第14話 不幸は誰かに押しつけろ7

 物事というのは一度いい方向に転ずると、自然とそちらの方へ傾いてくれるものらしい。


 一昨日、あの出来事のあと、あのストーカー野郎が私につきまとってくることはなくなった。私以外の人間に、あいつ自身の異常性を指摘されたことがよほど耐えがたかったのだろう。しかもそれを言われたのは見るからに弱そうな年下である。頭が悪いくせに無駄にプライドが高いあいつのことだ。相当の屈辱であったことは考えるまでもない。自分を見直すいい機会になるだろう。ま、これがあったからといってたいして変わらないだろうが。


「ねえ」


 と、いきなり話しかけられた。


 その声を聞いて振り向くと、そこにいたのはこないだ私のことを睨みつけていたあの子だった。やはり大学生とは思えないほど小柄で可愛らしい。しかし、相変わらずこの子が私に向けているものは鋭く厳しいものだった。


「なに?」


 そう私が返すと、例の娘は私の方から視線を逸らして、少し困ったような様子でぼそぼそと口ごもっている。別段、強く言ったつもりではなかったのだが、彼女のように明らかに年下に見える娘に目の前でそのようにされてしまうとこっちの方が少し困ってしまう。


 どうしよう……。


 誰かがこの今の状況を最初に見たのなら、私がこの子を困らせているようにしか思えない構図である。二限の終了時間までまだ少しあるので、まだ学食にはそれほど人がいないのが救いだった。


 お互いどうしていいかわからず、しばらく無言の時間が続く。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。五分、十分、もしくはまだ一分も経っていないのかもしれない。時間の感覚がよくわからなくなる無言の時間が続く間、学食には徐々に人の数が増えていく。


 すると逸らしていた視線を私に向けて、


「えっと、あなたが持っているその――」

「邪魔だ! どけ!」


 そのような怒声によって彼女の言葉は遮られたばかりか、闖入者によって彼女は横っ面から思い切り殴り飛ばされて昏倒してしまった。


「あんた……なにやってんのよ!」


 いきなり名前も知らないあの子に突然暴挙を働いたのは例のストーカー男だった。私はストーカー男の手もとを見て背筋が凍った。その手には刃渡りニ十センチ以上もあるナイフが握られていたからだ。


 刃物を持った男の出現に人の数は増え始めた学食は騒然となる。

 まさかこいつがこのような手段に出てくるとは……少しばかり油断していた。


「うるせえ! 黙れ! お前が悪いんだ! 俺は悪くねえ! 俺は……!」


 このような暴挙ですら自己正当化する様子を見て、刃物を持った男を前にした恐怖よりも怒りの方が先に立った。


「なにが俺は悪くねえよ。いい加減にしたら。ナイフなんて持ち出して、関係ない子を殴りつけてそれが許されると思ってるの?」


 殴られた彼女の方にちらと視線を向ける。

 どうやら、裏拳で撲られたようで出血はしていない。


 が、意識の外からの攻撃を受けるのは思いがけないダメージを受ける。しかも殴られた場所は側頭部だ。もしかすると、やばいかもしれない。


 視線をストーカー野郎へと戻す。


 ストーカー野郎の目は明らかに血走り、強い狂気を湛えている。島村から言われたせいで自己正当化することで保っていた自我が崩壊したのかもしれない。仮にそうでなかったとしても、目の前にいるこの男の様子を見れば、素人にどうこうできるものではなくなっているのは明白だった。


「うるさいうるさい! 俺のことを馬鹿にしやがって! 俺は悪くねえ! 悪くないんだ! 悪いのはお前だ。ぶっ殺してやる!」


 狂気に満ちた金切り声で叫びがながら、手に持ったナイフを大きく振りかぶって斬りつけてくる。大きな動作だったので、私は自分の鞄で向けられた刃を防いだ。当然、防刃加工もなにもされていないバッグなのでばっさりと切り裂かれてしまった。そこから中に入っていた教科書類が落ちてくる。その中に――


 あのペンダントも教科書と一緒に床に落ちていることに気づいた。


 やばい――反射的にそう思ったが、しかし、目の前には刃物を持ったいかれた男がいる。おの状態では拾うわけにもいかない。


 どうする……あれを奪われるわけには……。


 だが、私のその願いも空しく、鞄から落ちたペンダントはストーカー野郎の方に転がって、その足にぶつかった。

 それに気づいたストーカー野郎はペンダントを拾う。


「なんだよ……これ?」


 ストーカー野郎は訝しげにそのペンダントを見つめる。


「返しなさい」


 私はほとんど反射的にそう言った。


「もしかして、あいつからもらったのか?」

「違うわ。島村くんは関係ない」

「嘘だ! どうせあの野郎からもらったんだろう! いけしゃあしゃあと言いやがって。どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ!」


 ストーカー野郎は手に取ったペンダントを思い切り床に叩きつけた。思い切り床に叩きつけられたペンダントは意外なほど呆気なく割れてしまった。ペンダントが割れた瞬間を目撃した私の視界は真っ赤に染まった。


 私は、知らない男からもらった(と思っている)ものを壊して悦に浸り、明らかに油断していたストーカー男に近づいてその股間を思い切り蹴飛ばした。ごりっとした嫌な感触伝わったが、その程度のことで止まることはなかった。


 油断していたところで思い切り股間を蹴り上げられたストーカー男は言葉にならない悶絶をして手から刃物を取り落とす。


 股間に強烈な打撃を食らって頭が下がったところで、喉もとに向かって肘鉄をぶち込んだ。喉に肘鉄をぶちかまされたストーカー野郎は鳥の鳴き声のような呻き声を上げてさらに顔面の位置を下げて、床に顔を向ける。


 そうなったところでさらにもう一撃。床に向けた顔面をつま先で蹴り上げた。そうするとストーカー野郎はひっくり返るように仰向けに倒れた。股間と顔面を蹴り上げられ、喉に肘鉄を食らったストーカー野郎は両手で股間を抑えたままぴくぴくと痙攣しながら失神している。ストーカー野郎が動かなくなったのを確認し、私はすかさず先ほど地面に叩きつけられたペンダントを拾った。


 ペンダントは綺麗に真っ二つに折れている。


 起こってはならないことが起こってしまった。少し前にペンダントの破損や紛失には気をつけなければならないということはわかっていたはずなのに……。


 どうする? どうすればいい? 早くしないと――


 いや。待て。二つに割れたからといって壊れたと決まったわけではないのではないか? そんな考えが頭をよぎる。


 そうだ。粉々になって修復もできなくなったわけではない。ペンダントの割れ方は綺麗だ。これならば直せるかも――


 そこでこのペンダントが『あり得ない』ものであることを思い出す。


 そうだ。これはただのアクセサリーなどではない。人を超えた『なにか』が作ったものなのだ。


 焦りながらもあることを思い出す。これをくれたあの店の店主ならばこれを直せるのではないか? 確証はない。でも、他に選択肢がない以上やるしかないのだ。


 私は先ほどの大立ち回りで騒然としたままの学食を脱け出して外に出る。外に出すぐ、妙なことになっていることに気づいた。それで思わず足が止まる。


 学食の中では気づかなかったが、外の方でもなにか騒ぎが起こっているらしかった。もしかしてあのストーカー野郎が島村を刺したり斬りつけたりしたのか――と思ったが、どうやら違うようだ。外の騒ぎは学食での騒ぎとは関係ないらしいことが遠目からでもわかった。


 そんなことを気にしている場合ではない。早くあの店にいかなければ――

 

 焦りながらも再び走り始めて建物の裏の道に入り込んだところでがくんと足もとが揺さぶられた。


 地震だ。しかもかなり大きい。

 ここにいるのは危ないかもしれない――そう思ったところで――


 急に自分の視線の位置が低くなったことに気づく。あれ、なに? 空が遠い――なん、で?


 なには起こったのか理解できないまま、ゆっくりとゆっくりと空が遠くなっていくのを私は眺めていた。















「では、彼女はあの地震で発生した地割れに飲み込まれてしまったのですね?」

「はい」

「その前になにか彼女はなにかトラブルがあったようですが、それについては?」

「いえ、あの人にちょっと話があったので話しかけたのですが、急に現れた男の人に殴られてしばらく気を失っていたので詳しいことはわかりません」

「話、とは?」

「えっと、それは言わなければならないでしょうか? あの事件とは関係ないことなんですけど」

「ああ、そうですか。それならいいですよ。あなたと彼女にトラブルがなかったことは裏がとれていますから。もう一度確信しますが、地割れに巻き込まれたのは彼女だけなんですね?」

「はい。私が見た限りでは他に誰か巻き込まれた人はいないと思います」

「そうですか。ご協力ありがとうございます。お時間をとらせてしまって申し訳ありません」

「いえ」

「しかし、まさか大学の中で地割れが起こるとは……私もそれなりに長くやっていますがこんなこと初めてです」

「たぶん――」

「?」

「あの人はきっと、ばちが当たってしまうようなことをしていたのだと思います」

「それはどういう――」

「あ、いや。なんでもありません。忘れてください。失礼します」

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