ええ。言わせてもらいますよ。あなたはとっくの昔に先輩から見限られて、相手にされていないんです。先輩が言ってもわからないようでしたら僕が言ってあげますよ」


 島村のその声には強い怒りが感じられた。声が震えていたのは怯えていたのではなく、怒りのせいだったらしい。あまりにも意外な島村の様子に私は驚きを隠せなかった。


 自分よりも年下で、しかも見るからに軟弱そうなやつにそんなことを言われるなどまったく思いもしていなかったのか、ストーカー野郎は顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。


 ストーカー野郎のその様子を見ても島村は一切表情を変えず、私の肩をつかんでいる手を振り払った。


「先輩一人に言われてるんだったら、自分勝手な妄想で言い聞かせることができるかもしれないですけど、なんの関係もない僕にも同じことを言われたのだから、これが現実だっていうことがわかったんじゃないですか? わかったのならもうつきまとうのはやめてください。あなたのやっていることはただの犯罪だ」


 あまりにも無慈悲に、そして力強く突きつけられた言葉にストーカー野郎は呆然と立ち尽くしている。その様子を見て、私はとてもいい気分になった。私がいくら言ってもあいつにあんな顔をさせることができなかったからだ。


「行きましょう、先輩」


 今度は島村が私にそう言って促して、私たちは背後でいまだに打ち震えているだろうストーカー男など一切気にせずに歩き出した。


 なんと言っていいのかわかないまま、しばらく歩いたところで、


「すみません、先輩。余計な口出ししちゃって」


 と、いつもと同じ口調になってそう言った。


「ううん。そんなことないって。ありがと。でも、意外だったな。あんな風に強く言えるタイプだなんて思わなかった」

「なんというか、あの人の様子を見てたらだんだん我慢できなくなって……それで」


 自分でも少し困惑している、という感じが見て取れた。きっと島村は、先ほどのように怒りを見せることは滅多にないのだろう。


 でも、島村が先ほど見せた態度に、私は言いようのない嬉しさを抱くばかりだった。


 いままで付き合った男がどいつもこいつもろくでもない人間だった私には、先ほどのようなことなど一度も経験したことがなかったからだ。


 これもあの剣のおかげなのだろうか――いや、そうに決まってる。そうに違いない。


 あの店主に感謝の粗品でも贈るべきだろうか――そんなことを思った。

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