2章 不幸はシェア!

第8話 不幸は誰かに押しつけろ1

 どうして私の人生にはこんなにも不遇に満ちているのだろうか?


 二十年程度――現代の、人生の尺度として考えればたいして長くないと思われる時間ではあるが、私の人生を振り返ってみるとそのような『不遇』とかというようなものにばかりが転がっている。いや、正確なことを言うとそう思いたいのかもしれないが。


 いつのことだったか――それほど昔ではなかったと思うのだが――どうして自分の人生がこうまで『不遇』なのかと考えたことがある。


 前世とかでなにかとんでもないことでもしたのだろうか。文化大革命とか大粛清とかなんとかそんな感じの。


 無論、前世などあるとは思っていない。いや、あってたまるものか、とさえ思っている。今の自分をたびたび襲う『不遇』が前世で悪行を行った結果だというのならば、私は理不尽であると声を大にして反論しなければならない。


 仮に前世とかいうものがあったとして、それが今の私になんの関係があるというのだ。前世は前世であり前世以外の何物でなく、今の時代を生きる私とは完璧に断絶されているではないか。


 当然、前世の記憶などあるわけがない。そんなものがあったところで、十年前の昼に食べたものよりも価値などなく、そもそもなにも関係がない。何故、今の自分にはまったく関係ないことで理不尽な目に遭わなければならないのだ。


 昔のえらい科学者が神は老獪だが意地悪ではないと言っていたらしいが、こう返してやりたい。こんな理不尽な思いをさせる神とやらのどこが意地悪ではないのだ、と。それどころか悪意に満ちているではないか、と。


 だから私は前世などなくていいと思う。実際そんなもの、宇宙の隅々まで探したところで見つかりはないしないだろうが。


 そこで鞄の中に入っているスマホから通知音が聞こえてくる。鞄から取り出して画面を見ると、案の定あの男――ひと月ほど前にこちらから三下り半を突きつけて別れた元彼氏からのメッセージだった。また馬鹿みたいな長文を送りつけてきたらしい。


 ほんとこの男は……そんなことを思いながら、送られてきたメッセージは開かずに、さっさと送ってきたアカウントをブロックしたうえに違反報告をしておく。


 これでしばらくは大丈夫だろう――というか、この馬鹿は学習能力というものがないのだろうか、とさえ思う。いや、もしかしたら本当にないのかもしれない。そんなのだから愛想をつかされたという簡単な想像力さえ働いていないのだから。さっさと死ね。


 こいつと別れたのにはたいした理由などない。ただ鬱陶しかった。彼氏彼女の領分を超えてあれこれと口出しをしてくるので鬱陶しくなった。それだけである。なにを考えているのかまったくわからないし、わかりたくもないが、異常なまでに束縛してくる男だったのだ。


 当然、付き合っている相手のことが気になる、という気持ちは理解できる。


 が、それにだって限度とか節度とかいうものはあるはずだ。この男は、私が考えているその限度とか節度とかいうものを遥かに超えて束縛しようとしてきた。だから別れた。非常に簡潔でわかりやすい話である。


 なのに、どういうわけかこの男はこちらが嫌になった理由をまったく意に介していないようだ。自分のやっていることは正しいと思い込んでいるのか、それとも私が嫌になったという現実を認めたくないだけの子供じみたすり替えなのかはわからないが、まあどちらにしても迷惑なことに変わりはない。ほんとさっさと死ね。


 あの男と思われるアカウントをブロックしたのはこれで通算五度目だ。ブロックされては、奴がまた別のアカウントを取り直してきてまたメッセージを送ってくる。そしてそれを私がブロックする。その繰り返しだ。


 あまりにも鬱陶しいので少し前にアカウントを取り直したのだが、それも長くはもたなかった。どうやったのか大体想像はつくが、新しく取り直したアカウントもすぐに知られてしまった。


 こんなことに時間を使っている暇があるのならあと何ヶ月かしたら解禁になる就職活動の準備でもしたらどうなんだと思うのだが、このようにどうでもいいことにしか熱意を向けることしかできないというタイプはそれほど珍しくなかったりする。そう思うのは人並み程度の男女付き合いしかしたことのない自分が、以前にもこの男のようなタイプの男に引っかかったことがあったからなのだが。


 なんと言えばいいだろう。私は今まで付き合った男がことごとくこのようなタイプに属していた。


 要するに私は男運がとんでもなく悪い。地元を離れ、東京の大学に進学したのだって、高校生のとき付き合っていた相手と警察沙汰になるトラブルになったからだった。


 もしかしたら自分が悪いのでは? と考えたことも過去にはあった。

 だが、ちゃんと思い出してみると、私はなにかしたわけではなかった。


 そもそも、自分が悪いかもなんて思うのは精神衛生上よろしくない。そう判断して考えるのをやめたわけだ。


 何故こうまで男運が悪いのだろう。

 駄目な男が好きというわけではない――と思う。


 私が今まで付き合ってきた男は知り合ったときも、それからしばらくして仲よくなって付き合いだしてからもそのような素振りは見せてこなかった。だから私も付き合うことにしたし、こちらからそう言ったことだってある。それで付き合い始めてある程度してから、なんだかこいつおかしいな、というのを見せ始めるのが常だった。


 デートに母親を連れてきたり、異常な束縛をしてきたり、大学生だと言っていたが本当はただの無職だったり、とまあおかしかったのには色々とパターンがあったが、なんであれどいつもこいつも救いようのない迷惑なくそどもだったわけだが。


 そろそろまとも――というか普通の男と付き合いたいと思う。大学に入って三年目になるというのに未だにそんな出会いには恵まれていない。


 別に高望みをしているわけではない――はずだ。デートに母親を連れてくるような男じゃないことを望むのが高望みだと言われるのなら、その社会はおかしいだろう。というか、そんな社会など核かなにかで滅んでしまえ。


 本当に。

 切実にこの性分(というべきかはわからないが)がどうにかしたい。


 何故このようにわけのわからないおかしな男にばかり引っかからなければならないのだろう。


 理不尽だ、としか言いようがない。

 自分のまわりにいる彼氏持ちの友人たちはそのようなことはないのに。


 どうして私だけがこのようなことを……とさえ思ってしまう。

 思わずため息が漏れてしまう。


 ため息をすると幸運が逃げる――というが、ため息をした程度で消える『幸運』などたかがしれている。そんなもの幸運などではない。嫌なことがあったらため息くらい別にいいじゃないか。ため息をしてなにが悪い。誰か死ぬわけでもないだろうに……。


 そんな思考を巡らせながら、自分ではどうすることができない『不遇』を、あるいは『不運』を呪う。


 殺せるのなら殺したいほどに。


 ああ、本当に嫌だ。なんでこんな嫌な気持ちにならなければいけないのだ。嫌な気分など就職してからいくらでもできるのだから、学生の間くらいはいい気分でいさせてくれてもいいじゃないか。


 気づくと、あたりはすっかり暗くなっていた。時間を確認してみると午後の七時。


 このあたりはそれほど物騒ではないものの、あの元彼氏と遭遇してしまう確率は低くない。そしてなんらかの事件に発展することもだ。


 いや、あの男の度を越した粘着性を考えると、なにかしでかす準備をしているかもしれない。そう考えると背筋がぞっとするものが走り、思わずまわりを見回してしまう。


 まわりに広がっているのはシャッターが閉まったばかり店が並んでいる閑散とした商店街。上京して二年半ほど経っているから見慣れているはずなのだが、先ほど恐ろしい想像をしてしまったせいで見慣れた風景もなんとも表現のしがたい恐ろしい存在のように思えてしまう。


 ――早く帰ろう。


 下宿先は女子学生だけを対象としたマンションである。彼氏は当然、女性には一切興味のない――新宿二丁目などにいる人たち――それどころか家族あっても男性の立ち入りをなかなか許可してくれないことで有名なところだ。


 だから、安心はできる。

 が、それでも一度抱いた不安が消えないのも事実だった。


 少しだけ早足となってシャッターで閉じられた閑散とした商店街を通り抜けていく。


 その途中で妙なものが目に入った。


 閉まっているはずのシャッターが一軒だけ開いていたのだ。そこからほんのりと明かりが漏れている。あんなところに店などあっただろうか。このあたりは毎日のように通るが、シャッターが開いていたことなど一度も見た覚えがない。なんなのだろう――そう思ってそちらへと足を向ける。


 開いたシャッターの店先に『あなたの望むものを提供します』という立て看板が置いてあるのが目に入る。なんだこれは、と訝る気持ちはあったが、それ以上にここはなんなのだろうという気持ちの方が強かった。


 どうしてかわからないが、ここには今の自分が置かれている状況を打開できるものがあるのではないか、と直感する。


 まわりを確認して、少しだけ逡巡し、一度深呼吸をして気を落ち着かせ、そして意を決してその中に立ち入ることを決めたのだった。

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