ひと夏限りの鳴き恋
放課後、幼馴染の太郎に呼び出されて屋上に向かう。改まった態度の彼に、こっちまで緊張してしまい、対面しても声が出なくなってしまった。黙り俯く私の代わりに、呼び出した当人である太郎が先に口を開いた。
「花子、実はお前に相談したいことがある。」
相談…私が期待していた展開にはまるで繋がらない単語。胸の奥で激しくこだましていたドラムのライブ演奏はゆっくりとフィナーレを迎えた。テンションのテの字も消えかかるほどに抱いていた熱は冷え切ってしまったが、珍しく真剣な彼の態度に、長年の付き合い故の慈悲が芽生えた。
「何かあったの?」
「ああ、実はちょっと恋の悩みを、ね。」
よもや万年ニブチン野郎である太郎の口から恋という言葉が出てくる日が来ようとは夢にも思っていなかった。しかしそれならば、相談相手に私を頼ってきたのも頷ける。幼馴染という長い歳月をかけて培ってきた信頼感があるからこそ、情報の漏洩を防ぎ、親身になって共に解決の糸口を見つけてくれると信じてくれているのだ。自分もまだ恋人の一人も作ったことがない素人であるが、彼の気持ちを汲み取って真面目に話を聞いてあげられるのは私だけだろうから(と勝手に自負しておく)、煮えたぎる腹の熱をグッと堪え、彼が落ち着いて話せるように穏やかな笑みを装った。太郎は私の中の大火事を知る由もなく、手すりに両肘をついて遠景を見つめた。
「生徒会副会長の一子先輩、いるじゃん。地味な感じで会長秘書みたいにいっつも会長の後ろをトテトテついて歩いてる。」
会長よりも背が小さく、ショートヘアで常に日誌か何かを胸に抱いている、あの彼女か。容姿端麗な美人会長の親友らしいけど、彼女は女子の間ではマスコット的な癒しとか萌えとかそういう眼差しで見られている。男子は彼女よりも会長の方に目が行くのが普通なのだが。
「一子先輩に惚れたの?」
「まっ、まあ…。初めは俺も会長一筋って感じだったんだけど…」
ほれやっぱり。ていうか、会長一筋ってことはやはり…初めから分岐ルート自体存在していなかったというわけですかそうですか。
「今更になって彼女の魅力に気付いて…。なんていうか、ほんとに些細なきっかけだったんだよ。」
「何々?聞きたい。」
「お前の期待に応えられるような経緯でなくて申し訳ないんだが、部活で膝を擦り剥いてさ、保健室に行ったんだよ。でも先生が居なくて、自分で勝手に治療しちゃおうとしてたら、たまたま先生に用事のあった一子先輩が入ってきて…」
「治療してくれたと。」
「ああ。『沁みるけど我慢してね。』って丁寧に傷の手当をしてくれて。てか、俺のこと知ってたみたいでさ。『サッカー部の今度の大会も頑張ってね!』って。あの時の笑顔が最後の決め手になったんだよなぁ。」
人は些細なことでも優しくされると心ときめかせてしまう罪深い生き物なのだ。私だって小学生の頃、親戚の叔父さんにテストの点数を褒められて頭を撫でられただけなのに、10も年の差がある彼に淡い熱を抱いたこともあった。今は魔法が解けて正気に戻っているが。
「経緯はともかく、太郎の心が決まっているのなら、アタックしちゃえばいいじゃん。」
「簡単にいいよる!だが『好きです→告白だぁ!!→おめでとー!』が成り立つのは絵空事の世界だけなのだよ、花子くん。現実は更なる壁が二人の愛を阻むんだ。」
太郎は柄にもなく、悲劇のヒーロー気取りで黄昏る。夕日に照らされた顔の憂鬱な表情は、見るものに笑いを込み上げさせる、漫才やらコントやらといったお笑いネタを連想させた。彼には悪いが、演じるのに無理がある。
「先輩、一ヵ月後に親の都合で海外に行くんだって。大学も向こうで決めるって情報。」
海を越えた遠距離恋愛になるという事実よりも、先輩家族が海外渡航するほどの財力を有していることの方が気になって仕方ない。庶民的に見えてあれは説明書付きの箱入り高級和人形だったのか。女子たちの感じていた直感的な認識は間違っていなかったのかもしれない。それにしても海外とは羨ましい。祖父がよく、「死ぬ前に一度はハワイで綺麗なねーちゃんとアロハしたい」などと妄言を吐いているが、庶民にとって海外は憧れの地であることに変わりない。少なくとも私にとってはそうなのだ。ハワイでねーちゃんとアロハするつもりはないが、ビーチでサングラスを掛けて異国の太陽に身を焦がしたり、ヤシの実に穴を開けてチューチューしたり、アロハシャツを着てナマコをつんつんしてみたり…ハワイ常連が私の妄想を聞いてどんな顔をするやら。想像もつかないが、これが庶民の考え得る願望の一端なのだ。と、海外旅行願望はこの辺にしておいて、遠距離での恋、それも国外でのやりとりとなると…別段難しいものでもないのでは?というのが率直な感想だ。通信手段に乏しかった昔とは違い(と今を生きる若者が古参がましく言うのもあれだが)今ではインターネットやらテレビ電話やら、どんなに遠くに離れていても電気さえ通っていれば、毎日だって顔を合わせられるはずだ。勿論、直接会えないことで、見えない部分での秘密の情事を危惧することもあるだろうが、それは結局、近くにいても24時間くっつきっぱなしというわけでもないだろうから、近かろうが遠かろうが同じことだと思う。つまり、愛する人間との距離が開いたからといって及び腰になる必要はないのではなかろうか。しかし、太郎はちょっと考えれば思いつきそうなこの考えに至らなかったようで、明日にでも世界が滅ぶような絶望一色に染まっていた。
「はは…まさかついていく訳にもいかないし…。そもそも、ここ数日でやっと好きと認識した相手に、俺に好意を持っているとも分からない相手に、告白したところで上手くいくか…。今更に彼女の魅力を知ってしまった自分を恨めしく思うよ。」
いや、魅力も何も、まだ彼女の良さの切れ端を見つけただけだから…というツッコミは野暮に思えてゴックンした。喉を鳴らしてふと気付く。秋への変わり目だというのに、弱々しいセミの鳴き声が聞こえてきた。一目もとい一耳瞭然、夏の間に散々耳についたあの喧しい叫び声は影も形も無く、今にも命尽き果てそうな、それでも懸命に誰かを呼び続けていた。しばらくセミの呻きに耳を傾けていると、突然太郎が力なく笑い声を漏らした。
「あーあ、これじゃあまるでセミの恋みたいだな。短い寿命の中で結ばれる確かな方法もなく、ミンミン鳴き叫ぶことしかできずに恋を終えていく。俺たちは実に無力だ。」
己の境遇を嘆き、天を仰ぐ太郎。想いが実らない辛さは痛いほど分かるが、彼の発言は必死に命を全うするセミに対して失礼に思えて我慢ならなかった。
「一緒にしないでよ。セミとあんたじゃ全然違う。」
「え?」
太郎の隣に並び、校庭の木々に目を移す。聞こえる方向から、愛しい人の名を呼び続ける小さな主人公の位置を割り出し、その木をじっと見つめた。
「セミはすごいよ。短い寿命の中で生きた証を残すために、顔も姿も分からない相手を求めて必死に鳴き続ける。選り好みしている余裕なんてほとんどない、自分をアピールする手段も声だけしかない。それでも諦めずにこうやって、自分の命が尽きるその瞬間まで相手に自分の想いを伝え続けているんだよ。」
「…。」
「それなのに、彼らよりも寿命が長く、声だけでなくルックスや内面といった色々な方法で相手にアプローチできて、自分の好みを選べる余裕もある、そんな人間という恵まれた生物として生まれたあんたは、見つけた想い人がちょっと遠くに行っちゃうからっていじけて簡単に諦めて…セミとあんた、本当に対等だと思ってんの?」
「いえ…。」
「今鳴いているあのセミだって最後まで諦めずに声を張ってるんだ。あんたも間単に臆さずに、駄目元でもミンミン鳴いてみなさいよ!ネットとかSNSとかでやり取りもできるし、社会人になってからお金を蓄えて彼女を迎えに行くことだってできるでしょ。それとも、あんたの彼女への愛って、そんな行動も起こせないほど価値のないものだったの?」
横目で太郎を睨みつける。私の言葉に少しは堪えたのか、彼は…何故か満面の笑みを浮かべて喜んでいた。何こいつキモイ…。えっ、罵られると悦びに満ち溢れるタイプなの?Lの次でNの前なの?やだ怖い…。
「そうだよな。よく考えれば、そういう通信の手段だってあるし、俺の決心一つで遠距離なんてどうにでもなるもんな。」
太郎は地獄でクモの糸を掴んだように希望に満ちた様子で顔を輝かせていた。私の肩を一度ポンと叩くと、話が終わったようで、入り口へと歩き出した。
「やっぱお前に相談してよかったよ!ありがとな、花子!!」
「一緒に帰ろうぜ」の一言もなく、橙色の光射す屋上に取り残された私。依然として叫び続ける愛の探求者に倣い、手持ち無沙汰の想いを吐き出すように、私も大声でミンミン鳴き叫んだ。
「屋上で何を騒いでるんだ!!降りてきなさい!!」
野球部の先生に怒鳴られた。私の冒険はここで終わってしまった。
放課後、太郎に呼び出されて屋上へと向かう。昨日とは別の意味で足が重く、彼の話を聞くのが憂鬱だったが、相談された以上は最後まで見届ける責任があると、自分を奮い立たせて目的地に辿り着いた。先に来ていた太郎の様子を見て、足枷が音もなく崩れ落ちた。
「もっと早くに気付くべきだった!!俺のことを知っていたり、サッカー部の応援をしたり…同じサッカー部に恋人がいてもおかしくないじゃないかって!!」
「で、誰だったの?」
「キャプテンの、次郎先輩…。」
「ご愁傷様。」
太郎の飲んでいたペットボトルのお茶を奪い、僅かな残りを全て喉に流し込む。太郎は私の頭をワシャワシャかき乱し、昨日のように手すり越しに遠くの街を眺めて笑った。
「あーあ!俺の恋は振り出しに戻った!一体何マス進めば、ゴールになるやら。」
部活で賑わう校庭の喧騒の中、再び昨日のセミの声が聞こえる。彼の叫びがなんだか私へのエールに思えて(完全に自分勝手な解釈だが)、自分から鳴き出す決意が固まった。
「何の数字を出しても後一マスでゴールできるよ。」
「え?」
こちらに振り向いた太郎の唇を狙い撃つ。昔から反射神経は良い方なのだ。
「どのマスよりも昔から一番近くにあるゴールだけど…どうかな?」
「…あがらせてもらいます。」
再び、甘いひと時が訪れた時には、鳴り響いていた生命の雄叫びは音を失っていた。
短編集:刹那の文 夕涼みに麦茶 @gomakonbu32hon
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