第9話 不幸は誰かに押しつけろ2

 足を踏み入れた店の中は、今ではほとんど見かけることがなくなった駄菓子屋のような内装だった。


 しかし、駄菓子屋のようといっても、それは店内の内装の雰囲気だけである。


 なにしろここには見渡す限りの場所に駄菓子はおろか商品らしいものがどこにも見当たらないのだ。


 私は表現のしようがない異空間に足を踏み入れてしまったのではないかと思い、不安に襲われる。本当にここに足を踏み入れるべきだったのだろうか?


 いや、そもそもなぜここに今の自分の状況を打開できるものがある――という根拠のない直感を抱いてしまったのだろう。そんな妄想をしてしまうほど、自分が思っている以上にいまの私は追い詰められているのか。


 それとも――


「ああ、いらっしゃい。なにが望みだい?」


 視界の外側からそのような声が突如として聞こえてきて、はっとそちらに振り返る。視線を向けた先にいたのはなんとも奇妙な人間だった。


 そう――奇妙。いま私の前に現れたこの人物は奇妙としか言い表せない存在だった。


 まず、第一に性別がわからない。男性と言われればそのように思うし、女性だと言われればそれもまた不思議と納得できるような――奇妙というか異常としか言いようがないほどに中性的な顔立ちである。


 次に、年齢がよくわからない。二十から五十くらいの間であるのならば、どの年齢でもおかしくないような見た目をしていた。自分と同じくらいと言われても納得できるし、自分の両親と同年代と言われても納得できる。


 そして、性別も年齢もよくわからないせいか、徹底的に特徴というものに欠けていることだ。男女問わずに何万という人間を集めて、その平均値を取って作り出されたかのようだった。


 どんな人間であっても、大なり小なり必ず持っている『個性』というものを徹底的に削ぎ落とされている。背を向けて何秒かしたら、どんな容姿であったのかすぐ忘れてしまうとさえ思えてくる。


 なんだこいつは。そう思わざるを得ない。


 それほど人生経験が豊富ではないが、今までこのようなものを見たことは一度もなかった。


 いや、そもそもどうやったらこのような人間になるのだろうか。そう思うと、今の自分を悩ませているあの男に対するものはまったく別種の恐怖が滲み出してくる。


 なんと言ったらいいだろう。


 未知のものと遭遇した恐怖、あるいは自分の理解を超えた存在に対する恐怖――今の私が抱いているものはきっとそのようなものに違いない。


 店の主人らしき者は特になにか気にするようでもなく私に視線を向けている。


 私の心臓の鼓動はどんどん加速し、背中は嫌な汗にじっとりと濡れ、瞳孔が開いてまわりに視界がちかちかと明滅し、過呼吸を起こしそうになる。それでも、それでも何故かいま自分の目の前にいる存在から視線を外すことができなかった。


「まあまあ。落ち着きなよ。これでも飲んで」


 そう言って店の主人が出してきたのは、どこにでも売っている水のペットボトルだった。私は一瞬だけ躊躇したが、それを受け取って蓋を開け、一気に中身を飲んだ。よほど動揺して喉が渇いていたのか、一回で半分以上も飲み干してしまった。


「落ち着いた?」


 店の主人にそう問われてハッとする。確かに乱れに乱れていた私の心は不思議と落ち着いていた。


 もしかしてこの水の中に――


「そうそう。いま渡した水はコンビニとかで売ってるやつだから変なものはなにも入ってないよ」


 私の思考を見透かすように店の主人はそう告げてくる。そこから発せられる声もやはり女性のようにも男性のようにも聞こえる、徹底的に特徴を欠いた声であった。


「すみません。ありがとうございます。えっと、水のお代を――」

「いいよ、そんなの。ここに来ると大抵の人はきみみたいになるからね。それはここに足を運んでくれた人たちへのささやかなサービスだから気にしなくていいよ」

「はあ」


 サービスだと言われてしまっては、あまり無理に強く断るのはよくない気がしたし、水の一つや二つもらったくらいでぐだぐだ言うほどのことでもない、と判断して、ありがたく受け取ることに決めた。


「で、きみはなにが望みでここに来たんだい?」


 主人にそのように問われていっしゅんぽかんとしてしまう。


「え? どういうことですか?」

「おいおい。なにか望みがあるから、きみはここに来たんだろう? もしかして外に出してある看板を見てない? そうじゃなかった?」

「……い、いえ」


 確かに悩みもあるし望みもある。しかし、つい数瞬前に初めて顔を合わせた相手にそんなことを話していいのだろうかとも思う。


 だが同時に、どういうわけか、この極めて非人間的な店の主人が相手ならば、それを言っても大丈夫な気がした。


 先ほど渡された水をもう一度飲んで気を落ち着かせ、一度小さく深呼吸をしたあと口を開く。


「えーと。いま変な男につきまとわれてまして」

「うんうん」

「それに変な男に引っかかったのは初めてじゃないというか、今までそれなりの仲になった相手がどいつもこいつもろくでもない男で」

「ふむ。それで?」

「あまりにも変な男に引っかかってばかりなので、これをどうにかしたくて――」


 口ではそう言いながらも、本当に目の前にいる、おかしな店のおかしな主人がなんとかできるものなのだろうか――と思う。


「要はやたらと変な男に引っかかってしまうというきみの身の上をどうにかしたい、今現在、きみのことを悩ませている変な男――元彼氏でいいのかな――をどうにかしたい、そういうことでいいのかな?」

「はい」


 主人の質問に私は即答した。


「いまきみを悩ませているその元彼氏のことをどうにかするのはちょっと難しいんだけど、きみの変な男にやたらと引っかかってしまうという身の上ならなんとかできるものがあるけれど――それでいいかな?」

「ほ、本当ですか!」


 思わず私は上ずった変な声を出してしまう。


「そりゃ当たり前さ。嘘だったらそんなことは言わないよ。あいにくと僕は詐欺師じゃないし、詐欺をする必要もない。ま、それはそれとして。じゃ、取ってくるからちょっと待っててね」


 そう言って主人は奥へと入っていく。


 本当か。本当にこの私の身の上をどうにかできるようなものがここにあるのか? 猜疑心と歓喜が入り交じった形容しがたい気持ちで心がないまぜにされる。


 本当にどうにかできるというのなら、それに越したことはない。今までの人生、ずっとそのことで多くの時間、悩んできたのだ。


 だが、それは本当なのか?


 変な男に引っかかってばかりいる、という私の身の上をどうにかするものがこの世にあるのだろうか。


 常識的に考えればあるわけがない。


 しかし、私は自分でも不可解なほどに確信を抱いていた。あの主人が言っていることは嘘ではない。当然、自ら言っていたように詐欺師でもないはずだ。根拠などまるはずなのに、そのように思える。そうだ。外の出ていた看板にも書いてあったではないか――あなたの望むものを提供します、と。


 そんなことを考えていると、主人が奥から戻ってきた。手にはネックレスかなにかを入れるような小箱を手に持っている。


「少し悩んだんだけど、きみの望みに一番適しているものはこれかな。はい、どうぞ」


 そう言って主人は小箱を差し出してくる。


「え……あの、お代は……?」

「ああ。いいっていいって。ここはお金を稼ぐためにやってるんじゃないんだ。一応、『店』という扱いだけれど、実際はここに訪れた人に望むものを提供する『仲介所』みたいなものなんだ。外の看板にも書いてあっただろ? あなたの望むものを提供します、って」


 確かにそうだが、いざただで渡されてしまうと逡巡してしまう。どうしよう。いや、どうするべきなのか――

 決心ができずに悩んでいると、主人はこんなことを言った。


「いまきみに渡そうとしているものは普通に考えれば極めて怪しいものだ。常識的に考えれば詐欺としか思えないだろう。だから騙されたと思ってもらっていきなよ。仮にこれがまったくの嘘っぱちだったとしても、ただなら、まあいいかで流せるだろ?」


 確かに主人の言う通りだ。ただでもらったものならば、偽物をつかまされたとしても憤慨は起きない。偽物をつかまされて憤慨するのは、それが馬鹿みたいな金を支払うからなのだ。


 気を落ち着かせるために、もう一度水を飲んだ。これで中身は空になった。空になったペットボトルをつかんだまま少しだけ思案し、


「わかりました。お言葉に甘えてもらっていきます」


 と言って、男が持っていた小箱を受け取った。それを見て男は満足そうに頷いて笑みをこぼした。やはりそれにも特徴を欠いている。


「ああ、そうだ。それを使うときはちゃんと説明書を読んでね。説明をちゃんと読まないで使って、きみに都合の悪いことが起こっても僕には責任を取れないからね」

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