煉獄

 包囲網を脱出できる、古城の出口に辿り着こうと魔物が殺到する。


「いくら盛り上がったって逃がしませんよォ! 皆さァん囲んで囲んで!」


 それを防ごうと、道化師ピエロの恰好をした男が兵士達に指示を出し、兵達は素早く行動に移す。


 彼らは勇者が常日頃から鍛えている軍勢だ。

 高位の装備で身を包み、経験を積んだ熟練のつわもの


 誇りに満ちた剣を振り下ろせば栄光が生まれる。

 その太刀筋に迷いなく、その武の前には魔物の生存を許さない────


「「「うるせェェェェェエ────ッ!!」」」


 が……魔物たちの進撃は止まらない。


 装備が宙に舞い、兵たちが次々と無効化されていく。


「なァ────んで!? なんで止まらないのォォ────ッ!?」


 道化師が頭を抱えて叫ぶ。


「副官殿、魔物の勢いは極めて苛烈! 死兵と化した奴らを止めるのは我々でも困難です! 一度逃がし、追撃するほうが容易いかと!」


「それじゃ何人か逃しちゃうでしょォ!? ボクは全員殺したいんだよ~~!」


「ふ、副官殿、しかし……」


「うるさァい! 城門を護れ、護れェェェ~イ!」


 副官の道化師はそれでも城門を護らせ、数にして約2倍の壁が魔物たちの前に生まれる。が、


「なんでェェェェェ~~~~!?」 


 しかし軍の衝突により吹き飛ぶのは、再び人間の装備だった。


「魔王さま! 間も無く脱出できます!」


「弱すぎるワン、人間ども!! 炭鉱夫でもやって身体鍛えなおしてくるワン!」


「「「全員、突撃ィィィィィ!!」」」


「とっくにしとるわバカども!」


 この結果を導き出したのは、士気の差だ。

 心ある者同士が戦う以上、戦いの結果は単純に数の引き算とはならない。島津の退き口のように、時として少数が士気だけで暴力的な戦果を導き出すこともあり得る。


「ふっ、副官殿、もう止まりません!」


「なんでだァァァァ~~~~~!? ねぇなんでェェェ~~~!!?」


「お、お答え致しかねます!」 


 結果として、戦場に響いたのは道化師の悲鳴だ。

 もはや人間側は恐慌としており、ついに魔物の先頭集団が城外の土を踏む。


「「「包囲を突き破ったぞォォォォ!!!」」」


 一度突き破ってしまえば、状況は決定的だった。

 穴の開いた袋から穀物が零れるように、決壊した堤防から水が溢れ出すように。決して止まらぬ勢いが生まれ、魔物たちは次々と脱出していく。


 ゴブリンたちが、コボルトたちが、隊長が、ミワシロが、外へ飛び出す。


「行こう、アヤト」


 暖かな手に引かれ、俺は頷く。 

 ラピスに続き、俺も古城の外へ足を踏み出し────


「……ッ!? アヤト、避けて!!」


 唐突に、俺の足元に赤色の魔方陣が輝いた。



 それは果たして偶然か。それとも警戒の上に成り立った計算であったのか。


 本来敵の知り得ぬ情報として……ラピスの<読心>には射程距離が存在する。

 後方の安全地帯から指示を飛ばす人間軍の副官の位置はラピスから遠く、<読心>スキルは副官に対し発動していなかった。


 が、今。

 魔物たちと共に門を突破し、人間軍が後を追うという位置関係になった今この瞬間。魔王が罠にかかった瞬間に、嘲笑うかのように道化師はラピスの射程距離内に足を踏み入れたのである。

 

 このギリギリ間に合わないタイミングで、策略の内容を教えてやるように。



「なァんでェェェェ! なァァァ─────んで、こんなに上手くいくのでしょう。ここまでいくと逆に興ざめでは?」


「いえいえ、道化師殿。貴方様の策略にはいつも胸がすく思いでございます」


「ま、お味方だけでも楽しんでいただけたなら良しとしますかァ。<魔王>系の因子に反応するトラップ……いやはや、戦場の道化師たるもの、真っ直ぐすぎる戦譚には転結を与えてやるのがサガでして……ヒッヒ! では精強なる兵士の方々、耐魔矢の準備をなさって下さい。あとはヨロシク」



 道化師が嘲笑い……繋いだ手が────ラピスと、俺の距離が、離れてゆく。

 

 赤色の魔方陣は地面から強力なエネルギーを放出し、爆発。

 魔王の身体を冗談みたいに高く打ち上げた。


「魔王さまァァァァ!!!」


 隊長の、悲痛な叫びが消えてゆく。

 突然のトラップは、俺の身体に取り返しのつかない損傷を与えるのに十分な威力だった。


 が。


(ッ……間一髪……!)


 際どいタイミングだったが、俺の魔術障壁によるガードが間に合った。ラピスの必死の警告が、俺の反応を際どいところで間に合わせてくれた。


 しかし爆風に弄ばれた身体のバランスは未だ出鱈目に吹き飛ばされている。


 ぐるぐると回る視界の中────俺は地上に、銀色に光るいくつもの鋭い光を見た。一瞬遅れて、胸の奥から湧き上がる危機感とともに、光の正体を理解する。


「射てェェェェェェェ────ッ!」


 人間兵の構える、矢の反射光だ。

 それが、数十もの光が俺に向けて放たれた。


「させるかァァァァァァ────ッッッ!!!」


 張り裂けるようなラピスの絶叫。


 同時に短剣が投擲される。

 夜空に赤い軌跡を残しながら矢に衝突し、花火みたいに爆発した。


 爆発の衝撃はほぼ全体の矢を包み、結果としてたくさんの矢の軌道を逸らした────が、矢そのものに魔力に耐性を持つ仕組みでも組み込まれているのか全部とはいかない。


 罠の勢いで吹き飛ぶ俺の身体の軌道を塞ぐように、未だ十本余りの脅威が俺を貫こうとしていた。


「<浮遊フロート>……ッ!」


 これでどうにか軌道を逸ら────せない。


 自明の理である。

 <浮遊フロート>は風を操り浮力を獲得する魔術。それ以上の暴風に晒されている現状を上書き、軌道を修正する力はない。


 無駄な魔術で時間をロスしたぶん、俺と矢の距離が縮まる。


 ────死ぬ、このままだと。


「それは、いやだ……」


 死ぬとき、こんな気持ちになるなんて想像すらしていなかった。


 俺にとって……自分から死んだ前世というやつは、充実したものじゃなかった。

 神様にはヒネくれた奴だといわれたが、誰もが望んでいない家庭環境が今の俺を作ったんだと、言い訳がましい確信が今だって俺の中にある。


 クソどうでもいい学生生活が続いていて、これからもゴミ溜めのような人生が続くと思っていたから、一瞬の満足のために身を投げることはそんなに難しくなかったのだ。死ぬそのときまで、死ぬこと自体には何ら感慨を持たずにいられた。


『まさか、キミの様なクズがこのような大戦果をあげるとは、この神をしてカケラも予想していなかったよ』。


 そんなしょうもない俺だから、馬鹿にしている神の言葉にも笑えるほど納得がいったものだ。まさか……俺が他人に何かを与えるようなことが出来るなんて。滑稽で仕方なくて、笑いごとですらあった。


 けど、いつの間にか俺が死ぬことはイヤなことになっていた。


 それは何故だろう────……なんて考えるまでもなく。

 確かに今の俺と昔の俺には決定的な差がある。


(こわくないよ)


 その手に残る日溜まりの感触を、もう一度掴みたいという欲望がある。

 だから、


「…………ったいに、」


 絶対に、


「死んで、たまるかあああああああァァァアアアアア────ッッッッ!」


 詠唱も制御も、度外視だ。


 使えない魔術を使いたいと言うのだから、理を投げうたねば不可能。


 自分の中にある魔術を制御する何かが悲鳴をあげる。頭の中の神経がダース単位で弾け飛んでいく感覚があった。MPが消し飛んでいるのが疲労感として実感できる。いくつもの弱気が、数多の絶望感が、心を飲み込もうと腕を伸ばした。


 全部、知ったことかと蹴り飛ばす。


 身体の周囲に火の粉が舞った。 


 はじめは弱々しく。やがて轟々と、火の粉は無数の<火球>と化す。


 とても制御しきれない膨大な情報量が俺のアタマに殺到する。意識を塗りつぶそうとする濁流。ただただ暴力的な流れを、映画のアクションスターがトロッコの進路レバーを強引に切り替えるように、ただ方向だけを決めて開放した。


「ぶッ、とべえええええええ────ッ!!」 


 迫り来る矢よりも多くの<火球>が、霰のように降り注ぐ。

 制御の甘い軌道が生んだ火球たちは次々と見当違いの方向に飛んで行ったが、なによりも数を起動したため、矢の軌道の全てを塞いだ。


 空中で矢と衝突した火球が次々と爆散する。


(生き残った……!)


 俺は肩で息をしながら、ようやく爆風の影響を逃れ自由落下しそうになる身体をなんとか<浮遊フロート>で支える。


 すり抜けた火球の何発かは矢を構えていた人間の兵士を焼き、その一発が道化師のもとにも落ちてきた。


「……フン」


 道化師はつまらなそうに、火球を裏拳で叩き落す。


「生き延びましたか。なかなかどうして、エンターテイナーとしての手腕は確かなご様子」


 道化師はお手上げとばかりに首を振り────


「これはもう、私や兵士達どうしようもありませんなァ」


 ────同時に俺は、背後に強烈な殺意が迫るのを感じた。


 いや……背後?


 いま俺の背後では確か、アンブロイドと黒曜が戦って……


 俺は首だけで振り返る。

 

 辛うじて視界に、アンブロイドと黒曜の戦いを捉える。


 そして二人の間合いが僅かにこれまでより開いた、その一瞬の間隙に……黒曜が一度だけ、刀剣を俺に向けて振った。


 跳剣の勇者、黒曜。

 この男の鋭すぎる斬撃は空間を割き、宙を跳躍し──不可視の速度で俺に迫る。


「────魔王さまァ!!」


 隊長の悲鳴が耳に届く。

 咄嗟に反応し俺は飛んでくる斬撃に叩きつけるように、魔術障壁を展開した。

 が、


「そんな雑魚障壁で、防げる訳がないでしょォ」


 現実は嘲笑う道化師の言う通り──斬撃が障壁を両断しこちらに飛んでくる。


 最早、身を捩るヒマすらなく黒曜の放った斬撃は俺の眼前にあった。

 分泌されたアドレナリンが、俺の時間を必死に引き伸ばす……が、無駄だった。無詠唱でも間に合わない。物理的に身をかわすことも出来ない。


 ……死んだ。


 そう思った矢先、俺は自分の命を奪おうとする兇刃よりも、もっと見たくなかったものを見た。


「……やめろ」


 振り返るに────

 黒曜が俺に、死に至る斬撃を放つことをいち早くわかっていた者は誰だったろう。

 

 この状況を思い描いた道化師の副官。

 斬撃を放つと決めた黒曜。  


 この二人が首位に立つのは間違いない。ならば次点は?


 自分が狙われているという第六感で振り向けた俺だろうか。


 否。


 俺よりも早く気付いた者がいた。


 黒曜に相対し、意図に気付き、その斬撃を止められないと分かってから、いち早く行動に移した女が居た。


「────、アンブロイド!」


 ジェイド魔王軍が誇った<突撃魔女ブリッツウィッチ>の亜音速の加速が、黒曜の反応速度を超えて俺に迫る。


 限界を越えた加速に地が爆ぜ、アンブロイドの服が半壊していく。そして宙を漂う俺の手を掴み、力まかせに振り回して強引に位置を入れ替えた。


 アンブロイドの身体が黒曜の放った斬撃のほうへ。


 俺の身体がなにもない空へ投げ出される。 


 一瞬遅れてアンブロイドの身体から大きすぎる血飛沫が爆ぜて、


 アンブロイドは────。


 笑顔だった。


「魔王さま」


 何もなかったかのように、彼女は呟く。

 <浮遊フロート>の制御に一切の淀みはない。

 表情も言葉遣いもいつも通りで、先ほどの攻撃が幻影かと見紛うほどだ。


 しかし……誤魔化しようがないほどに。

 身体は袈裟に切り裂かれ、余りにも多くの血が虚空に消えていた。


「いささか短すぎましたが────この身でお仕え出来て光栄でした」


「……アンブロイド」


「どうかこれからも、御身が暖かな絆を育んでゆけるよう、お祈りしております」


「…………」


「…………実は……」


「………………」


「……魔王さまにアンちゃんと呼ばれるのが、好きだったんです。もう一度呼んでいただけせんか?」


「…………アンちゃん……」


「ふふ……」


 アンブロイドの身体から、暖色の光が溢れた。


「ありがとうございます」


 同時に、腕につけた白い腕輪が同じ色で光る。

 遠く離れたラピスも同様だった。


「ラピス……」


「…………アンブロイド、さま」


「弟ができて、よかったですね」


 白い腕輪から放たれる光は強くなり続け、やがて崩れだした。


 同時に俺の視界は暗転し────身体が光に変わった。


 腕輪に込められた、幾重にも張られた転移阻害の結界をものともしない大魔術。

 あらゆるルールを破壊し、横紙を破ったうえで望む結果を叶える魔術はもはや呪いに等しい。必然、必要とされるコストは莫大なものとなる。


 今回の場合は、魔道具本体の破損と────術者の命だった。


 ……そうしてひとりの魔王とラピスという少女が居なくなった戦場の空で、ゆっくりと、ひとりの魔女の身体が傾いた。


◆◇


「……アンブロイド殿ォ!!」


 その身体をなんとか受け止めようと、隊長が走り出す。

 それは折角離脱できた戦場にまた戻ろうとする、愚かな行為だった。


 しかし彼の近くの魔物で、隊長を止めようとするものは誰もいなかった。


 否……どうして止められようか。

 皆が皆、同じ行動を取りたいと思っているのに。

 

 ゆえに、その愚行を止められた魔物はただひとり。


「止まりなさい、ガドルク。私を失望させないように」


「!!」


 揺らぎ、一度は落下しかけた身体を自ら支えたアンブロイドのみ。


「アンブロイド殿ッ、生きておられたのですか!?」


「…………いえ、。あなたは私を見捨て逃亡してください」


「なッ……」


「ラピスにしか話していませんが、少々特殊な身体をしているんです────あと、本当に少しだけ活動できる。大魔術ひとつ詠唱するのも難しい、実に僅かな時間ですが……なに。


 死に体のはずのアンブロイドから、今も血が流れ続ける身体から。

 黒曜をして、戦慄を禁じ得ないほどの魔力が膨れ上がる。


「化け物が……」


 黒曜のぼやきに、アンブロイドは嘲笑う。


「ええ、そうですよ。私は化け物の、それも四天王ですから、絶対に化け物の王様を護るんです……今度こそね」


 魔力はいまも膨れ上がり、無尽蔵の火の粉が、炎の波が荒れ狂う。周囲の人間兵を巻き込んで、兵達の悲鳴がアンブロイドを包む。遠く、高く、魔女の笑い声が木霊した。


 それはまるで、怨嗟すら焼き尽くす煉獄。


……」


 ────ゆえにここは、無限の怨嗟を背負った魔女の戦場さいごに相応しい。


「……

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