フロード その4

 レッドボアは堅い毛皮に覆われた魔獣で、形状は猪に近い。


 鋼鉄の如し硬度を誇る頭部。

 前方に突き出た鋭利な牙。

 強靭な四肢で突進することでそれらを武器に変える。


 レッドボアの突進速度はトップスピードで100km/hに達する。その威力はもはや動物の突進攻撃という範疇にない。進路を塞ぐものあらば悉くを肉片ミンチに変える、さながら破壊をもたらす暴風、天災の類と称して差し支えない。


 ────戦線に立ち塞がるは緑肌の兵達グリーンスキン


 筋骨隆々とした肉体を晒し、各々好みの武器を手中に収めている────が、彼等はどのようにして迫り来るレッドボアの一団を止めようというのか。


 迫り来る大車両の一団を前に戦斧を持ったところで、誰の目から見ても勝負にはならない。子供でも轢死という無残な結果をありありと想定できよう。


 事実、魔獣には脅威度というものが存在する。

 自然環境下で生育したゴブリンとレッドボアと相対した場合、それを駆除するためにどれほどの能力が必要かを数値化した、人間が定めた指標である。


 その人間の本によると────

 ゴブリンは最低クラスの脅威度5。

 レッドボアはその9倍、脅威度45だ。


 自明の理である。

 レッドボアの巨躯が繰り出す衝撃力は20万ジュールを優に超える。一般的には人間よりも小柄なゴブリンが如何に剣や斧を振り回そうが、その脅威がレッドボアに届こう筈もない。

 

 ゆえにこの戦いの決着は見えている。

 ゴブリンたちの群れがレッドボアの突撃に駆逐され終わる。

 その戦いに展開も変化もなく、ただ蹂躙だけが起きる────。


「ゼェヤァァァァァ───ッ!!」


 そして、二者が交差する刹那。


 隊長の斧による一撃、

 ────そのただの一振りで、数体のレッドボアが肉片と化した。


 ゴブリンの脅威度は最低クラスの5。

 レッドボアはその9倍の45。

 勝負は見えていた筈だった────そう、ゴブリンがのままであったならば。


 人間をはじめとする多種族にとって、魔獣と魔物という2つの言葉は同義語だ。言うなれば気分や文章のリズムによって単語を変える程度の認識しかない。だが、たちにとっては、この2つの言葉は似ていても意味は全く異なるものとなる。


 魔獣は知性なき本能のままに生きる獣。


 一方で魔物とは、かつてひとりの魔王に忠誠を誓い"王さまの所有"である己に誇りをもって研鑽けんさんを重ねた、ひとりの戦士が名乗りを許される誉れの名である。


「魔獣如きが我等に勝てるとよくぞおごった。その意気だけは買ってやる」


 そう、彼等にとっては魔獣の理など蹴り飛ばしてなのだ。


 かつて魔王ジェイドに忠誠を誓い、そして今も新たな魔王に己を託さんとするゴブリンのガドルクが振るう戦斧の一振り。


 脅威度などと、笑わせる。


 狭い世界で生きるものたちの価値観を一笑に付すようにまた数体、レッドボアが肉塊となり宙を舞う。


 ガドルクに続くゴブリン達も負けていない。

 各々の武器を振り回し、次々とレッドボアを血祭にあげてゆく。


隊長ガドルク殿、これじゃまるで弱い者虐めですぜ」と一人の魔物せんしが吐き捨てる。


「そんな心算つもりは無いのだがな。ここが戦場である以上、代償として命を貰う他にない」


「こんなやつらにリザードマンどもは遅れを取ってるんで?」


「連日にわたり膨大な物量に晒されたのだ、あまり馬鹿にしたものでもあるまいよ。それに奴らの場合────なに、昔からであったろう」


「へへ、違いねェ」


 複数の笑い声が戦場に木霊する。

 隊長にとっては聞き慣れた戦士の嘲笑であった。

 自分たちゴブリン部隊こそは強者であるという事実。敵を蹂躙して当たり前という自負を持つ者たちだけに許される、敵対者への哀れみすら含まれた笑い。


 ガドルクらゴブリン部隊にとって、弱者を救う戦場とは見飽きたものなのだ。


 そしてそれを追うコボルト達もまた、負けてはいない。

 個々の力ではゴブリンたちに劣る。しかし群れとして連携して戦ったならば、ガドルクの部隊をして苦戦を強いられる古強者たちだ。


「ぶち飛ばしてやるワン────炎獄裂爪破エンゴクレッソウハァ!」


「こらワンコ、連携にいちいち痛々しい名前をつけるのはやめるワン!」


「このセンスがわかんないとは、お父さん老けたね」


「ハッ? ……ハァッ!? なにひとつ老けてないワン」


「抜け毛多くなってきたよね」


「ちがっ……わないけど、成長期ワン!」


 特に────緊迫感は足りないが、ミワシロと彼の娘、ワンコは個々の強さで見ても高い水準にある。ミワシロは弓を使った遠距離アウトレンジ中心の歴戦の戦闘術、ワンコは自前の爪と炎の魔術を使った若々しい近接型ということで、戦士としての種類は異なるが質で見れば既に大きな差は無いのではないのだろうか。


 こちらも負けていられない────と笑い、ゴブリンも武器を容赦なく振り回すこと数度。ようやくリザードマン達の姿をそう遠くない距離に捉えた。


「よし、あと1枚抜けばリザードマンたちの部隊へ肉薄するぞォ!」


「ハッ、御指示を隊長ォォォォ!」


「今更指示もクソもないわ、捻り潰せェ! 突撃ィイイィィ────ッ!」


 鬨の声をあげ突撃。土煙に次ぐ血煙。

 ゴブリンたちの猛威が、更なる苛烈さをもって魔獣の群れフロードに牙を剥く。


「「「「オラァァァァ────ッッ!俺たち倒してェなら<勇者の因子>でも持って来いやァァァ────ッ!」」」」


 進軍距離と戦果が比例する暴威の進軍。

 これこそがかつてジェイド旗下にあったゴブリン部隊の威力だ。

 

 勇猛に突撃するゴブリン部隊に、しかし側面から新たな一団が現れる。

 雑多な種の魔獣の群れフロード

 数は20程度の小規模であるが挟み込むように二つの集団が迫っている。


 如何にゴブリン部隊が強者であろうと、三面から挟撃されれば被害は出る。


 が────強者とは戦場が広く見渡せるこそ強者なのだ。

 ただの腕っぷしだけでは戦場では強者たりえない。そんなものでは数多の戦場を生き抜くことなどとても出来はしない。


「では……よろしくお願いいたします、皆様」


 ガドルクがそう呟いたのと同時。

 片面の部隊を、天から降り注ぐ風が散らした。

 魔術の威力範囲外にいるガドルクの頬を涼風が撫でる。


「無茶を要求してくれるな、ガドルクくん。ボクじゃなきゃ巻き込んでるぜ」


 ノルンの<風刃嵐舞テンペスト>だ。

 魔術とは大威力であるほど制御が難しいはずだが、彼女は驚くべき練度で敵部隊だけを狩り尽くす難業を悠々と遂げる。事実として……彼女のサポートがあるかどうかで、戦場での行動範囲も随分変わるものだ。


 そしてもう片翼────小柄な体躯が、筋力のみで驚くほどの高度を飛んでいる。


「……ハッ!」


 踊る剣閃、舞い飛ぶ短剣。

 魔獣の群れに向け、計算された位置に数本が突き刺さる。

 

 魔獣に突き刺さった短剣は、比喩ではなく爆散。

 数体を巻き込みながら地に臓物を撒き散らす。爆発は周囲の魔獣の命を直接奪うか、あるいはその衝撃力で転倒を誘う。全速力で走行していた魔獣は転倒した魔獣に足を取られ────そうして面白いほどに魔獣の群れフロードの勢いは止まる。

 

 そうして転倒した魔物に影がかかる。

 何事かと見上げる暇すら与えない斬撃に、魔物の首がハネ跳んだ。


 効率だけを追い求めた剣技は芸術の域。

 戦場において尚、気高さすら感じるとは。

 いまこそ経験で己が勝てるであろうが、数年過ぎればどうなるかわからない。


 ガドルクはただ理解する。


 最強の攻撃魔術師の一角として名を馳せ、敵味方種族を問わず数多から恨みを買う元四天王アンブロイド。その苛烈極まる旅に同行したダークエルフ、ラピス。

 

 彼女の強さを計るに、幼さという色眼鏡は全くの無粋であると。


「────行って、隊長。こいつらなら


「フッ、これは感謝の印に沢山の馳走を用意しておかねばなりませんな」


「!?…………遠慮する」


 こうして勢い付いたゴブリン部隊を最早止められるものはいない。

 魔獣の群れフロードはただ流れ作業の如く殺戮され、囲まれたリザードマン部隊と合流するまでに半刻を必要としなかった。


「来てやったぞ、レオンよ」


 立ち塞がる最後のレッドボアを屍に変え、隊長は囲まれたリザードマンの戦士の中でも一際無鉄砲に戦う男に声をかける。

 強固な赤の鱗にその身を包むリザードマンの族長、名前をレオンという。


「ガドルク殿! なぜここに……とは、言えんな」


 隊長はこれ見よがしにため息をついて答える。


「全く、これで何度目だ。前魔王さまもお前らの無鉄砲さには手を焼いていたが……戦闘開始の連絡をするようになっただけ進歩ということか?」


「おう。我等はが、火の粉が降りかかるお主等は知っておきたかろうと思ってな」


「全く、少しは命を大事にしたらどうだ。お前らリザードマン族も魔王さまのもとに庇護を求めた身だろう。前から思っていたのだが、それでいて毎度戦火を求めたようでは本末転倒というものではないか?」


「フハハ、ガドルク殿。それには少し誤解がある」


「誤解だと?」


 レオンはニヤリと笑う。

 援軍を受けた側の態度ではないが、いつものことではあった。

 ゆえにガドルクは腹を立てる気にすらならない。


「我等、ジェイド殿を強者として崇めはすれど、最初から庇護など求めておらん」


「なに?」


「我らは魔王さまに最初から戦場を求めたのだ────激戦区に出し続けてくれと嘆願したのだ。平時に病で死ぬなどクソくらえよ。最後の眠りは戦場で、敵の屍を枕に眠りたいと乞うたのさ」


「……フッ、そうであれば援軍は邪魔だったか?」


「いや、有難く頂戴する。どうも我等をしてもヌルくてな。この調子では死ぬまでに数時間かかりそうだ」


「もっと激しく戦って散りたいと? いつもいつも、弱い癖に救い難いバカどもだ」


「フハハハハ! 歴戦の強者から戦馬鹿と詰られるは、これまた何事にも代えがたい誉め言葉である!」


 

 どんな戦場にも突撃する。孤立無援は大歓迎。

 が、援軍が助けにくる程度の死地ならば、ヌルすぎて死に場所には相応しくない。


 ゴブリンたちをしてバトルジャンキーとしか例えようのない、彼等の独特すぎる思考回路は誰にも理解できない。しかし危険な場所にも迷わず突っ込むその様子を、外面からは魔王軍一の忠誠心を持つ集団であると恐れられていたことをガドルクは知っている。本当のところ、忠誠心ではなく好き勝手やっていただけなのだが……価値がある部隊なのだ、これでも。


「────同胞たちよ、我等の死に場所は今日、このときにない!」


 何様なんだお前らと言いたくなるレオンの号令。

 さらに本当に残念そうに肩を落とすリザードマンたちを見て、ガドルクはもうひとつため息を吐く。


 もう少し教育しておいたほうがいいだろうか。

 しかしこいつら、何度叩き直しても死ぬまで反省しないのだ。

 いや、きっと死んでも反省しないに違いない。


 彼等リザードマンは魔物の中でも随一の戦争狂。


 魔王アヤトさまもこいつらを一番の頭痛の種として認識するまでに、きっと時間を必要しないだろうと、隊長は思った。

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