不屈の魔王さま その2

 煉獄が終われば、地獄が在った。


 かつて古城であったものは見る影もなく瓦礫と化し、周囲に存在した樹木は1本の例外もなく消し飛ばされた。その業火に巻き込まれた人間たちも既に炭化している。


 ────災禍の中心には、膝をつき項垂れる魔女だったもの。


 その人型は全ての魔術を放出し終え、今や自らが灰と化したように自壊をはじめていた。


 目の前には、命からがら逃げだした人間の兵士たちと、勇者黒曜がいた。


「……ここまで食われるとはな。俺もまだまだ甘かったということか」


 黒曜が自軍兵士を護るために力を割いたお陰で生き残った兵士はいるが、その数とて両手の指に満たない。


 黒曜自身もまた無事ではない。救出の過程で左腕の肘から先を焼き切られ、右腕にある魔剣・秋水しゅうすいもまた罅割れて半ばから折れている。


 しかしあのアンブロイドのプレッシャーを思い出せば、これだけの被害で済んだのは僥倖としか思えなかった。


「流石にこれ以上は戦えんな。撤退する」


「黒曜様。副官殿が魔王の追撃に向かわれていますが」


 黒曜の判断に、生き延びた兵士の一人が問いを投げかける。


 部隊随一の転移魔術の使い手である副官は、魔王の後をすぐに追っていた。

 確かにこのまま放置していれば、彼は追撃先の魔王と、先ほど逃げた魔物たちの部隊で挟み撃ちにあうことになる。


 が、黒曜は悩むこともなくそれを切り捨てた。


「知ったことではない」


「はぁ、し、しかし……」


「奴自身が手柄を求めてやったことだ。助勢の必要はあるまいよ。それに……」


 黒曜はにやりと笑った。


「あの道化が、この程度で死ぬタマでもあるまい」


◇◆


 宵闇に染まったムーンフォークの森で、対峙する魔王と道化。


 戦闘経験が少ない如月綾人をして肌で感じ取れるほどに、彼我の実力差は大きい。

 特に戦闘経験が物を言う上にステータスも魔術師寄りの魔王にとって、近距離クロスレンジでの戦闘は圧倒的に不利だ。


 したがってこの戦い、魔王は逃げつつ魔術を行使、それを追う道化師の形になる。ゆえに当然、開幕から逃げの手段を確保するために魔王は<浮遊>を使うのがセオリーだが…………


(────甘えを捨てろ、如月綾人)


 瞳に純然たる決意を湛え、いま<浮遊>を使わず一歩踏み出す。


 それどころか二歩。


 三歩を刻み、


 距離を詰めたのは魔王からだった。


「おおおォオオオオォォォォ────ッッ!!」


 鬨の声とともに第一手。

 魔王は無詠唱で火と風の下級魔術を連打しながら走って距離を詰める。


「……フム」


 道化師は酷く冷静な様子で、後退しながらそれらの魔術を裏拳で打ち払い続ける。


 そう、驚くべきことにこの戦いはセオリーとは全く逆に始まったのだ。


 まるで槍使いが零距離の肉弾戦を挑みに行くように────否、弓矢を持つ人間が拳闘士に殴りかかるが如しの不合理であろうか?

 

「クハ!こんな雑な戦法でワタクシを討ち取るおつもりか?」


「うるせぇ道化師ピエロ、やってみなきゃわかんねぇだろうが!」


「いえいえ、一発残らず打ち落としてみせますよォ魔王ルーキーィ、器用さで負けては道化師はしていられませン!」


 果たして言葉の通り、道化師は魔術の悉くを打ち落とし続ける。

 驚くべきことに、手袋が切れてすらいなかった。


 下級魔術とは言え、魔力値の高い魔王の魔術である。下級の魔獣なら一撃で屠ってしまう威力のある魔術を、衣服すら破らずに弾く。


(それを裏拳で一発?……何か裏があるのか?)


 無詠唱で<ステータス>を道化師に対し発動する。

 が────


 名前:驕灘喧蟶ォ 年齢:遏・繧翫◆縺?〒縺吶°? Lv:謨吶∴縺ヲ縺ゅ£縺セ縺帙s

 HP:閾ェ諷「縺ョ菴灘鴨縺ァ縺  MP:雎翫°縺ァ縺吶h繧ゥ

 攻撃力:蠑キ縺 防御力:縺九◆縺 魔力:諤ァ逧 魔耐:閾ェ菫。繝九く 敏捷:譎ョ騾

 スキル:<道化の極意> 縺ゅ→縺ッ繝偵Α繝 繝偵Α繝 縺。繧?≧繝偵Α繝


「……ッ!?」


 頭の中に入ってきたのは、まるで意味のわからない情報。

 一部を除いてまるで読めやしない文字化けの羅列。


「おやおやァ。その顔、いまワタクシのステータスを見ましたネ?」


「チッ……スキルで感知でもしたか」


「いえいえェ、道化たる者、観客の顔色から心の内を察したまで!」


「ごちゃごちゃうるせえなテメェは!」


 怒りを露わに魔術を更に連打する魔王。


 道化師はほくそ笑みながら、気付かれないように後退のペースを落とした。


 ただ歩くペースを変えただけと思うなかれ、勇者のパーティーで研鑽を積んだ男の実戦に裏打ちされた歩法である。間合い調整一つとっても非常に巧みであり、相手が減速に気付いた時には命に到るほど距離感覚は狂っている。


(いいでしょウ。いささか興ざめですが……)


 激昂に身を任せ攻めるならば────このまま距離を詰めて縊り殺すだけのこと。


 そのように勝負の理を立てた瞬間。


 魔術を弾いていた道化師の利手が、

  

「ナッ────?」


 訳も分からないまま、掌が爆砕し指が飛散してゆく。


 驚愕に目を見開き、魔王の周囲を確認すれば……


 乱打される風と火との中に何か……球体が飛んでいる。


「……ッ」


 その球体は魔王の周囲で小規模な爆発を起こすと、道化師に向け驚くべき速度で飛翔。今度は道化師の頬を掠め、一筋の赤い線を作り出した。


 道化師にとっては知る由もないことであるが────これこそは如月綾人が、対魔王ディアスポア用に用意していた秘策の一つ。己の<薬学Ⅱ>と<魔道具作成Ⅱ>を酷使して何とか作製した"偽造弾フェイク・バレット"である。前方はコボルト村産の加工した鉱石が、後方には薄いケースに包まれた火薬が詰まっているだ。


 最初は銃を作ろうとしていたが、綾人は拳銃の構造を知らなかった。なので苦肉の策として考え付いた方法で代用している。


 まずは銃弾を宙にばら撒き<浮遊>で自身の周囲に固定。そして使用時に物理障壁で透明な筒を作り、後方から風魔術と火魔術の複合で火薬を包むケースに傷をつけつつ着火────障壁で作られた筒に沿って弾丸を発射する。


 幾重もの魔術の軌道を要して直線軌道の物理攻撃ひとつを生み出す。お世辞にもコストパフォーマンスが良いとは言えない攻撃方法だが、身体能力フィジカルが乏しい如月綾人にとっては理に適った物理攻撃の手段だ。


 そして一流の兵たる道化師は、この攻撃方法の効率の悪さにはすぐに気付いた。


「ナルホド」


 気づいた上で……この攻撃、見くびれば自分は死ぬと高く評価する。

 だと。

 

 偽造弾以外に乱射しているファイアーボールで発射時の爆発を偽装している点。加えて、偽造弾の弾道を既に飛ばした火球の中に入れることで迷彩効果を生み出し、目視不能な攻撃に昇華しているところだ。


 もっとも単純な迷彩効果のみであれば何のことはない。だが魔術に秀でた魔王が、この中間距離でとなれば話は変わる。


 例えば道化師の裏拳────正確にはその手に装着されている手袋だが、これは魔術反射の特性を重ね掛けした魔道具であり、手で払うという最小の動作で相手の魔術を無効化できる強力な防御手段になっている。しかし魔術に対する格別な利便性を持つ反面、弓矢等の物理攻撃には脆い。


 この手袋に限らず、鎧・衣服の類でないアタッチメントとして使用する防御的な魔道具の多くは、物理か魔術のどちらかに防御を特化する。小さなアクセサリ等に多くの魔術は付与できないため、どちらも取ろうとすれば器用貧乏な駄作と化すためだ。


 つまるところこの"偽造弾フェイク・バレット"、捌き切るのが非常に難しい。


 魔道具で護る必要のないほどの絶対強者……例えばアンブロイドや黒曜ほどのパラメーターであれば、この戦法はまるで効かなかったであろう。


 が、魔道具により工夫を凝らして強者の座に上り詰めた道化師……因子に保証された絶対強者ではない、多くの強者にとっては脅威となり得る。


 "偽造弾フェイク・バレット"が、道化師の肩口を薄く抉る。


 見れば、激情に染まっていたかに見えた魔王の表情……その内にある瞳の、なんと冷ややかなことか。


 魔王は自身の戦いの危うさについて、よく考えを巡らせているのだ。魔術主体の己の危うさ、すなわち自身の魔術を有効に活用できない場合における戦闘方法を。


「……ルーキーなりに考えてきているというワケですか」


 道化師は魔王に対する評価を数段階上げる。

 そして高い評価をつけた敵に相応しい戦法を取る為に────


 ────砕けた利き手をした。


「……義手か!」


「クヒヒ!なかなか理解がはやイ!」


 そう、道化師の手は元々義手であったのだ。

 

 <道化の極意> 常在型技能パッシブスキル レアリティ:B

 ・ステータスの自動迷彩(ただしこのスキルを除く)

  +ステータスを閲覧された際の自動感知。

 ・自身が登録したの無限生成。小道具の登録可能数は自らの魔力値に比例。

 ・空間系の魔術成長にボーナス。


 レアリティB────さほど強力ではないこのスキルを、道化師は十全に活かしていた。砕けた掌は肘ほどからと地面に落ち、代わりとなる義手が生えるように袖口から現れる────魔王にとっては更に悪いことに、交換されたその手には既に扇状に刃を展開したナイフが握られている。そう、義手もナイフも登録された。リソースの尽きない物理攻撃こそが道化師の真骨頂である。


 そして────


「シャアアアアッ!!」


 復活した義手から、弾け飛ぶ銀の乱閃。

 

 魔王は咄嗟に風魔術で軌道を逸らすも、完全には防御しきれず1本が腕を薄く切り裂いた。


(ホホウ!)


 今の攻撃で、道化師はまたひとつ理解する。

 この魔王、道化師のナイフの投擲速度に反応が追い付いていない。


 つまり魔王が距離を詰めてきたのは、不条理に見えてそうではないのだ。


 ナイフに反応速度が追い付かないのであれば、遠距離でも被弾のリスクはゼロに出来ない。逆に近距離であれば確かに被弾のリスクは増すが、さきほどの偽造弾を用いた駆け引きで、短期決戦で勝つプランに賭けることが出来る。


(クク……しかしそう上手くいきますかネ?)


 魔王の攻撃は厄介ではあるが、単純な物理攻撃と魔術攻撃と言ってしまえばそれまでである。そもそも回避困難であるという点で言えば、魔王にとっての道化師のナイフも同じなのだ。


 したがってこの中距離戦はダメージを与えあう結果となる。が、


「ウクク、どうされましたァ? ……随分お疲れのようですが……」


「うるせぇ、よ……」


 数回の攻撃を終え、肩で息をしているのは魔王。


 当然の帰結である。

 レベルが高く、体力も高いのは道化師なのだから。

 駆け引きの中でボロが出やすいのも、また魔王である。


「……しまっ!!」


 魔王が体力の減少から足がもつれる。


「────もらいましたよォ!!」


 体制の崩れた魔王に向けて、再び銀閃が乱れ飛ぶ。


 魔王は襲い来るナイフを見て、目を細め……息をひとつ。


 それは諦めの表情であろうか。


(……ビビるな)


 無論、真逆である。


 この戦闘において────

 道化師の思考は非常に合理的であったが、見落としがあった。


 それは魔王が合理的に道化師に勝ちに来ているという錯覚である。


 つまり、


 魔王は最初はなから合理的に戦ってなどいない。


「────なに?」


 驚愕の声は道化師から。

 無理もない。目の前で魔王がぐるりと身体を回り、のだ。


 戦闘において極めてありえないはずの挙動。


 道化師の驚愕を置き去りに、魔王はまたも魔術を多重発動する。


 自身の胸部周りに偽造弾をばら撒き、自身と偽造弾の間に最小限の物理障壁を作り出す。自身を僅かに<浮遊>させた上で、<火弾>で偽造弾に着火。


「……付き合ってくれよ、道化師」


「オマエ、何を……」


「なに。ちょっと一緒に、地獄まで行こうじゃねぇか」


 結果、炸裂した偽造弾のエネルギーが自身に直撃。その勢いのまま、


 ────魔王の身体が、道化師に向けありえない勢いで吹き飛ぶ。


 腹部への衝撃により魔王自身が口から血を吐き、制御を失いそうになる。視界の中の景色が吹き飛び、身で空気を裂く感覚に意識が飛びそうになる。


 ……甘えるな。


 心だけで辛うじて肩を前に、体当たりタックルの体裁を整えた。


 稚拙な突進攻撃だった。


 しかし、道化師はナイフを投擲した瞬間────どんな達人をしても攻撃をした瞬間を狙われれば回避は至極困難となる。


 ナイフを投げた瞬間を狙われた道化師の胴に、見事タックルは直撃した。


「が、ばァ────ッ!?」


 あばら骨が数本折れる音が耳元で響く。衝撃はそれだけでは収まらず、いくつものムーンフォークを叩き折りながら、魔王と道化師の身体が凄い勢いで移動する。


 どちらのダメージが大きいのか分からない自爆特攻だ。


(いてぇ……クソいてぇ、が……これで……いい…………)


 魔王には。


 如月綾人には、勝利を目指し合理的に戦えない理由があった。


 それは他ならない、決して失ってはならない人の存在。

 怪我をして今も倒れている、ラピスの存在だ。


 魔王は先ほどの戦いを……目的の為なら躊躇いなく弱者を狙う、勇者たちの行いを思い出す。この場所で戦っていては、いつ道化師の攻撃でラピスを殺されるか、あるいは人質に取られるか分かったものではない。


 だからまず、勝利を投げうってでもここを離脱する必要があったのだ。だから1メートルでも道化師をラピスから遠ざけるために突進し、最後に決定的に戦場を変えるためのこの攻撃に賭けた。


 そしてその攻撃は、魔王に対し強者であるという自覚を持つ道化師にとって読み切れないものだった。魔王にラピスの命を鑑みる余裕はないと道化師は考えていたのである。


(俺はもう、二度と────)


 意識が覚束ないほどの激痛の中、必死にある人の日記の一文を反芻する。


(────失いたくは、ないんだ!)


 ムーンフォークの森に来た時点で、如月綾人は悲しくも理解していた。

 アンブロイドともう一度話せる機会があったらと甘い言葉を呟いてはいても、


 恐らく話せることはもう二度とないと。


 だからこそラピスまでも失うということは、絶対に、魂にかけても許容できない。


 クラッシュした車から弾け飛ぶタイヤのように、ムーンフォークの破片をまき散らしながら魔王と道化師の身体が転がる。転がるうちに二人は地面の隆起により高く打ち上げられ、離れた場所に落ちた。


 相対距離10メートル。


 全身から血を流しながらも、先に起きあがったのは魔王だった。


「…………よう、道化師ピエロ野郎……テメエも起きてるんだろ」


「…………ク、ウクク…………」


 全身を笑いに震わせながら、道化師も起き上がる。表情こそ相変わらず狂気的な笑みだが、血にまみれて両手の義手が外れている。加えて全身の各処に切り傷を作る姿は、強者の余裕とは程遠いものだった。


「…………ルーキーにここまでしてやられるとはネ……」


「ハァ……ここまで、だと? だろうが、俺たちの戦いはよ」


「ウク…………違いありませんネ」


 魔王が掌に魔力を集中させる。

 道化師が義手を生やし、両手にナイフを蓄える。


 周囲でふわふわと舞うムーンフォークの破片たちが、魔力に反応して銀色の光を放つ。宵闇の中で二人を中心に光が浮かぶさまは、まるで星空が降りてきたようだ。


 螺旋を描く星々が、互いの殺気の応じてぶわりと空に還ってゆく。


 決着の時だ。

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