たった二文字が出てこない

 時刻は朝の七時。体に刻まれた時計と行動ルーチンは正確そのもの。寸分の狂いもなく、近所の幼馴染の家の前にこうして立っている。今日のために、十二分に準備をしてきた。大丈夫、私ならばできる。難攻不落のニブチン城主を思いもよらない奇策で討ち取ってみせる。


私は彼に「好き」と言わせたい。


 幼稚園に通う前からずっと、彼とは兄妹/姉弟のように育った。遊ぶ時はいつも一緒。小学校でクラスが別になっても、休み時間や昼休みにどちらかがもう一方の元に遊びに行った。高校に上がった今でも、こうして登下校を共にしているし、端から見れば私たちはベストカップルなのだ。…なのだが、家族の一員のように育ってきたせいもあってか、私たちの間には、浮ついた出来事がまるでない。私自身は中学の始め頃から彼を異性として意識するようになり、誰よりも彼の側にいるからと慢心はせず、賢明にそれっぽいアプローチをしていた。しかし、彼の方は相変わらず長年連れ添った親友程度にしか感じていないようで、私の努力は全て肩透かしを食らった。お弁当を自作して、お昼に「あ~ん」してあげれば、恥らいためらうこともなく、差し出された卵焼きを摘んでいた箸先ごとあっさり咥えてしまった。あんたは飼育員の餌を待つ動物園の獣かと。電車に乗って二人で出掛けた時に「なんかデートみたいだね。」って恥らいながら言うと、「そうだな。」って同意してくれたから、これは脈ありと期待していたのに、その日は結局愛の言葉もロマンチックなキスもなく、彼は帰りの電車で私に寄りかかって大きないびきを立てて眠っていた。他には、さりげなく手を繋いだら幼稚園のお遊戯みたいに陽気にその手をぶんぶん振り始めるし、ペットボトルのジュースで間接キスを試みても意識することなく容器内のジュースを一気に飲み干しちゃうし…。もしかしたら彼には好きな異性がいるのかもしれないが、その子とゴールインする様を、指を咥えて黙って見ていられるほど私は聖人ではない。BAD ENDになる前に、なんとしても私を意識してもらわなければ。恋愛感情を引き起こすには、やはり「好き」という言葉を言わせるのが一番だろう。先に言っておくが、異性としての認識を持っていない彼に、私の方から告白するのは無謀そのものだ。何せ恋愛対象に入っていないわけだから、玉砕からの他に好きな人がいる追撃による死体蹴りが容易に想像できる。不幸な未来を選択しないためにも、フラグは一つずつ丁寧に回収していくのが鉄則だ。というわけで、昨晩、寝る間を惜しんで必死に考えてきた作戦を実行しようと考えている。

 作戦その1、クイズで無理矢理「好き」を引き出す。普段通りのさりげない会話をしながら、考えてきたクイズを出題。その答えは全て「すき」とか「あいしてる」とか、彼の恋愛意識を刺激する言葉になるようにしてある。例えば、「ススキが伸びたので、頭を鎌で刈りました。残った言葉は?」→お分かりだろうか?答えは頭の「ス」を取り除いて「スキ=好き」。では、「私death伝える/教える。日本語を英語に、英語を日本語にして繋げて読め。」→答えは、私=I(あい)、death=死(し)、伝える/教える=tell(てる)…繋げると「あい し てる→愛してる」。こういうのを考えるのが得意な女子友の力を借りて、完璧過ぎる問題が計10種作られた。この作戦の難点は、心の篭った「好き」が聞けないことだが、それは後から聞き出せばいい。当面の第一目標は、彼に「好き」と言わせて私への意識を高めることなのだから。

 作戦その2、「月が綺麗ですね」から感情を刺激する。某有名文豪の意訳として有名なフレーズ、だからこそ人の心を動かすだけの力がある。実は数日前に、家のベランダから満月を撮影した。彼に例のフレーズを言わせるためにリテイクを重ねに重ね、うちの家族や近所のおばちゃんが感嘆の声を上げるぐらいの美麗な画像を収めることに成功した。その代償として、小さな悪魔に数箇所刺され、血液を捧げる羽目になったが、これも全ては悲願達成のため。さりげない会話から月の話に誘導して、画像を見せて感想を聞く→「綺麗な月だな。」→「月が綺麗ですね」意訳を説明する。彼は愛の言葉を呟いたと悟り、思わず顔を真っ赤にする。そして「そういえば、幼馴染として付き合ってきた花子(私ね)、俺はこいつのことが好きなのかもしれない。」→「俺と付き合ってくれ!」→「いいですとも!」→HAPPY END。我ながら素晴らしい筋書きである。万が一、作戦1が失敗した時の保険用であるが、強烈なダブルパンチをまともに受ければ、さすがの鈍感くんもノックアウト間違い無しだろう。

 作戦その3…と、実行予定の計画を再確認していると、寝癖を立てたままのボサボサ頭でターゲットが家から出てきた。

「太郎ちゃんおはよ!」

「うい~。」

ダルそうな彼とハイタッチを交わし、二人並んで学校への道を歩き出した。さぁ、ここからだ。ひとまず他愛の無い雑談から始めて油断を誘い、一気にねじ伏せる!

「花ぁ~、突然ですが問題です。」

「まずは軽いジャブで…ふぇ?」

段取りを整理して先制攻撃をかけようとしていると、予想外の不意を打たれ、マヌケな声が漏れた。

「すき焼きに水をかけたら残った言葉は何でしょう?」

「え?すき焼きに水…えっと。」

謎解きの極意は友達から指南されていたから、落ち着いて考えれば解けるはず。大事なのは柔軟な発想力。「すき焼き」に「水をかける」…「水をかける」ということは「火を消す」ということだろう。水を「さんずい」と捉えて漢字を組み立てる類のものではなさそうだ。「すき焼き」から「火を消す」…ここでは火を表す「焼く」を消せばいいわけだから…。

「すき?」

「おー正解。やるじゃん。」

太郎ちゃんにしては凝ったなぞなぞであるが、誰かから出された問題だったのだろうか。ん?そういえば、答えが「すき」になって…?

「次は簡単な質問。…これ見て。どう思う?」

太郎ちゃんは胸ポケットからスマホを取り出し、一枚の画像を見せてきた。

「あっ、これこの前の月?綺麗だったよね!」

周囲に写り込んだ庭木や家々から察するに、彼も自分の家で月を撮影していたようだ。それにしても、カメラの性能の違いだろうかそれとも技術の問題か、私が撮ったものよりもはっきりと美しいお月様が微笑んでいた。

「すごいよく撮れてるね!月がほんと綺麗…。」

「カメラマンの腕が良いからな。…ところで、『月が綺麗ですね』という言葉、とある有名な人物の意訳の話があるんだけど、知ってた?」

「えっ、それって…。」

顔がポッと熱くなり、赤みを帯びたのが自分で分かった。言葉を詰まらせて俯いてしまう。どうしよう。今これはどういう状況だ?私がかけようと思っていた罠を相手が先制して仕掛けてきて…作戦が筒抜けだった?いやまさか、彼女に限ってそんなことは…。

「知ってたのか。なら話は早い。」

彼はカチコチに固まった私の手を握り、もう一方の手で石化が解けるように頭を撫で始めた。

「もう二回も『好き』って言っちゃったし、どう?俺と真剣に恋してみない?」

彼は本当に躊躇というものを知らない。恥じらいもせずに堂々とそんなことが言える。昔からそういう肝の据わったところは羨ましかった。全く、ニブチンはどっちだ。彼はちゃんと私のことを女として見ていたではないか。私は自由を取り戻した体を奮い立たせ、握られた手を強く握り返した。顔を上げると、彼は揺るぎない自信に満ち溢れていた。ならばその度胸に応えるまで。

「ふつつつか…不束者ですが、宜しくお願いします!」

最悪だ。人生の重大局面の一つでこの小娘、噛みおったぁぁぁぁぁぁ!!!

「ぶっ、今噛んだだろ?」

「…噛んでません。」

「噛んだよね?」

「噛んでない。」

「感電は?」

「…あなたに痺れました~~~~~~!!!」

やけくそになり、太郎ちゃんの手を無理矢理引っ張って走り出す。転ぶ転ぶと彼はあたふたしているが、この手は絶対に離してやるもんか。彼の方から繋いで来たわけだし、彼も易々と私を手放すつもりがないらしいから。

 キャンキャン喚きながら元気に駆け抜ける二匹の発情した獣たちを見て、電線の上の雀たちは楽しそうに笑っていた。


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