ディスコミュニケーション
ゴブリンにお世話される生活もはや2週間。
身動きの取れない赤子で、かつ<魔王の因子>という穏やかでないスキルを持つ俺だったが、今の生活そのものは悪くない。が、心情的に安心からは程遠いというのもまた実情だ。
それはゴブリンという種族に対する抵抗ではない。ゴブリン達は俺を大事に扱ってくれるし忠誠すら見える。人族という視点から見れば今の俺は誘拐という状態にあるのかもしれないが、生まれてすぐの屋敷が焼き討ちにあった原因が、そもそも人族にあった可能性がある(しかも半々程度の確率である)以上、衣食住は満たしてくれる彼らに恩義こそ感ずれど、嫌悪感を抱く理由はない。
では何に安心できないのか?
それはもちろん、最初から最後まで<魔王の因子>。コイツのせいだ。
人間族からの嫌悪も迷惑極まりないが、現状で最も問題になるのは"この因子は所有者が魔王として覚醒する可能性を示す"という一文。この世界で魔王という存在がどのような立ち位置であり、価値を持つかすら俺は知らないが、場合によっては────こちらは半々以上の高確率で────このスキルを持つ俺には政治的な価値がある。問題の一文を逆説的に言えば"この因子を持たない者は、所有者が魔王として覚醒する可能性を持たないことを示す"となるからだ。
加えてこのスキルのレアリティは貫録の
これを踏まえた上で、ゴブリン達がなぜ俺を厚遇するのか。
将来的な庇護を求めての事かもしれないし、魔物としての本能であるのかもしれない。この2つならまだ良いが、ゴブリンを支配している他の魔物からの指示という線も考えられる。その場合、いつでも切れる都合の良い手札としてキープされているだけなのかもしれない……。
まあ、身動きの取れない今考えても仕方がないというのはある。
身体を動かさなくても出来る魔力操作を覗けば、出来ることは少ない。要はゴブリン達に保護される前から俺は、運に任せるしか他にない状況にある。無力なのだ。
今は<魔王の因子>を精々利用し、何一つ不自由しない生活を送るしかない。
「だーぁぁーあう! (喉が乾いた。すまないがミルクをくれ)」
「ん~??どうちたんでちゅか、魔王さま? あそびたいんでちゅか~~?」
「あぇーあ? (バカにしてんのか?)」
訂正。このスキル役に立たない。
<魔王の因子>の効果である言語の相互理解は、少なくとも俺がゴブリンの言葉を聞き取る点においては作用していた。恐らく俺の言葉にも作用しているのであろうが、俺は赤子ゆえに口から言語を発すること自体が出来ていない。意味を持たないと判断された文章はいかにスキルでも翻訳が出来ない、という判定のようだ。
「なにして遊びますか魔王ちゃま? 本でも読みまちょうか。昔々、荒れ果てた大地に魔王がいました……」
「うあー! (何ならここにもいるよ!)」
いや、分かる。ゴブリン達に悪気はない。
赤ちゃんに限らず、例えば飼っている犬の鳴き声についてだって、人間は犬が何を言っているかなんて分かっちゃいないのだ。ワン!(気安く触ンな!)に対し「あらあら、撫でて欲しいの甘えん坊さんね~」なんてディスコミュニケーション、日常茶飯事だったとしても何もおかしくない。正体不明の音に対し、自分の印象で内容を想像しているに過ぎないのだ。大善は非情に似たり、悲しいことである。
歯痒いが出来るだけ寛大な心を持ちながら、一日も早く自分の身体が成長することを祈るしかないのだろう。今は、辛抱の時だ。
「魔王さま、湯浴みの時間に御座います」
隊長格のゴブリンが姿を現した。渾身の笑顔だ。
このゴブリン、特に俺に対する忠誠が高いように思える。忠誠値というものが数値化出来たならムラタ・ナカムラ・ムラカミを優に越えることが予想される。兎にも角にも俺を大切に扱うものだから、隊長の顔はすぐに覚えてしまった(ムラタ・ナカムラ・ムラカミはまだ区別が付かないことが多々ある)。
特に湯浴み(といっても洗面器大の桶で赤子の身体を洗う小規模なもの)は隊長の大のお愉しみらしく、毎日喜々として俺の下にやってくる。
「魔王さま、お湯加減は如何でしょうか」
「だー、あーうー(ぬるいよ)」
「フッ、お役に立てて光栄でございます」
フッじゃないが。
ナメてんのこいつ?
◇◆
ある日、他のゴブリンとは違う視線を感じ……ゴブリンの村での生活に最初の変拍子が産まれたのは、たしか二十日が過ぎた頃だと思う。
部屋の出口から顔だけを覗かせこちらをガン見する、見覚えのない女の子がいた。
「…………」
あらかわいい。
手入れの行き届いた流麗な銀髪は後頭部で束ねられ、褐色の肌を際立たせている。4歳ぐらいだろうか。まんまるで愛らしい朱目が、注意深くこちらを窺っていた。
ゴブリンの村で人族に似た容姿を持つ者は居なかった(というかゴブリンしかいない)ので、少し驚いた。そして最大の特徴は、その尖った耳。
(エルフ……いや、ダークエルフか?)
幼女に俺を害する意図はなさそうだ。
ステータスの大体の確認を終え、魔力の自主訓練も終えた俺は正直ヒマだったのもあり、積極的に幼女と関わってみたいと思った。
「おおえぁーう (そこのお嬢さん)」
「!?」
極めて紳士的に話しかけたつもりだがやはり言葉にはならず、幼女の顔がしゅっと引っ込んで見えなくなる。
任務失敗。
と思いきや、恐る恐るといった感じでもう一度幼女の顔が覗いた。
まだチャンスがあるようだ。
「おおぅぇあーう (ミルクでも
「!?!?」
幼女は驚いたようにぶるりと身体を震わせ、再度しゅっと引っ込んでいってしまった。上手くいかない。次のチャンスがあればどうしようかと考えていると、
「フフ、ラピスは怖がりだねェ」
妖艶な雰囲気を纏った女の人が代わりに入ってきた。
股間がきゅっとなった。
その女の人を一言で例えるなら────魔女だ。
太腿まで伸びた燃えるような赤髪。
色白な肌を覆う濃紫のローブ。
極めつけには同色のとんがり帽子。
テンプレだ!こんなのが居ていいのかってくらい、テンプレの魔女だ!
「お初にお目にかかります、魔王さま。
しかも滅茶苦茶に大物。
それにしても前魔王って……今はどうなってるんだ。
とにかく
といっても悲しいことに、紹介されても答えられないんだけどな。後の事を考えて……可能な限り偉そうな態度で返しておくか。
「あーああぁーうう (そうか。俺の名前は如月綾人という。伝わらないとは思うがよろしく頼む)」
「よろしくお願いいたします、魔王綾人さま。伝わっておりますわよ」
「あ!? (あ!?)」
驚きのあまり声と心がシンクロした。
「あああーうう (ひょっとして……読心? 心の声とか聴けるやつ?)」
「いえ、
限定的なんだな。しかし、強力だ。最悪に強力すぎる。
「あぅあああー (とにかく暫くぶりの会話だ、嬉しいよ)」
「ありがとうございます。それで魔王さま。差し支えなければですが、一つ質問してもよろしいですか?」
「あぅ (ええぞ)」
「魔王さまは転生するなどして、他の世界からこちらに来られた方ですか?」
「おぁぁ? (……あ、この質問は俺が如月綾人って名乗ったからか?)」
「その独特な響きの名前で確信を得たというのもありますが、生まれたての赤子がフォレストウルフを撃退したと聞いた時点で、ほぼ察してはおりました」
なるほど。産まれてすぐの精神状態で、魔法を使い撃退するという攻撃的な判断が怪物を目の前にして出来るはずもない。そうせざるを得ない状況であったとはいえ、色々ボロは出ていたわけだ。
名前に関しては……ステータスを見て今の自分がネフライト=ホロウと名付けられていることは知っていたけど、どうもしっくり来ないんだよな。
「あうぇお? (転生をしていると知られると、何か問題があるのか?)」
「特にありません」
「あう (ないんかい)」
「そもそも、転生という概念を信じられる人間が居りませんので。居ても少数派、ゆえに精々、正気を疑われる程度かと」
なるほど。命の危険はないってことね。
転生バレしなきゃ名前はちょっと変わってるってことでOK?
面倒だし名乗り続けよっかな……。
「んあぅ? (ん? それだとどうして、俺が転生しているという推測を立てることが出来たんだ? 矛盾しているじゃないか)」
「はい。
「おあああぁおう! (そうなのか、他に転生者が! 俺も是非会ってみたいな)」
「いえ、もう200年前に死んでしまいました」
「おぁ? (え、アンちゃん何歳?)」
「アンちゃん…………コホン、そうですね。500年は生きております」
500歳以上……魔女指数が高い年齢だ。
「うぉあう (何にせよ助かった。会話が通じるだけで嬉しい。これからも相談に乗ってくれないか)」
「相談相手、では不適切かと」
「あ? (不適切?)」
「
「ああ? (ああ?)」
教育係?
元四天王の魔女さんは、まさかの教育ママ志望だったのか。
さて……まったく……どうしたものか。
20日間。
長かったのか短かったのか。
生まれた日から向こう、再び訪れた────命の危機だ。
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