コミュニケーション

 かくして午前はルーンフォークの森で魔術訓練。午後は魔法理論やこの世界の常識等の座学に充てられることになり、俺の修行の日々が始まった。


「もう少し身体が出来上がるまでは、剣や体裁きはやっても意味がありません。攻撃面は取り急ぎ中級魔術を目標に。あと、緊急時の自衛手段を確保するために少々レベルの高い魔術ですが<浮遊フロート>を覚えていただきます」


 というのがアンブロイドの教育方針。<浮遊フロート>よりも<短距離転移魔術ブリンク>の方が危機回避能力が高そうだがと質問すると、<短距離転移魔術ブリンク>は移動先に事前準備が必要な魔術であり条件が厳しいこと、さらに魔術成立までの手順が多く戦闘中の使用には向かない上、転移阻害等の対策が比較的容易であることから、汎用性は<浮遊フロート>の方が段違いに高いそうだ。納得。


 とは言え<短距離転移魔術ブリンク>は便利そうだから、早いうちに覚えたいけどな。


 こうして魔術の訓練を行い意識を失うと、ゴブリンの村に帰還────とはならない。俺の身体は隊長ガドルク謹製の薬湯でマッサージされる。この薬湯には強い疲労回復効果があり、MPの回復を助けているようだ(俺は気を失っているので分からない)。


 しかし臭い。この薬湯は圧倒的に臭いのだ。匂いで目を覚ますほどだ。

 ご満悦な隊長の笑顔と、薬湯が放つ地獄スメルとの対比が実に憎たらしい。

 

「魔王さま、お湯加減は如何でしょうか」

 

「おギャぁ────ッ!(くせェ────ッ!)」


「フッ、それは良うございました」


 赤語翻訳指輪は汚れないように大切に横に置かれていた。


 ……天然かコイツ!


 で、薬湯の力もあり30分ほどで復活する。

 また倒れるまで魔法を連射、そして再度薬湯に浸かる。

 意識喪失と異臭の無限ループ。


 3ループ目くらいで朝飯のミルクをゲロッた。


 日が昇れば続けて座学の予定だったのだが、体力が切れてダウンしてしまった。

 異臭のダイレクトダメージとゲロで、思いのほかHPが削れてしまったようだ。


 君たち、俺が赤子であること忘れてないかな……


「魔王さま、この薬湯は飲んでも効果が高いです。明日からミルクに混ぜてお出しします」


「おギャぁ────ッ!(くせェ────ッ!)」


「フッ、それは良うございました」


 隊長は笑顔で言った。

 あれ……今度は指輪、つけてる?


◇◆


 日を改め、アンブロイド先生による座学。


「────なので、魔術というのは準備段階である詠唱を挟むと、本人への負担が少なくなるようになっているのです」


「ああうう (MP消費が少なくなるということか)」


「そうですね。魔王さまは最初に<火属性下級魔術>を使用したとき、火の玉を飛ばすというイメージのみで魔術を行使しました。これは学問的には魔術の強制行使、洗練されれば無詠唱魔術ノーチャントマジックと呼称されます。<魔王の因子>と <下級魔術/全般>のスキル補助により魔術行使は不発ファンブルに陥りませんでしたが、代償として多大なMPを消費し、下級魔術一発で魔力切れを起こした訳です」


 なるほど。

 ちなみに詠唱を挟めばファイヤーボールは6~7程度のMP消費で済むらしい。程度、というのは本人の適性により使用MPが変わるとのことだ。


「ああううあお (詠唱っていうのは適当でいいのか?)」


「ダメです。意味のない詠唱は無詠唱ノーチャントと同じ判定になります。なので、」


 アンブロイドの手により、どこからか取り出された分厚い本数冊。

 それらが地響きと共に俺の前に放り出された。


「魔王さまには、これから魔術の詠唱をすべて覚えていただきます。"継続は力なり"ですよ」


 アンブロイドは悪戯っぽく笑みを浮かべるが、俺は笑顔を作るのが難しい。


 なんだこれ、国家資格取る方がまだ簡単そう……。


◇◆


 そして一週間後。


 異世界転生を果たした主人公は、修行を続け着々とパワーアップを果たしていく……俺もそうなりたかったが、俺は、萎えていた。


 たしかに連射できる魔術の数も増え、赤子の脳は一度見たものは忘れないほどに性能がよく詠唱の暗記は自分でも驚くほどに速い。


 しかし……毎日のスパルタ訓練(隊長とアンちゃんが言うには軽め)と薬湯入りミルクのまずさは、自分で言うのもなんだが……誰も心を許せるものが居ないという孤独感も相まって思ったより俺の疲れに繋がったらしい。訓練の日々のなか、突然にと俺は何をやる気もなくなってしまっていた。


 だいたい、赤子の非力な身体で、異世界という環境アウェーで、寄る辺もない気持ちを抱えて、なぜ俺は頑張らなくてはならないのか。


 生きるためだ、という正論では俺の心は説得されてくれない。


 容易く説得できない己の心の不調を、表に出すわけにはいかない。

 俺の無能がバレた時、向こうも俺を使い捨ての札だと判断するときに他ならないのだから。


 でも逃げたい……

 やる気がでない……

 けどサボって死にたくない……


 袋小路の想いを隠すのに、赤子の顔は役立っているらしかった。顔の筋肉が未発達で意識的に表情を作るのもなかなか難しいのだ。笑顔はともかく、顔をしかめたりとか微妙な表情の変化は作り難い。泣きさえしなければどうにでもなる……なっているはずだ。 


 ある日。


 俺はムーンフォークの森で訓練をしていて、自分が起こす以外の物音────攻撃音のようなものが、どこかから響いていることに気が付いた。


 この日アンブロイドはどうしても外せない用事が出来たと言い俺の周りに何重もの結界魔術は張っていったものの不在。代わりに隊長は来ていたが、辺りに危険な魔獣がいないか哨戒するということで俺は一人だった。


 もっともアンブロイドは俺のことを魔術的なナニカで監視していそうだが、日々ひとりの時間も作れずに鬱屈とした気持ちを抱え続けていた俺にとって、久々の外でひとりきり、かつ興味を引く音というのは、目を切ることが出来ない日常のスパイスだった。


 稚拙ながらも<浮遊フロート>も使えるようになっていた俺は、ゆらゆらと不安定な軌道でその音に近付いて行った。

 

 後から思い起こすと、この時の俺はまるで街灯に引き寄せられた羽虫だ。深く考えずに行動をした。いや、安易に死にたいという気持ちがあったのだろうか。


 ────結論から言うと、音の正体はラピスだった。


 彼女との交流はいまだ殆どない。辛うじて会話と呼べたかもしれないのは、初めて見た時に俺がラピスに声(音?)をかけたのが最後だ。訓練の内容も全く違う(俺は体術を学べない)ので、一緒に訓練をすることもない。


 俺が来た時、彼女は木立の合間で何をするでもなく、立ち尽くしていた。


 サボっているのだろうか。

 だとしたら共感が湧くと思った。

 ラピスは幼女で、政治的な思惑とは無縁であろう年ごろ。

 もし堕落を認め合えるような、悪友として付き合えるのなら────


「ハッ!」


 ラピスの短い声。鋭い技の起こり。

 堕落した俺の想いは、次の瞬間には両断されていた。


 いつの間にか彼女の両手に収まっていた短刀が、円弧を描き連撃コンビネーションを紡ぐ。原理はよく分からないが、淡く光る短刀はアクション映画のように残滓を残している。恐らく魔力が乗っているのだ。


 それだけでは終わらず、最後に彼女は短刀を2度投擲する。光学兵器を思わせる光の直線攻撃は、着弾したムーンフォークを砕き倒壊させるほどの威力があった。砕かれたムーンフォークの破片が、宙を漂う銀光の粒子と化す。


「……。」


 彼女の年齢を俺は知らない。


 しかしそう長くは生きていないであろう彼女が、目前で披露された攻撃能力を獲得するまでには、血の滲むような努力があったのではないか。


 アンブロイドはラピスを「拾った」と言った。彼女にとっても、今の環境は気の休まるものではないのかもしれない。


 気付けばどうして────と、俺は思わず彼女に叫んでしまっていた。


 何を思って。何のためにそんなに頑張れる。

 彼女に嫉妬の声をぶつけることを止められなかった。


「!?」


 ラピスが驚いた様子で、俺の方を振り返った。

 しかし……ただただ当惑した様子で、質問には答えてくれない。


 ……当たり前だった。


 彼女は隊長がしているような、赤子言葉を翻訳するような魔道具を装備していない。あの道具は貴重品らしいのだ。優先順位として、交流の少ないラピスに持たされる筈もない。


 気付けばいつかのように、ラピスは俊敏な動きで木陰に姿を隠してしまった。


 これも当然だ。


 彼女にとっては、訓練をしていたらいつの間にか後ろに宙に浮く不気味な赤子が喚き散らしていたのだから。


「あぁあ……」


 俺は何をやっているのだろう。

 あろうことか幼女に何かを期待して、ガラにもないことを叫び散らして……


 <浮遊フロート>を維持する気力もなく、俺はゆらゆらと木の根に向けて落ちる。続けて頭が揺れるような気怠さが襲ってきた。気付いていなかったが、魔力切れの兆候だった。


 仰向けに地面に落ちた俺は、この時はじめて異世界の青空を見た。

 空は俺の居た世界と全く変わらなくて、でもほど広いと感じなかった。


 幸い俺の言葉は、彼女には伝わっていない。

 俺の弱さは、公になっていない。


 起きたらまた、何食わぬ顔で訓練を続けよう。

 苦痛を隠して歩ききった先に、掴める可能性があると信じよう。


 ああでも、アンブロイドが監視している可能性を、俺は警戒していたんだっけ?


 クソどうでもいい…………疲れた…………。


 瞼を閉じる。


 眠ることは好きだ。

 眠りに落ちる瞬間だけは、何もかも手放すことが当然の権利になるから。


◆◇


 ぺた。


 ぺた。


 何分眠っていたのだろうか。


「ん……」


 俺ではない息遣いと、顔へ断続的に接触する柔らかな感触が俺を覚醒へと導いていく。目覚めの風物詩であった、鼻が曲がるような薬湯のにおいが今はしない。


 ゆっくりと目を開く。

 ラピスがいた。

 俺の顔の感触を確かめるように、柔らかな掌で何度も触れていたのだ。


「!?」


 俺が目を覚ましたことに気が付いたのだろう。

 驚き、手を引っ込める。


 どうしてこんな状況に?

 いや……。

 どう考えても、倒れた俺を心配して、近付いてくれたのだろう。


 感謝を伝えよう。

 そう思いながらも……それすら出来ない自分に気が付く。


 目覚めたてによる気怠さに、魔力切れによる頭痛がまだ残っていた。


 自分の不甲斐なさに嫌気が刺す。

 

 目覚めてなお呼吸以上のことが出来ない俺に、しかしラピスはもう一度手を伸ばしてくれた。


 恐る恐る。


 ぺた。


 …………ぺた。


「くるしい、の?」


 ラピスの、はじめて聞く声だった。


 凪に迷い込んだ緩やかな風のようにささやかで。

 微睡にそそぐ午前の陽光のようにあたたかだった。


 無意識に、涙が滲んだ。

 不器用に続く彼女の接触が心地よかった。


 いつしか、囁ける程度には俺の声は出るようになっていた。


「ああう……」


 ラピス、さっきは驚かせて済まなかった。それと、


「あいあおう」


 ────ありがとう。


 絶対に伝わらなかった。

 万が一にも成立する道理が無いコミュニケーションだった。


 少し遅れて、はにかむようにラピスは笑った。


 俺を触っていた手が遠のいた。

 代わりに、彼女の両腕が哀れな赤子の身体を抱きしめた。


 陽光のにおい。

 

「こわくないよ」


 やっぱり何も伝わってないのか。

 それともすべてが伝わってしまったのか。


 彼女の肩ごしに、風景が────見えなかった。

 涙で滲んで、空も地面も少しもわからなかった。


 ……俺は何をやってるんだ。

 年端もいかない幼女に慰められて……。


 けど俺は、さっきみたいな疲れをもう感じない。

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