不可視の呪印

 人生とは、後悔の連続である。何か重要なイベントに直面する度に、大きな失敗を招き、自己嫌悪と後悔がチクチクと腹の内を刺してくる。そうならないように事前準備は抜かりなくやるべきだが、私の場合、自分が考えられる最大限の備えをしていても、いつだって悲しき結末を避けることはできなかった。周囲が言うような自分の見通しが甘いとか、努力が足りないとか、反省点は素直に享受するが、それにくっついて私の頭に入り込んでくる「起こってしまった現実」は、拒もうとしても追い出せず、消せないままいつまでも居座り続けるのだ。その悪魔の呪いは、時が経っても色褪せることなく、逆に一瞬の隙を突いて鮮やかな朱と吸い込まれそうな深黒を見せてくる。あの時犯した失態を録画していたように忠実に再現し、私の思考を塗り潰し、動悸を早め、体を硬直させ、延々と自分を嫌いになるように囁きかける。そして後悔という呪いの印がいつまでも私を監視していると嘲るのだ。

 日常生活で最も隙ができる瞬間、恐らく睡眠の時間ではないだろうか。印は嬉々として、この時間を狙って忌まわしきあの時を想起する。夢…悪夢として。

 中学生の頃、生徒会長選挙というものがあり、各学年、各クラスから一名候補者を選び、全校生徒の前で演説して、後日生徒が候補者に投票して生徒会長を決めるという一大イベントが行なわれていた。私のクラスでは、立候補者が一人もおらず、偶々そこそこ成績の良かった私に白羽の矢が立ち、担任の先生から必死に説得された。自分はそんな器じゃないと申し訳ないと思いつつも断り続けていた私だったが、先生の熱心な心とクラスの親友たちの後押しにとうとう折れて、候補者として立つことにした。演説会に向けて、先生や友達の助力も受けながら、スピーチの内容を練り、教室を舞台として放課後に何度も練習を繰り返し、見えない重圧に負けないような度胸を鍛えた。何度も何度も繰り返し練習をして、準備は万全。そして演説会当日を迎える。全校生徒がざわつく昼間の体育館。私は舞台袖から他の候補者たちと共に壇上に上がり、用意されたイスに腰を下ろす。進行役の男子生徒が、開会を宣誓し、校長先生からの挨拶を挟み、メインの演説会が始まった。演説は、反対側に座る応援者と共に二人でマイクの前に立ち、始めに応援者演説、それから候補者による演説が行なわれる。応援者演説では、簡単に言えば応援者が候補者のPRをする。候補者演説の説得力と会長としての資質をアピールしてくれるのだ。一年生から順に、一学年8クラス、計48名の演説が行なわれる。当時、2年生だった私は、前半半分が終わり、休憩時間を挟んでの後半始めに演説を行なうことになっていた。応援者の友人と緊張を解すように話をしていると、休憩時間はあっという間に終了し、とうとう私たちの番が回ってきた。進行役に名前を呼ばれ、反対側に座る友人と共にマイクの前に。眼下に広がる見慣れたはずの制服を着た人の群れが、一瞬ぐにゃりと歪んでぼやけて見えた。まず友人が応援者演説を始める。友人は練習の時同様に、ハキハキとした口調で生徒一人一人を見るように顔を左右に揺らしながら私の長所を熱く語ってくれた。演説が終わり、友人は頭を下げて私の隣に戻る。そしてすぐに、私の名前が呼ばれ、私は大きく返事をして、前に出る。用意された台の上に演説内容の書かれた原稿用紙を開いておき、演説を始めようと口を開く。が、私はマヌケ面を晒したままその場で固まってしまった。黒と紺を纏う聴衆たちを見た途端、培ってきたはずの度胸は音もなく溶けてなくなり、少なからず頭に入れておいた出だしの言葉は、消しゴムで消したように跡形も無く、原稿用紙は白紙に戻ってしまった。心臓は激しく動いているのに体は蝋で塗り固められたように微動だにしない。沈黙が続いたせいかざわめく会場。不意に肩を叩かれ、体を跳ねさせてようやく我に返る。ゆっくりと振り向くと、友人が心配して駆け寄ってくれていた。友人が静かに頷く。私も無意識にそれを真似ると、ようやくいつもの自分が帰ってきた。進行役から声をかけられ、謝ってから大丈夫だと伝え、演説に臨んだ。しかし、平常心を取り戻したとはいえ、白紙は白紙のまま。肝心のスピーチは噛み噛みで声のトーンやら何やらも酷いの何の、恐らく聞いていた側には誠意も公約もまるで伝わらなかったであろうことが容易に想像できた。あまりにもギクシャクだったせいで、途中で僅かに笑い声も上がっていたような気がする。散々なスピーチを終えて、自分たちの席に戻るときには、恥ずかしさで顔は真っ赤になり、応援してくれた友人たちや先生、クラスのみんなに申し訳ない気持ちになり、悔しさから涙が視界を奪った。全て終わってから労いの言葉を貰う一方で、練習不足やら根性なしやら厳しい声も掛けられた。正直そこまで言うこと無いだろうという言葉もあったが、次にまた同じような場面に出くわすこともあるかもしれないからと、反省点は全て受け入れた。それから高校の演説大会やら大学のゼミや卒論発表やら、人前でのスピーチで失敗はあまりしなくなったが、その手の催しが近付く度に、私の脳にはあの時の失態が蘇る。それを更に改悪して見せてくるのが夢だ。

 気が付くと私は候補者演説の壇上に立っていて、まだ何も話していないのに、客席からくすくすと悪意に満ちた笑い声が聞こえてくる。進行役は借金の取り立て屋のように繰り返し私のスピーチを催促し、隣に立つ友人は舌打ちをしてぶつぶつと私に対する失望の念を際限なく吐き出している。壇上の後方に座る他の応援者、候補者たちは、さっさと終わらせろと怒りの貧乏揺すりドラムを奏でている。そして私は、自分の夢だというのに制御する事ができず、ただただ下を俯いて泣いて謝ることしかできないでいた。そのうち会場全体が帰れコールに包まれ、それと共に周囲が荒れ狂う黒い波に変化し、渦を巻いて私を飲み込む。完全に黒い海に飲み込まれ、息ができなくなって苦しんでいるところでようやく私は現実に帰ってくるのだ。後悔は、束の間の安らぎすら許してはくれない。

 演説の悪夢はあくまで一つの事例に過ぎない。私を蝕む狂気の夜は、時に恋愛のねじれであり、時に両親との軋轢であり…刻まれた呪印は一つではないのだ。最近ふと思うのは、こうした後悔の呪いは、死後もなお続くのではないかという不安。正確には、死と共に悪夢という脱出不能な永久の牢獄に捕らわれてしまうのではないだろうかと。死は永眠とも言い表せる。肉体が滅ぶことで自我が何処へ行くのか、自我が滅びない摂理があるのであれば、後悔は間違いなく自我に寄り添い、私たちを苦しめ続けるだろう。永遠に終わりの無い自己否定と苦痛を味わう、まさしくこれが地獄というものなのかもしれない。そんな許されることの無い絶望の世界に囚われない為にも、過去の後悔ともう一度向き合い、それを払拭し、呪印を一つずつ消していこうと思う。トラウマとなった出来事は簡単に消せるものではないが、穏やかな日々を、心安らぐ安寧の時を取り戻すために、私はもう一度自分の過去と向き合いたい。時間が掛かろうとも、絶対に無理であっても、それでも挑戦したい。

 それが私のできる自分との向き合い方だから。


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