第7話 お前の運を奪うぞ7
ふと気づくと視界に入ったのは見知らぬ天井だった。
ここはどこだ、と思って身体を起こそうとすると、頭に強烈すぎる痛みが走って起こせなかった。
一体なにが起こったのだろう。そもそもここはどこだ。何故俺はこんなところにいるのだろうか――そんな疑問が湧き出してくる。
「あ、意識が戻られたんですね」
急にそんな声が聞こえてきて、首だけをそちらに向ける。そこにいたのは四十手前くらいの女性看護師だった。
なにが起こったんですか、どうして俺はここにいるんですか、そんなことを訊こうとしたがうまく言葉が出てこない。そんなふうにまごついていると――
「いま先生をお呼びしますから、無理はなさらないでください」
釘を刺すようにそう言って、女性看護師は部屋から出ていった。
ここは病院なのか――動かせる範囲で首を動かしてまわりを見てみると、確かにいま自分のまわりに広がっているのは病院の一室であった。
病院――なんで自分は病院のベッドで寝ていたのだろう。あのとき一体なにが――そんなことを考えたところで頭頂部のあたりから再び強烈な痛みが走る。
その痛みであのときなにが起こったのかを思い出す。
そうだ。あのとき――
しかし、そこで先ほどの女性看護師が、彼女よりも年下だろうと思われる若い医師を連れ立って戻ってきた。
「ああ、よかった。意識が戻られたのですね。なかなか意識が回復しなかったので心配していたのです」
そのように言う若い医師は本当に安堵しているようだった。
「あ……あの、な、なに……が、おこ、った……んで、すか?」
途切れ途切れになりながらも医師にそう質問した。うまく喋ることができない。自分の身になにが起こったのかと思うと背筋がぞっとする思いだった。
「まあ、そう焦らないでください。ちゃんと説明しますから。まず、いまうまく喋ることができないのは一時的なものであると思われますので安心してください。なにしろ一週間も意識を失っていたのですから。かなりの重傷ではありましたが、現在ところ異常は見つかっていません。ですが吐き気、急に言葉が出なくなるなど、なにかおかしいところがあればすぐに言ってください。なにぶん頭を強く打ったわけですから。時間が少し経ってからなんらかの異常がみられる場合がありますからね。退院したあとにでも精密検査を受けるといいでしょう」
頭を打った――あのとき意識を失ったのがそれが原因か。それではなにが頭を打ったのだろうか。
「あのとき、確か結構大きな地震が起こったでしょう。覚えていますか?」
こくり、と小さく頷く。突然の大きな揺れで動きが止まったところに頭に強烈な衝撃が広がったのだ。
「そのとき、あなたがいた場所の近くで壁の塗装工事をやっていて、その揺れで落下したペンキ缶があなたの頭に直撃したんです。こういうのはあまりよくないかもしれませんが、十キロ以上もあるペンキ缶が落下し、頭に直撃して生きていたのはかなり幸運です。即死していてもおかしくないし、病院に運ばれてもすでに手遅れの状態でもおかしくないですから。本当に幸運です。それに今のところ目立った障害も見られませんし」
幸運。その言葉をまさかこの自分が言われると思うと、なんだか途轍もなく滑稽に聞こえた。
しかし、十キロ以上あるペンキ缶が頭に直撃していながら九死に一生を得たというのは確かにその通りかもしれない。
「とは言っても、先ほども言いましたがあとになって異常が起こるということは充分あり得ます。しばらく安静していてください。不便ではあると思いますが、せっかく助かったのですから命は大事にしてもらわないと」
こくりと再び頷く。
「では、詳しい話は後日にしましょう。身体を起こして話ができるようになってからでも遅くありませんからね。右手の届く場所にナースコールがありますので、なにかあったらそれを押してください。それでは、失礼します」
医師はそう言ってから一礼し、病室を出ていった。看護師もそれについて部屋を出ていく。再び見知らぬ病室で一人となる。
医師の話を聞いて、何故いま俺が病院にいるのかはわかった。
しかし、どうして他人から運を奪っていたはずの自分が、地震で落下してきたペンキ缶が頭に直撃するなどという不幸に襲われたのかがわからない。どう考えてもあのときの俺はあの場にいた誰よりも幸運だったはずなのだから。
「その疑問には僕が答えよう」
急にそんな声が聞こえてくる。あらゆる特徴が欠けているフラットな声。首をそちらに向けると、どういうわけかあの店の店主――歳も人種も性別すらもよくわからないあいつがベッドの横にある丸椅子に腰を下ろしていた。
どうやって入り込んだのだろうか。つい先ほどまで意識不明だった自分はまだ面会謝絶のはずだ。
「まあまあ、そんな顔するなよ。僕がどうやってここに入り込んだのかなんてどうでもいいことじゃないか。きみが求めているのは、何故誰よりも幸運だったはずの自分が不幸に襲われたのか、だろう?」
店主は弾むような声で楽しそうに言う。
だが、店主の言う通りだった。いま自分が一番知りたいのはそれなのだ。
「結論から言おう。きみがあのような不幸に襲われたのは、きみは自らの限界を超えて運を奪って、その結果、今まで奪った運がすべてバーストしてしまったのさ。それが原因。簡単だろう?」
確かに簡単だ。どんなものでも限界を超えて押し込もうとすれば器自体が壊れてしまう。その理屈はわかる。
だが――
「そんなことは知らないなんて言わせないぜ。あの銃と一緒に入ってあった説明書にも書いてあったはずだ。運には必ず上限が存在するって」
その言葉を聞いてはっと思い出す。あまり気にも留めず流していたが、確かに同封されていた説明書にそのような記載があったのは間違いない。
「でも、あのお医者さんも言ってたけど運がよかったよね。運がバーストしてしまった場合に発生する不幸はただ運を奪われて起こる不幸とは比にならない理不尽で強力だ。きみ以外にもこれを使った者はいるし、きみと同じようなことをして同じようなことになった者もいるけれど、僕の口からではとても言えないような無残な死に方をしていたからね。少なくとも僕が知っている限りではきみのように運をバーストさせて生き残ったケースというのは聞いたことがない。だから間違いなくきみはとんでもない幸運に恵まれたんだよ」
相変わらず特徴がどこにも感じられない声で朗らかに語る。だが、それにはどうも納得できない点があった。
「納得できない、という顔をしているね。こういうことが言いたいんだろう? きみの人生は今まで不幸に支配されてきた。その自分がどうしてそのような幸運が起こるのか、と」
その通りだった。俺は今までずっと不幸だった。いつの思い出にも不幸がついてまわるような不幸な人生だったのだ。それが何故、一番の不幸が起こるべき場面で幸運が訪れるということになるのか。
「では、こういう話をしよう。完全にランダムなパターンで乱数表を作ったときに、同じ数字がずっと連続していたらそれは恣意的なパターンがあると思うかい?」
……なにを言いたいのだろう。なにが言いたいのはまったく理解できない。
「その乱数表が膨大な桁数になった場合、ずっと同じ数字が続く確率は非常に高いんだ。僕らの直感に反してね。まあ、そのあたり詳しい話は確率論の本でも参照してくれ。
「そして、運というのも確率の一種に還元ができないだろうか? 宝くじが当たる、応募懸賞が当たる、ソーシャルゲームのガチャでレアが出る――そういう例をあげるときりがないけれど、『運』というものがかかわるあれこれの多くには確率がついてまわってくる」
「…………」
「そこできみの身の上の話に戻ろう。きみの人生――二十年くらいかな――は今までずっと不幸だった。その不幸は膨大な桁数の乱数表を作ったときに起こる数字の偏りと言えないだろうか。人間というのは多くの人が思っている以上に膨大な存在だ。そのような偏りが起こっても不思議ではない。きみは生まれてからずっと偏った乱数の中で生きていたわけだ。だからきみはいままでずっと不幸だった。
「けど――偏りが発生したとしても、完全にランダムだった場合、最終的には必ず統計的に正規分布――平均値に帰結する。よく言うだろう。俺の人生は不幸なことも多かったけど、幸せなことも多かった。結局差し引きはゼロだ、ってね。
「そしてその不幸に偏っていたきみの運がバーストしてしまったとき、今までの偏りをなくすように、今までの不幸を打ち消すかのように類まれな幸運に恵まれることになった。
所詮、幸運とか不運というのはその程度ことなのさ」
だとするならば、運を奪うあの銃を使うことはそのうちそれ相応の報いを受けるのではないか。
「ああ、さっきまでの話は普通の場合だ。その銃を使う場合にはそれに当てはまらない。その銃はチートツールみたいなものだ。本来ならあり得ない偏りを意図的に引き起こすことのできる、ね。
「だから安心して使ってくれていいよ。バーストを起こさない限りはいい気分をずっと味わえるだろうからね。
「あと、その銃がどうして一度に撃てる十なのかを教えておこう。一人の人間が他人から奪ってバーストを起こさないのがそれくらいなんだ。詳しいことは僕も知らない。運の神様か数学の神様を見つけて質問してくれ。
「ああそうそう、その銃を使って酷い目に遭ったわけだけれど――まだその銃は必要かな?」
何故そんなことを訊くのか。その意図がまったくわからなかった。
「ああ。別に契約違反したから返せってわけじゃないよ。ただ、きみみたいに使い方を間違えて、死なない程度の酷い目に遭うともう二度と使いたくないってなる人がわりと多くてね。もしそうなら、これを求めている人は他にもいるから別のところに回した方がいい。そうは思わないかな」
酷い目に遭ったから二度と使いたくない。その気持ちは理解できる。
だが――
二度と間違った使い方をしなければ済む話ではないか。本来だったらできないずるを好き放題できる権利をわざわざ手放すなど愚か者がやることだ。
今回は失敗したが、次はうまくできる自信がある。そうすれば本来ならばよほどの幸運に恵まれなければできないことができるはずだ。
「そうか。きみは自信があるわけか。二度と間違った使い方をしない自信が。うん。そういうの僕は好きだよ。それならこれで話は終わりだ。大怪我してるんだから養生しろよ」
そう言って椅子から立ち上がり、何事もなかったかのように扉を開けて店主は出ていった。
最初から最後までわけのわからないやつだ。やつは一体何者なのだろう。気にならないといえば嘘になる。
でも、そんなこと別にどうでもいいじゃないか。やつが何者であったところで俺になにか影響があるわけではない。
大事なことほかにもっとあるじゃないか。
一人になった病室で俺は強く決心をする。
次は間違えないぞ、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます