不屈の魔王さま その1

 結局、日記を最後まで読んでしまった。

 

 我ながら趣味が悪い────そう思うも、アンブロイドの事を知りたい気持ちに勝てなかった。こんなの言い訳だけど、もしもう一度会えたならその時は何て言おう?


 その結論が出る前に、ラピスが顔を出す。


「アヤト、ごはんできた」


「ありがとう。いま行く」


「アンブロイドの日記読んだの?」


「……つい。今度会ったら謝らないとな」


「別にいいと思う。魔王さまの命令は絶対」


「命令して日記見せろなんて何処のしょぼい魔王だよ……」


 食事になった。


 保存食と思しき木の実やパンが並んでいる。

 正直に言って食欲がなかったが……


「たべないとダメ」


 ラピスに押し込まれた。

 俺まだ2歳にもなってないしそんなに食えないよ。


「たべないとダメ」


 問答無用だった。


◆◇


 食べた後は……とても寝付けなくて、夜風に当たりに二人でテラスに出た。

 家の前に置いてあった白いテーブルが、地面の淡い光を反射し複雑な色彩を映している。イスを引き深く座って、天を仰ぎ見た。


「すごい星空だな」


 思わずそう漏らした。

 星に興味がある方じゃない。星座の知識なんてからっきしだ。

 なのにいま目の前にある星空の美しさには思わず胸を打たれた。

 

「そうかな。私には普通にみえるよ」


「そっか、ラピスには普通だよな。俺が前住んでた世界では、こんなに星が見えるところなんて行ったことなくてさ」


「星が見えない? 星の数がすくなかったの?」


「いや、たくさんあった。でも前の世界は……なんというか、地面が明るかったんだ。たくさんの明かりで地上が照らされてた」


「うーん? 地上が照らされると、空の星が見えなくなるの?」


「ああ。俺も詳しくはわかんないんだけどな。前の世界だと夜に山の上にでも登らないと、こんな星空を拝むなんてムリだった」


「ふうん。でも、おかしいね」


「おかしいって何が?」


「アヤト、もう生まれて一年半は過ぎてる。一度も星空を見上げなかったの?」


「あっ……」


 ラピスの指摘を受け、俺は急に恥ずかしい思いに捕らわれた。


「……恥ずかしながら、星空を見上げるなんて余裕すらなかったんだ、俺」


「そっか。がんばってたもんね、アヤト」


「……」


 頑張ってた。

 確かに頑張っていたのだろう、俺は。


 しかし俺自身は自分の頑張りを、その結果を認めることは出来そうにない。


 致命的なまでに方向が間違っていた。

 暖かなひとたちに囲まれながら、自己中心の考えに拘泥こうでいした。

 皆の手を取っていればもっとマシな結果が待っていたかはわからない。所詮、四方山よもやま話にすぎない、でも……


 それでも俺はきっと、もっと────


 村のみんなと笑顔で語り合えた。

 隊長と料理のことで話し合えた。

 そしてあの人のことをアンちゃんと呼べた。

 

 星空を見上げる余裕すらなかった事実。

 それが俺の未熟の示唆だ。

 目に焼き付いた価値観が、星の光を覆い尽くしてしまった。 

 

「落ち込むの禁止」


「むぐ」


 ラピスにほっぺを引っ張られた。

 我が事ながら幼児の頬である────肌の伸縮性が凄まじく、超のびる。


「だめだよ」


「……あ、ああ。考えないようにするよ」


「……そうじゃなくて」


「え?」


「アヤトは、認めなきゃいけないんだよ」


 認める?

 ……何をだろう。


「私一度、アンブロイドに聞いたことがあるんだ」


「アンブロイドに……?」


「うん。私は人の心を読めたせいで、里では呪われた子だと嫌われていたんだ。私はそれでも頑張って皆と話そうとしたんだけど……ダメだった。一人ですることもなかったから、仕方なく毎日狩りの練習を頑張ってた。狩りの成果だけは、里のみんなも受け取ってくれるから」


 しかしある日、決定的な事が起きた。


 ひとりの男が声高に叫んだ────心という神の領域を犯す呪われた子が、我ら誇り高きダークエルフの里に住み着いていていいのか。


 男の説得にラピスを疎ましく思う人々が同調し、ついには里長も説得され、彼女のが決まったのだ。


「私は怖くて、狩りの途中で得た森の知識を、隠れ場所を必死に使って逃げた」


 しかし追手となった里の者も森の一族、ダークエルフである。

 ラピスはそう長くは逃げ切れず────


「どうしようもなくなったそのとき、アンブロイドに出会って……」


 アンドロイドはラピスに事情を聞き、助けることにした。

 しかしそれは、完璧な救出ではなかった。


 ラピスを殺そうとするダークエルフの男がアンブロイドの不意をついて襲い掛かり、それを阻止するためにアンブロイドは魔術で男を弾き飛ばした。

 吹き飛ばされた男の頭は岩石と強く衝突し、死亡してしまったのだ。


「それから……アンブロイドとしばらく旅をして。そうして過ごしていくうちのある日に、聞いたの」


 気恥ずかしさが手伝ったのか、ラピスは立ち上がり薄明り彩る庭園に歩みだす。

 天に地に朧な光が、ラピスの姿を幻想的に照らした。

 こちらを見返る彼女の瞳と言葉が俺に降りかかる。


「……私がこれまで頑張ったことは、いや、ひょっとして私が生まれたことが、結局悪いことじゃなかったのかって」


 すると、アンブロイドはこう答えたらしい。


 ラピスはただ生きているだけで、良いも悪いもないんだと。


 今のあなたは、結果的に村に不幸をもたらしてしまった本当の呪い子なのかもしれない。あなたが皆と話そうとしたことも無駄だったのかもしれない。


 でも、日々狩りの練習をしていたからあなたには森の知識があった。その知識があったお陰で、あなたは私と会えて結果的に生き残れた。


 極論だけど。

 どんな人生の後悔も、後悔できる時点であなたの人生は終わっていない。


 未完の芸術が秘める真の美しさを誰も窺い知る事ができないように、

 未完の物語のすべてを誰にも評価できないように、

 自分の人生を正確に評価することは自身にも出来ない。


 そして正確な評価も出来ないうちから、自分の行為は駄目であったと決めつけることは、ただ自分の時間を無かったことにするだけの愚かな行為なの。


「よくわかんない!」


 ラピスはそう答えた。

 当たり前だ。このときラピスは完全なる幼児、その全盛期であった。


「ごめんなさいね。分かりやすく言うと……そうねぇ。あなたは自分のやってきたことを、もっと認めてあげなさい」


「どうやって?」


「どうやってもよ」


「やっぱりわかんない」


「ふふ。じゃあ、今はわかんなくていいわ。いまはお姉さんが、あなたのことを認めてあげる。よく頑張りましたって」


「うう」


「どう?」


「……────それはなんか、うれしい」


「よかったわ」


「ありがとうおばさん」


「…………よかったわ」


 もう何年も前になる、その会話のこと。

 そのときラピスが分からなかったことが、今のラピスなら分かるのだ。

 

「アヤト。たぶん────だれも間違わずには生きられない。もしそんな人がいたとするなら、それはきっと神さまなんだよ」


「神さま……」


 ふと脳裏にあのコーヒーの神が浮かんだ。

 ……いや、あの神を想像するのはやめよう。

 ラピスが言いたいのはきっとそういうことじゃない。


「アヤトが歩んできた一年半を、アヤトはなかったことにできる。でもそれは……寂しいの」


「寂しい?」


「あなたの周りに居て────みんなは……アンブロイドは、いや、なにより私が、すっごく楽しかったから。それを無かったことにするなんて、寂しいよ」


「────」


「だからどうか認めてあげて。かつて私がそうしたように……」


 気恥ずかしそうに微笑んだラピスの顔。


「ずっといっしょだった私の前では、私の好きなアヤトのままでいて」


「…………」


「わがまま、かな?」


 なんて────

 なんて暖かいのだろう、と思った。 


 自分を認められるかどうかはいまだに自信がない。


 それでも、こんな俺と一緒だったことを楽しかったと言ってくれる。

 自分の頑張りを否定すべきではないと励ましてくれる。


 耳を伝って心に届いた、ラピスの暖かな想い。

 俺はとても言葉では返しきれなくて、立ち上がる。


 一歩一歩と彼女に近付いていき、



 ────辿り着く前に、ラピスの身体がぐらりと崩れ落ちた。



「……………………え?」


 血が引くとはこのことだ。


「ラピスッ!!」


 慌てるという言葉すら生易しく、地面に崩れるラピスの身体を必死に受け止める。

 背に回した手に、ぬるりとした感触。


 銀色の鈍い輝き。


 見覚えのないナイフが、彼女の肩口に突き刺さっていた。


「……なんだよ、これ?」 


 呆然とした。

 だから、次の一撃を回避できたのはまるっきり奇跡だ。


 辛うじて視界に映った銀の一閃を、身を捩ってなんとか避ける。


 ト───────ン……。


 刃物が木の家に刺さった音が、ムーンフォークの森へまっくらに響く。


「……おやおや、避けてしまいましたかァ?」


 そして闇から浮かび上がる顔面を白の化粧で染めあげた男。


「いけませんねェ、子供はもう寝る時間ですよォォ?」


 頭から足で道化で染め上げた、勇者の副官が俺の目の前にいた。

 両掌に指の数以上のナイフをずらりと並べ、狂気的な笑顔を顔に張り付けている。


「…………」


 警戒しながら、ラピスをテーブルの影に寝かせる。

 その様子を不気味にもじっと見つめるだけの男。


 道化師のような男の風貌は、宵闇の不気味さをもって死神を連想させる。


 印象はそう間違ってはいないだろう。

 恐らく実力は俺より遥かに上。

 この男から逃げなければ俺は死ぬ。


 ────考えろ、如月綾人。


 どうにかしてこの場を乗り切れ。

 せっかく足掻いてきたのに、二度は死にたくないだろう。

 命乞いでもなんでもして、生き残るべきだ。


「……今のナイフは」


「はい?」


「今のナイフは、お前が投げたのか?」


 それなのに、俺の口から出たのは、命乞いでもなんでもなかった。

 当たり前のことを確認するだけの言葉だった。


 宣戦布告。


 ひどく事務的な言葉の意図は、俺にも相手の道化師にも明らかだろう。



「────いいえ、違いますよォ。きっとこの森に住む妖精さんが投げたんですゥ」


「────そっか。なら、お前は悪くないな」


「その通りですよォ。アハハハハハハ!」


「ははははははははははは!」



 狂ったように二人は笑った。


 この世のすべてを嘲笑するように道化師が────


 あらゆる激情を振り絞るように如月綾人が────


 笑う。


 笑う。


 果てまで笑う。


 そして、



「────ぶち殺してやる、道化師ピエロ野郎」


「────かかってきなさい、魔王ルーキーィィ」



 魂を賭けた戦いが。魔王の戦いが、いま始まる。

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