第11話 不幸は誰かに押しつけろ4

 ここで一つこの剣のリスクについて考えてみよう。


 この剣のリスクが非常に低いことはすでに理解しているし、実際に使用してそれが本当である確証も取れている。今のところ今日、学内で十人ほどの見知らぬ誰かにこの剣を突き刺したがなにも問題は起こっていない。刺さった剣が刺された者には見えず触れず気づかれずというのは本当だった。小さいながらも本物さながらの鋭さを持った剣が身体に突き刺さっているというのになにも感じていないのだ。


 一つ問題があるとすれば、明らかな異物が身体に突き刺さっているのに、それに気づいていない状態を見るのはなんとも言い難いグロテスクさがあるということだ。まだやったことはないし、今後もやるつもりもないし、そもそもやる必要性もないが、例えばあの剣が目に突き刺さっているのを見たら、正直その相手と相対していられないと思う。刺す相手に気づかれないようにするのが大前提であるため、大抵は背中や腿裏といった狙いやすい身体の背面をすれ違いざまに狙うようにしている。


 現在、この剣の効果を実感できていない。五千兆円が入った通帳とキャッシュカードも拾っていないし、偶然日本にやってきた石油王から油田をプレゼントされてもいない。使用者の不幸を、自分と剣を刺した人間の数を足した数値でそれを分配するという性質上、効果を実感するのは少し難しいかもしれないが――なんだか自分にかかっていた重みが軽くなった気がするのも事実だ。


 そんなものは気のせいかもしれない。


 だが、「そうなった気がする」というのは案外と重要だったりする。それは「そうなった気がする」という錯覚が自信に繋がるからだろう。スポーツでもなんでも、練習という行為は技術など磨くと同時に、「できるようになることを体験する」ことでもあるからだ。本番は練習のようにやり、練習は本番のようにやる、というよく知られた言葉にもそれは現れている。


 私はこの剣を取り扱うことに慣れてきた。慣れ始めたところだからこそ、いま一度この剣を使うと発生するリスクを見直す必要がある。


 私はそこでノートとシャープペンを取り出し、そのリスクを書き出してみることにした。


 もっとも考えるべき事項はこれだ。


 呪いが私に返される状況はどのようなことなのか、そしてそれはどのような状況なのか、ということである。


 説明書にはこの剣を使用した場合は必ず呪いを返される可能性がある、と明記されている。しかし、どのような状況になったら呪いを返されるのかという記載はない。


 その理由が記載されていないパターンは二つある。


 一つ目は意図的にそれを記載していないということ。

 では、何故それについて意図的に記載していないのか?


 これも二つのパターンに分けることができる。作った何者か(あの店主かもしれない)が、その内容について使用者に知られたくない場合、もう一つはそれを知られてしまうと、この剣を作った何者かになんらかの不合理が発生する――というところだろうか。


 この剣を作った何者かに不合理が発生する――これについては推測を立てることができない。そもそもこんなあり得ない道具を作る存在の意図を人間――つまり私が知り得るとはとても思えないからだ。人間というのは家族ですらなにを考えているのかわかりかねる生き物である。人間を超越している(かもしれない)存在の思考など読めるはずもない。だから、こちらについての考察はする意味がない。


 意図的に記載していない場合で重要なのは、記載していない内容について使用者に知られたくないというパターンの方だ。


 本来であれば記載するべき事項をあえて記載していない――これについていくつか考えられるが、この道具がなんらかの超越的な存在によって作られたものだとすると、一番あり得そうなのは、記載していない事項を使用者に行わせたいということが浮かび上がってくる。


 何故それを行わせたいのかはわからない。これを行わせると作った何者かになんらかの利益が発生するのかもしれないし、もしくは知らず知らずのうちに間違いを犯して、酷い目に遭うのを見たいのかもしれない。


 だがそれはあまりに人間的な考えである。人間とは異質の知性を持つ存在が、人間に近い価値観を持っている可能性は高くないからだ。


 しかし、記載していない内容を行わせたいというのは悪魔的なものがあるのは事実だ。


 やはり、使用者になにか行わせたい意図があるかもしれないということがわかっても、それ以上のことわからない。そこに踏み込むには、この剣を作った何者かの意図を理解しなければならなくなる。


 剣を作った何者かが、なにかこちらに行わせたい意図があるかもしれない――それを知れただけでも収穫はある。それについて考えていれば、いずれそれに対する理解も少しはできるかもしれない。


 もう一つのパターンは、呪いを返されてしまう状況が多いということ――つまり言い換えれば、私が思っているよりも遥かにこの剣の呪いを返すのは簡単にできてしまうという可能性である。


 思っているよりも返される状況が多いというのがどういうものか不明だが、このような状況になると呪いを返されてしまうだろうということはいくつか考えられる。


 まず一つは剣を刺した相手に気づかれてしまい、その剣を抜かれてしまうことだ。


 説明書には、この剣は原則的に見えもしないし触れもしないと書かれている。わざわざ原則的にと明記されているということは例外があり得るということではないのか?


 その例外の具体的なものは不明だが、この記述は例外的な存在――非使用者でありながらこの剣のことを察知できる存在を示唆している。そのような例外的な存在がどれほどの数なのかはわからないが、記載があるということは、それは小さいものではあるものの、その存在を無視できるほど小さいわけではないということだ。


 このキャンパスには数千もの学生がいる。それだけいればその『例外』がいてもおかしくない。この可能性は頭の片隅に残しておくべきだろう。


 もう一つはこの剣が刺さっているペンダントが壊されてしまった場合だ。このペンダントが剣とリンクする本体のようなものであるのは、これを使う前に自分の身体に刺して戻さなければならないということから簡単に想像がつく。そしてそれを壊されれば自分に影響が及ぶことも。


 壊されるほかに呪い返しを受ける可能性があると考えられるのは、紛失した場合もあるだろう。


 このペンダントの使用権はペンダントから抜いた剣を自分の身体のどこかに刺して戻すことで発生する。とすると、なんらかのかたちで私がペンダントそのものを紛失し、それを拾うなりした別の人間が興味本位で自分の身体のどこかに突き刺した場合、その使用権はあとに『自分の身体に剣を突き刺して戻す』という行為を行った者に移ってしまうのではないか? 使用権を失えば、今までかけた呪いが私に返ってくるはずだ。


 これらのことを考えると、ペンダントの取り扱いには充分に気をつけなければいけない。さて、それについての対策はどうするべきか――


「おい」


 そんな声が背後から聞こえてきて、思わずびくっとして振り向く。そこにいたのは、あの迷惑極まりない、未だに彼氏面をしているストーカー野郎だった。


「なんでそんな嫌そうな顔してんだよ」

「はあ?」


 ストーカー野郎のその言葉にそんな言葉を返した。嫌に決まっているだろなにを言ってるんだこのクソ馬鹿野郎はどうやって育ったらそんなおめでたい脳味噌ができあがるんだ虫でも湧いてるんじゃないかさっさと病院に行って一生出てくるな。


「なに言ってんの。あんたはとはやっていけないって何度も言ったでしょ。そんなことも理解できないわけ? よくそれで大学受に合格したわね。裏口入学でもしたの? あんたの家って金持ちだったっけ?」

「な、なんだと?」

「なにがなんだとよ。それはこっちが言いたいわよ。もういい加減にしてくれない? あんたの存在自体が迷惑なの。死んでほしいところだけど、あんたみたいなのでも死んだら悲しむ人がいるかもしれないから、死ねとは言わないわ。私の視界には入ってこないでくえればそれでいいから。あといい加減、メッセージ送ってくるのやめてくれない? 迷惑なんだけど」


 目の前にいるクソ野郎は私はどうしてこんなことを言っているのか理解できないという馬鹿面を浮かべている。


「じゃ、そういうことだから。二度とその汚い面を私の前に見せないでね」


 私はそう言って広げていたノートを閉じ、シャープペンを筆箱に入れ、それらを鞄に入れて立ち上がる。


「ま、待てよ!」


 クソ野郎はそう言って私の手をつかんで引き留めてくる。


「なに?」

「は、話をしよう、話を。まだちゃんと……」


 なにを言ってるんだこの馬鹿は。こいつの脳味噌は昆虫とかと同レベルなんじゃないのか。


「なに話って? よりを戻したいとかいう話? やめてくれない。あんたのそのおめでたい脳味噌がどんな風に記憶を改竄してるのか知らないけど、ちゃんと話をしたはずよ。さっさと精神病院に行きなさいよ」

「だ、だから」

「だからなに? その汚い手、離してくれない? 不快なんだけど。離さないんなら警察呼ぶわよ。あんたのことは警察にも学生課にも話してあるからすぐ捕まって停学なりなんなりになるわよ。よかったわね」


 そう言うと、こんなことをやっているくせに小心者極まりないクソ野郎は怖気づいて手の力を緩めたので、それをきっかけにしてその手を思い切り振り払って歩き出した。


 警察にも学生課にもこいつの被害を訴えてあるのは本当だが、捕まることはあるまい。厳重注意されて終わりだろう。そんなこと、私には今までの経験上わかりきっていることだったが、小心者のこいつにはなかなか効果があったらしい。この程度のことでビビるくせによくあんなストーカー行為をできるものだと思うばかりだ。


 さっさと早足で教室を出て廊下を進んでいく。昼休みなのでどこもかしこも人が多い。そんなことを考えていると、まだ昼食を食べていないことを思い出した。時間を確認すると、あと十分ほどで昼休みが終わる時間だ。今なら食堂も空いているだろう。


 次のコマに授業は入っているのだが、その授業は小学生でも単位が取れる、と言われている授業だ。一度くらいサボったところで影響もないだろう。あとで知り合いにノートのコピーでももらえばそれでいい。


 それにしてもなんだあいつは。せっかくこの剣について色々と考えを巡らせていたのに水を支えてしまった。


 本当に不愉快極まりないやつだ。


 何故あそこまで不愉快になれるのだろうか。人を不愉快にさせる天才かなにかなのだろうかあいつは。


 この剣のついて考えるのもいいが、本格的にあいつのことをどうにかしたいところだ。小心者なので大それたことをしでかすような勇気はないだろうし、私としてもそれなりに身を守る手段を持ち合わせているので、あいつを対処することくらいはできると思っているが、羽虫が鬱陶しいことや害虫が不快なのと同じで消えてくれればそれに越したことはない。


 この剣をうまく使えば、あのクソ野郎もどうにかできるだろうか――そんなことを考えながら昼休みの騒々しいキャンパスを進んでいった。

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