短編集:刹那の文

夕涼みに麦茶

刹那の文

 自室でノートPCとにらめっこしながら、大学の課題レポートをまとめていると、グウゥと昼食を催促する声が聞こえてきた。一旦データを保存して作業を中断し、イスから降りて、リビングに向かった。

 リビングへのドアノブに手を掛けようとしていると、仏間から何かボソボソと話し声が聞こえた。誰か居るのだろうかと思い、足を仏間の方に向けて歩き出す。戸の開いた入り口から部屋の様子を覗き込むと、仏壇に向かって正座する母の姿があった。手には火を灯して未だ煙を立たせていない線香が握られており、母は目を瞑って仏壇に頭を下げながら、独り言のように何かを呟いていた。程なくしてようやく火が消え、線香の香りが漂ってくると、母は静かに目を開き、頭を戻して線香を上げた。それからお決まりのようにチーンと音を鳴らして合掌し、ゆっくりと立ち上がる。そこでようやく覗いていた私に気付いたようで、ニコニコと微笑みながらこちらにやってきた。

「もうお昼になった?ご飯、昨日の残りのカレーでいいよね?」

「うん、いいよ。それより、さっき、何かブツブツ呟いていたけど、何を話してたの?」

素朴な疑問を投げかけると、母は照れた様子で小笑いしながらはにかんだ。

「聞いていたの!?やだぁ!まぁ、別に聞かれて困ることでもないんだけど…。」

母は再び仏壇の前に座し、真っ直ぐ亡き祖父母の写真を見た。私も母に倣い、隣に正座して、二人が仲睦まじく微笑む在りし日の姿に目を向ける。

「お線香、もう上げた?」

「これから上げようと思ってたけど。」

母は線香を一本摘み、私の手に握らせる。側にあったライターで火を灯そうとすると、何故か母に制止された。

「さっき、お母さんが何を話していたか聞いたよね?」

「うん。」

「それはね、家族の近況…『お父さんやあなたが元気に日常を送っていますよ。』とか、『あなたが一生懸命大学で勉強に励んでいますよ。』とか。それから、『向こうで二人は元気にやっていますか?』とか、おじいちゃんおばあちゃんへの言伝を呟いていたのよ。」

「言伝…。」

母は飾ってある写真を両手で持ち、額縁を指でなぞりながら、朗らかな老人たちの笑顔に応えた。

「これはお母さんのお母さん、つまりあなたのもう一人のおばあちゃんから聞いた話なんだけどね、お線香に火が灯っている間に、天国の御先祖様に伝えたいことを話すと、火が消えた時に、その言葉が煙に乗って天国まで届くんだって。おばあちゃんもよく、仏壇に向かってお話していたのよ。」

「煙に乗っていくんなら、煙が上がっている間でもいいんじゃない?お線香の種類によっては、火がすぐに消えるものもあるじゃん。」

「ふふ、お母さんもね、おばあちゃんに同じ質問したの。そしたら何て言ったと思う?」

母は写真を元に戻し、ライターの使用を許可した。

「火の無いところに煙は立たぬ。火に言葉を燃やすから立った煙に乗って向こうに運ばれるんだ!…だって。」

「一応理に適ってはいるけど…やっぱり言いたいこと全部伝えるには時間が短いんじゃないかな…。」

「一言二言でもいいのよ。声を届けることに意味があるんだから。それに、お墓で使うものとは別に、うちの線香は、火が長く灯るものを使用しているから大丈夫!」

いまいち納得しかねる理屈ではあったが、天国の二人に自分の声が届くのは確かに素敵なことだと納得し、私は線香に火をつけた。火が消えるまでの僅かな時間、刹那の文を静かに綴る。

「おじいちゃんおばあちゃん、あなたの孫は、才色兼備、豪華絢爛のバラ色人生を送っています。お父さんとお母さんのお小言が玉に瑕ですが、私たちは今日も元気です!」

「余計なこと言わんでよろしい!」

母に軽く小突かれながら、火の消えた線香を上げる。二人並んで拝み、天を目指して立ち昇る煙をじっと静かに見送った。


 リビングで昼食のカレーライスを母と二人で食べていると、突然母は窓の外、庭に目を向けた。彼女の視線の先を見ると、庭に植えられた種々の花々に誘われたのだろう、二羽のモンシロチョウがまるでツガイの様に仲良く舞っていた。そんな小さな客人を、母は懐かしむように、そして愛おしそうに眺めている。

「お線香の言伝、毎日やっているわけじゃないのよ。お話したい事がある時に声を送っているんだけどね、言葉を煙に乗せた日に限って、必ず二匹の蝶が庭に遊びに来るのよ。きっと、おじいちゃんとおばあちゃんが、天国から『報告ありがとう!こっちも元気にやってるよ!』ってお返事を蝶に運んでもらってるんじゃないかなって。」

「本当にそうだったら何か素敵だね。」

「絶対そうよ。ほら、今日はあなたも声を送ったから、いつもより蝶が忙しなく羽ばたいてる!」

「それはどの花に止まるか迷ってるだけでしょ!」

それから、スプーンをお皿の上に置いて、二人でしばらく天国からの使者をぼんやり眺めていた。二羽の配達員は、私たちの視線に気付いているかのように、しばらく宙をじゃれ合うように舞い、返信の文を届けてくれた。


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