主人公

 ゆるやかな風に揺れた草原が、朝露をわずかに滴らせている。

 俺と隊長ガドルクが佇む穏やかな丘陵のただなかに、一つだけ不自然に突き立った大きな石があった。


 アンブロイドの墓である。


 遺体は全く回収できなかったので、石の下にはラピスが持ってきた遺品が入れてある。俺にはどのような意味合いがあるか分からなかったが、アンブロイドがラピスに自分が死んだときのことを伝えていたらしい。

 

「あの方の成してきたことを考えると、少々慎ましすぎる墓かもしれませんな」


 淡泊な言葉とは裏腹に、隊長ガドルクの声色は感情があふれていた。

 少しだけ間を置いてから、俺は隊長へと言葉を返す。


「ずっと魔王の補佐をしていたんだって?」


「ええ……初代の魔王トウコ様から、ジェイド様まで。自身の命が魔王の一族より長くなってしまったことを自嘲しておられましたな……長く生きすぎてしまったと」


 トウコ……初代の魔王にして転生者。

 俺はアンブロイドの日記で読んだ内容を思い出す。

 彼女はトウコという魔王に対して強い親愛の情を抱いていたようだ。


「ですが……」


 隊長ガドルクが続ける。


「ここ最近、魔王さまにお仕えするのはとても楽しいと仰られていました。まるで昔日の暖かみに帰ってきたようだと」


「…………隊長」


「なんでしょう、魔王さま」


「この場でそういうこと言うのはやめろ。泣いちゃうだろ」


 実際、視界が潤んでしまった。

 

 隊長は俺を見て、ゆっくりと微笑んで呟いた。


「────それは、とても……良うございました」


「クッソ」


 やっぱりコイツいい性格してやがる。


 信じられるか?


 これほどの人格者が俺の第一の部下なんだぜ。 


◆◇


 あれから勇者の一同は撤退したらしく、人間の姿はこの一帯に見られない。


 死んだ魔王ディアスポアの古城は周囲の森林ごと廃墟と化し、周囲の魔物勢力に動揺を生んでいるようだ。現在目立って何かが起きているわけではないが、今後表面化してくることを考え対策を立てておく必要があるだろう。


 そうした後の事を考えると、戦力の強化は急務である。

 アンブロイドの持ち物には強力な魔道具が多く、不謹慎なようだがラピスの提案もあり、アンブロイドの家の整理を俺とラピスで行うことになった。


「ラピス、この……変な形をした板は何だ?」


「フローティングボード?」


「形からは想像できないハイセンスな名前」


「その板は、魔力を入れるとしばらくひとりでに浮く。子供くらいなら人を乗せることもできる」


「<浮遊>でよくない?」


「魔力を流すだけでいいから使えない人もとべる」


 なるほど、汎用性が高いということか。

 頷いて、俺は魔道具を取りまとめている一角にフローティングボードを置く。


 次に、妙な棒状のものを取った。


「これはなんだろう」


「魔力を流すとすごい勢いで震える」


「なにに使うんだ?」


「……わからない」


「ゴミでいいだろうか」


「魔力を流すことによる反応のひとつとしてサンプルにはいいかも」


「分類が難しいなぁ……」

 

 魔道具は数がたいへん多く、分類だけでも一苦労だ。

 

 少し物を減らす方向で、バッサリと判断をしていったほうがいいかもしれない。

 そんなことを考えながら色々と部屋を漁っていると、


 ────がこん。


「なんだ!?」


 手が妙なところに触れたのか、木同士が擦れ合うような音が深く響く。

 埃を伴って目の前の壁がズレていった。

 

 音が止んだ時、目の前にあったのは地下へと続いていく階段だった。


「……ラピス、この仕掛けは」


 ラピスは首を横に振る。


 つまり、アンブロイドしか知らない秘密の仕掛けということだ。


「降りてみるか……」


 恐る恐る、俺は現れた階段を降りる。

 階段の端々には少々の埃が堆積していたが、歩行に使用する中央部には少ない。アンブロイドはある程度定期的に、この空間を行き来していたのか。


 二十段ほどだっただろうか。

 少し長い階段を降りた先には、薄明りに照らされた空間があった。


 ファンタジーの工房といったような、どこか暖かみのある空間ではない。

 むしろ俺の世界の研究所ラボラトリーに近い、白を基調とした薬のにおいがする部屋がそこにはあった。


「なんなんだ、ここは……?」


「わかんない……アンブロイドから話にきいたこともない」


 歩いてみれば結構な広さがあったが、全体的に書類が山積しており、用途不明の巨大な設備……おそらく大規模な魔道具が、いくつも設置されているという点で全体の雰囲気は統一されている。


 ただひとつ、異質だったのが部屋の奥。


「こ、れは……」


 透明な水槽のなかに、赤髪の少女が浮いている。正確なところはわからないが、身長はラピスより少し高いくらいだろうか。というか、この顔立ちは……


「アンブロイド……?」


 ラピスの呟き。


 そうなのだ。


 水槽の中の少女は、アンドロイドを小さくしたらこうなるのではないかという外見をしていた。まるで彼女が若返ったかのような。


『────あなたたちは魔王さま、それに個体名ラピスですね』


 果たしてその疑問に答えるかのように、少女の音声が室内に響く。


 気が付けば水槽の少女の目が見開かれている。

 音声は別の部分から何らかの仕組みで聞こえてきたようだが……


「……あなたは、アンブロイド、なのか?」


 驚愕の中、俺は絞り出すように疑問を口にする。


『はい。わたくしはアンブロイドに違いありません』


「────よかった! アンブロイド、よくわからんが無事だったんだな!」


『…………』


 俺の声に、しかし水槽の少女は答えない。

 僅かに目を細め、ゆるやかに答えが返ってくる。


『いえ……無事ではない、という答えが正確です』


「……どういうことだ?」


『あなたたちと行動を共にしていたアンブロイド、04号は確かに活動を停止しました。人間の言葉に置き換えるなら、間違いなく死亡しています』


「……え?」


『われわれはフラメル師によって産み出された魔導素体、アンブロイドシリーズ。同シリーズは素体の断絶を防ぐため、04号バックナンバーが存命中に後継種を作成し、定期的に自らの記憶と知識をバックアップし自らの不慮の死に備えます。ですが……』


 少女は少し言い難そうに、


『私はそうして作られた05号であり、魔王さまがお求めの04号とは異なります』


「でも、記憶を継承しているんだろ?」


『記憶を継承していますが、記憶に付随する感情は伝達できていません』


「…………それはつまり、アンブロイドの記憶はあるけれど、他人事のように捉えてしまうってことだろうか。例えば、本を読むみたいに……」 


『ご賢察の通りです、魔王さま』


 ……そうか。


 実はアンブロイドが生きていて、もう少し話せるなんて……。


 そんなに上手い話は、ないか。


 …………いや!


 気落ちしてる場合か?

 俺は魔王として魔物のみんなと共に生きていくと決めたんだ。


 これから明るく、みんなと楽しい生活を送っていくと決意したのだ。

 その中にアンブロイドの遺志が混じるとするなら、これを喜ばずにどうするというのだろう?

 

 心中の後悔と、目の前の少女……05号はなにも関係がないのだ。


 俺は俯いて……横目でラピスをちらりと見る。


 目が合った。


 ラピスは頷く────俺を勇気付けるように。


 そうだ……迷うな。


 明るく振舞え。笑顔で接するんだ、これからは。


 俺は魔王さまなんだ。


 皆と笑顔で過ごしたい指導者がめそめそしていてどうする。

 

 まるで物語の主人公のように────お気楽に振舞い続けろ。

 異世界転生した英雄たちのようになりたい、じゃない。


 なるんだ。


 なんでもないことみたいに、ヘラヘラしながら苦境を乗り越え続けろ。


 ずいぶん長くかかったが……この決意こそを、小心者の俺が自身に課す罰とする。


「……気持ちよさそうに水槽に浮いているけど、その中って気持ちいいのか?」


『不快ではありません』


「そうか。そこから出ると死ぬってことは?」


『この状態は、栄養補給を中心とした身体の状態の保持を行っているに過ぎません』


「オッケ。────じゃあさ、俺らと一緒に来ないか?」


 そしてこれを第一歩にして、俺はみんなと歩んでいこう。


「……前はさ、アンブロイドのことを俺は怖がっちゃって、俺は上手く付き合えていなかったと思う。どこか他人のような付き合いばかりしてしまって、迷惑ばかりかけたと思う。けど、もうそんな事はないから。今度こそ、うまくやっていけるから」


『…………』


「ってこんなこと、05号には関係ないよな。ハハ……」


『魔王さま』


「……はい」


『ひとつだけお願いがあります』


「なんでしょう」


 水槽の少女は、05号は僅かに微笑んだ。


『……私の事は、アンちゃんと呼んでいただけないでしょうか』


 不意打ちだった。


 堪え切れず、俺の視界が涙で歪んだ。

 ぽんぽんとラピスの手が、俺の肩を労わるように叩く。


 クッソ。


 信じられるかよ。

 こんなに暖かい人たちが、俺と居てくれるなんて。


「ああ……俺のことはネフライトって呼んでくれ」


 なんとか涙を拭い、答えた。


『かしこまりました、ネフライトさま』


「あ、ああ……ぐうっ」


 しかし拭った先から涙が出てきて、結局蹲ってしまった。

 そのままラピスにぬいぐるみのように抱きしめられる。


「私はアヤトって呼ぶ方が好き。このままでいい?」


「…………いいよ」


「やーり」


 こうしていまいち締まらない、魔王の新たな生活がはじまろうとしていた。


 ……はやく立派になりたい。

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